讃歌。@『陰陽師』by夢枕獏
2002年8月4日 オタク話いろいろ。 夢枕獏が有名になりすぎてしまった。
それがちょっと、さみしい。
WOWOWで『陰陽師』の放送があった。とりあえず録画。
野村萬斎演じる安倍晴明は、まさにイメージそのもの。他のショボイTVドラマの晴明とは同一に語れない。
キャスティングを聞いたときから、映画の公開をたのしみにしていたさ。
ちなみに、源博雅役が伊藤英明っつーのは不満だった。わたしのイメージでは杉本哲太の方が近い。
そして、原作通りとても恥ずかしい映画だった。
映画館でWHITEちゃんとふたり、悶絶しそーになったよ(笑)。
わたしは、夢枕獏のファンである。
好きな小説家をひとりあげろ、と言われれば、彼を名のあげる。
わたしの文体に大きな影響を与えたのは、太宰治と夢枕獏、つーくらいだ。
わたしが夢枕を知ったのは、『サイコダイバー・シリーズ』がブレイクしたときだ。
エロスとバイオレンスがブームになったとき。
そのときはまだ、ファンじゃなかった。当時出ていた『サイコダイバー』を3冊とも読んだし、『キマイラ』も出ている分だけ読んだけれど、「ふーん」としか思えなかった。
それより、作者のはしゃぎぶりがイタかった。
「この小説は絶対おもしろい」
と、あとがきで断言してあるけど、べつにちっともおもしろくないよ。ばっかみたい。
そんなふうに思った。
ただの軽薄な流行作家だと思った。過剰な暴力表現と性描写で客を喜ばせているだけだと思った。
わたしはそのときまだ10代で、潔癖だったんだ。セックスを道具のように描かれると、それだけで嫌悪感を持った。
だけどわたしは活字中毒で、流行っている本は片っ端から読んでいた。人生でいちばん本を読んでいたころだ。
夢枕獏も菊池秀行もべつに好きじゃないけれど、新刊が出るととりあえず読んでいた。
ハマったのは、『餓狼伝』だ。
半分バカにするよーな気持ちで手に取ったのに、読みながらボロボロ泣いていた。
そこには過剰な暴力も翻弄される性もなかった。
ただただストイックな、「闘い」があった。
それから、夢枕獏の描く格闘技小説をむさぼり読んだ。
彼の描く男たち、女たちに魅了された。
読書好きな友人たちはみんな、菊池秀行は読むけれど、夢枕獏は読まなかった。
理由はひとつ。菊池の小説には少女マンガのような美形が出るけれど、夢枕の小説には出ないから。
派手な超能力や、卓越した力を持つ美形のヒーローが活躍する菊池の小説は、友人たちに人気があったよ。
一方夢枕ときたら、売れて名前が通るようになると、そういった美形ヒーローものをぱたりと描かなくなった。
彼が描くのは、分厚い筋肉に首が埋まったような、泥臭い厳つい男たちだ。
完全無欠のヒーローではなく、人生の落伍者が泥の中であがくよーな話ときたもんだ。しかもテーマは「空手」だとか「プロレス」。
そりゃ、女の子は読まないよ。
だけどわたしは、そんな男たちの物語が好きだった。
愛しかった。
弱い男が、汚物まみれになりながら、涙と鼻水をすすりながら、拳を握って立ち上がる、そーゆー物語を愛した。
夢枕は同じ物語を何度も書く。
繰り返し繰り返し、同じテーマで小説を書く。
わたしは彼が描きつづける、その物語が好きだった。
夢枕の描きつづける物語。
それは、
「ひとは、しあわせになれる」
ということ。
わたしはこんなに弱い。
わたしはこんなに醜い。
だけど。
ひとは、しあわせになれる。
あなたも、しあわせになれる。
わたしも、しあわせになれる。
ひとに、生きる価値はある。意味はある。
あなたに、生きる価値はある。意味はある。
わたしに、生きる価値はある。意味はある。
そう、繰り返しつづけている。
そんな物語に、どれほど救われたか。
夢を求め、あがきつづける不器用で一途な男たちに、どれほど焦がれたか。
自由で、孤独な男たち。
強くて、弱い男たち。
わたしは女だから、彼らのようになれない。
彼らのようには、生きられない。
それをとても、かなしく思った。
だけど。
わたしは女だから、彼らのような男たちを愛することができる。
抱いて、癒してやることができる。
それをとても、誇りに思った。
夢枕の描く作品は、同じカラーに貫かれているので、ツボにハマるかそうでないかで、評価が分かれることだろう。
わたしは、ひとごとぢゃない痛みを感じるので、ツボにハマりまくる。
つまり、「夢」ってもんについてだ。
夢枕作品に如実に表れる、「こんなふうにしか生きられない」男たち。
ふつーに会社行って、ふつーに働いて、ふつーにお金もらって。そうやって生きることのできない男たち。
なにか、心のうち、魂のうちにとんでもない「飢え」があって、それを満たすためにあがきつづける男たち。
空手でも釣りでも登山でもいいよ。そんなもんやらなくたって、ふつーの人は生きていけるのに、その男たちは、ダメなんだ。生活することよりも、大切なことがあるんだ。
「それ」ができなければおれは存在している意味がない。
そう思えるたったひとつのものを持っている。
生活すること、よりも、大切なこと。
「それ」を極めることで誰もしあわせにならないできない、お金にもならない。だけど彼が存在するために、必要なこと。
他人も自分も不幸にして、泣きながら迷いながら、だけど「それ」を求めずにはいられない。
そーゆー男たちの姿が、自分自身と重なるのだろう。
わたしにも、たったひとつ、ゆずれないものがある。
「それ」ができなければ、わたしは存在している意味がない。
自分と重なり、だけど自分ではなく。
男たちの渇望と慟哭がわかり、そしてそんな男たちに絶望し、なおも愛する女たちに共感する。
女の子で夢枕ファンはいなかった。話が合うのはもっぱら男の人だったなー。
『陰陽師』が最初に出版されたころ、わたしは「あちゃー」と思った。
こりゃまた恥ずかしい本を出したな、と。
夢枕は声の大きな作家だ。作品で自分の想いを絶叫するタイプの作家。
『陰陽師』は夢枕が今まで書いてきた作品たちの、恥ずかしい部分をギュッと詰め込んだよーな短編集だった。
仏教系の思想とか、ひととひとの距離や温度、ヒーロー像、というような、今まで彼の作品中で手を変え品を変え5万回は読んだよーなエッセンスが、摘出され濃縮され、詰め込まれている。
つーか、自分の「萌え」だけでリビドーのままに書いた短編。それが安倍晴明の物語だろう。
あちゃー、この人またこんなことやってるよ。恥ずかしー。
「萌え」だけで短編書いて、また自分でそれに酔って。ほんと、たのしそうに書いてるな。レベルはともかく、すげー同人誌的。
と、ファンだからこそ赤面してしまうよーなシリーズ。
巻を追うごとに恥ずかしさは爆走、ただ晴明と博雅がテーマを会話して、いちゃいちゃしているだけでストーリーがなかったりとかな。おいおい、作家としてそれはまずいだろう。ちゃんとストーリー作れよ、書けよ。
それがまさか、大ブレイクするとはなー。
なんだかなー。
恥ずかしいなー。
しかも、女の子に大人気ときたもんだ。ああもー、恥ずかしいよママン。
誰にも見せないつもりで「秘密のぉと」とかに萌えなSSを書きつづっていた、それがそのまま出版されて大人気!! になってしまったよーな恥ずかしさだ。
いや、わたしの作品じゃないけど、なんか、そーゆー気恥ずかしさに満ちてるのよー。
もちろん、大好きだけどね、『陰陽師』。
ただただ、恥ずかしいの。青春の過ち的な感じで。
映画の『陰陽師』も、恥ずかしかったよー。
夢枕おじさん、本気で恥ずかしい。
いちばん「うわ、恥ずかしっ」と思ったところはやはり、夢枕のアイディアだった。彼が監督に異議を唱えて直させたところ。うんうん、もー、あんたは正しく夢枕獏だよ。裏切らずに夢枕獏だよ。
『陰陽師』は恥ずかしくて、またその恥ずかしさを愛してはいる。いるが、どうか夢枕おじさん、戻ってきてね。未完のシリーズの続きを書いてね。
個人的に『獅子の門』のつづきがものすごーく読みたい。
志村×文平で萌えたんだ、わたしゃ(笑)。
それがちょっと、さみしい。
WOWOWで『陰陽師』の放送があった。とりあえず録画。
野村萬斎演じる安倍晴明は、まさにイメージそのもの。他のショボイTVドラマの晴明とは同一に語れない。
キャスティングを聞いたときから、映画の公開をたのしみにしていたさ。
ちなみに、源博雅役が伊藤英明っつーのは不満だった。わたしのイメージでは杉本哲太の方が近い。
そして、原作通りとても恥ずかしい映画だった。
映画館でWHITEちゃんとふたり、悶絶しそーになったよ(笑)。
わたしは、夢枕獏のファンである。
好きな小説家をひとりあげろ、と言われれば、彼を名のあげる。
わたしの文体に大きな影響を与えたのは、太宰治と夢枕獏、つーくらいだ。
わたしが夢枕を知ったのは、『サイコダイバー・シリーズ』がブレイクしたときだ。
エロスとバイオレンスがブームになったとき。
そのときはまだ、ファンじゃなかった。当時出ていた『サイコダイバー』を3冊とも読んだし、『キマイラ』も出ている分だけ読んだけれど、「ふーん」としか思えなかった。
それより、作者のはしゃぎぶりがイタかった。
「この小説は絶対おもしろい」
と、あとがきで断言してあるけど、べつにちっともおもしろくないよ。ばっかみたい。
そんなふうに思った。
ただの軽薄な流行作家だと思った。過剰な暴力表現と性描写で客を喜ばせているだけだと思った。
わたしはそのときまだ10代で、潔癖だったんだ。セックスを道具のように描かれると、それだけで嫌悪感を持った。
だけどわたしは活字中毒で、流行っている本は片っ端から読んでいた。人生でいちばん本を読んでいたころだ。
夢枕獏も菊池秀行もべつに好きじゃないけれど、新刊が出るととりあえず読んでいた。
ハマったのは、『餓狼伝』だ。
半分バカにするよーな気持ちで手に取ったのに、読みながらボロボロ泣いていた。
そこには過剰な暴力も翻弄される性もなかった。
ただただストイックな、「闘い」があった。
それから、夢枕獏の描く格闘技小説をむさぼり読んだ。
彼の描く男たち、女たちに魅了された。
読書好きな友人たちはみんな、菊池秀行は読むけれど、夢枕獏は読まなかった。
理由はひとつ。菊池の小説には少女マンガのような美形が出るけれど、夢枕の小説には出ないから。
派手な超能力や、卓越した力を持つ美形のヒーローが活躍する菊池の小説は、友人たちに人気があったよ。
一方夢枕ときたら、売れて名前が通るようになると、そういった美形ヒーローものをぱたりと描かなくなった。
彼が描くのは、分厚い筋肉に首が埋まったような、泥臭い厳つい男たちだ。
完全無欠のヒーローではなく、人生の落伍者が泥の中であがくよーな話ときたもんだ。しかもテーマは「空手」だとか「プロレス」。
そりゃ、女の子は読まないよ。
だけどわたしは、そんな男たちの物語が好きだった。
愛しかった。
弱い男が、汚物まみれになりながら、涙と鼻水をすすりながら、拳を握って立ち上がる、そーゆー物語を愛した。
夢枕は同じ物語を何度も書く。
繰り返し繰り返し、同じテーマで小説を書く。
わたしは彼が描きつづける、その物語が好きだった。
夢枕の描きつづける物語。
それは、
「ひとは、しあわせになれる」
ということ。
わたしはこんなに弱い。
わたしはこんなに醜い。
だけど。
ひとは、しあわせになれる。
あなたも、しあわせになれる。
わたしも、しあわせになれる。
ひとに、生きる価値はある。意味はある。
あなたに、生きる価値はある。意味はある。
わたしに、生きる価値はある。意味はある。
そう、繰り返しつづけている。
そんな物語に、どれほど救われたか。
夢を求め、あがきつづける不器用で一途な男たちに、どれほど焦がれたか。
自由で、孤独な男たち。
強くて、弱い男たち。
わたしは女だから、彼らのようになれない。
彼らのようには、生きられない。
それをとても、かなしく思った。
だけど。
わたしは女だから、彼らのような男たちを愛することができる。
抱いて、癒してやることができる。
それをとても、誇りに思った。
夢枕の描く作品は、同じカラーに貫かれているので、ツボにハマるかそうでないかで、評価が分かれることだろう。
わたしは、ひとごとぢゃない痛みを感じるので、ツボにハマりまくる。
つまり、「夢」ってもんについてだ。
夢枕作品に如実に表れる、「こんなふうにしか生きられない」男たち。
ふつーに会社行って、ふつーに働いて、ふつーにお金もらって。そうやって生きることのできない男たち。
なにか、心のうち、魂のうちにとんでもない「飢え」があって、それを満たすためにあがきつづける男たち。
空手でも釣りでも登山でもいいよ。そんなもんやらなくたって、ふつーの人は生きていけるのに、その男たちは、ダメなんだ。生活することよりも、大切なことがあるんだ。
「それ」ができなければおれは存在している意味がない。
そう思えるたったひとつのものを持っている。
生活すること、よりも、大切なこと。
「それ」を極めることで誰もしあわせにならないできない、お金にもならない。だけど彼が存在するために、必要なこと。
他人も自分も不幸にして、泣きながら迷いながら、だけど「それ」を求めずにはいられない。
そーゆー男たちの姿が、自分自身と重なるのだろう。
わたしにも、たったひとつ、ゆずれないものがある。
「それ」ができなければ、わたしは存在している意味がない。
自分と重なり、だけど自分ではなく。
男たちの渇望と慟哭がわかり、そしてそんな男たちに絶望し、なおも愛する女たちに共感する。
女の子で夢枕ファンはいなかった。話が合うのはもっぱら男の人だったなー。
『陰陽師』が最初に出版されたころ、わたしは「あちゃー」と思った。
こりゃまた恥ずかしい本を出したな、と。
夢枕は声の大きな作家だ。作品で自分の想いを絶叫するタイプの作家。
『陰陽師』は夢枕が今まで書いてきた作品たちの、恥ずかしい部分をギュッと詰め込んだよーな短編集だった。
仏教系の思想とか、ひととひとの距離や温度、ヒーロー像、というような、今まで彼の作品中で手を変え品を変え5万回は読んだよーなエッセンスが、摘出され濃縮され、詰め込まれている。
つーか、自分の「萌え」だけでリビドーのままに書いた短編。それが安倍晴明の物語だろう。
あちゃー、この人またこんなことやってるよ。恥ずかしー。
「萌え」だけで短編書いて、また自分でそれに酔って。ほんと、たのしそうに書いてるな。レベルはともかく、すげー同人誌的。
と、ファンだからこそ赤面してしまうよーなシリーズ。
巻を追うごとに恥ずかしさは爆走、ただ晴明と博雅がテーマを会話して、いちゃいちゃしているだけでストーリーがなかったりとかな。おいおい、作家としてそれはまずいだろう。ちゃんとストーリー作れよ、書けよ。
それがまさか、大ブレイクするとはなー。
なんだかなー。
恥ずかしいなー。
しかも、女の子に大人気ときたもんだ。ああもー、恥ずかしいよママン。
誰にも見せないつもりで「秘密のぉと」とかに萌えなSSを書きつづっていた、それがそのまま出版されて大人気!! になってしまったよーな恥ずかしさだ。
いや、わたしの作品じゃないけど、なんか、そーゆー気恥ずかしさに満ちてるのよー。
もちろん、大好きだけどね、『陰陽師』。
ただただ、恥ずかしいの。青春の過ち的な感じで。
映画の『陰陽師』も、恥ずかしかったよー。
夢枕おじさん、本気で恥ずかしい。
いちばん「うわ、恥ずかしっ」と思ったところはやはり、夢枕のアイディアだった。彼が監督に異議を唱えて直させたところ。うんうん、もー、あんたは正しく夢枕獏だよ。裏切らずに夢枕獏だよ。
『陰陽師』は恥ずかしくて、またその恥ずかしさを愛してはいる。いるが、どうか夢枕おじさん、戻ってきてね。未完のシリーズの続きを書いてね。
個人的に『獅子の門』のつづきがものすごーく読みたい。
志村×文平で萌えたんだ、わたしゃ(笑)。
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