美しい物語を見た。

 ストーリー自体は目新しいものじゃない。むしろかなりお約束。展開もオチも全部読める。
 だからこれは、ストーリーをたのしむものではないんだな。

 うつくしいものを見よう。

 ありえない、と笑う前に。
 うつくしいものを見よう。

 
 『ビッグ・フィッシュ』、監督ティム・バートン、出演ユアン・マクレガー、アルバート・フィニー。

 エドワード@アルバート・フィニー(若いころはユアン・マクレガー)は語る。彼が出会ってきたさまざまなことを。魔女や巨人、そして村の伝説だった“大きな魚”のこと、不思議な村、サーカスでの生活、運命の恋。彼の物語はとてつもなくロマンチック。
 だけど彼の息子@ビリー・クラダップは信じない。嘘つきの父と理解し合えないままでいる。
 父の余命がわずかになったとき、息子は父に「真実」を求めるが……。

 
 万人に受ける映画ではないと思う。なんせありがち類型的。お約束のオンパレード。たんたんと同じテンションで短いエピソードが流れ、盛り上がりもなにもあったもんじゃない。
 ツボに合うかどうか。琴線に触れるかどうか。それだけにかかっている。

 わたしはツボりまくりだった。
 全編、泣きっぱなし。

 いいんだよ、もう。美しいんだから。
 美しいもの、ありえないもの、わたしの魂はもう汚れていて、決して自分では見ることはできないものを、こんなに遠くから憧憬に胸を焦がしながら眺めている。
 わたしは大人になってしまったウエンディで、もうピーターパンに会うことはできないの。そこにいても、見えないの。そして、見えないんだということを知っているの。
 いっそ知らなければ、幸福でいられたのに。
 今、痛みを抱きしめる。

 うつくしい物語を見た。
 息絶えようとする父親の枕元で、息子が語る父の最期。
 そのうつくしさ。
 たぶん、忘れられないシーンになる。あのうつくしさはわたしの中で発酵し、わたしの血肉の一部になる。

 映画を見ていると、ときどきあるよね。
 ツボに入りまくって、そのシーンだけ忘れられなくなるの。なにがどうじゃなく、ふと思い出してだーだー泣いちゃうよーな。
 わたしは泣くのが得意だから、いつでもどこでも1・2・3、ハイ、で泣き出せるんだが、そーゆーときに思い出すシーンになると思う。『ビッグ・フィッシュ』の父と子の湖のシーンは。

 映像というすばらしさを思う。
 映像には、映像でしか表現できないものってあるよね。
 わたしは「〜〜でなければならない」ものが好き。代用の利くものは尊敬できない。
 この映画の映像の力を素直に感嘆するよ。文字や台詞で語るすべを持たない映像の饒舌さ。

 うつくしい物語を見たよ。
 陳腐なんだけどね。ストーリーなんか、最初から全部予想がつくよ。思った通りにすすんで、思った通りのオチで、なにも裏切られずに終わってしまうよ。
 だけどそれは、うつくしいんだ。
 とてつもなく、美しい物語なんだ。

 そして。
 このうつくしい物語を、うつくしいと思える自分でよかったと思うんだ。

       

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