「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 by茨木のり子
2002年7月2日 テレビ ちょっと愕然。
今さっき、新ドラマの『天体観測』を見たわけだ。伊藤英明・坂口憲二・オダギリジョーと、旬な美男勢揃いで、大好きな松重豊も出てるし、たのしみなドラマのひとつだったさ。
内容は、見る前から簡単に想像できる。学生時代の仲間たちが数年後に再会、あのころのような無邪気な子どものままではいられない、夢と現実、友情と恋に悩むわけだな。
アホアホ系ではなく、センシティヴ系。青春ものですわ。
本来なら、好きなジャンルだ。
なのになー。
どーにもこーにも、薄っぺらくて、つまらなかったんだわ。
7人もキャラがいて、全員ロープレのパーティ並にジョブが分けられていて、たぶんジョブチェンジは不可能なんだろーな。
ひとつのパーティには、勇者と魔法使いとアーチャーと、てなふーに、決まってるのよねえ。ゴレンジャー系の戦隊モノに例えたっていいわ。赤は熱血ヒーロー、青はクール、黄はぶさいくで力持ち、てなふーに。
なまじ『愛という名のもとに』っちゅードラマの記憶が強いだけに、「あら、あの子が保奈美ちゃんね、職業まで同じっすか? そんでもってこいつが江口でこいつが唐沢。うわー、チョロまでいるわ、まんまだわ」と、いちいちオーバーラップしてしまう。
つまんなかったのよ。
彼らのキャラも、抱えている悩みも、直面している現実も、なにもかもが陳腐で。
かけらも共感できない。
で、ちょっと驚愕、なのさ。
日本語として変だけどな、「ちょっと」で「驚愕」てのは。
わたし、前期のセンシティヴ・ドラマ『夢のカリフォルニア』が、まーーーーったく、ダメだったの。
共感だとか感情移入とか、その入口にも立てない。
「こいつら、バカ?」としか、思えなかったのよ。すべてにおいて。
彼らの悩み苦しみ、そしてよろこびすらも、理解不能。
なんでそんなことで、思い悩むかな。そんなことの、なにがたのしいの?
わわわ、わかんないです。宇宙人みたいです。
いや、やろうとしていることは、わかったの。
センシティヴっすからね。とにかく、なにがなんでも傷つきやすく、悩まなきゃならないのよね。
その「やらせ臭さ」がどーにも鼻について、ダメだったのよ。
「傷つかなければならない」「悩まなければならない」という、お題目がこう、目の前に掲げてあって、それに向けてすべてのレールを敷いたような、不自然な作品だった。
出来事があって、それにつまずき、結果として傷ついた、ならわかるのよ。
でも、『カリフォルニア』には感じたのは、逆。
傷つく、というゴールがあって、そのためにわざわざ出来事をねつ造している感じ。
しらけました。
つーか、気持ち悪かった。
谷せんせじゃないんだからさあ。
「人が死にました、さあ泣きなさい」と言われてもこまるよ。
人はあんまり死ななかったけど、方法論は同じだからねえ。
だがそれは、わたしの感性の問題なのかもしれない。
わたしには、あんなどーでもいい、とってつけたよーなことで思い悩む若者の気持ちがわからないし、またその出来事もそれに対する周りの反応もあまりにも荒唐無稽、リアリティがまったく見えなかった。
しかしそれは、わたしがもう若くないからなのかも、しれない。
だから、プチ驚愕。
『カリフォルニア』と『天体観測』、2本つづけて「傷だらけの青春」モノが理解不能なのか、わたし?!
こんなに感性ってのは急激に衰えるモノなのか?! トシをとるものなのか?!
まあ、せっかくトシをとるわけなんだからさ、今にしか味わえない感性を大切にしたいとは思うよ。
若いころなら理解できなかっただろーものも、理解できるようになっているもの。
ケツの青い小娘どもを鼻で笑って、大人の女を気取りたいものさ。
しかし。
少女のココロを忘れたいわけではないのだ。
くそー。
今さっき、新ドラマの『天体観測』を見たわけだ。伊藤英明・坂口憲二・オダギリジョーと、旬な美男勢揃いで、大好きな松重豊も出てるし、たのしみなドラマのひとつだったさ。
内容は、見る前から簡単に想像できる。学生時代の仲間たちが数年後に再会、あのころのような無邪気な子どものままではいられない、夢と現実、友情と恋に悩むわけだな。
アホアホ系ではなく、センシティヴ系。青春ものですわ。
本来なら、好きなジャンルだ。
なのになー。
どーにもこーにも、薄っぺらくて、つまらなかったんだわ。
7人もキャラがいて、全員ロープレのパーティ並にジョブが分けられていて、たぶんジョブチェンジは不可能なんだろーな。
ひとつのパーティには、勇者と魔法使いとアーチャーと、てなふーに、決まってるのよねえ。ゴレンジャー系の戦隊モノに例えたっていいわ。赤は熱血ヒーロー、青はクール、黄はぶさいくで力持ち、てなふーに。
なまじ『愛という名のもとに』っちゅードラマの記憶が強いだけに、「あら、あの子が保奈美ちゃんね、職業まで同じっすか? そんでもってこいつが江口でこいつが唐沢。うわー、チョロまでいるわ、まんまだわ」と、いちいちオーバーラップしてしまう。
つまんなかったのよ。
彼らのキャラも、抱えている悩みも、直面している現実も、なにもかもが陳腐で。
かけらも共感できない。
で、ちょっと驚愕、なのさ。
日本語として変だけどな、「ちょっと」で「驚愕」てのは。
わたし、前期のセンシティヴ・ドラマ『夢のカリフォルニア』が、まーーーーったく、ダメだったの。
共感だとか感情移入とか、その入口にも立てない。
「こいつら、バカ?」としか、思えなかったのよ。すべてにおいて。
彼らの悩み苦しみ、そしてよろこびすらも、理解不能。
なんでそんなことで、思い悩むかな。そんなことの、なにがたのしいの?
わわわ、わかんないです。宇宙人みたいです。
いや、やろうとしていることは、わかったの。
センシティヴっすからね。とにかく、なにがなんでも傷つきやすく、悩まなきゃならないのよね。
その「やらせ臭さ」がどーにも鼻について、ダメだったのよ。
「傷つかなければならない」「悩まなければならない」という、お題目がこう、目の前に掲げてあって、それに向けてすべてのレールを敷いたような、不自然な作品だった。
出来事があって、それにつまずき、結果として傷ついた、ならわかるのよ。
でも、『カリフォルニア』には感じたのは、逆。
傷つく、というゴールがあって、そのためにわざわざ出来事をねつ造している感じ。
しらけました。
つーか、気持ち悪かった。
谷せんせじゃないんだからさあ。
「人が死にました、さあ泣きなさい」と言われてもこまるよ。
人はあんまり死ななかったけど、方法論は同じだからねえ。
だがそれは、わたしの感性の問題なのかもしれない。
わたしには、あんなどーでもいい、とってつけたよーなことで思い悩む若者の気持ちがわからないし、またその出来事もそれに対する周りの反応もあまりにも荒唐無稽、リアリティがまったく見えなかった。
しかしそれは、わたしがもう若くないからなのかも、しれない。
だから、プチ驚愕。
『カリフォルニア』と『天体観測』、2本つづけて「傷だらけの青春」モノが理解不能なのか、わたし?!
こんなに感性ってのは急激に衰えるモノなのか?! トシをとるものなのか?!
まあ、せっかくトシをとるわけなんだからさ、今にしか味わえない感性を大切にしたいとは思うよ。
若いころなら理解できなかっただろーものも、理解できるようになっているもの。
ケツの青い小娘どもを鼻で笑って、大人の女を気取りたいものさ。
しかし。
少女のココロを忘れたいわけではないのだ。
くそー。
コメント