パラドックスに満ちている。
 ガイチのバウコン。

 初日に行ったときは、本物の男の人を舞台に上げることによって女性が演じる「男役」というものについて、考えさせられた。
 そして今日千秋楽では、コンサートという「音」をたのしむ場でありながら、「無音の世界」について考えさせられた。

 バウの千秋楽のなにがたのしいかって、やっぱペンライトよねえ。あると思ったけど、やっぱしあった。
 座席に使い捨てのペンライト(正式の名前はちがうよねえ?)がセットしてあった。わーい。
 そしてもひとつ、あると思った。
 ゴム風船。
 このコンサートでは、毎回ひとりのお客さんに、ガイチが舞台から風船をプレゼントしていた。
 ゴム風船を抱いて音楽を聴くと、とても気持ちいいんだって。それを体感して欲しい、という意味でのイベント。
 千秋楽はきっと、全員に風船がもらえるんじゃないかと、実は期待していたのだ。
 あともうひとつ。これは意外だった。公演ロゴ入りの、おしゃれな金色のシャープペンもが、もれなく袋に入っていたの。記念品をもらったのははじめてだよー。うれしー。

 風船は、かわいらしいハート型だった。わたしのは、きれーなブルー。
 見れば、いろんな色があるようだった。隣の人は赤だった。いいなあ、赤がよかった。やっぱハートなら赤でしょう。
 音楽をたのしむために、いそいそとふくらませた。……ゴム風船をふくらませるなんて、何年ぶり? 10年? もっと?

 おどろいたよ。
 ほんとに、揺れるんだ。
 音楽で、風船が揺れているのがわかる。振動が抱きしめた身体に伝わる。

 音がないときは、自分の鼓動がわかる。
 揺れてる。
 わたしの、生命の音。

 心地よい音楽の中、わたしは「無音」について考えた。
 音って、振動なんだ。
 いやもちろんそれは、知っていたよ。空気をふるわせて、耳に届いているもんなんだってことは。
 でも、それをこんなふうに「振動」として、たしかに感じることはなかった。
 音と共に揺れる。
 存在している。

 ではもし、「音」が聞こえなかったら?

 聴覚を失ってしまったとしたら。あるいは、生まれつき聴覚を持っていなかったら。

 目に見えない。もちろん、聞こえない。
 だが、それはある。
 抱きしめた風船が揺れている。
 風船が揺れ、わたしの身体を揺らしている。

 目に見えないけれど、たしかにここにあるもの。

 ここにあるものが、わたしを揺らしているよ。存在を訴えかけているよ。

 たとえばそれは、ひとの心のようなもので。
 目に見えないけれど、たしかにここにあるもの。

 音に包まれながら、「無音」に想いを馳せた。

 ガイチの歌が、わたしを揺らしている。
 抱きしめた、青いハート。

 とてもとても、たのしいコンサートだった。
 豊かな歌声もさることながら、彼女の「みんなをたのしませよう」「今をとびきりの時間にしよう」という気持ちが、胸いっぱいに伝わってきた。
 ありがとう。とても、たのしかった。
 この箱を出たら、待っているのは現実。その現実と、戦っていくための力が、わいてくるよ。

 わたしのペンライトは、赤く発光した。
 何回目かのカーテンコールのとき、膝の上に置いた青い風船の下から透けて、赤いペンライトが見えた。
 まるで、青いハートをつらぬく赤い矢のようだった。

コメント

日記内を検索