言葉の裏側を読むなんてこと、知らなかった。
 微笑んでいる人は、たのしかったりうれしかったりしているのだろうと思っていたし、親切にしてくれる人はやさしい人なのだと思い込んでいた。

 私は子どもだった。

 カルロッタが私を陥れようと画策していたなんて、夢にも思わなかった。
 やさしく微笑みながら、その裏で爪を研いでいたなんて知らなかった。そんな感情があることさえ、想像したこともなかった。
 先生−−エリックからそのことを聞かされても、私はほんとうのところ、理解できずにいた。カルロッタの笑顔ややさしい言葉のひとつひとつが、全部嘘だったなんて。人が、そんなふうに嘘をつくなんて。私には、理解できない。

 私がそう言うと、エリックはおどろいたように、やさしく笑った。
「そんな君だから放っておけない。君のことは、僕がここで守る」
 そう言ってくれた。

 ここ……オペラ座の地下。闇の満ちた異世界。
 彼はここで育ったのだという。

 外の世界を知らない彼は、無邪気に自分の領地を案内する。森に湖、木々や鳥たち、そしてお城。どれも私の目には彼が言うようなすばらしいものには映らない。いびつで奇妙なものたちに見える。
 たとえて言うなら、子どものころにした「ごっこ遊び」だろうか。掘っ立て小屋をお城に見立てたり、積み上げた薪を山に見立てたりして遊んだ。ひっくり返したテーブルを海賊船だと信じてみんなで乗り込んだり、箒の馬に乗って野を駆けた。……あの感じだった。
 偽りのお城にいる彼は、大きな子どもだった。本物の森も湖も知らない、あわれな少年だった。

 違和感があった。
 私はたしかに世間知らずな子どもだけど、それでも「おかしい」と感じることはできた。
 エリックは、おかしい。
 知り得た事実と、真実の間に齟齬がある。

 エリックの生い立ちは聞いた。オペラ座の元支配人キャリエールさんから、全部聞かされた。
 彼がどうやって生まれ、何故オペラ座の地下に住んでいるのか。
 キャリエールさんが、彼の実の父だということも。
 
 こみあげる違和感を押し隠し、私はエリックに懇願した。仮面を取り、素顔を見せて欲しいと。
 彼はその醜さゆえにいつも仮面をつけ、オペラ座の地下でしか生きることができないでいる。真実彼を愛し、共に生きるなら、彼の醜い素顔をも愛さなければならない。
 キャリエールさんは無理だと言った。それほどエリックは醜いのだと。エリックから逃げるようにと、私を説得し続けていた。

 私はそれに反し、ここにとどまることを選んだ。エリックを愛することを選んだ。
 どれほど彼が醜いとしても、私の愛が揺らぐことはない。
 だからどうか素顔を見せて。

 私の願いを聞き、愛を信じ、エリックはついに仮面をはずした。

 ずっと隠されていた、彼の素顔。
 その顔は…………。

 たしかに、痣はあった。顔の右半分に、痛ましい引きつれたような痣がある。
 でもそれは、私が想像していたほどの致命的な醜さでもなかったし、おぞましさもなかった。

 むしろ彼は、美しかった。
 肖像画で見る彼の母親の美貌を正しく受け継ぎ、父親であるキャリエールさんの端正さを正しく受け継いだ、美しい青年だった。

 そのとき私は、すべてを悟った。

 私の喉からは、悲鳴が漏れていた。
 拒絶が音となり、表情となっていた。

 言葉の裏側を読むなんてこと、知らなかった。
 私は子どもだった。
 あまりにも、子どもだった。

 何故エリックは、オペラ座の怪人にならなければならなかったのか。

 人としてのよろこびもたのしみもすべて奪われ、こんないびつな地下でいびつな世界で育たねばならなかったのか。

 とりたてて醜いわけでもないのに、「醜い」と信じ込まされ、苦悩と慟哭のなかにいなければならなかったのか。

 
 すべては、ひとの心ゆえだ。
 欲望ゆえだ。

 ジェラルド・キャリエール。
 やさしく温厚な紳士。多くの人から頼られる人格者。
 私のことを心配し、親身になってくれた人。

 それは全部、偽りだった!

 周到な陰謀。
 キャリエールさんは、仕方なくエリックをここに閉じこめたんじゃない。父親が息子にそんなことをするなんておかしい。いくら顔に痣があるからって、親だと名乗りもせずにただ閉じこめるなんて、ありえない。オペラ座の怪人伝説を作って人を遠ざけるなんて、バカげている。
 第一、地下に幽閉しなければいけないほどの醜さって? どれほど醜ければ、そんなことがまかりとおるの?
 感じていた、違和感。
 事実と真実の間の齟齬。

 それは陰謀。

 キャリエールさんは、エリックを独占したかったんだ。

 愛する女性そっくりの息子。
 神に背く愛だから、地上では成就できない。
 ならば、神の光の届かない場所で。
 誰にも邪魔されず、誰の目にも触れさせず、禁忌も法律も倫理もなにも教えず知らせず、その存在を独占する。

 やさしい顔をして。親切なふりをして。
 私のことを心配するふりをして。
 ほんとうは、私を遠ざけたかったんだ。
 エリックから。

 私は悲鳴を上げる。止まらない。
 こわい。こわい。こわい。

 いったい何年、ここにいたの、エリック。こんなおぞましいかなしい場所に閉じこめられていたの。
 父親であるはずの男の、エゴによって。

 ひとりの男の、あまりにも歪んだ愛が、こわくて私は悲鳴を上げた。
 逃げ出した。
 夢中で走った。
 泣きながら、走った。

 言葉の裏側を読むなんてこと、知らなかった。
 私は子どもだった。
 あまりにも、子どもだった。

 こんなに恐ろしくも悲しい愛があることを、知らなかった。


          ☆

 よーやく宙組東宝公演『ファントム』を観てきました。ふふふ、感動直撃の1階3列目〜。

 『ファントム』に関してはわたし、これまであまりに萌えが先行していたので、冷却期間をおいてこうして改めて鑑賞しますと、とても新鮮でございました。
 作品というか、演出に文句は山ほどある。キャストの配役や配分についても文句は山積みだ。
 キャラ萌えだけで全部ごまかされるよーなもんじゃない。

 それでも。

 この作品は、わたしをときめかせる。

 思わず『パッサージュ』を観たくなってしまう、最後のデュエットダンスで(『パッサージュ』でトド様が地響きみたいな声で歌っていた曲だよねえ?)、なんか涙が出たよ。
 あまりに、美しくて。
 ダンスの技量がどうとかいう話ではなくて。
 宝塚の男役と娘役、その美しさに涙が出たんだ。

 日本刀とかさ、実用を極めるがゆえに実用を超えた美を持つものがあるじゃん。
 アレなんだわ。

 たかちゃんと花ちゃんは、この世で夢を見させてくれる存在なんだ。タカラヅカという存在なんだ。

 踊るふたりは美しい。
 その美しさがわたしをときめかせ、また癒す。

 美しい。美しいよお。どきどきして、しあわせだよお。
 このどきどきが、泣けてくるくらいの感動が、またわたしを幸福にするよお。

 うつくしいものは、こんなにも力を持つ。
 ひとを、救う。しあわせにする。

 それは、すごいことだ。
 すごいよなあ。
 なんかもー心から、しみじみ思ったよ……。

 あー、もう文字数がない……つづくー。

     

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