絵を描くより、デザインする方が好きだと気づいたのは、オトナになってからだもんなあ。
2002年12月8日 その他 買ったばかりのDVDレコーダーと遊ぶ傍ら、年賀状のことを考える。
わたしは、年賀状を作るのが好きだ。
年に一度の、自己表現の場だからだ。
子どものころから、年賀状とはひたすら自己表現の場だった。
記憶にあるいちばん最初の年賀状は、手作りのゴム版画だった。
既存の型をなぞるのではなく、自分で下絵から描いた。……もちろん、思った通りになんかできなかったが、それでも「自分だけのオリジナルである」ということに満足していた。
ゴム版画の腕は年々上がっていき、MY彫刻刀セットを持っている、変な小学生だった。
次に、プリントごっこ時代に突入。1版300円ほどのコストがかかるため、多版刷りはできない。せいぜい2版まで。わずか2回の印刷で、どれだけイメージ通りの作品を作るかに燃える。
これが中高校生くらいかな。
このへんではまだ、わりとふつーの年賀状の枠内のものを作っていたな。絵には凝っていたけど。
次に、プリントごっこ+手塗り時代。
周りの影響で、マンガを描いていたため、年賀状にもマンガ絵を描くよーになる。
だがマンガ絵といっても、そのときの流行ジャンルのキャラクターを描くのではなく、普遍的なキャラをチョイスした。スナフキン、ドラえもんなど。
しかもこのあたりから、コピー、キャッチフレーズに凝るよーになる。
一般広告を作るよーなハートで、年賀状を作る。
おかげで、「あけましておめでとう」などの定例句は存在せず、「新年」をイメージさせる別の言葉を使うようになった。
セピアカラーで統一した画面に、スナフキンの横顔と背中で、コピーが1文。「歌え、夜明けの歌を…」は、今思うとものすげーイタタな恥ずかしさに満ちているが、当時のインパクトは絶大だった。
反響がすごかったっす。友人の家族とかから感想をいただいたり、あれから10何年経つ今でも、友人たちの口に上ったりする。
このあたり、年賀状コンクール(かなりローカル)の入選常連となる(笑)。
スナフキンの反響と、コンクール入選に味を占めて以来、わたしの年賀状は「広告系」一直線となる。
「新年」をテーマにしたキャッチフレーズと、絵。
毎年切り口を変え、見た人に発見や感動を与えるものを! と凝りに凝り出す(笑)。
ここ10数年の自作年賀状を改めて見てみたんだけど……。
いやあ……どれも香ばしいですわ。
カンチガイしまくりっていうか。
まともな年賀状は1枚もない。
でも、今後も続行予定。
ひとりくらい、こんなヤツがいてもいいでしょう、ってことで(笑)。
年賀状は、年に一度の自己表現の場。
わたしには必要なの。
「緑野の年賀状をたのしみにしている」
「今年、喪中なんだけど、緑野の年賀状だけは欲しいから、こっそり送ってくれない?」
「緑野の年賀状のファンだから」
などと言われ、毎年腕まくりして作ってるんだよ、お客さん!
ひとさまによろこんでもらえる、たのしみにしてもらえるって、うれしいじゃない!
年に一度だもん、がんばれるよ。
近年はパソコンを使って作っているので、さらに広告系一直線だなー。
もう絵は描かなくなっているので、文字だけでデザイン、文字で絵を描く感覚。
今まで作った年賀状関係の中で、もっとも反響が大きかったのが、わたしが生まれてはじめて作った「喪中はがき」。
育ての親でもあった祖母が亡くなった年に、作ったもの。
わたしが年賀状がオリジナルであることにこだわるのは、母の影響が大きい。
わたしの母もずっと、ひたすらオリジナルなものを作り続けてきた人だ。
彼女が言っていたんだ。
「喪中はがきって、もらうひとがもっともつまらないはがきだと思うわ。暗いデザインの紙面に、淡々と事務連絡が書いてあるだけだもの」
そこが日本人の謙虚さなのかしら。自分の「かなしみ」を他人には伝えず、儀礼のみにこだわる。
だけど、ただの事務連絡ではなく、そこに「心」を載せたい。母はそう言うのだ。また、そういう喪中はがきを受け取ることがあれば、お悔やみの言葉は儀礼の域を超えて真摯なモノになるのに、と。
その母が、わたしより先に「オリジナルな喪中はがき」を作って見せた。
正直、ショックだった。
わたしはクリエイターとしての母を尊敬している。母個人にはモニョるところはかなりあるんだが(笑)、クリエイターとしては、尊敬してるんだよ。
その母の才能と実力を、見せつけられたのな。
……泣いたもん。母の喪中はがき見て。
端正ななかに、哀惜が詰められていたわ。
それを見て、対抗心が沸いた。
負けるもんか、と。
純粋に、「ものを創る人間」として、かきたてられたんだよ。
いいモノを見て刺激を受けたら、それを吐き出したくて仕方なくなるから。
そうやって作った、渾身の「喪中はがき」。
効果絶大。
何年も会っていない、「年賀状友だち」から手紙がきたり、電話がきたり。
いろんな人から「感動した」「泣いた」と言われた。
喪中はがきでファンレターもらうヤツ、そうそういないだろうなあ……。
わたしにしろ母にしろ、この喪中はがきでファンレターを複数いただきました。
弟が心底あきれた顔で、「これだから物書きってヤツは……」とつぶやいていたのが、印象的。
身内の死を利用したとか、そんなわけではないのよ。
素直なかなしみを、ありのままに表現したのよ。
そして「死」は、誰もが経験するかなしみごと。
わたしや母の表現した「かなしみ」は、それを受け取った人にも無関係な感情ではなかった。
大切な人を失ったことのある人が、その記憶を揺さぶられて、感想をつづってくれたりしたよ。
何故かなしかったのか。それは、そのひとを愛していたから。
よみがえるかなしみは、愛情の確認でもある。
「泣きました」と、読んでるこっちもが泣けてくるような手紙をもらったりしたなあ。
そーいや文字だけのはがきを作った最初が、その喪中はがきだったな。それまでは自作イラスト付きだった。
わたしは文章を書くのが本業なんだと、そのとき再確認したわけだ。
以来、文字だけの年賀状作りに専念してきた。
さて。
今年はどーしよーかなー。
去年作った、「2002年版年賀状」は、今見ても凝りすぎだと思う(笑)。とてもじゃないが、こんなのは毎年作ってられない。
もっとシンプルに、かつインパクトのある、わたしらしい年賀状。
……猫の写真でも使おうかなぁ……。←ありがち(笑)。
わたしは、年賀状を作るのが好きだ。
年に一度の、自己表現の場だからだ。
子どものころから、年賀状とはひたすら自己表現の場だった。
記憶にあるいちばん最初の年賀状は、手作りのゴム版画だった。
既存の型をなぞるのではなく、自分で下絵から描いた。……もちろん、思った通りになんかできなかったが、それでも「自分だけのオリジナルである」ということに満足していた。
ゴム版画の腕は年々上がっていき、MY彫刻刀セットを持っている、変な小学生だった。
次に、プリントごっこ時代に突入。1版300円ほどのコストがかかるため、多版刷りはできない。せいぜい2版まで。わずか2回の印刷で、どれだけイメージ通りの作品を作るかに燃える。
これが中高校生くらいかな。
このへんではまだ、わりとふつーの年賀状の枠内のものを作っていたな。絵には凝っていたけど。
次に、プリントごっこ+手塗り時代。
周りの影響で、マンガを描いていたため、年賀状にもマンガ絵を描くよーになる。
だがマンガ絵といっても、そのときの流行ジャンルのキャラクターを描くのではなく、普遍的なキャラをチョイスした。スナフキン、ドラえもんなど。
しかもこのあたりから、コピー、キャッチフレーズに凝るよーになる。
一般広告を作るよーなハートで、年賀状を作る。
おかげで、「あけましておめでとう」などの定例句は存在せず、「新年」をイメージさせる別の言葉を使うようになった。
セピアカラーで統一した画面に、スナフキンの横顔と背中で、コピーが1文。「歌え、夜明けの歌を…」は、今思うとものすげーイタタな恥ずかしさに満ちているが、当時のインパクトは絶大だった。
反響がすごかったっす。友人の家族とかから感想をいただいたり、あれから10何年経つ今でも、友人たちの口に上ったりする。
このあたり、年賀状コンクール(かなりローカル)の入選常連となる(笑)。
スナフキンの反響と、コンクール入選に味を占めて以来、わたしの年賀状は「広告系」一直線となる。
「新年」をテーマにしたキャッチフレーズと、絵。
毎年切り口を変え、見た人に発見や感動を与えるものを! と凝りに凝り出す(笑)。
ここ10数年の自作年賀状を改めて見てみたんだけど……。
いやあ……どれも香ばしいですわ。
カンチガイしまくりっていうか。
まともな年賀状は1枚もない。
でも、今後も続行予定。
ひとりくらい、こんなヤツがいてもいいでしょう、ってことで(笑)。
年賀状は、年に一度の自己表現の場。
わたしには必要なの。
「緑野の年賀状をたのしみにしている」
「今年、喪中なんだけど、緑野の年賀状だけは欲しいから、こっそり送ってくれない?」
「緑野の年賀状のファンだから」
などと言われ、毎年腕まくりして作ってるんだよ、お客さん!
ひとさまによろこんでもらえる、たのしみにしてもらえるって、うれしいじゃない!
年に一度だもん、がんばれるよ。
近年はパソコンを使って作っているので、さらに広告系一直線だなー。
もう絵は描かなくなっているので、文字だけでデザイン、文字で絵を描く感覚。
今まで作った年賀状関係の中で、もっとも反響が大きかったのが、わたしが生まれてはじめて作った「喪中はがき」。
育ての親でもあった祖母が亡くなった年に、作ったもの。
わたしが年賀状がオリジナルであることにこだわるのは、母の影響が大きい。
わたしの母もずっと、ひたすらオリジナルなものを作り続けてきた人だ。
彼女が言っていたんだ。
「喪中はがきって、もらうひとがもっともつまらないはがきだと思うわ。暗いデザインの紙面に、淡々と事務連絡が書いてあるだけだもの」
そこが日本人の謙虚さなのかしら。自分の「かなしみ」を他人には伝えず、儀礼のみにこだわる。
だけど、ただの事務連絡ではなく、そこに「心」を載せたい。母はそう言うのだ。また、そういう喪中はがきを受け取ることがあれば、お悔やみの言葉は儀礼の域を超えて真摯なモノになるのに、と。
その母が、わたしより先に「オリジナルな喪中はがき」を作って見せた。
正直、ショックだった。
わたしはクリエイターとしての母を尊敬している。母個人にはモニョるところはかなりあるんだが(笑)、クリエイターとしては、尊敬してるんだよ。
その母の才能と実力を、見せつけられたのな。
……泣いたもん。母の喪中はがき見て。
端正ななかに、哀惜が詰められていたわ。
それを見て、対抗心が沸いた。
負けるもんか、と。
純粋に、「ものを創る人間」として、かきたてられたんだよ。
いいモノを見て刺激を受けたら、それを吐き出したくて仕方なくなるから。
そうやって作った、渾身の「喪中はがき」。
効果絶大。
何年も会っていない、「年賀状友だち」から手紙がきたり、電話がきたり。
いろんな人から「感動した」「泣いた」と言われた。
喪中はがきでファンレターもらうヤツ、そうそういないだろうなあ……。
わたしにしろ母にしろ、この喪中はがきでファンレターを複数いただきました。
弟が心底あきれた顔で、「これだから物書きってヤツは……」とつぶやいていたのが、印象的。
身内の死を利用したとか、そんなわけではないのよ。
素直なかなしみを、ありのままに表現したのよ。
そして「死」は、誰もが経験するかなしみごと。
わたしや母の表現した「かなしみ」は、それを受け取った人にも無関係な感情ではなかった。
大切な人を失ったことのある人が、その記憶を揺さぶられて、感想をつづってくれたりしたよ。
何故かなしかったのか。それは、そのひとを愛していたから。
よみがえるかなしみは、愛情の確認でもある。
「泣きました」と、読んでるこっちもが泣けてくるような手紙をもらったりしたなあ。
そーいや文字だけのはがきを作った最初が、その喪中はがきだったな。それまでは自作イラスト付きだった。
わたしは文章を書くのが本業なんだと、そのとき再確認したわけだ。
以来、文字だけの年賀状作りに専念してきた。
さて。
今年はどーしよーかなー。
去年作った、「2002年版年賀状」は、今見ても凝りすぎだと思う(笑)。とてもじゃないが、こんなのは毎年作ってられない。
もっとシンプルに、かつインパクトのある、わたしらしい年賀状。
……猫の写真でも使おうかなぁ……。←ありがち(笑)。
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