すべて一期一会だから。@NAKED CITY
2004年6月19日 タカラヅカ 花組『NAKED CITY』青年館千秋楽の話、つづき。
妄想を垂れ流しすぎて、本題を忘れてたね……そうなのよ、千秋楽なのよ。
わたし結局この作品、バウ初日を観て中日を観て千秋楽を観て、そのうえ青年館千秋楽まで観てるのよね。すごいわー。
初日と楽はお客のテンションがちがうから、コアでたのしいよね。客席にいるのがファンばかりだから、最初から熱気がチガウ。やる気満々の観客は、微笑ましい。
わたしがこの物語を好きだったのは、萌えがあったこともキャストが好きだったこともストーリーが破綻なく正しく収束していることももちろん要因なんだけど、いちばん大きな理由は、「快楽中枢に訴える作品」だったからだと思う。
千秋楽、「これでこの作品を観るのは最後なんだ」と泣きながら思った。
この作品を好きな要因はいくらでもあった。だがそれを凌駕して、作品自体の「作り」が「快感」だったんだ、わたしにとって。
齋藤吉正の最高傑作『花吹雪恋吹雪』を観たときに感じたものに、近い感覚だ(アレが最高傑作なのか、齋藤吉正。あんなに壊れきったバカ作品が最高? ……悲しいが現時点ではそうとしか言えない。泣)。
わたしは理屈をこねるのが好きだが、理屈を放棄して本能の欲求に従うことがある。
このシーンのここでこうなると気持ちいい。ここでこうライトが当たったら気持ちいい。ここで主題歌一発かましてくれたら気持ちいい。ここで盛り上げて決めポーズで終わってくれたら気持ちいい。
そんなふうに、ストーリーとか萌えとか関係なく、本能で感じる「気持ちよさ」があるんだ。
わたしのバイオリズムに、そーゆー欲求があるんだろう。他人がどうかは知らない。あくまでも、わたし限定だ。
そのわたしが「気持ちいい」と感じる五感効果をしてくれる作品。わたしの快感中枢を刺激してくれる演出。
それは理屈ではなく、ほんとーに「本能」の部分だと思うのよ。どんなに完成されたすばらしい作品であっても、そこを刺激されないことなんかあたりまえにあるからな。
『NAKED CITY』は、わたしのバイオリズムに合った。理屈を越えた部分で快感だった。
それをベースにしたうえで、ストーリーだとかキャラだとか萌えだとかがあったの。
もちろんそれは、『花恋吹雪』ほど強烈なものじゃなかった。アレは壊れきっている分、なりふり構わず萌えだけで押していたからな。
『花恋吹雪』や『血と砂』が快感だったのは、わたしの本能に訴え掛けるものがあったんだと思うよ。理屈では説明できない快感。アタマを空っぽにして、五感のみで酔う。極端な話、日本語以外で上演されていても、ストーリーラインさえ理解できていれば、酔えたと思う。それくらい、ふだんのわたしとは「別なところ」で気持ちいい作品だったわけだ。
……今のところ、純粋な「快感」という点に置いて、『花恋吹雪』を越える作品に出会ってない……。
(言うまでもないが、『花恋吹雪』はいちばん好きな作品ではない)
千秋楽、この作品と別れることにわたしは、ほんとうにかなしんでいた。
また、酔っていた。
最後の最後まで、「気持ちいい」と思っていた。
そして。
こころから、「必要だ」と思ったんだ。
わたしには、こーゆーものが必要なんだって。
食事や睡眠と同じように、わたしにはこの快感が、そして涙が必要なんだ。
こころがふるえないと、生きていけないよ。わーん。
ほんとーに気持ちよかったから、感謝の気持ちでいっぱいだった。
小柳先生、ゆみこちゃん、あすかちゃん、みわっち、まっつ、兄貴……キャストのみんなひとりひとり、この作品全部にありがとうって感じだった。
他人の評価は知らない。ただ、わたしにとってはものすげー気持ちいい作品だった。それだけでいいよ。わたしは幸福だ。
気の多いわたしは好きな生徒さんがいっぱいいるが、いわゆる「ご贔屓」のいない舞台だったにもかかわらず、酔わせてくれた。(これで「ご贔屓」が出ていたらえらいことになったろーな・笑)
この舞台で宝塚を卒業される幸美ねーさんにも、たくさんたくさん拍手があったよ。
わたしと幸美ねーさんの出会いは、舞台ではなく「トレカ」だったんだけどな(笑)。その昔、一度だけバンダイから発売された「宝塚歌劇トレーディングカード」、じつはわたし、けっこー真面目に蒐集してたんだが、そのときのダブリNo,1が幸美さんだったのよ……。当時は幸美さんを個別認識してなかったからさ、「誰よコレ。なんで毎回毎回この人のカードが出るの(怒)」と思っていたのよねー。
おかげで、忘れられない人よ。トレカ以来、舞台でも探すよーになったもんよー(笑)。
いい味出してるすてきな女役さん。いい舞台をありがとう。
カーテンコールのたびに、幕が下りる瞬間までマイペースに踊り続けるちはる兄貴に目頭を熱くしつつ。
わたしの「観たかった舞台」だった、と再確認したんだ。
妄想を垂れ流しすぎて、本題を忘れてたね……そうなのよ、千秋楽なのよ。
わたし結局この作品、バウ初日を観て中日を観て千秋楽を観て、そのうえ青年館千秋楽まで観てるのよね。すごいわー。
初日と楽はお客のテンションがちがうから、コアでたのしいよね。客席にいるのがファンばかりだから、最初から熱気がチガウ。やる気満々の観客は、微笑ましい。
わたしがこの物語を好きだったのは、萌えがあったこともキャストが好きだったこともストーリーが破綻なく正しく収束していることももちろん要因なんだけど、いちばん大きな理由は、「快楽中枢に訴える作品」だったからだと思う。
千秋楽、「これでこの作品を観るのは最後なんだ」と泣きながら思った。
この作品を好きな要因はいくらでもあった。だがそれを凌駕して、作品自体の「作り」が「快感」だったんだ、わたしにとって。
齋藤吉正の最高傑作『花吹雪恋吹雪』を観たときに感じたものに、近い感覚だ(アレが最高傑作なのか、齋藤吉正。あんなに壊れきったバカ作品が最高? ……悲しいが現時点ではそうとしか言えない。泣)。
わたしは理屈をこねるのが好きだが、理屈を放棄して本能の欲求に従うことがある。
このシーンのここでこうなると気持ちいい。ここでこうライトが当たったら気持ちいい。ここで主題歌一発かましてくれたら気持ちいい。ここで盛り上げて決めポーズで終わってくれたら気持ちいい。
そんなふうに、ストーリーとか萌えとか関係なく、本能で感じる「気持ちよさ」があるんだ。
わたしのバイオリズムに、そーゆー欲求があるんだろう。他人がどうかは知らない。あくまでも、わたし限定だ。
そのわたしが「気持ちいい」と感じる五感効果をしてくれる作品。わたしの快感中枢を刺激してくれる演出。
それは理屈ではなく、ほんとーに「本能」の部分だと思うのよ。どんなに完成されたすばらしい作品であっても、そこを刺激されないことなんかあたりまえにあるからな。
『NAKED CITY』は、わたしのバイオリズムに合った。理屈を越えた部分で快感だった。
それをベースにしたうえで、ストーリーだとかキャラだとか萌えだとかがあったの。
もちろんそれは、『花恋吹雪』ほど強烈なものじゃなかった。アレは壊れきっている分、なりふり構わず萌えだけで押していたからな。
『花恋吹雪』や『血と砂』が快感だったのは、わたしの本能に訴え掛けるものがあったんだと思うよ。理屈では説明できない快感。アタマを空っぽにして、五感のみで酔う。極端な話、日本語以外で上演されていても、ストーリーラインさえ理解できていれば、酔えたと思う。それくらい、ふだんのわたしとは「別なところ」で気持ちいい作品だったわけだ。
……今のところ、純粋な「快感」という点に置いて、『花恋吹雪』を越える作品に出会ってない……。
(言うまでもないが、『花恋吹雪』はいちばん好きな作品ではない)
千秋楽、この作品と別れることにわたしは、ほんとうにかなしんでいた。
また、酔っていた。
最後の最後まで、「気持ちいい」と思っていた。
そして。
こころから、「必要だ」と思ったんだ。
わたしには、こーゆーものが必要なんだって。
食事や睡眠と同じように、わたしにはこの快感が、そして涙が必要なんだ。
こころがふるえないと、生きていけないよ。わーん。
ほんとーに気持ちよかったから、感謝の気持ちでいっぱいだった。
小柳先生、ゆみこちゃん、あすかちゃん、みわっち、まっつ、兄貴……キャストのみんなひとりひとり、この作品全部にありがとうって感じだった。
他人の評価は知らない。ただ、わたしにとってはものすげー気持ちいい作品だった。それだけでいいよ。わたしは幸福だ。
気の多いわたしは好きな生徒さんがいっぱいいるが、いわゆる「ご贔屓」のいない舞台だったにもかかわらず、酔わせてくれた。(これで「ご贔屓」が出ていたらえらいことになったろーな・笑)
この舞台で宝塚を卒業される幸美ねーさんにも、たくさんたくさん拍手があったよ。
わたしと幸美ねーさんの出会いは、舞台ではなく「トレカ」だったんだけどな(笑)。その昔、一度だけバンダイから発売された「宝塚歌劇トレーディングカード」、じつはわたし、けっこー真面目に蒐集してたんだが、そのときのダブリNo,1が幸美さんだったのよ……。当時は幸美さんを個別認識してなかったからさ、「誰よコレ。なんで毎回毎回この人のカードが出るの(怒)」と思っていたのよねー。
おかげで、忘れられない人よ。トレカ以来、舞台でも探すよーになったもんよー(笑)。
いい味出してるすてきな女役さん。いい舞台をありがとう。
カーテンコールのたびに、幕が下りる瞬間までマイペースに踊り続けるちはる兄貴に目頭を熱くしつつ。
わたしの「観たかった舞台」だった、と再確認したんだ。
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