今日は別になにをしていたわけでもないので、『ON THE 5th』の感想いきまーす。

 たのしいショーだった。
 初日、芝居ではどこにいるのかわからなかったしいちゃんんも、ショーではちゃんとわかったし。
 あ、言い訳をしておくと、初日は立ち見してたの。金欠でねー。だから、舞台が遠かったせいなのよ。普段なら、しいちゃんがわからないなんてことは、あり得ないもん!
 ……ナルセに釘付けだったせいもあるんだけどさ……他を見ている余裕がなくて……。
 初日は殿さんとふたりで観ていたんだけど、「ナルセの黒燕尾観られただけで、お金出した値打ちあったねえ」とうなずきあいました。……ファンってそういうものよね。涙。

 とくに、ナルコムの黒燕尾ダンス!!
 ありがとう、観たかったのよずっと!
 目に焼き付けて、残りの人生生きるわ。

 たのしくて、おいしくて(笑)、とても好きなショーなんだけど。

 ちょっと、ひっかかることがあって。

 あの、9/11のシーンなんだけど。

 あれって……どうなの?
 他の人はどう思ってるのかなあ。まだ友人たちとはそういう話をしてないんだけど。
 わたしは、いやな感じがした。
 出かけに見た新聞に、「ニューヨークが舞台。テロ事件に黙祷を捧げるシーンも」ってあったんで、そうなのか、とは思って観たんだけど。

 まさかあんなに、露骨に事件を再現しているとは、思わなかった。

 ふつーのショーシーンの中に、賛美歌系の、祈りのシーンがあるのかな、とか、そんな気分でいたから。わかる人には「ああ、テロ事件に対しての哀悼ね」とわかる程度の。

 コメディ・テイストですすむ舞台。明るく楽しく。
 シャインはキュートだし、Mr.フィフスとの出会いもかわいくおかしく、ラヴラヴシーンもロマンチックななかにもちょっとかわいらしいものがあったり。
 なのに。
 いきなり、シャイン死ぬし。
 おしゃれでかわいいコメディじゃなかったの?!
 夢の世界から、現実のダストシュートへGO!!
 びっくりした。
 王子様の舞踏会で踊っていたはずのわたし、いきなり地下のゴミ集積場でぽかんとしている、みたいな。
 あー、あそこから落ちてきたんだー、と、天井にあるダストシュートの穴を眺めてる。
 そーゆー気持ちでした。

 それが悪いのかどうかは、人の感性は千差万別なので、わかりません。
 天国から地獄、幸福の絶頂から不幸のどん底、てな展開をロマンだと思う人もいるだろーし。

 初日はただ、びっくりしたのと、「いやな気持ち」だけを印象とした。

 しかし今になると、整理もついてきたかな。

 なんでいやな気持ちになったのか。
 理由はふたつある。

 ひとつは、まだ生々しい悲劇の記憶をえぐり出されたことへの、生理的嫌悪。抵抗感。

 そしてもうひとつは。
 「ずるい」という思い。

 フィクションにおいて、この世でもっとも簡単な感動のさせ方は、なんだと思いますか?
 それは、登場人物を、殺すことです。

 視聴率の下がってきたドラマを盛り上げたかったら、メインキャラをひとり殺しましょう。視聴率は上向きになります。
 長い物語で、読者があきてくるようなら、とりあえずたくさん人を殺しましょう。無惨な虐殺なんかいいですね。話が盛り上がります。

人間はみな、ひとりひとりちがいます。
 感性も、生きてきた背景も。
 だから、なにをいいと思い、悪いと思うかは、みんなちがいます。
 だから、たくさんの人を感動させるのは、大変です。だって、ひとりひとり感動のツボはちがうんだもの。

 そんな人間たちが、ただひとつ同じ意識を共有しています。
 それが「死」です。
 ありとあらゆる意識の中、「死」だけは共通する「かなしみ」であり、「いたみ」であり、「こころをゆさぶるもの」なのです。

 だから、大衆の感動を得たいときは、登場人物を殺すのです。
 そうすればみんなが泣きます。そして大衆の多くの人たちは、「泣いた=感動した」と思います。
 感動させれば勝ち。殺したものが勝ち。
 手間暇かけて工夫して努力して料理をするのではなく、インスタント食品をなにくわぬ顔で皿に移し、「手料理よ」と食べさせるようなものですねー。食べた人は同じように「おいしい」と言うのかもしれませんが。

 わたしが感じたのは、そういう「ずるさ」だ。
 実際に起きた悲劇を題材にすれば、舞台が多少ショボくても、観客は自分の記憶を揺さぶられて感動するだろう。
 ドーピングみたいなもんだ。いい記録を出すために、薬(共通認識の悲劇)を利用する。ほーら涙、ほーら感動。
 なんてお手軽。

 なぜ、真正面から「感動」を創る努力をしないの?

 9/11に頼らなくても、感動的な舞台は創れるでしょう?
 ニューヨークを舞台にする以上避けて通れない、現実から目を背けられない、ということだとしても、作品の雰囲気をそこだけ断ち切ってまで、あからさまな現実を持ち込む理由にはならないでしょう? コメディ的な作品で、簡単に描くような事件じゃないでしょう?

 タカラヅカって、そんなもん? 演出家自身が、ヅカを軽んじている?
 ここはタカラヅカ。そして、上演されるのはタカラヅカのショー。ならば、「タカラヅカ」で勝負してよ。
 「タカラヅカでしかできない表現」で、哀悼を表現して。誇りを持って。

 ずるい。
 お手軽な方法で、観客を感動させようとして。
 するい。
 軽々しく悲劇を利用して。

 もちろん、舞台で叫ぶMr.フィフスに感情移入したし、教会での歌とダンスには心揺さぶられたさ。
 でもな。
 舞台の上の彼らが真摯に、ありったけの力で表現しているだけに、くやしいのさ。
 これだけやれるのに。真っ向勝負したって、勝てるのに。なのになんで、ドーピングなの? と。

 「さあ感動しなさい、泣きなさい」って上から押しつけられてるみたいで、つらかったわ。
 あれが事件とは関係ないシーンなら、きっと感動できたのに。
 そうか、あれを「偽善の匂い」というんだな。

 しょぼん。

 とまあ。
 なんか、心にわだかまるショーだ。
 こんなの、わたしのヅカ人生ではじめて。

 話を変えよう。いやな気持ちになってきた。生徒さんの話にしよー。演出家の無神経を憎んで、生徒を憎まず。

 実際にショーを見るときは、心の半分にフタをするの。いやな気持ちにならないように。だって生徒さんのせいじゃないんだから。すてきな、たのしいショーなんだから。……あのシーンがあんな背景を持っていなければ。

 で。

 その教会のシーン。相も変わらず、けいこ女史の歌声がすばらしいです。でも、すばらしいのは歌声だけじゃないんだな。
 なんかわたし、女史の力強い振りに心奪われてしまうのです。きれいどころがいっぱい前で踊っているといのに、ああわたしの目は女史に釘付け。
 あああの、握り拳。
 プロレスラーの咆吼シーンのような、闘士が己れの強さを誇示するときのポーズのような、あのすばらしい握り拳に、心がときめいてしまうのです……!!
 強そうだ、女史!!(笑)

 そして。
 ブンちゃんとまひるちゃんは、ほんとにきれいなカップルだ。
 このふたりがこれでさよならなんて、もったいない。
 『パッサージュ』の地獄のシーンみたいなお耽美を、このふたりでもっと観たかったなあ。

         

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