いいかげん、溜まっている映画の感想書かないと、忘れるわ。この日記ってばタカラヅカ優先なんで、映画の話はどんどん後回しになっていく(笑)。

 
 『21グラム』、監督・製作アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、出演ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ。

心臓移植手術を受けないと1カ月の命という大学教授のポール@ショーン・ペン、夫とふたりの娘としあわせに暮らすクリスティーナ@ナオミ・ワッツ、前科者だが宗教と家庭の力を借りて更生中のジャック@ベニチオ・デル・トロ。
 みっつの人生が、ひとつの交通事故によって結びついた。
 夫と娘たちを一瞬で失ったクリスティーナ、事故を起こしたことにより生活を失ったジャック、そして、クリスティーナの夫の心臓を得ることによって生命を得たポール。
 人生は結びついてもいいが、実際に会ってはいけない被害者と加害者、ドナーとレシピエントが出会うことで、物語はさらにすすむ。

 
 タイトルの「21グラム」っつーのは、ひとが死んだときに減る重さだそうだ。
 もちろんそれはきっと、臓器が伸縮するとか乾燥するとかなにか、科学的な理由のある現象なんだと思う。たぶん。
 だけど……。
 それを「魂の重さ」だと思うセンチメンタルさが「人間」ってやつだと思う。思うよ。

 とことん痛い物語。
 誰が悪いわけでもなく、日常にありえる出来事を、時系列ばらばら視点ばらばらで畳み掛けるよーにサスペンス調に描いてある。

 時系列ばらばらだから、謎とせつなさが押し寄せてくるのね。
 幸福なクリスティーナの姿と、すべてを失ったあとの彼女、なにが起こるのか、不幸になる未来を断片的に知りながら、行き着く先は見えない。
 悲劇の予感があるからこそ、幸福に微笑む彼女がせつない。かわいらしい幼い娘たち、やさしそうな夫。ねえ、死んじゃうの? こんなにしあわせそうなのに? べつに、ものすごく恵まれてるとかじゃなくて、ふつうに、わたしやあなたが笑っている、そんな感じの彼女が?

 被害者のクリスティーナもせつないし、加害者のジャックもせつない。彼には彼の生活があり、愛する家族がある。好きで罪を犯すわけじゃない。取り返しのつかない過失。償いと真正面から向かい合う男。
 ジャックの妻が、自首ではなくバックレることを真剣に願うのもまた、せつないね。自首しないでくれ、どんなに卑劣でも、このままなかったことにしてくれ、そしてここにいてくれ。ここ--家庭。息子と娘の父親でいてくれと。赤裸々な欲望がかなしい。
 失いたくないから。大切な人を。

 そして、クリスティーナとジャック、ふたりの不幸のうえに、生命をながらえた男、ポール。
 他人の不幸を前提にしてある、自分の存在。そのことに苦悩する男。

 ポールがクリスティーナに近づくのは、わかるのよ。
 クリスティーナが立ち直り、幸福にしていてくれればいい。でも、不幸なままでいたら? 黙ってなんかいられないだろう。
 彼女が不幸なのは、彼の責任ではないけれど。
 でも、自分の生命が彼女の不幸の上に成り立っていることを、知っているのだから。
 放ってはおけない。

 まちがってるけどね。

 正誤は関係ないから。

 ありえないはずの男と女。
 あってはならない恋。
 ……恋ではなかったかもしれない。そんなロマンチックでプラスの衝動を持つ感情ではなかったかもしれない。
 それでも、クリスティーナとポールは、愛し合って。

 
 いったいこの物語はどこへ行くんだろう。
 てゆーか、終わりも決着もないだろ。

 人生が、つづくように。

 痛みに満ちた日々の中で、幾度となく繰り返される台詞。

「それでも、人生は続いていく」

 最後、物語が映画の冒頭のシーンにようやくたどりつくときに、感じているのは「希望」だった。
 これほどせつなくて、痛い物語なのに、ストーリーだけなぞっていたら、暗くて重くて救いのない話なのに。

 それでも、残るのは希望なんだ。

 苦しくない人なんかいない。かなしくない人なんかいない。わたしも苦しい。あなたもかなしい。
 それでもわたしたちは、生きていく。
 わたしはわたしの、あなたはあなたの痛みを背負って、それでも生きていく。

 生きることの、よろこびを抱きしめて。

 背中に絶望。胸に希望。
 矛盾をやどしながら、それでもわたしたちは歩いていくんだ。

 
 とか、そーゆー気持ちになる物語。

 痛くてかなしくて、いい映画だー。しみじみ。

         

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