男はいらない。@コールドマウンテン
2004年5月8日 映画
またしても、感想書くのすっかり忘れてた。いつ見たんだっけ。公開すぐに見たはずなんだが……日付忘れた。
なんか大作大作だと耳うるさく宣伝されている『コールドマウンテン』。
宙組『ファントム』の梅田の並びに参加した人なら、つい見たくなっちゃってるんじゃないかしら。
並んでる間中、阪急百貨店の動く看板を見せられていたわけだから。
わたしとキティちゃんは、なんとなーく『コールドマウンテン』の看板を見ながら、「見てみたいわねえ」って喋ってたよ。
監督・脚本アンソニー・ミンゲラ、出演ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー。
舞台はアメリカ、南北戦争。しかもヒロイン、エイダは南部のお嬢様ときた。嫌というほど(ほんとにもう嫌だ。二度と再演して欲しくない)『風共』を観せられてきたヅカファンとしては、連想するなという方が無理。まあともかく、そのお嬢様エイダ@ニコール・キッドマンと、村の青年インマン@ジュード・ロウは恋に落ちるなり、戦争によって引き離されてしまう。CMで謳っている通り、たった一度キスしただけだ。
勝っていればなんの問題もなかったんだろうけど、知っての通り南部は敗北するわけよね。敗色の濃い軍隊は悲惨。エイダに会うために、愛のために、インマンは軍を脱走する。
敗色の濃い南部の人たちの生活も悲惨。なにもできないお嬢様だったエイダは、ルビー@レニー・ゼルウィガーの助けを借りて、逞しく成長し、愛するインマンを待ち続ける。
ふたりの愛はどうなるのか? てな。
どーしても某植田理事長のまちがった日本語の台詞が脳内をかすめていくんだけど、それをのぞいていちばん気になったのは。
なんでこの役が、ニコール・キッドマンなんだろう?? ということだった。
えーと、当時のアメリカの未婚女性の年齢っつーのは、いくつぐらいが平均だったんでしょう。
たとえば日本では、いくら未婚でも、30過ぎて振り袖は着ないよね? 着てもいいけど、ちと恥ずかしいよね?
物語の中のエイダお嬢様がいくつなのかは、知らない。
しかし、彼女の着ているドレスも身につけている小物も、なんかものすっげー若いデザインに見えた。
それこそ、嫁入り前の箱入り娘が着て納得の衣装。実際エイダお嬢様は、嫁入り前の箱入り娘だ。
しかしニコール・キッドマンって……もう30を気前よく過ぎてるよねえ? たしか、わたしと同い年だったと記憶しているんだが。
30代半ばで、ぴちぴち世間知らず娘役ですか……。
それともエイダお嬢様は、やもめのパパの世話をして婚期を逃したオールドミス? 21世紀の現代なら、30代半ばで独身はめずらしくないけど、あの時代でそれって、かなり風当たりきつかったんじゃあ……?
でも、作中にはまったく、「この行き遅れめ」という表現はなかったよね。あるのはただ、「美しい適齢期のお嬢様」という扱いのみ。
30代半ばは適齢期で、日本でいう振り袖みたいな若いドレスを着ていても、いい時代だったのか……?
たしかに、ニコールはとても若い演技をしていた。ぴちぴちの10代の娘さんのように、恥じらったり微笑んだりしていた。
しかし。
しかし、30代だし。
10代には見えないよ。
いや、エイダの設定年齢は知らないけどさ。時代背景から推察して、少なくとも30代半ばじゃないだろう。
なんでニコール・キッドマンなんだろう。
もっと若い女優でもよかったのでは?
その方が、より「純愛」に見えたと思うんだけど……。
「純愛」と「反戦」の二本立て映画なので、落ち着きはあまりよくない。残酷シーンはけっこうリアルだが、恋愛部分はかなりおとぎ話的、というバランスの悪さ。
そしていちばんおもしろい部分が、世間知らずのお嬢様が、したたかな相方(女友だち)と共にたくましく地に足をつけて「生活」していくところにあるというのも、「純愛」「反戦」という二大テーマから微妙にはずれているんだよなー。
恋愛ぬきにして、「反戦」と「女の成長」ものにした方がよかったんじゃないかと思う。
それくらい、肝心の「恋愛」部分はおとぎ話的なお手軽さで誤魔化されていた。
てか主役のはずのインマン@ジュード・ロウ、いらないし。
「反戦」だけなら、エイダお嬢様の村の姿だけで十分表現できるよー。
そこで成長するエイダの姿を丁寧に描けば、インマンは名前だけの存在でいい。「戦争に行っている恋人がいる」という設定で、実際に顔も出ないし、登場もしない。イメージだけの存在。
エイダの手紙形式でナレーション入れて、愛する人へ語りかけながら、過酷な現実と戦い、成長していく様を描くの。恋人への愛が、彼女を支えているんだな、って感じで。
ルビーの台詞にあるように、戦争を起こしたのは男たち。そして男たちが降らせた雨にぬれるのは、女たちも同じ。
戦争という現実の中で、エイダをいちばん変えたのは恋人のインマンではなく、親友のルビーなんだもの。その時点ですでに、インマンがいらないってことよねえ。
本来、恋人の役目だよね、ルビーの役目は。
ヒロインを支え、甘えをぶっとばし、ともに成長する。
もちろん、同性の友人がその役割を担うのは、小気味よくていいけど。彼女の存在があざやかで力強いだけに、インマンの設定の薄さが致命傷となる。
ラストシーンも同じでいいよ。
ただ、最後までインマンは出なくていい。
村のバカ野郎どもとエイダ&ルビーが勇気と機知で戦い、勝利、そして一気に数年後、エイダ未亡人はインマンの忘れ形見を育てている、でいいよ。
ああ、インマンは生きて帰ったんだな、でも戦傷がもとで死んじゃったんだ、戦争は残酷だな、でいいじゃん。
と、思うくらいには、エイダとインマンの恋愛は、薄かったです。
いや、きれいなんだけどな、ニコール・キッドマン。かっこいいんだけどな、ジュード・ロウ。
美男美女の純愛、という設定はいいんだが、中身を伴わない話でした。
とにかく、いちばんたのしかったのは、エイダとルビーの関係だ。
男前なルビーと、彼女との出会いによって強くなっていくエイダが、見ていて気持ちよかった。ああルビー、すてきー。
なんか大作大作だと耳うるさく宣伝されている『コールドマウンテン』。
宙組『ファントム』の梅田の並びに参加した人なら、つい見たくなっちゃってるんじゃないかしら。
並んでる間中、阪急百貨店の動く看板を見せられていたわけだから。
わたしとキティちゃんは、なんとなーく『コールドマウンテン』の看板を見ながら、「見てみたいわねえ」って喋ってたよ。
監督・脚本アンソニー・ミンゲラ、出演ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー。
舞台はアメリカ、南北戦争。しかもヒロイン、エイダは南部のお嬢様ときた。嫌というほど(ほんとにもう嫌だ。二度と再演して欲しくない)『風共』を観せられてきたヅカファンとしては、連想するなという方が無理。まあともかく、そのお嬢様エイダ@ニコール・キッドマンと、村の青年インマン@ジュード・ロウは恋に落ちるなり、戦争によって引き離されてしまう。CMで謳っている通り、たった一度キスしただけだ。
勝っていればなんの問題もなかったんだろうけど、知っての通り南部は敗北するわけよね。敗色の濃い軍隊は悲惨。エイダに会うために、愛のために、インマンは軍を脱走する。
敗色の濃い南部の人たちの生活も悲惨。なにもできないお嬢様だったエイダは、ルビー@レニー・ゼルウィガーの助けを借りて、逞しく成長し、愛するインマンを待ち続ける。
ふたりの愛はどうなるのか? てな。
どーしても某植田理事長のまちがった日本語の台詞が脳内をかすめていくんだけど、それをのぞいていちばん気になったのは。
なんでこの役が、ニコール・キッドマンなんだろう?? ということだった。
えーと、当時のアメリカの未婚女性の年齢っつーのは、いくつぐらいが平均だったんでしょう。
たとえば日本では、いくら未婚でも、30過ぎて振り袖は着ないよね? 着てもいいけど、ちと恥ずかしいよね?
物語の中のエイダお嬢様がいくつなのかは、知らない。
しかし、彼女の着ているドレスも身につけている小物も、なんかものすっげー若いデザインに見えた。
それこそ、嫁入り前の箱入り娘が着て納得の衣装。実際エイダお嬢様は、嫁入り前の箱入り娘だ。
しかしニコール・キッドマンって……もう30を気前よく過ぎてるよねえ? たしか、わたしと同い年だったと記憶しているんだが。
30代半ばで、ぴちぴち世間知らず娘役ですか……。
それともエイダお嬢様は、やもめのパパの世話をして婚期を逃したオールドミス? 21世紀の現代なら、30代半ばで独身はめずらしくないけど、あの時代でそれって、かなり風当たりきつかったんじゃあ……?
でも、作中にはまったく、「この行き遅れめ」という表現はなかったよね。あるのはただ、「美しい適齢期のお嬢様」という扱いのみ。
30代半ばは適齢期で、日本でいう振り袖みたいな若いドレスを着ていても、いい時代だったのか……?
たしかに、ニコールはとても若い演技をしていた。ぴちぴちの10代の娘さんのように、恥じらったり微笑んだりしていた。
しかし。
しかし、30代だし。
10代には見えないよ。
いや、エイダの設定年齢は知らないけどさ。時代背景から推察して、少なくとも30代半ばじゃないだろう。
なんでニコール・キッドマンなんだろう。
もっと若い女優でもよかったのでは?
その方が、より「純愛」に見えたと思うんだけど……。
「純愛」と「反戦」の二本立て映画なので、落ち着きはあまりよくない。残酷シーンはけっこうリアルだが、恋愛部分はかなりおとぎ話的、というバランスの悪さ。
そしていちばんおもしろい部分が、世間知らずのお嬢様が、したたかな相方(女友だち)と共にたくましく地に足をつけて「生活」していくところにあるというのも、「純愛」「反戦」という二大テーマから微妙にはずれているんだよなー。
恋愛ぬきにして、「反戦」と「女の成長」ものにした方がよかったんじゃないかと思う。
それくらい、肝心の「恋愛」部分はおとぎ話的なお手軽さで誤魔化されていた。
てか主役のはずのインマン@ジュード・ロウ、いらないし。
「反戦」だけなら、エイダお嬢様の村の姿だけで十分表現できるよー。
そこで成長するエイダの姿を丁寧に描けば、インマンは名前だけの存在でいい。「戦争に行っている恋人がいる」という設定で、実際に顔も出ないし、登場もしない。イメージだけの存在。
エイダの手紙形式でナレーション入れて、愛する人へ語りかけながら、過酷な現実と戦い、成長していく様を描くの。恋人への愛が、彼女を支えているんだな、って感じで。
ルビーの台詞にあるように、戦争を起こしたのは男たち。そして男たちが降らせた雨にぬれるのは、女たちも同じ。
戦争という現実の中で、エイダをいちばん変えたのは恋人のインマンではなく、親友のルビーなんだもの。その時点ですでに、インマンがいらないってことよねえ。
本来、恋人の役目だよね、ルビーの役目は。
ヒロインを支え、甘えをぶっとばし、ともに成長する。
もちろん、同性の友人がその役割を担うのは、小気味よくていいけど。彼女の存在があざやかで力強いだけに、インマンの設定の薄さが致命傷となる。
ラストシーンも同じでいいよ。
ただ、最後までインマンは出なくていい。
村のバカ野郎どもとエイダ&ルビーが勇気と機知で戦い、勝利、そして一気に数年後、エイダ未亡人はインマンの忘れ形見を育てている、でいいよ。
ああ、インマンは生きて帰ったんだな、でも戦傷がもとで死んじゃったんだ、戦争は残酷だな、でいいじゃん。
と、思うくらいには、エイダとインマンの恋愛は、薄かったです。
いや、きれいなんだけどな、ニコール・キッドマン。かっこいいんだけどな、ジュード・ロウ。
美男美女の純愛、という設定はいいんだが、中身を伴わない話でした。
とにかく、いちばんたのしかったのは、エイダとルビーの関係だ。
男前なルビーと、彼女との出会いによって強くなっていくエイダが、見ていて気持ちよかった。ああルビー、すてきー。
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