たやすいことだ、愛すればいい。@王家に捧ぐ歌
2003年11月4日 タカラヅカ 私は父を愛していた。
私の父はやさしく寛大な人だった。
男らしく強い人だった。
多くの人に慕われ、また彼らの信頼に応えることのできる人だった。
私は父を尊敬していた。
ひとり娘の私は、父に愛され、かわいがられて育った。
父がいるからこそ、私たちの国は平和なのだと、私はずっと誇らしく思っていた。
父が王だからではない。父がすばらしい人だからこそ、私たちの国は保たれているのだ。
やさしさと強さは同義語だった。
父は強いからやさしい。やさしいから強い。
すべてを許容する、アフリカの大地のように。
強さとやさしさが同義語ならば。
そのどちらかを失ったとき、その人はどうなるのだろう?
父は、強さを失った。
私たちの国は敗北し、父も私も敵国の囚われ人となった。
殺されることはない。将軍の執り成しにより、わたしたち一家は処刑される代わりに、敵国で人質として暮らすことになった。
もう、父にはなんの権力もない。
強さを失った父は、やさしさも寛大さも失っていた。
「人は、自分のためになることしか、決して行わないものだ」
父は言う。
父があんなにやさしかったのは、男らしく魅力的だったのは、強かったからなのか。自分に余裕があったから、他人にもやさしくできただけのことなのか。
なにもかも失ったら。
持って生まれた権力も、成し得てきた業績も、本来の能力も全部奪われ禁じられてしまったら、人は変わってしまうのか。
魂のかたちが、剥き出しになるのか。
私は?
私もまた、そうなのだろうか。
なにもかも失い、自分の真の姿を見せつけられるときが来るのだろうか。
そして、あの人も?
「私を愛するなら、あなたはエジプトを捨てなければならない」
私は、私の恋人に言う。私の父にとって祖国とその王であることがすべてであるように、男性にとって国と地位は、私たち女性以上に重要なものであるはずだ。
できるはずがない。
私の父が、そうであるように。
権力を失い、やさしさを失った父。本来の魂のかたちが剥き出しになった父。
自分が幸福でないと、他人にやさしくできないひと。
王という立場が安泰なときには、父は偉大な人だった。
では、私の恋人は?
強国の将軍であり、王位を継ぐのも夢ではない地位にいる彼は?
彼がこれまであたりまえに持っていたものを、彼の価値観世界観をすべて失ったら、どんな姿になる?
……いやだ、そんなものは見たくない。
自分が幸福なら、他人にやさしくすることは可能だ。
自分が血を流し、死にかけているときに、他人を救うために立ち上がれるはずがないのと同じ。まず自分が自分の足で立っていなければ、いいことも悪いこともできはしない。
私の父は今、血を流し死にかけているのと同じだ。他人のことまで考えられない。自分が生き残ることだけを考えている。それがどうして責められるだろう。
私は責めたくはない。
だから恋人よ、あなたも私をあきらめて。あなたのあさましい姿を私に見せないで。
その勇ましく美しい姿だけを、私に焼き付けていて。
「あなたは私を見くびっているのか」
恋人は言う。
立場の変化で、想いが変わるはずがないと、彼は言う。
なにもかも失うことで、本来の魂のかたちが剥き出しになるとしても。
私たちが愛し求めたのは、魂そのものではなかったのか。
私たちには、いろんなものがたくさん取り巻いている。
国だとか立場だとか、人とのつながりだとか。
それらが、私たち個人を創り上げている。
そして、それらすべてを捨てたときに、本来の魂が浮かび上がる。
その、魂を求め合えるなら。
愛し合えるなら。
これほど、幸福なことはない。
もちろんそれは、ただの夢かもしれない。
恋ゆえに錯覚しているだけかもしれない。
ふたりで手に手を取って駆け落ちし、いざ見知らぬ土地で生活をはじめたら、後悔だけが満ちるのかもしれない。
私の恋人も私自身も、あさましく変わり果てるのかもしれない。
わたしの父のように。
だけど、信じたい。
魂のゆがみなど、相手への想いがあれば越えられるのだと。
「聞き出したか」
父は私に言う。失った権力を取り戻すために、父は娘の私を利用しようというのだ。私に、私の恋人から情報を聞き出せと。
「聞き出したわ」
私は言う。
恋人は、私を愛しているからすべてを捨てると言ったわ。
私も、恋人を愛しているからすべてを捨てると言ったわ。
ではお父様、あなたは?
私は、父を愛していた。
父は、私を愛していた。
信じさせて。
魂のゆがみなど、相手への想いがあれば越えられるのだと。
つづく
私の父はやさしく寛大な人だった。
男らしく強い人だった。
多くの人に慕われ、また彼らの信頼に応えることのできる人だった。
私は父を尊敬していた。
ひとり娘の私は、父に愛され、かわいがられて育った。
父がいるからこそ、私たちの国は平和なのだと、私はずっと誇らしく思っていた。
父が王だからではない。父がすばらしい人だからこそ、私たちの国は保たれているのだ。
やさしさと強さは同義語だった。
父は強いからやさしい。やさしいから強い。
すべてを許容する、アフリカの大地のように。
強さとやさしさが同義語ならば。
そのどちらかを失ったとき、その人はどうなるのだろう?
父は、強さを失った。
私たちの国は敗北し、父も私も敵国の囚われ人となった。
殺されることはない。将軍の執り成しにより、わたしたち一家は処刑される代わりに、敵国で人質として暮らすことになった。
もう、父にはなんの権力もない。
強さを失った父は、やさしさも寛大さも失っていた。
「人は、自分のためになることしか、決して行わないものだ」
父は言う。
父があんなにやさしかったのは、男らしく魅力的だったのは、強かったからなのか。自分に余裕があったから、他人にもやさしくできただけのことなのか。
なにもかも失ったら。
持って生まれた権力も、成し得てきた業績も、本来の能力も全部奪われ禁じられてしまったら、人は変わってしまうのか。
魂のかたちが、剥き出しになるのか。
私は?
私もまた、そうなのだろうか。
なにもかも失い、自分の真の姿を見せつけられるときが来るのだろうか。
そして、あの人も?
「私を愛するなら、あなたはエジプトを捨てなければならない」
私は、私の恋人に言う。私の父にとって祖国とその王であることがすべてであるように、男性にとって国と地位は、私たち女性以上に重要なものであるはずだ。
できるはずがない。
私の父が、そうであるように。
権力を失い、やさしさを失った父。本来の魂のかたちが剥き出しになった父。
自分が幸福でないと、他人にやさしくできないひと。
王という立場が安泰なときには、父は偉大な人だった。
では、私の恋人は?
強国の将軍であり、王位を継ぐのも夢ではない地位にいる彼は?
彼がこれまであたりまえに持っていたものを、彼の価値観世界観をすべて失ったら、どんな姿になる?
……いやだ、そんなものは見たくない。
自分が幸福なら、他人にやさしくすることは可能だ。
自分が血を流し、死にかけているときに、他人を救うために立ち上がれるはずがないのと同じ。まず自分が自分の足で立っていなければ、いいことも悪いこともできはしない。
私の父は今、血を流し死にかけているのと同じだ。他人のことまで考えられない。自分が生き残ることだけを考えている。それがどうして責められるだろう。
私は責めたくはない。
だから恋人よ、あなたも私をあきらめて。あなたのあさましい姿を私に見せないで。
その勇ましく美しい姿だけを、私に焼き付けていて。
「あなたは私を見くびっているのか」
恋人は言う。
立場の変化で、想いが変わるはずがないと、彼は言う。
なにもかも失うことで、本来の魂のかたちが剥き出しになるとしても。
私たちが愛し求めたのは、魂そのものではなかったのか。
私たちには、いろんなものがたくさん取り巻いている。
国だとか立場だとか、人とのつながりだとか。
それらが、私たち個人を創り上げている。
そして、それらすべてを捨てたときに、本来の魂が浮かび上がる。
その、魂を求め合えるなら。
愛し合えるなら。
これほど、幸福なことはない。
もちろんそれは、ただの夢かもしれない。
恋ゆえに錯覚しているだけかもしれない。
ふたりで手に手を取って駆け落ちし、いざ見知らぬ土地で生活をはじめたら、後悔だけが満ちるのかもしれない。
私の恋人も私自身も、あさましく変わり果てるのかもしれない。
わたしの父のように。
だけど、信じたい。
魂のゆがみなど、相手への想いがあれば越えられるのだと。
「聞き出したか」
父は私に言う。失った権力を取り戻すために、父は娘の私を利用しようというのだ。私に、私の恋人から情報を聞き出せと。
「聞き出したわ」
私は言う。
恋人は、私を愛しているからすべてを捨てると言ったわ。
私も、恋人を愛しているからすべてを捨てると言ったわ。
ではお父様、あなたは?
私は、父を愛していた。
父は、私を愛していた。
信じさせて。
魂のゆがみなど、相手への想いがあれば越えられるのだと。
つづく
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