年に一度、母と腕を組んで歩く。@淀川花火大会
2004年8月3日 家族 あれは、いくつのときだったろう。
今はなき水都祭で、わたしと友人のぺーちゃんは、橋を渡った。
水都祭。
淀川河川敷で開催された、花火大会。豊里大橋付近が会場。
規模はけっこー大きかった。
ただ、交通の便がとても悪かったんだよなー。遠方の者は来るな、ご近所限定、てか。
わたしはいつも、自転車に乗って行っていた。
いつだったか、車で行ったらひどいめに遭ったからな(大きなイベントに車で行くのは無謀です。渋滞で動けないっつの)。
水都祭があったころ、わたしとぺーちゃんはいつもいつも、ふたりで花火を見に行った。
だだっぴろい河川敷で、屋台で買ったフランクフルトを囓りながら、ふたりで並んで花火を眺めた。
花火は大きくて、豪華で、とても美しかった。
花火が終わったあとの帰り道、豊里大橋の上でわたしたちはふと、思ったんだ。
「ねえ、わざわざ橋の向こうからこっちにやってくる人がこんなにいるってことは、向こう岸の方が眺めがいいってことなのかなあ?」
花火が終わったあとに、橋を渡ってくる人ってのは、橋のこちら側に住んでいる人たちだよね。こちら側の岸でも花火はよく見えるし屋台もにぎやかだし、なんの問題もないのに、わざわざこの巨大な橋を徒歩で渡ってまで、向こう岸に行っていた、ということは。
「来年は、向こう岸まで行ってみる?」
大きな大きな橋。
徒歩で渡りたいとは、まず思わない橋。
わたしたちの住む側の眺めで満足して、外側の世界になんかなんの興味もなかった、若かったころのわたしたち。
そしてその翌年、わたしたちは、橋を渡った。
自転車はこちら側のいつもの場所に停めて。徒歩で、橋を渡った。
向こう岸だからって、べつになにも変わらないよねえ。
人がいっぱいで、屋台がいっぱいで。橋を渡った分、疲れたなーって感じ?
そう思っていたのは、実際に花火が上がったときに、吹き飛んだ。
花火は、真上だった。
頭の上に、花火があった。
炎の花が、花びらが、きらめきながら降ってくる。
視界のすべてが、花火だった。
360度の丸いお椀のような宇宙全体に、花が咲いていた。
わたしもぺーちゃんも、口を開けたまま、真上を見ていた。
こんな大きな花火を見たことがない。
花火って、こんなに大きかったんだ?
近くで見ると、真上になるんだ?
知らなかった。
知らなかったよ。
何年も何年も、自分の岸で満足していたよ。こんなに大きな花火を知らずにいたよ。
そこに橋があることさえ、気づいてなかったんだ。
あの花火が、忘れられない。
わたしにとっての花火は、きっと一生あのときの花火なんだろう。
降ってくる。
手を伸ばすと、花びらをつかめそうだ。
大きな花火、包み込むような光のシャワー。
その下にいる、若かったわたしとぺーちゃん。
あれから何年経ったかわからない。いつの間にか水都祭はなくなり、北大阪の花火と言えば、淀川花火大会のことになった。
淀川花火大会もそりゃー華やかだ。豪華だ。
今年もまた、わたしは母とふたり、ケンカしいしい出かけたさ(なんで母はああもわたしを怒らせるのがうまいんだろう)。
毎年新作花火が披露され、その独創性や技術の高さに舌を巻く。毎年新作、って、すごいことだよねえ、花火のパターンなんてもう頭打ちかと思うのに、それでもなにかしら新しいものを創ってくるんだから。
こんなにすばらしい花火大会なのに。
180度の円形スクリーンを見ているかのよーに、天頂まで花火なのに。
たぶん、技術的にも格段と進歩しているだろうに。
わたしにとっての「花火」は、大昔にぺーちゃんと見た、あの花火なんだ。
頭上全部を埋め尽くしていた、「わたしの上に降ってくる」花火なんだ。
しかし今年から「有料席」ができたんだね、淀川花火大会。
一部を有料にするのは構わないが、わざわざ高い幕を張って、無料空間の視界を妨げるのはどうよ。
今まで無料だった場所で金を取るだけでは足りず、金を出さない人間のために遮蔽物をわざわざ造って、「ほら、そこだと見えないでしょ? 見たかったら金を出しなさい」とやるのは、ものすげーことだと思うよ。
映画館で言うなら、通常料金席の前に手すりを造って、「手すりが邪魔で映画がよく見えないでしょ? 特別料金を払って、指定席に坐ればよく見えますよ」とやっているよーなもんだよねえ。
いちばん見やすい場所を有料にするくらいは別に構わないよ。不景気だから、金がいるんだろうよ。そして、花火大会っちゅーのは、小細工しなくてもちゃんと有料席が売れるもんさ。人出がものすごいことぐらい、誰でも知ってるから、わずかな金で快適を買う人がいっぱいいるんだよ。
なのにわざわざ、遮蔽物を金を出して造るなよ。
わたしたち土手に坐って見たから、そんな幕なんか障害にならなかったけどさ。例年通り河川敷で見た人たちは、水上花火が見えなかったんじゃないかな。
小雨がぱらついていたし、風もあったのでとても涼しい花火大会だった。
あれくらいの雨、わたしにはまったく問題なかったので、いいんだけど。
残念だったのは、観覧席が風下だったこと。
こればっかは、運だよねえ。
花火は、風上で見たいよ。
風下だと煙が邪魔で花火が見えにくいんだもの。
来年はわたしたちの後ろから風が吹きますように。
「んで来年は、アイゼン履けばいいんじゃないかな」
「そうか、アイゼンか!!」
土手はかなり急な斜面。見晴らしは最高だったのだが、そこに坐っているのはけっこー大変だった(笑)。
足場があればいいな、ということで、来年は杭と金槌でも持っていくか、とか話してたんだけど。
それよりもっといいものがあるじゃん。
アイゼン−−登山用品の、鉄かんじき。
氷雪上を歩行するための器具。
「わたしは6つ爪のアイゼンを履くから、アンタには4つ爪のを貸してあげるわ」
と、母は鼻高々。
ふつーの家庭には、アイゼンってふつーにあるもんなんすかね?
我が家では、冬場はあったりまえに茶の間にぶらさがってたりしますが(母が雪山登山したあと、洗って干しているから)。
来年は、アイゼン履いて花火大会。
今はなき水都祭で、わたしと友人のぺーちゃんは、橋を渡った。
水都祭。
淀川河川敷で開催された、花火大会。豊里大橋付近が会場。
規模はけっこー大きかった。
ただ、交通の便がとても悪かったんだよなー。遠方の者は来るな、ご近所限定、てか。
わたしはいつも、自転車に乗って行っていた。
いつだったか、車で行ったらひどいめに遭ったからな(大きなイベントに車で行くのは無謀です。渋滞で動けないっつの)。
水都祭があったころ、わたしとぺーちゃんはいつもいつも、ふたりで花火を見に行った。
だだっぴろい河川敷で、屋台で買ったフランクフルトを囓りながら、ふたりで並んで花火を眺めた。
花火は大きくて、豪華で、とても美しかった。
花火が終わったあとの帰り道、豊里大橋の上でわたしたちはふと、思ったんだ。
「ねえ、わざわざ橋の向こうからこっちにやってくる人がこんなにいるってことは、向こう岸の方が眺めがいいってことなのかなあ?」
花火が終わったあとに、橋を渡ってくる人ってのは、橋のこちら側に住んでいる人たちだよね。こちら側の岸でも花火はよく見えるし屋台もにぎやかだし、なんの問題もないのに、わざわざこの巨大な橋を徒歩で渡ってまで、向こう岸に行っていた、ということは。
「来年は、向こう岸まで行ってみる?」
大きな大きな橋。
徒歩で渡りたいとは、まず思わない橋。
わたしたちの住む側の眺めで満足して、外側の世界になんかなんの興味もなかった、若かったころのわたしたち。
そしてその翌年、わたしたちは、橋を渡った。
自転車はこちら側のいつもの場所に停めて。徒歩で、橋を渡った。
向こう岸だからって、べつになにも変わらないよねえ。
人がいっぱいで、屋台がいっぱいで。橋を渡った分、疲れたなーって感じ?
そう思っていたのは、実際に花火が上がったときに、吹き飛んだ。
花火は、真上だった。
頭の上に、花火があった。
炎の花が、花びらが、きらめきながら降ってくる。
視界のすべてが、花火だった。
360度の丸いお椀のような宇宙全体に、花が咲いていた。
わたしもぺーちゃんも、口を開けたまま、真上を見ていた。
こんな大きな花火を見たことがない。
花火って、こんなに大きかったんだ?
近くで見ると、真上になるんだ?
知らなかった。
知らなかったよ。
何年も何年も、自分の岸で満足していたよ。こんなに大きな花火を知らずにいたよ。
そこに橋があることさえ、気づいてなかったんだ。
あの花火が、忘れられない。
わたしにとっての花火は、きっと一生あのときの花火なんだろう。
降ってくる。
手を伸ばすと、花びらをつかめそうだ。
大きな花火、包み込むような光のシャワー。
その下にいる、若かったわたしとぺーちゃん。
あれから何年経ったかわからない。いつの間にか水都祭はなくなり、北大阪の花火と言えば、淀川花火大会のことになった。
淀川花火大会もそりゃー華やかだ。豪華だ。
今年もまた、わたしは母とふたり、ケンカしいしい出かけたさ(なんで母はああもわたしを怒らせるのがうまいんだろう)。
毎年新作花火が披露され、その独創性や技術の高さに舌を巻く。毎年新作、って、すごいことだよねえ、花火のパターンなんてもう頭打ちかと思うのに、それでもなにかしら新しいものを創ってくるんだから。
こんなにすばらしい花火大会なのに。
180度の円形スクリーンを見ているかのよーに、天頂まで花火なのに。
たぶん、技術的にも格段と進歩しているだろうに。
わたしにとっての「花火」は、大昔にぺーちゃんと見た、あの花火なんだ。
頭上全部を埋め尽くしていた、「わたしの上に降ってくる」花火なんだ。
しかし今年から「有料席」ができたんだね、淀川花火大会。
一部を有料にするのは構わないが、わざわざ高い幕を張って、無料空間の視界を妨げるのはどうよ。
今まで無料だった場所で金を取るだけでは足りず、金を出さない人間のために遮蔽物をわざわざ造って、「ほら、そこだと見えないでしょ? 見たかったら金を出しなさい」とやるのは、ものすげーことだと思うよ。
映画館で言うなら、通常料金席の前に手すりを造って、「手すりが邪魔で映画がよく見えないでしょ? 特別料金を払って、指定席に坐ればよく見えますよ」とやっているよーなもんだよねえ。
いちばん見やすい場所を有料にするくらいは別に構わないよ。不景気だから、金がいるんだろうよ。そして、花火大会っちゅーのは、小細工しなくてもちゃんと有料席が売れるもんさ。人出がものすごいことぐらい、誰でも知ってるから、わずかな金で快適を買う人がいっぱいいるんだよ。
なのにわざわざ、遮蔽物を金を出して造るなよ。
わたしたち土手に坐って見たから、そんな幕なんか障害にならなかったけどさ。例年通り河川敷で見た人たちは、水上花火が見えなかったんじゃないかな。
小雨がぱらついていたし、風もあったのでとても涼しい花火大会だった。
あれくらいの雨、わたしにはまったく問題なかったので、いいんだけど。
残念だったのは、観覧席が風下だったこと。
こればっかは、運だよねえ。
花火は、風上で見たいよ。
風下だと煙が邪魔で花火が見えにくいんだもの。
来年はわたしたちの後ろから風が吹きますように。
「んで来年は、アイゼン履けばいいんじゃないかな」
「そうか、アイゼンか!!」
土手はかなり急な斜面。見晴らしは最高だったのだが、そこに坐っているのはけっこー大変だった(笑)。
足場があればいいな、ということで、来年は杭と金槌でも持っていくか、とか話してたんだけど。
それよりもっといいものがあるじゃん。
アイゼン−−登山用品の、鉄かんじき。
氷雪上を歩行するための器具。
「わたしは6つ爪のアイゼンを履くから、アンタには4つ爪のを貸してあげるわ」
と、母は鼻高々。
ふつーの家庭には、アイゼンってふつーにあるもんなんすかね?
我が家では、冬場はあったりまえに茶の間にぶらさがってたりしますが(母が雪山登山したあと、洗って干しているから)。
来年は、アイゼン履いて花火大会。
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