彼の美学。彼への美学。@レッド・ドラゴン
2003年3月20日 映画 レクター博士に、どんなイメージがありますか?
よーやく見に行きました、『レッド・ドラゴン』。エドワード・ノートン、アンソニー・ホプキンス主演。
連続猟奇殺人事件を追うFBI捜査官ウィル・グレアムは、病院の精神科に幽閉されている殺人鬼ハンニバル・レクター博士に意見を求めることになった。「噛みつき魔」という渾名で呼ばれる今回の事件の犯人に、レクター博士に近い異常性を感じたためだ。
「人喰いハンニバル」を逮捕したのが、他でもないグレアムだ。レクター博士とグレアムは宿敵同士なわけですな。檻の内と外で繰り広げられる心理戦、なにも持たない囚人のはずのレクター博士は、何故かすべてを見通しているような言葉を発する。つーかレクター、「噛みつき魔」とタブロイドを通じて文通していたりと、まったくもって油断がならない。
「噛みつき魔」はレクターの大ファンで、すさまじい愛情で彼の情報を集めている。ちなみに「噛みつき魔」という渾名が気に入らず、「レッド・ドラゴン」という名を自ら現場に残したりもしている。
噛みつき魔改め「レッド・ドラゴン」が敵、レッド・ドラゴンにシンパシーを感じ協力したりしながらもグレアムに助言したり、グレアムをもてあそぶのがたのしくて仕方ないらしいレクター博士が敵でありながら味方(またその逆)、そしてわれらがヒーロー、視点であり探偵役であるグレアム捜査官。
男たちの熱ぅい、三つどもえの戦い。
グレアム役のエドワード・ノートンはOKです。繊細そうな二枚目。よっしゃあっ、って感じ。
レッド・ドラゴン役もまあ、あんな感じ。
でもさ。
レクター博士って、どうよ?
わかってるよ。
アンソニー・ホプキンスがすばらしいことは。
『羊たちの沈黙』の彼の演技がものすごいからこそ、このシリーズがシリーズとして、ここまで存在するんだということは。
ホプキンスこそが作品の「顔」であり、彼あってのことだという事実は。
でもさ。
……わたしは、不満なんだ。
だって、イメージちがうんだもん。
レクター博士は、あんなんじゃないぃぃぃいっ。
原作だけを考えてください。レクター博士ってのは、どんな姿をしていると思いますか?
ハゲ頭のじじいですか?
わたしやWHITEちゃんにとってレクターは、「美形」なのよ……。
年齢はもちろん壮年には達しているけれど、あくまでも「美形」なのよ。
彼の行動には美学があり、その知性は人間の倫理や常識を超えたところにあるのよ。
そしてそれは、「美しく」なければならないのよ。
アンソニー・ホプキンスがすばらしい俳優であることとは、別の話なんだよ。
『サイコメトラーEiji』に出てくる、もろ「レクター博士」な天才殺人鬼(名前忘れた)、彼こそがわたし的には「原作のレクター博士」ですよ……。
あ、『サイコメトラーEiji』ってたしか、ドラマもあったね。ジャニタレのプロモーション目的の。アレとは関係ない、原作の話ね。(原作は萌えがいっぱいです・笑)
とくこの『レッド・ドラゴン』では、レクター博士のじじいっぷりに違和感があった。
だって、シリーズの「最初の話」なんだよ? 映画第1弾の『羊たちの沈黙』より昔の話なんだよ?
なのに、『羊たち…』よりはるかにじじいのレクターなんて……。
『レッド・ドラゴン』はある意味、レクターとグレアムの恋愛モノなのにぃ。グレアムが美形なのはとーぜんとして、レクターもなんとかしてくれぇ……というのが本音だ。
グレアムは「レクターを逮捕した男」。犯罪者の心理を「想像」することによって、逮捕する捜査官。つまり、他の誰より「犯罪者に近い」ものをその心に秘めている。
グレアム自身は、ふつーに善良な良き社会人で良き家庭人なんだけど。そんな彼が、「レクター」を精神のどこかに飼っている……。だからこそレクターを逮捕することができたし、またレクターも彼に一目置いている。
こちら側とあちら側の戦い。正常と異常の戦い。
ふたりの天才の戦い。
……だからこそ、最高にスリリングで、エロティック。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』で、女性捜査官クラリスが、そのままグレアムの位置にいるように。ふつーなら、男と女で表現する類いのものを、『レッド・ドラゴン』では男同士でやっているのさ。
だからいいのにぃ。
アンソニー・ホプキンス……。
レクターとグレアムは、同世代でいてほしいのよ、せめて。レクターが年上なのはわかるが、ダブルスコアだとテーマが変わってくるじゃん。老練なじじいと、若造の戦いじゃないでしょ? 同じ場所に立つ男たちの戦いでしょ?
それだけが、かなしいのです。
映画はたのしかったです。はい。
レッド・ドラゴン側をほとんど描いている余裕がなかったのはわかるし、最低限の表現でうまくまとめていると思う。
びっくり系のサスペンスも適度に作用していました。へたに血まみれにしないあたりがセンスいいよね。
クライマックスの盛り上がりも、たのしかったよ。
エドワード・ノートンがイメージぴったりの繊細ないい男であるだけに、アンソニー・ホプキンスの醜いじじいぶりがかなしい……せめて彼が美老人ならばまだ……。
ま、腐女子のたわごとだけどな。
世間の評価は知らないんで。
よーやく見に行きました、『レッド・ドラゴン』。エドワード・ノートン、アンソニー・ホプキンス主演。
連続猟奇殺人事件を追うFBI捜査官ウィル・グレアムは、病院の精神科に幽閉されている殺人鬼ハンニバル・レクター博士に意見を求めることになった。「噛みつき魔」という渾名で呼ばれる今回の事件の犯人に、レクター博士に近い異常性を感じたためだ。
「人喰いハンニバル」を逮捕したのが、他でもないグレアムだ。レクター博士とグレアムは宿敵同士なわけですな。檻の内と外で繰り広げられる心理戦、なにも持たない囚人のはずのレクター博士は、何故かすべてを見通しているような言葉を発する。つーかレクター、「噛みつき魔」とタブロイドを通じて文通していたりと、まったくもって油断がならない。
「噛みつき魔」はレクターの大ファンで、すさまじい愛情で彼の情報を集めている。ちなみに「噛みつき魔」という渾名が気に入らず、「レッド・ドラゴン」という名を自ら現場に残したりもしている。
噛みつき魔改め「レッド・ドラゴン」が敵、レッド・ドラゴンにシンパシーを感じ協力したりしながらもグレアムに助言したり、グレアムをもてあそぶのがたのしくて仕方ないらしいレクター博士が敵でありながら味方(またその逆)、そしてわれらがヒーロー、視点であり探偵役であるグレアム捜査官。
男たちの熱ぅい、三つどもえの戦い。
グレアム役のエドワード・ノートンはOKです。繊細そうな二枚目。よっしゃあっ、って感じ。
レッド・ドラゴン役もまあ、あんな感じ。
でもさ。
レクター博士って、どうよ?
わかってるよ。
アンソニー・ホプキンスがすばらしいことは。
『羊たちの沈黙』の彼の演技がものすごいからこそ、このシリーズがシリーズとして、ここまで存在するんだということは。
ホプキンスこそが作品の「顔」であり、彼あってのことだという事実は。
でもさ。
……わたしは、不満なんだ。
だって、イメージちがうんだもん。
レクター博士は、あんなんじゃないぃぃぃいっ。
原作だけを考えてください。レクター博士ってのは、どんな姿をしていると思いますか?
ハゲ頭のじじいですか?
わたしやWHITEちゃんにとってレクターは、「美形」なのよ……。
年齢はもちろん壮年には達しているけれど、あくまでも「美形」なのよ。
彼の行動には美学があり、その知性は人間の倫理や常識を超えたところにあるのよ。
そしてそれは、「美しく」なければならないのよ。
アンソニー・ホプキンスがすばらしい俳優であることとは、別の話なんだよ。
『サイコメトラーEiji』に出てくる、もろ「レクター博士」な天才殺人鬼(名前忘れた)、彼こそがわたし的には「原作のレクター博士」ですよ……。
あ、『サイコメトラーEiji』ってたしか、ドラマもあったね。ジャニタレのプロモーション目的の。アレとは関係ない、原作の話ね。(原作は萌えがいっぱいです・笑)
とくこの『レッド・ドラゴン』では、レクター博士のじじいっぷりに違和感があった。
だって、シリーズの「最初の話」なんだよ? 映画第1弾の『羊たちの沈黙』より昔の話なんだよ?
なのに、『羊たち…』よりはるかにじじいのレクターなんて……。
『レッド・ドラゴン』はある意味、レクターとグレアムの恋愛モノなのにぃ。グレアムが美形なのはとーぜんとして、レクターもなんとかしてくれぇ……というのが本音だ。
グレアムは「レクターを逮捕した男」。犯罪者の心理を「想像」することによって、逮捕する捜査官。つまり、他の誰より「犯罪者に近い」ものをその心に秘めている。
グレアム自身は、ふつーに善良な良き社会人で良き家庭人なんだけど。そんな彼が、「レクター」を精神のどこかに飼っている……。だからこそレクターを逮捕することができたし、またレクターも彼に一目置いている。
こちら側とあちら側の戦い。正常と異常の戦い。
ふたりの天才の戦い。
……だからこそ、最高にスリリングで、エロティック。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』で、女性捜査官クラリスが、そのままグレアムの位置にいるように。ふつーなら、男と女で表現する類いのものを、『レッド・ドラゴン』では男同士でやっているのさ。
だからいいのにぃ。
アンソニー・ホプキンス……。
レクターとグレアムは、同世代でいてほしいのよ、せめて。レクターが年上なのはわかるが、ダブルスコアだとテーマが変わってくるじゃん。老練なじじいと、若造の戦いじゃないでしょ? 同じ場所に立つ男たちの戦いでしょ?
それだけが、かなしいのです。
映画はたのしかったです。はい。
レッド・ドラゴン側をほとんど描いている余裕がなかったのはわかるし、最低限の表現でうまくまとめていると思う。
びっくり系のサスペンスも適度に作用していました。へたに血まみれにしないあたりがセンスいいよね。
クライマックスの盛り上がりも、たのしかったよ。
エドワード・ノートンがイメージぴったりの繊細ないい男であるだけに、アンソニー・ホプキンスの醜いじじいぶりがかなしい……せめて彼が美老人ならばまだ……。
ま、腐女子のたわごとだけどな。
世間の評価は知らないんで。
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