『長い春の果てに』をネタに、わたしがなにか書くなら視点はどこだろう、とか千秋楽の帰りの電車の中でぼーっと考えた。
 やっぱエヴァかな。

 健康に成長したエヴァはある日、クロードという男に興味を持つ。自分の生命が今あるのは、この男の存在が関係しているらしい。
 何故赤の他人の医師が、たまたま同じ病状だったというだけで、自身を犠牲にしてまでエヴァの治療に協力したのか。患者の回復を自分の生命以上に考える崇高な人物だったのだろうか。つーか、そもそもどうやって「同じ病状」だと知ったんだ? 担当医でもなければ、裁判沙汰で大忙しだった人間が? とか、疑問ばかりがある。
 エヴァはひとり、このミステリを解き明かさんと調べはじめる。
 生前のクロード医師を知るものは、みな一様に彼を誉める。すばらしい才能と志を持った高潔な医師であると。だからこそ、死に至る病に冒されながらも自身を診察し、医療の発展に輝かしい業績を残した。同じ病状の14歳の少女の生命を救うことができた。
 あの、でも、告訴されてるんですよね、この人? 途中で亡くなってしまっているけど、犯罪者だったんじゃあ?
 エヴァの疑問に答える者はいない。そればかりか、クロードに生命を救ってもらっておきながら、彼の罪について追及するなんて恩知らずだ、てなことを言われたりもする。
 エヴァはただ、真実が知りたいだけなのに。
 どんな人だったの? なにを考えていたの? なぜわたしを助けてくれたの?
 真実を求めることは、クロードの名誉を傷つける行為なのか。
 病院関係者をはじめ、いろんな人に話を聞いていくエヴァ。
 そして彼女は、ひとりのジャーナリストに行き着く。
 クロードを告発した男だ。

 彼の名はジャン。クロードからすべてを奪い、追い詰めながらも、彼の看護をし、最期を看取ったという男。
 クロードの犯した罪を暴き、彼を狩る側に立ちながらも、彼を見守り支えつづけたなんて……あまりに矛盾した、おかしな関係。
 いったいそれは、どういうことなのか。
 問いつめるエヴァに、ジャンは1枚のディスクを渡す。出版するつもりで書いていた原稿だという。
 医師クロードの生涯を、小説風に書いたものだった。

 貧しい生まれのクロードが、どんなふうに生きてきたか。なにに傷つき、傷つけられ、どんなふうに心をねじ曲げていったか。世の中への復讐心ゆえに医師となり、どれほどの罪を犯してきたか。
 さすがはジャーナリストの手によるものだけあって、それらは詳細な調査に裏付けられ、克明につづられている。

 これほどまでに悪いことをしてきた人だったのか、わたしを助けてくれたクロード医師とは。
 だから誰も真実を口にしなかったんだ。美談で収めたかったんだ。

 たしかに、死の直前にクロードは突然医師としての使命に目覚め、死にゆく我が身を医学発展のために捧げている。
 しかしそれも、神の啓示を受けて改心したとかではまったくない。裁判途中の犯罪者が行った陪審員たちへのパフォーマンスであったと、その原稿は告げている。
 人は簡単に変われない。
 人を信じず神を信じず、誰も愛さずにひとりで生きてきた男が、簡単に変わるはずがない。
 彼は最後まで「悪」だった……。

 それは、クロードがしてきたことを正しく羅列した作品だった。
 クロードの行いは、どう見ても「悪」であり、彼自身も「悪」としか思えなかった。
 なのに……。

 読み終えたエヴァは、クロードを憎むことができなかった。
 彼の歪んだ行いを列記してあるというのに……とても突き放した、冷たい書き方をしてあるというのに、その作品はクロードを孤独でかなしい、愛すべき男として描いていた。

「小説ですから」
 と、作者のジャンは笑う。事実なんて誰にもわからない、と。
「でも……見えた気がしたんです」
 14歳のエヴァの生死を懸けた大手術が行われていたそのとき。誰もが最善を尽くし、それぞれの人生と向き合い、希望を祈っていたあのとき。
 戦う人々を見守るようなクロードの姿が。

 手術の成功をアルノーが告げに来たその瞬間、微笑むクロードの姿が……たしかに、見えた気が、した。

 だから、この作品を書いたのだと。
 彼は語る。

「いつ出版されるんですか?」
 と訊ねるエヴァに、ジャンは照れたように笑った。
「そのつもりだったんですが……やめました」
「どうして?」
「ちょっと、恥ずかしいかなと思って」
 だってこれ、クロードへのラブレターだよね。全編通して。
 告発し追い詰めすべてを奪い……だけど見守り支え、愛した。最期の瞬間、その手を握っていた。涙を流していた。
 恥ずかしすぎるよ。クロード本を出版するなんて。

「これは、わたしと彼の……わたしたちだけの宝物にしておきたいんです」

 どうして、生前のクロードを知るものたちが美談しか口にしないのか。
 クロードが犯罪者であったことは、たしかなのに。
 それでもみんな、彼を悪く語らない。
 それはきっと、見えたからなんだろうな。ジャンが見たという、最期の笑顔を。もしくは、それを見たと錯覚させるほどの穏やかな死に顔を。
 だからみな、罪を語らず、愛を語る。
 彼はすばらしい人間だったよ、君はすばらしい人に助けられたんだ。君の生命にはそれほどの意味があるんだよ。
 だからしあわせにおなり。すばらしい人間におなり。
 ……そう、言い続けるんだ。

 自分の生死に関わるミステリに答えを見つけ出したエヴァは、吹っ切れたようにピアニストとして大成していく。
 彼女が初恋の人、あのクロードのライバルであり友人であったステファンと再会するのは、それから間もなくだ。

          ☆

 『長い春の果てに』は、石田芝居にしてはぜんぜんマシな部類だ。
 現代物でコメディで、ということで比べるけど、『再会』より100倍はマシな作品だと思う。

 石田作品でいちばんいやなのは、彼の根底にある「女性蔑視」が透けて見えることだ。
 無意識に思ってることって、作品に出るからねぇ。

 『再会』はものすごかったよ。女の扱われ方。
 まず、主人公の父が、「ある女を騙して犯し、捨てろ」と主人公に命令する。「金が欲しかったら、女を犯して捨てろ」と。
 んで主人公、「お金欲しいから、女を犯して捨てることにするよ」と承諾する。そのうえ、「女を騙している過程、たしかに犯したかどうかをすべて小説にしろ」というものすごい条件さえ、平気でのんでしまう。
 だがうっかり、主人公はターゲットの女性に恋をしてしまう。騙すつもりが本気になって、しかも犯す寸前で逃げられてしまう。
 実はこの女性は主人公の父に雇われていたのだ、遊び人の主人公を懲らしめる父の作戦だったのだ、というオチ。
 いや、作戦てアンタ。それがはじめから作戦であったとしてもだ、主人公「金のために、女を騙して犯して捨てる」ことを承諾して実行するような人間なんですけど?? そ、それっていいの??
 そして、ヒロインである女性にしても、だ。「金のために男に騙されたふりで騙す」ような女、で、しかも、この「騙されたふり」には「犯される」ことも含まれているわけだよ?
 たまたま本気で恋に落ちたから主人公は手を出さなかったけど、そうじゃなかったらとっととヤられてるわけだよね? 関係を持ったあとで捨てるのが条件だもんね。
 つまりヒロインは「金のためになら、男を騙して捨てる」うえに、「どんな男とでも寝る」ことのできる女なわけだ。
 この倫理観って、どうよ?
 男も女も最低ですがな。
 しかも女は不倫の過去があるっていうんで、犯罪者扱いだけど、男が遊び人で今までさんざん女を渡り歩いてきたことは不問。
 そんな男のプロポーズの言葉は「嘘つき女への罰だ。黙って俺に一生ついてこい」……嘘つきはてめーもだろーがっっ、と胸ぐらを掴みたくなる無神経さ。
 やってることの犯罪度は同じ、人でなし度は同じなのに、責められるのは女だけで、男は一切おとがめなし。
 寛大な男が、汚れた女をゆるしてやって、ハッピーエンド。

 ものすごい話だった……。
 まともな人間が誰ひとり出てこないの。キチガイばっかさ。

 だけど、表面的にコメディの皮で包んであるから、1回観たくらいじゃわかんないのね。ギャグに「あはは」と笑っているだけで、あっという間に終わってしまう話だったし。
 当時トド様が、グンちゃんにベタ惚れで、目尻下げまくってるのが微笑ましいやら恥ずかしいやらで、ファンとしては男の中の男トドロキ親分のめろめろぶりを見ているだけでたのしめたから、一層カムフラージュされちゃってたんだけどさ。
 でも、不愉快度でいえば、最悪ランクだよ、『再会』って。

 それに比べて、『長すぎた春』(パラフレーズ)はぜんぜん不快じゃない。
 ただたんに、「つまんない」だけで。
 害はナシ。

 しかしそれって、救いなのか?


コメント

日記内を検索