環境が人をつくるってこと?@雪組公演千秋楽
2003年9月29日 タカラヅカ 真夜中から、爆笑させてもらった。
タカラヅカ・デスクトップカレンダーのお誕生日メッセージ。
ええ、本日がわたくしのバースデーなもんでな。
去年は旅行中だったので見られなかったから、今年こそはと日付が変わるなり見てみたのよ。
えーと、トップスター+1の中から選んだ人ひとりの、お祝いメッセージが聞けるわけね。
元旦にトド様は一足先に聞いていたんで、今回はたかちゃんでした。
パーソナルカレンダーの表紙かな、これは。
ドレススーツ姿の男前なたかこ様の写真が現れ、音声が流れる。
おどろいたのは、いきなり歌い出したこと。
しかも男役の声で、まじめに歌ってやがるのよ。
「はっぴばーずでー、つー、ゆー。はっぴばーすでー、つー、ゆー。はっぴばーすでー、でぃあ、あなた〜。はっぴばーすでー、つー、ゆー。
……宙組の、和央ようかでした」
ヲイ。
これだけかいっっ!!
盛大につっこませていただきました。
トド様はたしか、真面目につまんないコメントしてたよねえ? あたりさわりのない、ふつーのお祝いの言葉を喋ってたよねえ?
なのにたかちゃんは、コレかい。
笑いました。
らしいというか、なんというか。
そして、我がパソコンの壁紙は、この美しいたかこ様になりました。
それまでずっと公演ごとに変えてきて(デスクトップカレンダーのふろく。公演ごとに新しい壁紙を配信してくれる)、『Romance de Paris』は論外だったので未だに『王家に捧ぐ歌』だったんだけどな。
いやあ、パソコン立ち上げるたびに、美しいたかこ様に見つめられるので、ときめきますわ(笑)。
ほんまにきれーなにーちゃんやなあ。感心するわ。
女としてはどーか知らんが、男としてはほんとに美青年だよね、たかこ。顔だけじゃなく、プロポーションも含めて。
☆
で、本日は雪組公演『Romance de Paris』の千秋楽。チープに1階A席で観劇。
友だちに会ったりなんだりで、けっこうばたばた。
それにしても、リカコンはほんとに余りまくってるみたいね……いったいどれほどの人に、余って困ってると言われたか。
今回は全体を見ることを心がけていたので、オペラグラス使わず。使ったのは唯一、ショーの聖歌隊だけ(笑)。せーこちゃんかわいー。
芝居はえらく熱演で、今まで観たより格段に良くなっていた。
脚本がダメなのは変わらないが、演技でずいぶん救われている。
そして、遠い座席から全体を眺めていると、たしかに美しい舞台だと思う。その美しさだけで、まあいいのか、という気分にもなる。
今日会った友人に、先日電話で作品のヘボさを嘆いたら「ヅカなんかに、いい作品を求める方がおかしい」てな言い方をされてしまったが、それはチガウと思うんだ。
わたしが求めているのは、ヅカとして「いい作品」だ。
たとえばライトノベルに、「こんなの現実にあるわけないわ! 男より強い女の子なんているわけないじゃない!」と怒るのが筋違いのよーなもので、そのジャンルであることを踏まえた上で、佳作を求めているんだ。
でも、彼女に作品としてのイロハな話や構成がどーのという話をしたら「そんな難しいことはわからない」と言われてしまったので、その話題は終了。すまんな、理屈屋で。
他の劇団でもなく、媒体でもなく、タカラヅカであるうえで、よい作品。
『王家に捧ぐ歌』なんかは、その代表みたいなもん。他のジャンルならあの歌唱力の低さは致命傷だし、脚本も演出も穴が多いだろうよ。
だがあの作品は、他のどの劇団であれ、テレビや映画などという他の媒体であれ、創り上げることのできない作品なんだ。
それが、「作品」というものだと思うんだ。代えがきかない存在。この世でただひとつ、オンリーワンの力。
わたしが欲しているのは、そーゆーモノだ。
『Romance de Paris』はたしかに、タカラヅカでしかできない舞台だと思う。
そこには、美しさしかない。
これで美しくなかったら、外部の男の人のいるふつーの劇団でやっていたら、救いのないただの駄作だ。今回以上に客は入らないだろう。
ロングコートを着てフェルト帽をななめにかぶってにやりと笑う、これだけですべてを帳消しにする美しさがないと、終わってる。
ヅカでしかあり得ない、はアリだと思う。だが、ヅカでしかあり得ないからって、それがヅカとして佳作というわけではないんだ。ほんと。
佳作になる要素はあるだろうに、それを手抜きとしか思えない具合にぶちこわしているからこそ、『Romance de Paris』はどーしよーもない駄作だ。
正塚晴彦、やる気あるのか。
今回いちばん見直したのは、コム姫だ。
わたしはずっと、コム姫には「姫」という先入観を持っている。真ん中に立つ人ではなく、脇でこそ輝く美形キャラ。アカレンジャーではなく、ミドレンジャー(アオレンジャーでさえない)。
たしかに、センターに立つ吸引力はないと思う。
ワタルくんなんかは、わたしの好み云々とは関係なく「真ん中にするしか能がない」と思う。脇にいられても、へたっぴで邪魔だからな。彼はセンターに立つと、実力を越えて輝き出す。それが持って生まれた華ってやつだろう。
コム姫にはそれを感じない。残念ながら。未だに、感じないんだ。
だけど今回は、見直した。歌は格段にうまくなっているし(それでも下手だけど・笑)、トップとして「見せる」ことを意識してそこにいることが、わかるからだ。
そして……楽の挨拶を聞きながら、「なんとも変な人やなあ」としみじみ思った。ひょうひょうとした、とらえどころのない人。
イメージとしては、「アタマのいいたかこ」みたいな(すまんな、たかこ・笑)。
ものすごくアタマのいい、しかも喋ることの「できる」挨拶だったので、おどろいたよ。
言うならば……「男前」だった。
あれえ? コム姫ったら、「姫」なのに、なんなのその男らしさは。
三兄弟の末っ子で、魔性の美少年やっていたときとは、明らかにチガウ?
感動的だったのは、カーテンコールのとき。
コム姫は退団者の牧勢海くんに、胸のピンマイクを貸してあげていました。
胸のピンマイクだよ。
つまり、コム姫の胸に固定されているマイク。
そのマイクで話すためには、牧勢くんはコム姫の胸に顔を埋めるよーにしなければ、なりません。
幕が上がるなり、牧勢くんが腰を折ってコム姫の胸に顔を押しつけているので、なにごとかと思った(笑)。
胸のマイクを貸してあげるトップスターなんて、はじめて見た……。
その男前な態度はナニ、包容力はナニ?
姫のくせに!(笑)
一皮むけたね、コム姫。
いつか、真ん中が似合うようになるのかな。
それはそれでいいんだけど、わたしの愛した魔性の美少年は消えてしまうんだね。
さみしいなあ。
☆
今年もまた、「1万人の第九」の季節がやってきた。
忙しい日だわ、いつものメンバーでいつもの場所でいつもの先生のもと、練習開始。
そしてまた、いつものよーに、ぜんぜん歌えません……進歩したい……。
タカラヅカ・デスクトップカレンダーのお誕生日メッセージ。
ええ、本日がわたくしのバースデーなもんでな。
去年は旅行中だったので見られなかったから、今年こそはと日付が変わるなり見てみたのよ。
えーと、トップスター+1の中から選んだ人ひとりの、お祝いメッセージが聞けるわけね。
元旦にトド様は一足先に聞いていたんで、今回はたかちゃんでした。
パーソナルカレンダーの表紙かな、これは。
ドレススーツ姿の男前なたかこ様の写真が現れ、音声が流れる。
おどろいたのは、いきなり歌い出したこと。
しかも男役の声で、まじめに歌ってやがるのよ。
「はっぴばーずでー、つー、ゆー。はっぴばーすでー、つー、ゆー。はっぴばーすでー、でぃあ、あなた〜。はっぴばーすでー、つー、ゆー。
……宙組の、和央ようかでした」
ヲイ。
これだけかいっっ!!
盛大につっこませていただきました。
トド様はたしか、真面目につまんないコメントしてたよねえ? あたりさわりのない、ふつーのお祝いの言葉を喋ってたよねえ?
なのにたかちゃんは、コレかい。
笑いました。
らしいというか、なんというか。
そして、我がパソコンの壁紙は、この美しいたかこ様になりました。
それまでずっと公演ごとに変えてきて(デスクトップカレンダーのふろく。公演ごとに新しい壁紙を配信してくれる)、『Romance de Paris』は論外だったので未だに『王家に捧ぐ歌』だったんだけどな。
いやあ、パソコン立ち上げるたびに、美しいたかこ様に見つめられるので、ときめきますわ(笑)。
ほんまにきれーなにーちゃんやなあ。感心するわ。
女としてはどーか知らんが、男としてはほんとに美青年だよね、たかこ。顔だけじゃなく、プロポーションも含めて。
☆
で、本日は雪組公演『Romance de Paris』の千秋楽。チープに1階A席で観劇。
友だちに会ったりなんだりで、けっこうばたばた。
それにしても、リカコンはほんとに余りまくってるみたいね……いったいどれほどの人に、余って困ってると言われたか。
今回は全体を見ることを心がけていたので、オペラグラス使わず。使ったのは唯一、ショーの聖歌隊だけ(笑)。せーこちゃんかわいー。
芝居はえらく熱演で、今まで観たより格段に良くなっていた。
脚本がダメなのは変わらないが、演技でずいぶん救われている。
そして、遠い座席から全体を眺めていると、たしかに美しい舞台だと思う。その美しさだけで、まあいいのか、という気分にもなる。
今日会った友人に、先日電話で作品のヘボさを嘆いたら「ヅカなんかに、いい作品を求める方がおかしい」てな言い方をされてしまったが、それはチガウと思うんだ。
わたしが求めているのは、ヅカとして「いい作品」だ。
たとえばライトノベルに、「こんなの現実にあるわけないわ! 男より強い女の子なんているわけないじゃない!」と怒るのが筋違いのよーなもので、そのジャンルであることを踏まえた上で、佳作を求めているんだ。
でも、彼女に作品としてのイロハな話や構成がどーのという話をしたら「そんな難しいことはわからない」と言われてしまったので、その話題は終了。すまんな、理屈屋で。
他の劇団でもなく、媒体でもなく、タカラヅカであるうえで、よい作品。
『王家に捧ぐ歌』なんかは、その代表みたいなもん。他のジャンルならあの歌唱力の低さは致命傷だし、脚本も演出も穴が多いだろうよ。
だがあの作品は、他のどの劇団であれ、テレビや映画などという他の媒体であれ、創り上げることのできない作品なんだ。
それが、「作品」というものだと思うんだ。代えがきかない存在。この世でただひとつ、オンリーワンの力。
わたしが欲しているのは、そーゆーモノだ。
『Romance de Paris』はたしかに、タカラヅカでしかできない舞台だと思う。
そこには、美しさしかない。
これで美しくなかったら、外部の男の人のいるふつーの劇団でやっていたら、救いのないただの駄作だ。今回以上に客は入らないだろう。
ロングコートを着てフェルト帽をななめにかぶってにやりと笑う、これだけですべてを帳消しにする美しさがないと、終わってる。
ヅカでしかあり得ない、はアリだと思う。だが、ヅカでしかあり得ないからって、それがヅカとして佳作というわけではないんだ。ほんと。
佳作になる要素はあるだろうに、それを手抜きとしか思えない具合にぶちこわしているからこそ、『Romance de Paris』はどーしよーもない駄作だ。
正塚晴彦、やる気あるのか。
今回いちばん見直したのは、コム姫だ。
わたしはずっと、コム姫には「姫」という先入観を持っている。真ん中に立つ人ではなく、脇でこそ輝く美形キャラ。アカレンジャーではなく、ミドレンジャー(アオレンジャーでさえない)。
たしかに、センターに立つ吸引力はないと思う。
ワタルくんなんかは、わたしの好み云々とは関係なく「真ん中にするしか能がない」と思う。脇にいられても、へたっぴで邪魔だからな。彼はセンターに立つと、実力を越えて輝き出す。それが持って生まれた華ってやつだろう。
コム姫にはそれを感じない。残念ながら。未だに、感じないんだ。
だけど今回は、見直した。歌は格段にうまくなっているし(それでも下手だけど・笑)、トップとして「見せる」ことを意識してそこにいることが、わかるからだ。
そして……楽の挨拶を聞きながら、「なんとも変な人やなあ」としみじみ思った。ひょうひょうとした、とらえどころのない人。
イメージとしては、「アタマのいいたかこ」みたいな(すまんな、たかこ・笑)。
ものすごくアタマのいい、しかも喋ることの「できる」挨拶だったので、おどろいたよ。
言うならば……「男前」だった。
あれえ? コム姫ったら、「姫」なのに、なんなのその男らしさは。
三兄弟の末っ子で、魔性の美少年やっていたときとは、明らかにチガウ?
感動的だったのは、カーテンコールのとき。
コム姫は退団者の牧勢海くんに、胸のピンマイクを貸してあげていました。
胸のピンマイクだよ。
つまり、コム姫の胸に固定されているマイク。
そのマイクで話すためには、牧勢くんはコム姫の胸に顔を埋めるよーにしなければ、なりません。
幕が上がるなり、牧勢くんが腰を折ってコム姫の胸に顔を押しつけているので、なにごとかと思った(笑)。
胸のマイクを貸してあげるトップスターなんて、はじめて見た……。
その男前な態度はナニ、包容力はナニ?
姫のくせに!(笑)
一皮むけたね、コム姫。
いつか、真ん中が似合うようになるのかな。
それはそれでいいんだけど、わたしの愛した魔性の美少年は消えてしまうんだね。
さみしいなあ。
☆
今年もまた、「1万人の第九」の季節がやってきた。
忙しい日だわ、いつものメンバーでいつもの場所でいつもの先生のもと、練習開始。
そしてまた、いつものよーに、ぜんぜん歌えません……進歩したい……。
コメント