だから、オーロラを見に行こう。@OUT
2002年11月10日 映画 映画『OUT』を見に行った。
『OUT』の原作は読んでいない。
だから、原作と比べてどうこうは言えない。
でも、ドラマは見ていた。
田中美佐子主演。
主題歌がたしか、福山雅治。福山が歌っているとは思えない曲調で、そして福山らしくないから、福山の歌の中で唯一好きだと思える歌(笑)。
ドラマが好きだったの。
田中美佐子がもー、かっこよくて。
どきどきしながら見ていたわ。
そして、渡辺えり子。この人がもー、めちゃくちゃよかった。おでぶなおばさんなのに、どんどんかっこよく見えていく。女優ってすごい。
女がかっこいい物語ってのは、希有だ。保護しなければならない、ってくらいな。
テレビドラマ『OUT』はその希有な、女がかっこいい物語だった。
ただしこのドラマ、最後はえらいことになっていたの。
せっかく「主婦たちの犯罪」がテーマだったのに。
ごくふつーの主婦たちが、日常の中で犯罪に手を染める。滑り落ちていく日常、ほんのささやかなことから壊れていく平穏。
日常、だから、主婦だから、よかったの。
なのにこのドラマ、後半は『ターミネーター』になってた。
殺しても殺しても立ち上がってくる超戦士を相手に、腕利きの女戦士が戦いを挑む話になってた。
はあ? 日常と主婦の話じゃなかったっけ? いつからモンスター・パニックものになったの?
どんどんSFになっていって、最後はどこぞのアクション映画のオチのよーになっていた。
日常と主婦が、遠いっす。
ドラマはなんであんなことになったんだろ? ドラマだから? 派手に盛り上げないと、視聴率がよくない、って、スポンサーから横やりが入ったとか?
だから殺人鬼は殺しても殺しても立ち上がってくるし、ただの主婦は女戦士に変身して戦うの?
それとも原作もああなのかしら。
まー、なんにせよ、ドラマは最後がいただけなかった。
その変すぎたラストを、映画はどう描くのか。
それに興味があったの。
おもしろかった。
映画はいいぞ!
ドラマで不満だったラストがそっくりちがっている。
ちゃんと最後まで、「日常」と「主婦」の物語だった。
なんともせつなくて、痛い物語だ。
主役の原田美枝子を含む4人の女たちは、誰もがつらい現実を抱えている。
家庭崩壊、老人介護、カード破産、夫の暴力。
全編に貫かれている、閉塞感がすごい。
女たちは、誰も彼もがものすげー閉塞感にさいなまれている。
苦しい。
未来が見えない。
しあわせが見えない。
どこをどうすれば、とか、なにがあれば、とかじゃないのな。
慢性なの。不幸が。
それも、カタチになっていて警察や法律が助けてくれるような不幸じゃなくて、目に見えずじわじわと息を詰まらせるような不幸。
それはもう、「わたしがわたしである不幸」みたいなもんさ。
ここから抜け出すためには、別人になるしかない、別の魂でも入れてしまうしかないって、そーゆータイプの不幸。
そしてひとは、別のひとになんか、なれない。
だから永遠。
未来は見えない。しあわせは見えない。
だけどとりあえずごはん食べてるし、仕事してるし、寝るところはあるし。地球上の戦争している国や、飢えている人たちに比べたらそんなのぜんぜん大したことないって、言えてしまう状態。
閉塞感。
わたしは、どこにも行けない。
どこにも、逃げられない。
ゆるゆるとした、絶望。
これがさあ、せつないの。
痛いの。
今すぐ自殺するような、死んだ方が楽だ、えいやっ、てな痛みじゃないだけにね。
生殺しっていうか、耐えられなくなる一歩手前の痛みがずーっと続いているよーな。
4人の女たちが生きているのは、そんな日常。
こわいのは、彼女たちの閉塞感が、決して特殊なモノじゃないってこと。
みんな、多かれ少なかれ、感じているよね?
彼女たちほど闇は濃くないかもしれないけど、誰でもみんな、似たような苦痛を抱いて生きているよね?
それが生きるってことだよね?
だから、彼女たちの閉塞感が、映画を見ている間中、ずっとわたしの呼吸も苦しくさせる。
4人の女たちは、犯罪に手を染める。
夫の暴力から逃れるために、夫を殺した。ココロの軽い、いちばん若い女。頭が悪いと言うよりは、心の成長が遅れている感じ。目の前のことしか見えないし考えられない、子ども。
彼女の殺した夫を、他のふたりがバラバラに解体する。
ひとりは頼られたあげくに押しつけられて、後に引けなくて。解体場所は彼女の家。どうせ家庭崩壊中、家族は夜中まで帰って来ない。
もうひとりの協力者は義理とお金に挟まれて。夫に先立たれ、たったひとりで働きながら寝たきりの姑の介護をする女。貧乏どん底。金がいる。
そこへ偶然やってきたカード破産女も、やはり金目当てで死体遺棄に荷担する。
職場が同じ、というだけの、友だちというには薄い関係の女4人が、共犯者になった。運命共同体になった。
それだけではなく、そののち彼女たちは、ヤクザ関係の「仕事」として「死体解体」を引き受けるんだ。
殺人、死体の解体。
ヤクザの男でさえ「冗談じゃない」と首を振るような残虐なことを、ふつーの主婦たちがやってのける。
考えてみれば女たちは、いつも包丁使ってるもんね。
男たちはそれを当たり前だとなんの疑問もなく、テーブルに並んだ料理を食べるけれど。
女たちは魚や肉を切り刻んで、家族のために料理しているもんね。
死体を家庭用の包丁とかで解体するの。
場所は風呂場。主婦が毎日お掃除するところ。そこで人間を解体して、またきれいにお掃除して。
男たちはなにも知らない。なんの疑問もなく、湯を使う。
「主婦」を人間とは思わず「当たり前にあるモノ」と思っている男たち、恐怖しなさい。あなたのいないときに、死体を解体しているかもよ?
てな、こわさがいい。
たしかに彼女たちは、犯罪に手を染める。それゆえにどんどん追いつめられていく。
だけどせつないのは、それで「変わらない」ことなの。
彼女たちの「閉塞感」が。
犯罪があろうとなかろうと、彼女たちの抱える「不幸」は変わらないの。
たしかに、とんでもないことになってるんだけど。
ふつーじゃない状態なんだけど。
それによって不幸にはならないのね。
だってもともと、不幸なんだもん。絶望してるんだもん。
「犯罪」があってもなくても、変わらない。
それが、せつない。痛い。
「犯罪」のおかげで彼女たちは、「日常」を捨てることになる。
今いる絶望から、一歩を踏み出すことになる。
訪れる、変化。
それがいいことなのか悪いことなのかは、わからない。
原田美枝子と、倍賞美津子の最後のシーンがいいよ。
ナイフの薄い刃の上に立つような、ふたりの女。
倍賞美津子が、きれいでね。
それまでは「うわー、倍賞美津子、トシとったなー。しわしわ〜」てな、生活に疲れたおばさんなんだけど。
自分の運命と闘う決意をした彼女の、美しいこと。闘うっていうか……今いる場所から押し出されて、選択の余地もなくそこへ立たされるわけだけど。それでもね。
ふたりの女の友情が、かっこいい。
ハードボイルド。
そっか、女のハードボイルドって、こうなんだ。
男だったらタフでクール、てなもんだが、女ならこうだ。
ただの主婦が閉塞感の中で、自分の足で立って微笑む。……これこそが、ハードボイルドだ。
銃を持ってドンパチやればいいってもんじゃないよねえ。こういう戦いもあるよねえ。
このふたりの女の関係は、「男だったらホモ」だと思うよ(笑)。
女同士だから、レズにはならないけど。
男の友情ってはてしなく恋愛に近いけど、女の友情って恋愛とはほど遠いからね。
女同士の真の友情は、男の友情よりもさらにピュアに「友情」だと思う。
かっこいい倍賞美津子が脱落し、残ったのはかっこいい原田美枝子と、バカ女がふたり。子どもな夫殺し女と、バカのカード破産女。
よりによって、バカ女がふたり残るなんて……。ただの足手まといってゆーか、確実に足引っ張るよな、こいつら。
そんな女たち3人の逃避行がはじまる。
うんざりするよーなバカ女ふたりも、とどのつまりは、いい味出してるしねえ。
泣かせてナンボ、の、泣き顔最高女優、西田尚美の子どもぶりもいいし、低脳バカ女を演じる室井滋はさすがだ、あの説得力。
バカ女ふたりすら、かっこいいと思わせてしまうんだな、これが。
最後まで、「日常」であり「主婦」であったよ。
彼女たちのスタンスが変わらなかった。
だからせつなくて、痛い物語だった。
閉塞感。絶望感。
たとえそれが「仕方なく」であろうと、「日常」から一歩を踏み出していく彼女たちに、拍手を贈る。
ハッピーエンドだと、わたしは思っているしね。
夢ってのは、ばかばかしい方がいいからね。途方もなくて、意味なんかないよーな、そんな夢こそが、ひとをしあわせにするし、救うんだと思う。
ガテンな女トラック運ちゃんが、カラカラと豪快に笑ってくれたようにね。
ああほんとうに、かっこいい「女」の物語だったよ。
『OUT』の原作は読んでいない。
だから、原作と比べてどうこうは言えない。
でも、ドラマは見ていた。
田中美佐子主演。
主題歌がたしか、福山雅治。福山が歌っているとは思えない曲調で、そして福山らしくないから、福山の歌の中で唯一好きだと思える歌(笑)。
ドラマが好きだったの。
田中美佐子がもー、かっこよくて。
どきどきしながら見ていたわ。
そして、渡辺えり子。この人がもー、めちゃくちゃよかった。おでぶなおばさんなのに、どんどんかっこよく見えていく。女優ってすごい。
女がかっこいい物語ってのは、希有だ。保護しなければならない、ってくらいな。
テレビドラマ『OUT』はその希有な、女がかっこいい物語だった。
ただしこのドラマ、最後はえらいことになっていたの。
せっかく「主婦たちの犯罪」がテーマだったのに。
ごくふつーの主婦たちが、日常の中で犯罪に手を染める。滑り落ちていく日常、ほんのささやかなことから壊れていく平穏。
日常、だから、主婦だから、よかったの。
なのにこのドラマ、後半は『ターミネーター』になってた。
殺しても殺しても立ち上がってくる超戦士を相手に、腕利きの女戦士が戦いを挑む話になってた。
はあ? 日常と主婦の話じゃなかったっけ? いつからモンスター・パニックものになったの?
どんどんSFになっていって、最後はどこぞのアクション映画のオチのよーになっていた。
日常と主婦が、遠いっす。
ドラマはなんであんなことになったんだろ? ドラマだから? 派手に盛り上げないと、視聴率がよくない、って、スポンサーから横やりが入ったとか?
だから殺人鬼は殺しても殺しても立ち上がってくるし、ただの主婦は女戦士に変身して戦うの?
それとも原作もああなのかしら。
まー、なんにせよ、ドラマは最後がいただけなかった。
その変すぎたラストを、映画はどう描くのか。
それに興味があったの。
おもしろかった。
映画はいいぞ!
ドラマで不満だったラストがそっくりちがっている。
ちゃんと最後まで、「日常」と「主婦」の物語だった。
なんともせつなくて、痛い物語だ。
主役の原田美枝子を含む4人の女たちは、誰もがつらい現実を抱えている。
家庭崩壊、老人介護、カード破産、夫の暴力。
全編に貫かれている、閉塞感がすごい。
女たちは、誰も彼もがものすげー閉塞感にさいなまれている。
苦しい。
未来が見えない。
しあわせが見えない。
どこをどうすれば、とか、なにがあれば、とかじゃないのな。
慢性なの。不幸が。
それも、カタチになっていて警察や法律が助けてくれるような不幸じゃなくて、目に見えずじわじわと息を詰まらせるような不幸。
それはもう、「わたしがわたしである不幸」みたいなもんさ。
ここから抜け出すためには、別人になるしかない、別の魂でも入れてしまうしかないって、そーゆータイプの不幸。
そしてひとは、別のひとになんか、なれない。
だから永遠。
未来は見えない。しあわせは見えない。
だけどとりあえずごはん食べてるし、仕事してるし、寝るところはあるし。地球上の戦争している国や、飢えている人たちに比べたらそんなのぜんぜん大したことないって、言えてしまう状態。
閉塞感。
わたしは、どこにも行けない。
どこにも、逃げられない。
ゆるゆるとした、絶望。
これがさあ、せつないの。
痛いの。
今すぐ自殺するような、死んだ方が楽だ、えいやっ、てな痛みじゃないだけにね。
生殺しっていうか、耐えられなくなる一歩手前の痛みがずーっと続いているよーな。
4人の女たちが生きているのは、そんな日常。
こわいのは、彼女たちの閉塞感が、決して特殊なモノじゃないってこと。
みんな、多かれ少なかれ、感じているよね?
彼女たちほど闇は濃くないかもしれないけど、誰でもみんな、似たような苦痛を抱いて生きているよね?
それが生きるってことだよね?
だから、彼女たちの閉塞感が、映画を見ている間中、ずっとわたしの呼吸も苦しくさせる。
4人の女たちは、犯罪に手を染める。
夫の暴力から逃れるために、夫を殺した。ココロの軽い、いちばん若い女。頭が悪いと言うよりは、心の成長が遅れている感じ。目の前のことしか見えないし考えられない、子ども。
彼女の殺した夫を、他のふたりがバラバラに解体する。
ひとりは頼られたあげくに押しつけられて、後に引けなくて。解体場所は彼女の家。どうせ家庭崩壊中、家族は夜中まで帰って来ない。
もうひとりの協力者は義理とお金に挟まれて。夫に先立たれ、たったひとりで働きながら寝たきりの姑の介護をする女。貧乏どん底。金がいる。
そこへ偶然やってきたカード破産女も、やはり金目当てで死体遺棄に荷担する。
職場が同じ、というだけの、友だちというには薄い関係の女4人が、共犯者になった。運命共同体になった。
それだけではなく、そののち彼女たちは、ヤクザ関係の「仕事」として「死体解体」を引き受けるんだ。
殺人、死体の解体。
ヤクザの男でさえ「冗談じゃない」と首を振るような残虐なことを、ふつーの主婦たちがやってのける。
考えてみれば女たちは、いつも包丁使ってるもんね。
男たちはそれを当たり前だとなんの疑問もなく、テーブルに並んだ料理を食べるけれど。
女たちは魚や肉を切り刻んで、家族のために料理しているもんね。
死体を家庭用の包丁とかで解体するの。
場所は風呂場。主婦が毎日お掃除するところ。そこで人間を解体して、またきれいにお掃除して。
男たちはなにも知らない。なんの疑問もなく、湯を使う。
「主婦」を人間とは思わず「当たり前にあるモノ」と思っている男たち、恐怖しなさい。あなたのいないときに、死体を解体しているかもよ?
てな、こわさがいい。
たしかに彼女たちは、犯罪に手を染める。それゆえにどんどん追いつめられていく。
だけどせつないのは、それで「変わらない」ことなの。
彼女たちの「閉塞感」が。
犯罪があろうとなかろうと、彼女たちの抱える「不幸」は変わらないの。
たしかに、とんでもないことになってるんだけど。
ふつーじゃない状態なんだけど。
それによって不幸にはならないのね。
だってもともと、不幸なんだもん。絶望してるんだもん。
「犯罪」があってもなくても、変わらない。
それが、せつない。痛い。
「犯罪」のおかげで彼女たちは、「日常」を捨てることになる。
今いる絶望から、一歩を踏み出すことになる。
訪れる、変化。
それがいいことなのか悪いことなのかは、わからない。
原田美枝子と、倍賞美津子の最後のシーンがいいよ。
ナイフの薄い刃の上に立つような、ふたりの女。
倍賞美津子が、きれいでね。
それまでは「うわー、倍賞美津子、トシとったなー。しわしわ〜」てな、生活に疲れたおばさんなんだけど。
自分の運命と闘う決意をした彼女の、美しいこと。闘うっていうか……今いる場所から押し出されて、選択の余地もなくそこへ立たされるわけだけど。それでもね。
ふたりの女の友情が、かっこいい。
ハードボイルド。
そっか、女のハードボイルドって、こうなんだ。
男だったらタフでクール、てなもんだが、女ならこうだ。
ただの主婦が閉塞感の中で、自分の足で立って微笑む。……これこそが、ハードボイルドだ。
銃を持ってドンパチやればいいってもんじゃないよねえ。こういう戦いもあるよねえ。
このふたりの女の関係は、「男だったらホモ」だと思うよ(笑)。
女同士だから、レズにはならないけど。
男の友情ってはてしなく恋愛に近いけど、女の友情って恋愛とはほど遠いからね。
女同士の真の友情は、男の友情よりもさらにピュアに「友情」だと思う。
かっこいい倍賞美津子が脱落し、残ったのはかっこいい原田美枝子と、バカ女がふたり。子どもな夫殺し女と、バカのカード破産女。
よりによって、バカ女がふたり残るなんて……。ただの足手まといってゆーか、確実に足引っ張るよな、こいつら。
そんな女たち3人の逃避行がはじまる。
うんざりするよーなバカ女ふたりも、とどのつまりは、いい味出してるしねえ。
泣かせてナンボ、の、泣き顔最高女優、西田尚美の子どもぶりもいいし、低脳バカ女を演じる室井滋はさすがだ、あの説得力。
バカ女ふたりすら、かっこいいと思わせてしまうんだな、これが。
最後まで、「日常」であり「主婦」であったよ。
彼女たちのスタンスが変わらなかった。
だからせつなくて、痛い物語だった。
閉塞感。絶望感。
たとえそれが「仕方なく」であろうと、「日常」から一歩を踏み出していく彼女たちに、拍手を贈る。
ハッピーエンドだと、わたしは思っているしね。
夢ってのは、ばかばかしい方がいいからね。途方もなくて、意味なんかないよーな、そんな夢こそが、ひとをしあわせにするし、救うんだと思う。
ガテンな女トラック運ちゃんが、カラカラと豪快に笑ってくれたようにね。
ああほんとうに、かっこいい「女」の物語だったよ。
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