**に付ける薬なし。@花舞う長安
2004年11月26日 タカラヅカ やっぱりバカなんだな、酒井。
と、とてもシンプルに思った。
星組東宝初日。『花舞う長安』を観て。
期待していたわけではなかったけど、あの駄作『花舞う長安』は、東宝でも改稿されてなかった。
そもそも「物語」として成り立っていない、これを「ストーリー」だと言ってしまったら世界への冒涜であるとゆーほどひでー作品なわけだが、それでも最小限改稿すればマシになる部分がある。だから多少は手直しされているかもしれないと思ったんだ。わたしは人間という存在に期待して生きているから。人は変わることができるから。
人間としての耳と目を持っているなら、せめてなにかあるんじゃないかと思ったんだ。
が。
なかった。
しかも。新人公演で「これだけは意味ないだろ」「バカすぎる」と言っていた台詞だけが、付け加えられていた。
新公の演出の方がマシだった。ベッタベタになっていた分、わかりやすくなっていた。が、ひとつ失敗があった。
それが、梅妃と安禄山のつながり、というやつだ。
楊貴妃に毒を吐いた梅妃が去り際に「安禄山……」とつぶやく。
おや、梅妃と安禄山になにかあるのかなと思わせておいて、なにもなかった。
うっわー、齋藤くんやっぱ物語作ることができないんだ。安禄山が楊貴妃を襲う伏線にしたかったんだろうけど、伏線ってのは張ったら回収しなきゃ意味ないわけで、ぜんぜん接点のない人間にただ名前を呼ばせればそれでいいわけじゃないっつーの。
第一、梅妃のシーンから次に安禄山が出てくるまでに、物語上ではどれほど時間が流れてるのよ? 何年か経ってるんじゃないの? 一国の宰相が死んで新宰相が新任するくらい時間が経過してるんだよねえ。そんなに経ってからよーやく動き出す安禄山ってなにソレ。つながってないじゃん。
物語を構成する力がない、物語の流れを壊す、まちがった台詞が、新公でわざわざ付け加えられていた。
そう、他はよかったんだよ、新公。
ひとつだけ目に見えて変だったのが、「梅妃様、安禄山殿が……」「安禄山……」の女官と梅妃のやりとり。
よりによってソコかいっ! 新公の真似したの!!
新公の方がよかった、そのよかった部分はなにひとつ取り入れず、唯一失敗だった部分だけをご丁寧に取り入れる。
酒井澄夫って、ほんっとーに、バカなんだ……。
ちょっと呆然としてしまった。
改悪というにもアタマが悪すぎて、言葉が出ない。
それでもさあ、わたしってほんと、「人間」に期待しちゃうのねえ。
新公で「安禄山……」の台詞を付け足したことで失敗してるわけじゃん。
その失敗を踏まえた上で、本公ではなにかやってくれると思っちゃったのよ、つい。
じゃあ今度こそ新しいシーンが追加されているのね? 梅妃と安禄山が会っているシーンだとか、楊貴妃を襲うときに安禄山が梅妃の名前を出すとか、なにかしらフォローが入るのね? 伏線の回収をするつもりだから、あえてあの新公失敗台詞を採用したのね?
そう。
人間としてあたりまえのことを、期待してしまったの。
失敗を失敗と理解し、それを踏み台にさらによいものを作る、ことに。
失敗しない人間なんかいない。問題は、失敗したあとよ。それを教訓にして、ステップをひとつ上がればいいの。人間はそうやって成長するの。
…………酒井にそんな期待をしたわたしが、バカだった。
新公の失敗台詞はただそのまま、付け加えられていただけだった。
それにつながる新しいシーンも、台詞もなかった。
ただのやりっぱなし。
寿王や梅妃と同じ扱い。出てくるだけで、彼らの持つ物語や背景は全部途中で放り出したまま「なかったこと」扱い。ただのやりっぱなし。子どもが遊んでいたおもちゃをそのまま投げ出して、他の遊びに夢中になるように。
バカ過ぎる……。溜息。
物語を作る能力がないなら、おとなしくできることだけやっていればいいのに。
ここまで恥をかいて、生きるのつらくないか、酒井澄夫。
遠い目をしてしまったわ。
あー、怒ってないっすよ。
怒る気にもならん。
脱力したっちゅーか、笑えたというか。
これはもうネタだなっ?! 捨て身のギャグだなっ?!
笑わせるためだけにやってるんだよな?
つーことで、素直に笑いました。バカだこいつ〜、てなふーに。
作品が物語以前でなんの能力もないからこそ。
出演者の力だけで成り立っているこの作品。
ワタルくん、すばらしいですよ。
ラストの嘆きの玄宗は、絶品です。
ムラのときからいちばん変化の激しいシーンですが、今度は「貴妃〜〜!!」と叫んで崩れ落ちますだよ。
そのあとの銀橋ソロもすばらしい。
舞台が役者のモノであり、脚本の阿呆さを力技で支えることができるという見本ですな。
あんな阿呆でどーしよーもない皇帝なのに、このラストの泣きっぷりで全部帳消しにしてくれるもの。彼の悲しみに巻き込まれてしまうもの。
やっぱ歌の最後のフレーズですよ。「私は今もアナタを愛している」の「あいして」で声が裏返るのがたまらない。
そして、ライトが消えたあと、肩を落としふらふらと上手袖に消えていく、その後ろ姿!!
絶品っすよ!!
誰かこの男、後ろから抱きしめてやって! 陳玄礼将軍、出番ですよー!!
玄宗の嘆きがものすごい分、よみがえった楊貴妃の凛とした美しさに心から拍手。
玄宗と楊貴妃がふたりで踊る姿に泣けてくる。
よかったね。もう一度会えて。
心が永遠で。
愛が無限で。
よかったね。
素直に思えるよ。
……ただ、長すぎるけどな、このシーン。
がんばれ出演者。
こんな脚本だけどこんな演出だけど、それでも、それだからこそ、がんばれー。
未だかんざしを渡すシーンは観られないけど、がんばってね!!
と、とてもシンプルに思った。
星組東宝初日。『花舞う長安』を観て。
期待していたわけではなかったけど、あの駄作『花舞う長安』は、東宝でも改稿されてなかった。
そもそも「物語」として成り立っていない、これを「ストーリー」だと言ってしまったら世界への冒涜であるとゆーほどひでー作品なわけだが、それでも最小限改稿すればマシになる部分がある。だから多少は手直しされているかもしれないと思ったんだ。わたしは人間という存在に期待して生きているから。人は変わることができるから。
人間としての耳と目を持っているなら、せめてなにかあるんじゃないかと思ったんだ。
が。
なかった。
しかも。新人公演で「これだけは意味ないだろ」「バカすぎる」と言っていた台詞だけが、付け加えられていた。
新公の演出の方がマシだった。ベッタベタになっていた分、わかりやすくなっていた。が、ひとつ失敗があった。
それが、梅妃と安禄山のつながり、というやつだ。
楊貴妃に毒を吐いた梅妃が去り際に「安禄山……」とつぶやく。
おや、梅妃と安禄山になにかあるのかなと思わせておいて、なにもなかった。
うっわー、齋藤くんやっぱ物語作ることができないんだ。安禄山が楊貴妃を襲う伏線にしたかったんだろうけど、伏線ってのは張ったら回収しなきゃ意味ないわけで、ぜんぜん接点のない人間にただ名前を呼ばせればそれでいいわけじゃないっつーの。
第一、梅妃のシーンから次に安禄山が出てくるまでに、物語上ではどれほど時間が流れてるのよ? 何年か経ってるんじゃないの? 一国の宰相が死んで新宰相が新任するくらい時間が経過してるんだよねえ。そんなに経ってからよーやく動き出す安禄山ってなにソレ。つながってないじゃん。
物語を構成する力がない、物語の流れを壊す、まちがった台詞が、新公でわざわざ付け加えられていた。
そう、他はよかったんだよ、新公。
ひとつだけ目に見えて変だったのが、「梅妃様、安禄山殿が……」「安禄山……」の女官と梅妃のやりとり。
よりによってソコかいっ! 新公の真似したの!!
新公の方がよかった、そのよかった部分はなにひとつ取り入れず、唯一失敗だった部分だけをご丁寧に取り入れる。
酒井澄夫って、ほんっとーに、バカなんだ……。
ちょっと呆然としてしまった。
改悪というにもアタマが悪すぎて、言葉が出ない。
それでもさあ、わたしってほんと、「人間」に期待しちゃうのねえ。
新公で「安禄山……」の台詞を付け足したことで失敗してるわけじゃん。
その失敗を踏まえた上で、本公ではなにかやってくれると思っちゃったのよ、つい。
じゃあ今度こそ新しいシーンが追加されているのね? 梅妃と安禄山が会っているシーンだとか、楊貴妃を襲うときに安禄山が梅妃の名前を出すとか、なにかしらフォローが入るのね? 伏線の回収をするつもりだから、あえてあの新公失敗台詞を採用したのね?
そう。
人間としてあたりまえのことを、期待してしまったの。
失敗を失敗と理解し、それを踏み台にさらによいものを作る、ことに。
失敗しない人間なんかいない。問題は、失敗したあとよ。それを教訓にして、ステップをひとつ上がればいいの。人間はそうやって成長するの。
…………酒井にそんな期待をしたわたしが、バカだった。
新公の失敗台詞はただそのまま、付け加えられていただけだった。
それにつながる新しいシーンも、台詞もなかった。
ただのやりっぱなし。
寿王や梅妃と同じ扱い。出てくるだけで、彼らの持つ物語や背景は全部途中で放り出したまま「なかったこと」扱い。ただのやりっぱなし。子どもが遊んでいたおもちゃをそのまま投げ出して、他の遊びに夢中になるように。
バカ過ぎる……。溜息。
物語を作る能力がないなら、おとなしくできることだけやっていればいいのに。
ここまで恥をかいて、生きるのつらくないか、酒井澄夫。
遠い目をしてしまったわ。
あー、怒ってないっすよ。
怒る気にもならん。
脱力したっちゅーか、笑えたというか。
これはもうネタだなっ?! 捨て身のギャグだなっ?!
笑わせるためだけにやってるんだよな?
つーことで、素直に笑いました。バカだこいつ〜、てなふーに。
作品が物語以前でなんの能力もないからこそ。
出演者の力だけで成り立っているこの作品。
ワタルくん、すばらしいですよ。
ラストの嘆きの玄宗は、絶品です。
ムラのときからいちばん変化の激しいシーンですが、今度は「貴妃〜〜!!」と叫んで崩れ落ちますだよ。
そのあとの銀橋ソロもすばらしい。
舞台が役者のモノであり、脚本の阿呆さを力技で支えることができるという見本ですな。
あんな阿呆でどーしよーもない皇帝なのに、このラストの泣きっぷりで全部帳消しにしてくれるもの。彼の悲しみに巻き込まれてしまうもの。
やっぱ歌の最後のフレーズですよ。「私は今もアナタを愛している」の「あいして」で声が裏返るのがたまらない。
そして、ライトが消えたあと、肩を落としふらふらと上手袖に消えていく、その後ろ姿!!
絶品っすよ!!
誰かこの男、後ろから抱きしめてやって! 陳玄礼将軍、出番ですよー!!
玄宗の嘆きがものすごい分、よみがえった楊貴妃の凛とした美しさに心から拍手。
玄宗と楊貴妃がふたりで踊る姿に泣けてくる。
よかったね。もう一度会えて。
心が永遠で。
愛が無限で。
よかったね。
素直に思えるよ。
……ただ、長すぎるけどな、このシーン。
がんばれ出演者。
こんな脚本だけどこんな演出だけど、それでも、それだからこそ、がんばれー。
未だかんざしを渡すシーンは観られないけど、がんばってね!!
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