クラス分けってのは、けっこー教師の自由になるもんなんだな、と思った小学5年生の春。
わたしの通っていた小学校は、2年ごとにクラス替えがあった。新入学のときと3年生のときと5年生のとき。
4年生も半ばを過ぎれば、わたしたち児童の間ではクラス替えの話題がことあるごとに出ていた。4年生といえばもうオトナと同じ社会生活基盤と意識ができている。林間・臨海学習や修学旅行などのある高学年のクラス分けがどうなるかは重要事項だ。女の子はすでに愛だ恋だとやっているだけに、好きな男の子と同じクラスになれるかは人生を分けるくらいの出来事だしな。
わたしも、どーしても同じクラスになりたい子がいた。親友にも打ち明けたことがなかったが、好きな男の子がいたんだ。その子と、同じクラスになりたかった。どーしても、なりたかった。
ついでに、今現在の担任教師も大好きだったので、わたしとしては「アズマくんと同じクラスで、担任がヨシチカ先生」が理想だった。親友と同じクラスになることは、二の次だった。……ひでー女だ(笑)。
4年生の1年間は、わたしにとって最高の時間だった。好きな男の子がいて、その男の子といちばん仲のいい女子はわたしで、大好きな先生がいて、その先生はわたしのことを気に入ってくれていて。クラス替えなんかなく、このまま卒業まで過ごせればいいのに、と、切実に思っていた。
そんなとき、教壇で1枚の紙を見つけた。先生の筆跡で、わたしたちクラス全員の名前が五つのグループに分けられている。
「クラス分け表だ!」
わたしたちは誰ともなしにそう言い出して、大騒ぎになった。
すぐに、やってきた先生にその紙は取り上げられてしまったけれど。先生は「これは、次の理科の実験のグループ分けだ」って言っていたけど。
わたしは、願っていた。希望し、また半分確信していた。
あれって絶対、クラス分け表だ。
だって、わたしとアズマくんが同じグループだったもの。来年はあの通りのクラスになるんだ。なるんだってば! ならなきゃやだ。
……結果。
5年生でわたしはほんとーに、アズマ君と同じクラスになった。ついでに、担任もヨシチカ先生だった。
見回せば、あのときちらりと見た紙に書いてあった通りのメンバーが同じクラスになっている。
やっぱりアレって、クラス分け表だったんじゃん。そう思ったけれど、口には出さなかった。半年も前に一瞬見た紙切れのことなんて、もう誰も口にしてなかったし。
てゆーか。
「言ってはならないこと」な気がした。
だって、同じクラスになった子たちは、わたしやアズマ君も含め、みーんなヨシチカせんせーのお気に入りの児童だったんだもん。
仲のいい子とばかり同じクラスになれたわ、ラッキー。というより、わたしが仲がよかった子って大抵、ヨシチカ先生と仲がよかったんだよな。先生大好きで、彼を囲んできゃーきゃーやっていた。ヨシチカ先生のいちばんのお気に入りはアズマ君で、次がわたしぐらいの順番だった、と思う。アズマ君は性格で先生に気に入られていたし、わたしの場合は、わたし個人以前に、ヨシチカ先生とわたしの親が仲良しだったんだわ。
ヨシチカ先生……思いっきり、私情で受け持ち児童選んでないか……?
まあ、全部でクラスは5つあったわけだから、5分の1の児童をお気に入りで固めたところで、残りは全部知らないよそのクラスだった子たちが来るわけだから、それほど大きな問題ではないのかもしれない。
てゆーか、それぞれの先生たち、みんな同じようにやっていたのかも? わたしたち児童にとってもクラス替えは死活問題だったけど、先生にとってもものすげー大変なことだったと思う。どの児童を受け持つのかは。
自分で選べる5分の1だけでも、気心の知れたお気に入りの児童で固めなきゃ、残りの5分の4のはじめて出会う児童たちに適切なケアができなかったのかも。わたしたちのことは、ある程度放っておいても大丈夫だもんな。
今となっては、そーゆー事情もわかる。
でも当時は、共犯者の気分だったよ、ヨシチカせんせー。
お気に入りの子だけで固めたでしょ、せんせ。あのとき見た紙、あれってクラス分け表だったでしょ。わたし、知ってるんだから。
わたしはせんせを好きだし、なによりアズマ君と同じクラスになれたから、なにも言わないけどね。秘密にしておくけどね。
気分は共犯者。
あれから軽く四半世紀。
学校でいちばんハンサムで人気のあったのっぽのヨシチカ先生は、太りもせずハゲもせず、ハンサムなまま年をとり、長身でロマンスグレーなおじさまになった。
白髪になるのが早かったせいで、それほどの年じゃないだろうに、今じゃすっかりおじーさんって感じ。いくつかの小学校に転勤し、校長までつとめたあと、今は悠々自適な生活。
「ああ、こあら君、合同レッスンには行ったの?」
そして相変わらずうちの親と仲がいいので、ちょくちょく我が家に顔を出す。わたしが生まれる前からのつきあいだもんなあ。
「あー、昨日行きました」
「昨日? 僕も昨日だったんだよ! 会えなかったね」
先生も「1万人の第九」に毎年参加しているもんで、この季節に会うと必ずその話になる。
「わたしは4時の回でしたから」
「えー? 僕はその前の回だったよ」
合同レッスンは10回に分かれてるんですってば。同じ回なわけないっすよ。
「毎年参加しているのに、一度も会えないね。どこのクラスか、パンフレットを見ればわかるけど、こあら君はどこに載っていたの?」
「知りません。パンフレット、買ってないですから」
「ええっ、なんで買わないの?」
「だって高いもん」
「ビデオは?」
「買ったことないです」
「ええっ? ふつー買うでしょ?」
「わたしの周りも誰も買ってないですよー」
「じゃあ見たことないの? 毎年?」
「ないです」
「よし、それじゃ僕が貸してあげるよ。今から取ってくるから」
「え? えーと……ありがとうございます」
でもせんせー、わたしこれからタカラヅカに行くんですよ。今から出かけるから、こんな格好してるんですってば。せんせ、聞いてます?
大好きだった先生は、昔と変わらない笑顔で自転車で疾走していく。すっかり白くなった髪、目尻のシワ。誰よりも背が高かった、遠く大きく見上げていた人なのに、「こあら君、あんまり僕と身長変わらないね」なんて「せんせソレ失礼。むきっ」なことを言ってしまうよーになっちゃった。せんせ、絶対身長縮んだよ。わたしが大きすぎるわけじゃないよ。
大好きだったアズマ君は、転校してしまってそれっきり。今ごろどうしているのかな。ちなみにアズマ君は、わたしよりずーっと背が低かったんだよなあ。おかげでわたしは長い間、身長にコンプレックス持ったままだった。
時は流れて、人は変わって。
「こあら君、お母さんのお手伝いしなきゃダメだよ」
それでもヨシチカ先生は、小学生のわたしに話したのと同じように話す。
どれだけなにが変わろうとも。
ヨシチカ先生はわたしの先生で、密かな共犯者だ。
わたしの通っていた小学校は、2年ごとにクラス替えがあった。新入学のときと3年生のときと5年生のとき。
4年生も半ばを過ぎれば、わたしたち児童の間ではクラス替えの話題がことあるごとに出ていた。4年生といえばもうオトナと同じ社会生活基盤と意識ができている。林間・臨海学習や修学旅行などのある高学年のクラス分けがどうなるかは重要事項だ。女の子はすでに愛だ恋だとやっているだけに、好きな男の子と同じクラスになれるかは人生を分けるくらいの出来事だしな。
わたしも、どーしても同じクラスになりたい子がいた。親友にも打ち明けたことがなかったが、好きな男の子がいたんだ。その子と、同じクラスになりたかった。どーしても、なりたかった。
ついでに、今現在の担任教師も大好きだったので、わたしとしては「アズマくんと同じクラスで、担任がヨシチカ先生」が理想だった。親友と同じクラスになることは、二の次だった。……ひでー女だ(笑)。
4年生の1年間は、わたしにとって最高の時間だった。好きな男の子がいて、その男の子といちばん仲のいい女子はわたしで、大好きな先生がいて、その先生はわたしのことを気に入ってくれていて。クラス替えなんかなく、このまま卒業まで過ごせればいいのに、と、切実に思っていた。
そんなとき、教壇で1枚の紙を見つけた。先生の筆跡で、わたしたちクラス全員の名前が五つのグループに分けられている。
「クラス分け表だ!」
わたしたちは誰ともなしにそう言い出して、大騒ぎになった。
すぐに、やってきた先生にその紙は取り上げられてしまったけれど。先生は「これは、次の理科の実験のグループ分けだ」って言っていたけど。
わたしは、願っていた。希望し、また半分確信していた。
あれって絶対、クラス分け表だ。
だって、わたしとアズマくんが同じグループだったもの。来年はあの通りのクラスになるんだ。なるんだってば! ならなきゃやだ。
……結果。
5年生でわたしはほんとーに、アズマ君と同じクラスになった。ついでに、担任もヨシチカ先生だった。
見回せば、あのときちらりと見た紙に書いてあった通りのメンバーが同じクラスになっている。
やっぱりアレって、クラス分け表だったんじゃん。そう思ったけれど、口には出さなかった。半年も前に一瞬見た紙切れのことなんて、もう誰も口にしてなかったし。
てゆーか。
「言ってはならないこと」な気がした。
だって、同じクラスになった子たちは、わたしやアズマ君も含め、みーんなヨシチカせんせーのお気に入りの児童だったんだもん。
仲のいい子とばかり同じクラスになれたわ、ラッキー。というより、わたしが仲がよかった子って大抵、ヨシチカ先生と仲がよかったんだよな。先生大好きで、彼を囲んできゃーきゃーやっていた。ヨシチカ先生のいちばんのお気に入りはアズマ君で、次がわたしぐらいの順番だった、と思う。アズマ君は性格で先生に気に入られていたし、わたしの場合は、わたし個人以前に、ヨシチカ先生とわたしの親が仲良しだったんだわ。
ヨシチカ先生……思いっきり、私情で受け持ち児童選んでないか……?
まあ、全部でクラスは5つあったわけだから、5分の1の児童をお気に入りで固めたところで、残りは全部知らないよそのクラスだった子たちが来るわけだから、それほど大きな問題ではないのかもしれない。
てゆーか、それぞれの先生たち、みんな同じようにやっていたのかも? わたしたち児童にとってもクラス替えは死活問題だったけど、先生にとってもものすげー大変なことだったと思う。どの児童を受け持つのかは。
自分で選べる5分の1だけでも、気心の知れたお気に入りの児童で固めなきゃ、残りの5分の4のはじめて出会う児童たちに適切なケアができなかったのかも。わたしたちのことは、ある程度放っておいても大丈夫だもんな。
今となっては、そーゆー事情もわかる。
でも当時は、共犯者の気分だったよ、ヨシチカせんせー。
お気に入りの子だけで固めたでしょ、せんせ。あのとき見た紙、あれってクラス分け表だったでしょ。わたし、知ってるんだから。
わたしはせんせを好きだし、なによりアズマ君と同じクラスになれたから、なにも言わないけどね。秘密にしておくけどね。
気分は共犯者。
あれから軽く四半世紀。
学校でいちばんハンサムで人気のあったのっぽのヨシチカ先生は、太りもせずハゲもせず、ハンサムなまま年をとり、長身でロマンスグレーなおじさまになった。
白髪になるのが早かったせいで、それほどの年じゃないだろうに、今じゃすっかりおじーさんって感じ。いくつかの小学校に転勤し、校長までつとめたあと、今は悠々自適な生活。
「ああ、こあら君、合同レッスンには行ったの?」
そして相変わらずうちの親と仲がいいので、ちょくちょく我が家に顔を出す。わたしが生まれる前からのつきあいだもんなあ。
「あー、昨日行きました」
「昨日? 僕も昨日だったんだよ! 会えなかったね」
先生も「1万人の第九」に毎年参加しているもんで、この季節に会うと必ずその話になる。
「わたしは4時の回でしたから」
「えー? 僕はその前の回だったよ」
合同レッスンは10回に分かれてるんですってば。同じ回なわけないっすよ。
「毎年参加しているのに、一度も会えないね。どこのクラスか、パンフレットを見ればわかるけど、こあら君はどこに載っていたの?」
「知りません。パンフレット、買ってないですから」
「ええっ、なんで買わないの?」
「だって高いもん」
「ビデオは?」
「買ったことないです」
「ええっ? ふつー買うでしょ?」
「わたしの周りも誰も買ってないですよー」
「じゃあ見たことないの? 毎年?」
「ないです」
「よし、それじゃ僕が貸してあげるよ。今から取ってくるから」
「え? えーと……ありがとうございます」
でもせんせー、わたしこれからタカラヅカに行くんですよ。今から出かけるから、こんな格好してるんですってば。せんせ、聞いてます?
大好きだった先生は、昔と変わらない笑顔で自転車で疾走していく。すっかり白くなった髪、目尻のシワ。誰よりも背が高かった、遠く大きく見上げていた人なのに、「こあら君、あんまり僕と身長変わらないね」なんて「せんせソレ失礼。むきっ」なことを言ってしまうよーになっちゃった。せんせ、絶対身長縮んだよ。わたしが大きすぎるわけじゃないよ。
大好きだったアズマ君は、転校してしまってそれっきり。今ごろどうしているのかな。ちなみにアズマ君は、わたしよりずーっと背が低かったんだよなあ。おかげでわたしは長い間、身長にコンプレックス持ったままだった。
時は流れて、人は変わって。
「こあら君、お母さんのお手伝いしなきゃダメだよ」
それでもヨシチカ先生は、小学生のわたしに話したのと同じように話す。
どれだけなにが変わろうとも。
ヨシチカ先生はわたしの先生で、密かな共犯者だ。
コメント