夢枕獏が有名になりすぎてしまった。
 それがちょっと、さみしい。

 WOWOWで『陰陽師』の放送があった。とりあえず録画。
 野村萬斎演じる安倍晴明は、まさにイメージそのもの。他のショボイTVドラマの晴明とは同一に語れない。
 キャスティングを聞いたときから、映画の公開をたのしみにしていたさ。
 ちなみに、源博雅役が伊藤英明っつーのは不満だった。わたしのイメージでは杉本哲太の方が近い。

 そして、原作通りとても恥ずかしい映画だった。
 映画館でWHITEちゃんとふたり、悶絶しそーになったよ(笑)。

 わたしは、夢枕獏のファンである。
 好きな小説家をひとりあげろ、と言われれば、彼を名のあげる。
 わたしの文体に大きな影響を与えたのは、太宰治と夢枕獏、つーくらいだ。

 わたしが夢枕を知ったのは、『サイコダイバー・シリーズ』がブレイクしたときだ。
 エロスとバイオレンスがブームになったとき。
 そのときはまだ、ファンじゃなかった。当時出ていた『サイコダイバー』を3冊とも読んだし、『キマイラ』も出ている分だけ読んだけれど、「ふーん」としか思えなかった。
 それより、作者のはしゃぎぶりがイタかった。

「この小説は絶対おもしろい」
 と、あとがきで断言してあるけど、べつにちっともおもしろくないよ。ばっかみたい。
 そんなふうに思った。

 ただの軽薄な流行作家だと思った。過剰な暴力表現と性描写で客を喜ばせているだけだと思った。
 わたしはそのときまだ10代で、潔癖だったんだ。セックスを道具のように描かれると、それだけで嫌悪感を持った。

 だけどわたしは活字中毒で、流行っている本は片っ端から読んでいた。人生でいちばん本を読んでいたころだ。
 夢枕獏も菊池秀行もべつに好きじゃないけれど、新刊が出るととりあえず読んでいた。

 ハマったのは、『餓狼伝』だ。
 半分バカにするよーな気持ちで手に取ったのに、読みながらボロボロ泣いていた。
 そこには過剰な暴力も翻弄される性もなかった。
 ただただストイックな、「闘い」があった。

 それから、夢枕獏の描く格闘技小説をむさぼり読んだ。
 彼の描く男たち、女たちに魅了された。

 読書好きな友人たちはみんな、菊池秀行は読むけれど、夢枕獏は読まなかった。
 理由はひとつ。菊池の小説には少女マンガのような美形が出るけれど、夢枕の小説には出ないから。
 派手な超能力や、卓越した力を持つ美形のヒーローが活躍する菊池の小説は、友人たちに人気があったよ。
 一方夢枕ときたら、売れて名前が通るようになると、そういった美形ヒーローものをぱたりと描かなくなった。
 彼が描くのは、分厚い筋肉に首が埋まったような、泥臭い厳つい男たちだ。
 完全無欠のヒーローではなく、人生の落伍者が泥の中であがくよーな話ときたもんだ。しかもテーマは「空手」だとか「プロレス」。
 そりゃ、女の子は読まないよ。

 だけどわたしは、そんな男たちの物語が好きだった。
 愛しかった。

 弱い男が、汚物まみれになりながら、涙と鼻水をすすりながら、拳を握って立ち上がる、そーゆー物語を愛した。

 夢枕は同じ物語を何度も書く。
 繰り返し繰り返し、同じテーマで小説を書く。

 わたしは彼が描きつづける、その物語が好きだった。

 夢枕の描きつづける物語。
 それは、

「ひとは、しあわせになれる」

 ということ。

 わたしはこんなに弱い。
 わたしはこんなに醜い。
 だけど。

 ひとは、しあわせになれる。
 あなたも、しあわせになれる。
 わたしも、しあわせになれる。

 ひとに、生きる価値はある。意味はある。
 あなたに、生きる価値はある。意味はある。
 わたしに、生きる価値はある。意味はある。

 そう、繰り返しつづけている。
 そんな物語に、どれほど救われたか。

 夢を求め、あがきつづける不器用で一途な男たちに、どれほど焦がれたか。
 自由で、孤独な男たち。
 強くて、弱い男たち。

 わたしは女だから、彼らのようになれない。
 彼らのようには、生きられない。
 それをとても、かなしく思った。

 だけど。
 わたしは女だから、彼らのような男たちを愛することができる。
 抱いて、癒してやることができる。
 それをとても、誇りに思った。

 夢枕の描く作品は、同じカラーに貫かれているので、ツボにハマるかそうでないかで、評価が分かれることだろう。
 わたしは、ひとごとぢゃない痛みを感じるので、ツボにハマりまくる。
 つまり、「夢」ってもんについてだ。
 夢枕作品に如実に表れる、「こんなふうにしか生きられない」男たち。
 ふつーに会社行って、ふつーに働いて、ふつーにお金もらって。そうやって生きることのできない男たち。
 なにか、心のうち、魂のうちにとんでもない「飢え」があって、それを満たすためにあがきつづける男たち。
 空手でも釣りでも登山でもいいよ。そんなもんやらなくたって、ふつーの人は生きていけるのに、その男たちは、ダメなんだ。生活することよりも、大切なことがあるんだ。
 「それ」ができなければおれは存在している意味がない。
 そう思えるたったひとつのものを持っている。
 生活すること、よりも、大切なこと。
 「それ」を極めることで誰もしあわせにならないできない、お金にもならない。だけど彼が存在するために、必要なこと。
 他人も自分も不幸にして、泣きながら迷いながら、だけど「それ」を求めずにはいられない。
 そーゆー男たちの姿が、自分自身と重なるのだろう。

 わたしにも、たったひとつ、ゆずれないものがある。
 「それ」ができなければ、わたしは存在している意味がない。

 自分と重なり、だけど自分ではなく。
 男たちの渇望と慟哭がわかり、そしてそんな男たちに絶望し、なおも愛する女たちに共感する。

 女の子で夢枕ファンはいなかった。話が合うのはもっぱら男の人だったなー。

 『陰陽師』が最初に出版されたころ、わたしは「あちゃー」と思った。
 こりゃまた恥ずかしい本を出したな、と。
 夢枕は声の大きな作家だ。作品で自分の想いを絶叫するタイプの作家。
 『陰陽師』は夢枕が今まで書いてきた作品たちの、恥ずかしい部分をギュッと詰め込んだよーな短編集だった。
 仏教系の思想とか、ひととひとの距離や温度、ヒーロー像、というような、今まで彼の作品中で手を変え品を変え5万回は読んだよーなエッセンスが、摘出され濃縮され、詰め込まれている。
 つーか、自分の「萌え」だけでリビドーのままに書いた短編。それが安倍晴明の物語だろう。
 あちゃー、この人またこんなことやってるよ。恥ずかしー。
 「萌え」だけで短編書いて、また自分でそれに酔って。ほんと、たのしそうに書いてるな。レベルはともかく、すげー同人誌的。

 と、ファンだからこそ赤面してしまうよーなシリーズ。
 巻を追うごとに恥ずかしさは爆走、ただ晴明と博雅がテーマを会話して、いちゃいちゃしているだけでストーリーがなかったりとかな。おいおい、作家としてそれはまずいだろう。ちゃんとストーリー作れよ、書けよ。

 それがまさか、大ブレイクするとはなー。
 なんだかなー。
 恥ずかしいなー。
 しかも、女の子に大人気ときたもんだ。ああもー、恥ずかしいよママン。

 誰にも見せないつもりで「秘密のぉと」とかに萌えなSSを書きつづっていた、それがそのまま出版されて大人気!! になってしまったよーな恥ずかしさだ。
 いや、わたしの作品じゃないけど、なんか、そーゆー気恥ずかしさに満ちてるのよー。

 もちろん、大好きだけどね、『陰陽師』。
 ただただ、恥ずかしいの。青春の過ち的な感じで。

 映画の『陰陽師』も、恥ずかしかったよー。
 夢枕おじさん、本気で恥ずかしい。
 いちばん「うわ、恥ずかしっ」と思ったところはやはり、夢枕のアイディアだった。彼が監督に異議を唱えて直させたところ。うんうん、もー、あんたは正しく夢枕獏だよ。裏切らずに夢枕獏だよ。

 『陰陽師』は恥ずかしくて、またその恥ずかしさを愛してはいる。いるが、どうか夢枕おじさん、戻ってきてね。未完のシリーズの続きを書いてね。

 個人的に『獅子の門』のつづきがものすごーく読みたい。
 志村×文平で萌えたんだ、わたしゃ(笑)。

 

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