わたしの青いハート@あい・まい・みー千秋楽
2002年5月20日 タカラヅカ パラドックスに満ちている。
ガイチのバウコン。
初日に行ったときは、本物の男の人を舞台に上げることによって女性が演じる「男役」というものについて、考えさせられた。
そして今日千秋楽では、コンサートという「音」をたのしむ場でありながら、「無音の世界」について考えさせられた。
バウの千秋楽のなにがたのしいかって、やっぱペンライトよねえ。あると思ったけど、やっぱしあった。
座席に使い捨てのペンライト(正式の名前はちがうよねえ?)がセットしてあった。わーい。
そしてもひとつ、あると思った。
ゴム風船。
このコンサートでは、毎回ひとりのお客さんに、ガイチが舞台から風船をプレゼントしていた。
ゴム風船を抱いて音楽を聴くと、とても気持ちいいんだって。それを体感して欲しい、という意味でのイベント。
千秋楽はきっと、全員に風船がもらえるんじゃないかと、実は期待していたのだ。
あともうひとつ。これは意外だった。公演ロゴ入りの、おしゃれな金色のシャープペンもが、もれなく袋に入っていたの。記念品をもらったのははじめてだよー。うれしー。
風船は、かわいらしいハート型だった。わたしのは、きれーなブルー。
見れば、いろんな色があるようだった。隣の人は赤だった。いいなあ、赤がよかった。やっぱハートなら赤でしょう。
音楽をたのしむために、いそいそとふくらませた。……ゴム風船をふくらませるなんて、何年ぶり? 10年? もっと?
おどろいたよ。
ほんとに、揺れるんだ。
音楽で、風船が揺れているのがわかる。振動が抱きしめた身体に伝わる。
音がないときは、自分の鼓動がわかる。
揺れてる。
わたしの、生命の音。
心地よい音楽の中、わたしは「無音」について考えた。
音って、振動なんだ。
いやもちろんそれは、知っていたよ。空気をふるわせて、耳に届いているもんなんだってことは。
でも、それをこんなふうに「振動」として、たしかに感じることはなかった。
音と共に揺れる。
存在している。
ではもし、「音」が聞こえなかったら?
聴覚を失ってしまったとしたら。あるいは、生まれつき聴覚を持っていなかったら。
目に見えない。もちろん、聞こえない。
だが、それはある。
抱きしめた風船が揺れている。
風船が揺れ、わたしの身体を揺らしている。
目に見えないけれど、たしかにここにあるもの。
ここにあるものが、わたしを揺らしているよ。存在を訴えかけているよ。
たとえばそれは、ひとの心のようなもので。
目に見えないけれど、たしかにここにあるもの。
音に包まれながら、「無音」に想いを馳せた。
ガイチの歌が、わたしを揺らしている。
抱きしめた、青いハート。
とてもとても、たのしいコンサートだった。
豊かな歌声もさることながら、彼女の「みんなをたのしませよう」「今をとびきりの時間にしよう」という気持ちが、胸いっぱいに伝わってきた。
ありがとう。とても、たのしかった。
この箱を出たら、待っているのは現実。その現実と、戦っていくための力が、わいてくるよ。
わたしのペンライトは、赤く発光した。
何回目かのカーテンコールのとき、膝の上に置いた青い風船の下から透けて、赤いペンライトが見えた。
まるで、青いハートをつらぬく赤い矢のようだった。
ガイチのバウコン。
初日に行ったときは、本物の男の人を舞台に上げることによって女性が演じる「男役」というものについて、考えさせられた。
そして今日千秋楽では、コンサートという「音」をたのしむ場でありながら、「無音の世界」について考えさせられた。
バウの千秋楽のなにがたのしいかって、やっぱペンライトよねえ。あると思ったけど、やっぱしあった。
座席に使い捨てのペンライト(正式の名前はちがうよねえ?)がセットしてあった。わーい。
そしてもひとつ、あると思った。
ゴム風船。
このコンサートでは、毎回ひとりのお客さんに、ガイチが舞台から風船をプレゼントしていた。
ゴム風船を抱いて音楽を聴くと、とても気持ちいいんだって。それを体感して欲しい、という意味でのイベント。
千秋楽はきっと、全員に風船がもらえるんじゃないかと、実は期待していたのだ。
あともうひとつ。これは意外だった。公演ロゴ入りの、おしゃれな金色のシャープペンもが、もれなく袋に入っていたの。記念品をもらったのははじめてだよー。うれしー。
風船は、かわいらしいハート型だった。わたしのは、きれーなブルー。
見れば、いろんな色があるようだった。隣の人は赤だった。いいなあ、赤がよかった。やっぱハートなら赤でしょう。
音楽をたのしむために、いそいそとふくらませた。……ゴム風船をふくらませるなんて、何年ぶり? 10年? もっと?
おどろいたよ。
ほんとに、揺れるんだ。
音楽で、風船が揺れているのがわかる。振動が抱きしめた身体に伝わる。
音がないときは、自分の鼓動がわかる。
揺れてる。
わたしの、生命の音。
心地よい音楽の中、わたしは「無音」について考えた。
音って、振動なんだ。
いやもちろんそれは、知っていたよ。空気をふるわせて、耳に届いているもんなんだってことは。
でも、それをこんなふうに「振動」として、たしかに感じることはなかった。
音と共に揺れる。
存在している。
ではもし、「音」が聞こえなかったら?
聴覚を失ってしまったとしたら。あるいは、生まれつき聴覚を持っていなかったら。
目に見えない。もちろん、聞こえない。
だが、それはある。
抱きしめた風船が揺れている。
風船が揺れ、わたしの身体を揺らしている。
目に見えないけれど、たしかにここにあるもの。
ここにあるものが、わたしを揺らしているよ。存在を訴えかけているよ。
たとえばそれは、ひとの心のようなもので。
目に見えないけれど、たしかにここにあるもの。
音に包まれながら、「無音」に想いを馳せた。
ガイチの歌が、わたしを揺らしている。
抱きしめた、青いハート。
とてもとても、たのしいコンサートだった。
豊かな歌声もさることながら、彼女の「みんなをたのしませよう」「今をとびきりの時間にしよう」という気持ちが、胸いっぱいに伝わってきた。
ありがとう。とても、たのしかった。
この箱を出たら、待っているのは現実。その現実と、戦っていくための力が、わいてくるよ。
わたしのペンライトは、赤く発光した。
何回目かのカーテンコールのとき、膝の上に置いた青い風船の下から透けて、赤いペンライトが見えた。
まるで、青いハートをつらぬく赤い矢のようだった。
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