最近認識を新たにしたのは、ある人の言葉によって。

 友人のクリスティーナ嬢が、にっこり微笑みながら言いましたのさ、

「緑野さんって、会うたびいつも、チガウ人の名前を言ってるよね」

 と。

 このチガウ人の名前、つーのは、タカラジェンヌのことだ。
 クリスティーナ嬢と会うのは年に数回ぐらいだが、彼女に言わせるとわたしは、毎回チガウ人に「きゃー、きゃー(はぁと)」言っている、らしい。

 ええええっ?!

 そ、そうか? そうかもしれんが……そうだと思うが……たしかにそうだけどっ。

 えー、つい先日まで、リアル界の緑野と会う機会があったならば、まちがいなく
「水くん素敵〜〜、アオ様〜〜、うっきゃあ〜」
 と、叫んでいる様を堪能できたと思われます。

 そして現在ならば、
「樹里たか萌え〜〜、ファントム万歳〜〜」
 とゆー状況です。

 
 つまり。

 気が多いんだ、わたしゃ。

 好きなモノがいっぱい、好きな人がいっぱい。
 いつもしあわせ。

 でもねでもね、浮気者ではないと思うの。
 本人は思っているの。

 何故ならば、好きな人はいっぱいいるけど、てゆーかどんどん増えていくけど、「いちばん好きな人」は変わらないから。

 「いちばん好きな人」がどーんと胸の奥にいるうえで、それは一切増減することないうえで、それ以外の部分で現在の萌えにきゃーきゃー言っている。……という。

 そしてわたしは、一度好きになった人は、一生好き。

 そのときだけ好きで、あとはどーでもいいとか、キライになるということが、まずない。
 一度でも心を捧げたからには、あとは一生です。一生、ずっと特別な位置にいます。

 だからわたしの好きなモノは、好きな人は、毎日増えていく。
 毎日なにかしら好きなモノが増え、毎日わたしはしあわせになる。

 生きる、ということは、しあわせになること。
 わたしはただ日々を生きるだけで、どんどんしあわせになる。

 
 気が多い、とは思う。
 でもそれは、しあわせなことだと思っている。

 ……わたしはね。
 ただ、わたしの気の多さを不快に思う人もいるんだろーなー、とは思う。
 好きな人はただひとりで、その人以外にはまったく心を動かさず、他の人を誉めたり好きだと言ったりするのは裏切り、誠実さがないと思う場合だって、あるんだろーなー、と。
 そういう人には申し訳ないが、わたしは気が多く、日々なにかしら好きなモノや人が増えているのだ。そして好きなことを好きだと萌えだと吠えずにはいられないのだ。

 
 にしても。
 そっか、クリスティーナさん、わたしそんなに、あなたに会うたび、別の名前を連呼してましたか……。ちと赤面。

 わたしの本命様は、いちおートドロキ様です。ファン歴平成の年の数と同じです。この人への気持ちはすでに恋ではなく、愛だとか情に近く、わたしを構成する一部にまでなっているので、あまり意識することすらありません。
 別格、と呼んでいます。

 トド様への気持ちがあまりに日常と化してしまったので、それとは別に、ふつーにヅカファンとしていちばん好きな人が、ケロちゃんです。
 だから通常、「誰のファンですか」と聞かれた場合、「ケロちゃんです」と答えます。
 彼への思いはふつーにファンモード全開で、波の高低はあるにしろ「恋(笑)」に近いモノだと認めています。ええ、認めていますとも! ケロちゃんラ〜ヴ。
 いつのころからか、彼がわたしのなかのいちばんに……ああ……恋は突然訪れる……(笑)。

 他の人にどれだけめろめろ(笑)になっていようと、この「別格様」と「いちばん好きな人」の位置は変わりません。
 これを前提とした上で、いつもわたしはいろーんなことやいろーんな人に、夢中になっています。

 ただわたしは、ジェンヌさん個人にはあまり興味がないので、あくまでも舞台の上の姿にめろめろです。
 だから三人称も「彼」さ。男役を女性だと認識する気ナシ。女性の声優さんが演じているアニメの少年キャラを「男性」と認識するのと同じ。
 ヴァーチャルをヴァーチャルだと理解した上で、たのしみまくるのです。ああ、毎日しあわせ。

 
 つーことで、この日記上でも、毎日のよーに別の名前を連呼して「萌え〜〜」と大騒ぎしていくと思います。

 名前を連呼しなくなっても、話題にのぼらなくなっても、一度好きだと思った人はずっと好きなんで、萌えの即時性がなくなったあともずっと好きだよ。
 「好き」と思うしつこさと、「好き」に対する許容量の多さには自信アリ(笑)。

 気が多くてすまん。しかしわたしはたのしい。

   

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