その昔、緑野家のおたのしみは、梅田の紀伊國屋書店だった。

「今日は帰りに紀伊国屋に行こう」
 と父が言えば、家族全員が「やったー!」とよろこんだ。
 家族でおでかけした日、帰りに梅田の紀伊国屋に寄る。それが、お決まりのコースだった。

 入口を入るときに、父からおこずかいをもらう。大抵は1000円。クリスマスや誕生日など、特別のときは2000円のこともあった。
 もらったおこずかいは、紀伊国屋で自由に使っていい。どんな本を買ってもいいのだ。
 わたしも弟も母も、同じように1000円もらって、紀伊国屋に入っていった。
 待ち合わせは、1時間後。決められた時間の中で、本を探す。

 それが、緑野家のおたのしみだった。

 家族そろって、本が好きだった。
 紀伊国屋で何時間でも過ごせる連中だった。
 梅田での待ち合わせは、大抵紀伊国屋だった。
 店の中では、ほとんど顔を合わせることはない。母は彼女の本業のコーナーにいるし、わたしはSFやミステリ、あるいは絵本やアートのコーナーにいる。弟はどうやら歴史関係のコーナーにいるらしい。父は旅の本を見ている。
 たった1000円、されど1000円。なにを買おうか、足りない分は自分で出して……父にねだって、もう少し出してもらえないかな。あの画集が欲しいけど、どーしてああも高いんだろう……。

 まだ若かった両親と、子どもだったわたしたち姉弟にとって、大きな書店はとてもたのしめる場所だった。
 約束の時間ぎりぎりまで、好きな本を立ち読みして過ごしていた。
 そして、買った本を大切に小脇に抱え、4人そろって店を出るのだ。
 次に行くレストランで、自分たちが買った本をそれぞれ自慢するのだ。

 あれから何年経っただろう。
 もう、わたしたち家族は、そろって紀伊国屋に行くことはなくなった。
 わたしも弟も成人し、入口でおこずかいをもらわなくても、自分の稼いだお金で好きな本を買うようになったからだ。

 母から電話がかかってきた。
「今、父と千中にいるんだけど、中華街で一緒にごはん食べない?」
 わたしはいいけど、弟は? あいつはどうしてるの?
「自分の家にいるんじゃない? 今日休みだって言ってたから。ふたりで今すぐ千中まで来なさいよ。飲茶の食べ放題のところ、並んでるから!」
 今すぐって、アンタ……。わかったよ、行くよ。弟に連絡して、ふたりで千中をめざす。

 阪神優勝まで秒読みのニュースを尻目に、わたしたちは千中にたどりついた。
「今、千中に着いたとこ。んで、母たち今どこにいるの……」
 エレベータを待つわたしの横で、弟が母に電話をかけている。
「母たち、どこにいるって?」
「田村書店」
 電話を切った弟が言う。
 飲茶の店で並んでるんじゃ、なかったんかい。

 待ち合わせは、大型書店。
 なんか、昔みたいだね。家族4人顔を合わせたけど、またそれぞれ店内に散っていく。もちろんもう、おこずかいをもらったりは、しないけれど。

 今はわたしと弟は同一行動。ふたり並んでミステリだのゲーム雑誌だのをひやかす。……まさか、同じジャンルを読むようになるとは思わなかったよ、あのころは。
「そーいや京極の新刊が出たよなあ」
「何年ぶりよ? もう出ないかと思ってたよ」
 なんて会話をしながらな。
 母は自分の本業から離れ、山の本しか手に取らなくなってるし、父はあきっぽくすぐに坐り込みたがる。
 時は流れるのさ。
 18年前、猛虎とやらが大騒ぎしていたあのころは、緑野家はたのしく紀伊国屋で時間を過ごしていたよ。
 変わらないようで、変わっていくようで。

 それでもたぶん、紀伊国屋は我が家にとって、特別な場所でありつづけるだろうさ。

 

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