ママがうるさいので、見てきました。
 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』。

 なんでうるさいかっちゅーと、普段映画をまったく見ない母が、めずらしく見た映画だから。
「見てくれないと、話ができないじゃない!!」
 だそーだ……。

 たのしかったです。はい。
 途中ちょっと睡魔に襲われましたが。『賢者の石』のときも、実はちょっと睡魔と戦ってたんだが。
 おもしろいよ。おもしろいけど、何故か途中で眠くなるんだよなあ。
 とくに今回、めちゃ長いんだもんよ……。

 ふつーにたのしい映画だと思うが、やはりわたしが好きになることはないなと思う。
 なんでかは、わかっている。
 このたのしい作品には、「毒」と「痛み」がないからだ。
 そしてこのたのしい作品が、どーしてここまで大衆に受け入れられているのかも、わかっている。「毒」と「痛み」がないからだ。

 夕食の席で、母とふつーにたのしく映画の話をした。
「伊勢神宮に行ったとき、あの樹みたいな樹がいっぱいあったのよ」
「ああ、たしかになー。乱暴な樹だったねあれは。なにもわざわざ倒れてまで殴らなくてもいいじゃないって思ったわ(笑)」
「すごかったわよねえ。たのしかったわー」
「びっくりだよねえ」
「それから、最初に宇宙人みたいのが出てきたでしょ」
「ああ、ドビーね」
「レインっていうの? そのレインの表情が豊かで……」
「レインじゃなくてドビー……」
「ドビンのあの、上目遣いの目つきとかね」
「ドビンじゃなくて……あー、もういいよ、それで?」
「すごいよね、あれ」
「うんうん」
「ああ、ほんとにおもしろかったわ。すごかったわ。あたし、1は見てないから、2から見てわかるかどうか心配だったけど、ちゃんと2から見てもわかるようにしてあったし」
「そりゃ向こうも商売だから。つーか、子どもでもわかるように作ってあるんだから、ママにだってわかるでしょうよ」
「……それ、どういう意味?」

 ねえそれ、どういう意味よ? と追及する母を無視して、弟と「そのまんまの意味だよなあ」とうなずき合う。
 ほらママ、それより『その時歴史が動いたスペシャル』見なきゃ。今日は幕末だよー。

          ☆

 今日はわたし的には、『ハリー・ポッター』より、BSの『ゴッホとゴーギャン〜二人のヒマワリ』の方が意味が深いわ。

 わたしはゴッホが好きだ。
 それはたぶん、彼の絵が「痛み」に満ちているからだと思う。
 強烈な色彩で、しかもよりによって「黄色」という「陽」の色を愛しながらも、そこにあるのは狂おしい「孤独」と「叫び」だ。

 わたしがゴッホの絵と出会ったのは、高校生のとき。
 画家ゴッホと出会ったのは、小学生のとき幼児番組によってだが(11/2の日記参照)、絵に出会ったのは高校生になってからだ。

 予備知識はなかった。
 教科書に載っている有名画家。その程度。
 その有名画家の絵が、地元の美術館に来ている。つーんで、家族で観に行った。
 緑野家は何故か、美術館だの展覧会だのが好きな一家だった。有名どころがやってくると、大抵家族で出掛けた。

 有名画家だから、美術館はものすごい混雑。行列をして絵を見た。

 教科書に載っている、いちばん有名なヒマワリの絵と、跳ね橋の絵と、『星月夜』くらいしか、見たこともなかったよ。わたしゃ無知な女子高生さ。

 その無知な女子高生が。
 人でごった返す美術館で、はじめてその画家の絵をまともに見て。

 泣いたもんよ。

 いやわたし、よく泣くから。心が動くとそのまま涙になるから、泣くこと自体はべつにどーってこともないんだが。絵を見て泣くのははじめてじゃないし。
 しかし、衝撃だった。
 痛かった。

 ゴッホという画家が、どんな人で、どんな人生をたどったのかは知らない。知らないまま、絵だけを見て、泣いた。

 その、「絶望」に。

 慟哭の深さに。

 なんなんだろねえ。なんかやたら力強く、「現実」が描かれてるんですけど? できれば見たくもない、「痛い」部分が剥き出しに、強烈に、描かれてるんですけど。

 とくに印象に残ったのが、『疲れ果てて〜永遠の入り口にて』という絵と、マイナーな『ヒマワリ』の絵。
 どちらも共通しているのは「老人」。
 『疲れ果てて』は、老人が慟哭している姿。節くれ立った手をした、労働者の老いた男が泣いている。
 ……これが若者ならな、救いはある。とりあえず彼には「時間」があるから。今は絶望していても、立ち上がって歩き出すかもしれないから。
 しかし、絶望する老人、って……。
 見ているこっちも絶望するしかない。
 マイナーな『ヒマワリ』は、今を盛りに咲く花の絵ではなく、咲ききって枯れたヒマワリの絵。捨てられたヒマワリの、絵。
 燃え尽きたような、しかしもうただの「ゴミ」となった花の絵。
 こ、こわい……。どっちもとてつもなく、こわい絵だった。

 以来ゴッホは忘れられない画家。
 買って帰った図録を、何度も繰り返し眺めた。
 『永遠の入り口にて』は、わたしの生まれてはじめて「原稿料」をいただいた小説のタイトルにも使った。

 んで、今回のBSの番組は、彼とゴーギャンの蜜月と破局をテーマにしたもの。
 ……痛かったわー。
 愛し、求めていながらも、共に生きることのできない男たち。いや、ゴッホの爆裂片想いだとは思ってるけどさ。
 ふたりをホモだと思っているわけではないが、こいつらの愛憎っぷりは萌えですよ、まったく。
 このふたりを主題に、なにか書きたいとか思っちゃうよー。いや、そんなことしてるヒマあったら仕事しろっつーか、今現在そんなことを思うのはただの現実逃避なんだけどさ。(仕事が切羽詰まってるときほど、他のことがしたくなるよな)

 そして今ごろ気づいたこと。

 ゴッホって、「黄色」を愛した画家なんだ。
 わたしが彼の絵を好きな理由のひとつだわ、そりゃきっと。
 わたしのもっとも愛する色は、「黄色」ですから。
 好きな色が同じかー。そりゃ好みがあいますわー。
 ひまわりだって、わたし大好きだしさー。

 ゴーギャンはヒマワリのことを、「ゴッホの花」と呼んでいたそーだ。
 ひどい破局を迎えたというのに、晩年彼は、その「ゴッホの花」の絵をわざわざ描いている。ゴッホが彼のために用意した椅子(に似たモノ)に、「ゴッホの花」を載せて。
 ヴィンセント、って名前で呼んでいたと思うから、正確には「ヴィンセントの花」って呼んでたのよね?
 いいトシした男が、花のことを男の名前で呼ぶのよ?

 ……も、萌え……。

 

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