ここにいる場所。@トド様とわたし(笑)
2002年6月8日 タカラヅカ さて、今日は早々と、昨日の日記の続きだ(笑)。
TCAスペシャルDREAM。
ええ、生で観たLOVEではなく、ビデオでしかなかったDREAMの方よん。
さて。
DREAMのビデオを観る前、わたしと殿さんは「トウコちゃんを観るんだ」「トウコちゃんのために7時まで残るぞ」と、そればっか言っていた。ええ、主にトウコちゃんの話しか、してなかったな。
だが。当日券を買ってロビーを横断しているときに、ふと気づいた。
そっか、トドも出てたんだ。
いかん、忘れていた。
わたしは、トド様のファンである。
なのになんで忘れるかなー。いやはや。
現在の雪組公演を観て、トドがそこにいないことには、なんの感慨もない。
不思議でもなく淋しくもなく。
ふつーに、ブンちゃんを中心とした雪組を観ている。応援している。
てことはつまり、トドがいなくてもいいわけか、わたし?
だけど実際DREAMのビデオ上映がはじまって、トド様がいかにもトド様な、いつものあの調子で現れたのを観て。
自分が今、ここにいることを確認した。
おかえり、わたし。
そんな感じ。
トドがいなくても、わたしは変わらずにタカラヅカを好きだろう。わたしは一度好きになったものは、一生好きだ。想い出に変化し、せつないだけの記憶になろうとも。
でも、そこにトドがいると、そのせつないよーな記憶ごと愛しさがあふれる。
長くひとりの人を好きでいるというのは、こういうことなんだなあと思う。
愛しているのは、時間かもしれない。
時間というものは連続していて、今現在だけで成り立っているわけじゃない。
今、誰かを好きだと思うこの気持ちは、「わたし」という人間を構成してきたすべてのものに、関わりがある。
みんなみんな、つながっている。
なにかを好きだとすれば、それを好きになるための要因があったはず。それを好きだと思う感性は、どこかで培われ、なにかに連動している。
わたしには、好きなものが多い。
「緑野って、いつもたのしそうだよね」と言われる。
わたしに好きなものが多いのは、いつもたのしそうなのは、「みんな」がいるからだよ。
「好き」だって「たのしい」だって、わたしがこの世でただひとつの思考する生命体であったなら、生まれなかった感情だ。
わたしが関わり合ったすべて、知り合った人たちすべて、眼にしたもの耳にしたものすべて、それらがみんなみんな化学合成して、「わたし」がいる。
そう思えば、愛しくないものなんて、存在しない。
……いやもちろん、ムカつくものも、たくさん存在しているけどねー(笑)。
トドは、わたしを構成するものの、ひとつだ。
あんまり長く見つめてきたから、彼の存在自体が、せつない愛しさに満ちている。
彼の中に、失ってしまった人や、幼かった自分自身、たのしかった出来事、なにもかも詰まっている。
わたしが変わっていくように、彼も変わっていくだろう。
わたしが最初に舞台で彼を観たころは、なんかえらくマイペースなやんちゃ坊主だった。メディアに発信している意見も、傍若無人というか、コワイもの知らずで愉快だった。
まさかトップになるなり、優等生でおもしろみのない人に変身するとは思わなかったよ。
きっとこれからも、なにかしら変わってはいくんだろうね。
TCAの舞台に立つトドを観ながら、わたしがそこに観ているのは、自分自身の姿なのかもしれない。
わたしが彼と出会い、彼と関わりながら過ごした、すべての歴史を、観ているのかもしれない。
だから思う。
わたしが今、ここにいること。
ああ、帰ってきたんだなあ。原点回帰。
トドを舞台で観ることは、これから減っていくだろう。わたしはわたしとして、わたしの人生を生きているから、トドがいなくてもいい。わたしの人生は、タカラヅカだけでできあがっているわけじゃない。
普段は、忘れている。その存在を。
だけどこうして、思い出す。
わたしがわたしである、わたしを創った時代のひとつである、かの人を。
いやあ。
殿さんが笑いをかみ殺すようにして、言ったよ。
「緑野さんの恋が再燃しているのが、隣の席でもよーっくわかったよ」
『ノバボサ』から『エリザベート』、そして『凱旋門』、『風と共に去りぬ』。トド様の必殺メドレー。
あれ、そんなに身もだえてました? わたし的には、トウコちゃんの五右衛門様の方が、破壊力すごかったんだけどな。
トド様への想いは、恋じゃないんだなあ。愛着、というのがいちばん近い。家族に対する愛情みたいなもんだ。あるのが基本だから、忘れてます、みたいな。
しかし、たった数年前の歌がこんなになつかしくて泣きたくなるのは、わたしがババアだからですか。
たかが『凱旋門』で、せつなくてせつなくて、たまらないのは。
『凱旋門』はねえ、ハマったねええ。3日とあけずにムラへ通っていたから、往復の電車と開演前と休憩時間は、ずっとノートとパソコン持ち込んで、仕事してたよ。そうでもないと、時間足りなかったもん。
それでも、観ずにはいられなかったんだ。
わたしがわたしで、あるために。
……今は仕事、ホサれてるもんなあ。人間落ちるのは早いよ。いつか売れっ子になったら、この仕事なくてかなしー今の状態も、「なつかしい想い出」になるかなっ。頼むなってくれ!(笑)
想い出が交錯して、せつなく愛しい。
タカラヅカは、88周年。
伝統伝統とアナクロなものにこだわりながら、改革改革とファジィなものを掲げる。
これからも、いろんな感情が鏡のように、そこに映し出されるだろう。
創っている人々の感情だけではなく、観ているわたしたちの、感情が。
さてと。
トウコちゃんは「彼女」だけど、トドは「彼」だなあ、三人称。なんでだろーねえ?(笑)
TCAスペシャルDREAM。
ええ、生で観たLOVEではなく、ビデオでしかなかったDREAMの方よん。
さて。
DREAMのビデオを観る前、わたしと殿さんは「トウコちゃんを観るんだ」「トウコちゃんのために7時まで残るぞ」と、そればっか言っていた。ええ、主にトウコちゃんの話しか、してなかったな。
だが。当日券を買ってロビーを横断しているときに、ふと気づいた。
そっか、トドも出てたんだ。
いかん、忘れていた。
わたしは、トド様のファンである。
なのになんで忘れるかなー。いやはや。
現在の雪組公演を観て、トドがそこにいないことには、なんの感慨もない。
不思議でもなく淋しくもなく。
ふつーに、ブンちゃんを中心とした雪組を観ている。応援している。
てことはつまり、トドがいなくてもいいわけか、わたし?
だけど実際DREAMのビデオ上映がはじまって、トド様がいかにもトド様な、いつものあの調子で現れたのを観て。
自分が今、ここにいることを確認した。
おかえり、わたし。
そんな感じ。
トドがいなくても、わたしは変わらずにタカラヅカを好きだろう。わたしは一度好きになったものは、一生好きだ。想い出に変化し、せつないだけの記憶になろうとも。
でも、そこにトドがいると、そのせつないよーな記憶ごと愛しさがあふれる。
長くひとりの人を好きでいるというのは、こういうことなんだなあと思う。
愛しているのは、時間かもしれない。
時間というものは連続していて、今現在だけで成り立っているわけじゃない。
今、誰かを好きだと思うこの気持ちは、「わたし」という人間を構成してきたすべてのものに、関わりがある。
みんなみんな、つながっている。
なにかを好きだとすれば、それを好きになるための要因があったはず。それを好きだと思う感性は、どこかで培われ、なにかに連動している。
わたしには、好きなものが多い。
「緑野って、いつもたのしそうだよね」と言われる。
わたしに好きなものが多いのは、いつもたのしそうなのは、「みんな」がいるからだよ。
「好き」だって「たのしい」だって、わたしがこの世でただひとつの思考する生命体であったなら、生まれなかった感情だ。
わたしが関わり合ったすべて、知り合った人たちすべて、眼にしたもの耳にしたものすべて、それらがみんなみんな化学合成して、「わたし」がいる。
そう思えば、愛しくないものなんて、存在しない。
……いやもちろん、ムカつくものも、たくさん存在しているけどねー(笑)。
トドは、わたしを構成するものの、ひとつだ。
あんまり長く見つめてきたから、彼の存在自体が、せつない愛しさに満ちている。
彼の中に、失ってしまった人や、幼かった自分自身、たのしかった出来事、なにもかも詰まっている。
わたしが変わっていくように、彼も変わっていくだろう。
わたしが最初に舞台で彼を観たころは、なんかえらくマイペースなやんちゃ坊主だった。メディアに発信している意見も、傍若無人というか、コワイもの知らずで愉快だった。
まさかトップになるなり、優等生でおもしろみのない人に変身するとは思わなかったよ。
きっとこれからも、なにかしら変わってはいくんだろうね。
TCAの舞台に立つトドを観ながら、わたしがそこに観ているのは、自分自身の姿なのかもしれない。
わたしが彼と出会い、彼と関わりながら過ごした、すべての歴史を、観ているのかもしれない。
だから思う。
わたしが今、ここにいること。
ああ、帰ってきたんだなあ。原点回帰。
トドを舞台で観ることは、これから減っていくだろう。わたしはわたしとして、わたしの人生を生きているから、トドがいなくてもいい。わたしの人生は、タカラヅカだけでできあがっているわけじゃない。
普段は、忘れている。その存在を。
だけどこうして、思い出す。
わたしがわたしである、わたしを創った時代のひとつである、かの人を。
いやあ。
殿さんが笑いをかみ殺すようにして、言ったよ。
「緑野さんの恋が再燃しているのが、隣の席でもよーっくわかったよ」
『ノバボサ』から『エリザベート』、そして『凱旋門』、『風と共に去りぬ』。トド様の必殺メドレー。
あれ、そんなに身もだえてました? わたし的には、トウコちゃんの五右衛門様の方が、破壊力すごかったんだけどな。
トド様への想いは、恋じゃないんだなあ。愛着、というのがいちばん近い。家族に対する愛情みたいなもんだ。あるのが基本だから、忘れてます、みたいな。
しかし、たった数年前の歌がこんなになつかしくて泣きたくなるのは、わたしがババアだからですか。
たかが『凱旋門』で、せつなくてせつなくて、たまらないのは。
『凱旋門』はねえ、ハマったねええ。3日とあけずにムラへ通っていたから、往復の電車と開演前と休憩時間は、ずっとノートとパソコン持ち込んで、仕事してたよ。そうでもないと、時間足りなかったもん。
それでも、観ずにはいられなかったんだ。
わたしがわたしで、あるために。
……今は仕事、ホサれてるもんなあ。人間落ちるのは早いよ。いつか売れっ子になったら、この仕事なくてかなしー今の状態も、「なつかしい想い出」になるかなっ。頼むなってくれ!(笑)
想い出が交錯して、せつなく愛しい。
タカラヅカは、88周年。
伝統伝統とアナクロなものにこだわりながら、改革改革とファジィなものを掲げる。
これからも、いろんな感情が鏡のように、そこに映し出されるだろう。
創っている人々の感情だけではなく、観ているわたしたちの、感情が。
さてと。
トウコちゃんは「彼女」だけど、トドは「彼」だなあ、三人称。なんでだろーねえ?(笑)
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