他の作家の名前を出してしまったので、フォローの意味も込めて、もう少し石田昌也語り。

 石田せんせは「タカラヅカ」としてはエラーな作家だと思っている。
 だが、「作家」としては、ふつーだと思っている。
 出来事を起こして物語を回す、という、ごく基本を知っているってことで。それがうまく機能しているとか、破綻していないかとかはこの際置いておいて。

 酒井澄夫は逆。
 「タカラヅカ」としては正しい。ちゃんと美しいものを作れるから。
 ただ、「作家」としてはお話にならない。素人のリレー小説以下の整合性。日本語のセンスもおかしい。
 二度と芝居を書いて欲しくない。ショーだけ作っててくれ。

 
 さて、石田せんせは女を軽んじているので、ほんとうの意味での「恋愛」を書くことが出来ない人だと思う。
 どんなにペットのわんちゃんを愛していても、わんちゃん相手に本気の恋愛物語は書けないでしょう? だって所詮相手は犬なんだもん。同等の存在じゃないんだもん。それと同じ。
 タカラヅカらしくないものを新規客開拓のために「あえて」作り続けているというのは、ただの言い訳に聞こえる。作らないんじゃなくて、作れない。彼の中に、素養がないから。
 ただ「女嫌い」というわけじゃないので、恋愛から逃げたカタチのラブストーリーならかろうじて書ける。むしろ女は大好きなんだろーなー、てな感じの下世話なものなら。

 恋愛モノ、が基本であるタカラヅカにおいて、どんな恋愛をするか、は、その主人公の「生き様」に関わってくる。
 つまらない恋愛しかしない男はかっこわるいし、真摯な恋をする男はかっこいい。
 石田昌也作品が「タカラヅカらしくない」最大の理由は、コレを理解していないせいじゃないかと思う。

 いい女を愛し、愛されている男はそれだけでかっこいいんだけどな。
 どんな女とどんな恋愛をしているかで、その男の価値が決まるんだけどな。

 石田作品の男たちがかっこよくないのは、ろくな恋愛をしていないから。
 どーでもいい女とどーでもいい恋愛を上辺だけでしているから。

 もちろん、他のジャンルでならそれもアリだ。仕事や野心、歴史スペクタル、いろんなものをメインに据えていい。
 だがここはタカラヅカだ。歴史大作であろーと、ピカレスクロマンであろーと、主人公は真摯な恋愛をしていなければならない。

 女をなめている人に、「いい男」は書けない。
 女はアクセサリでもなければ、便利屋でもないんだよ。
 男の価値を上げることができる、人生のパートナーなの。

 これほどの女に惚れられているのか!!
 これほどの女を愛しているのか!!
 ……ごてごて飾らなくてもその姿が、男の生き様を輝かせる。

 根本を理解しないまま、「タカラヅカらしくないのが作風」とうそぶいているのが、嫌だわ。
 作家として、というより、「男として」嫌いなタイプだと思う(笑)。おとなしく男向けジャンルで、男に都合のいい下世話な話を書いていればいいのに、と思う。

 
 さて、そーゆーわけでわたしとは趣味が合わない石田作品。
 嫌い、というよりはほんと、「趣味が合わない」。カテゴリエラーであるにも関わらず、ヅカとして存在していることが嫌なだけ。

 されど石田作品にもいいところはある。
 下級生ウォッチはたのしい。
 ごちゃごちゃした無駄な作りなので、そのぶんいろんな子たちが板の上にいる。それを眺め、本筋とは関係ない小芝居を見るのはたのしい。
 こだわりをもって作り込むこともしないんだろうラフな作風なので、板の上の役者たちに自由がある。
 それは、いいことだと思うよ。「作品より人を見る」タカラヅカにおいて。

 ストーリーやキャラクタが無神経なのは、作者が女性を軽視し、それゆえに恋愛自体を軽視しているせい。それをあきらめ、無視し、役者の個性のみをたのしむ。
 ご都合主義や、浮いている台詞と展開、品のなさと整理されていないエピソードとキャラクタ位置、そーゆーものも全部無視、気にしない気にしない。
 生徒さんの演技だけを、たのしみましょう。

 それはそれで、なんとかなるもんだから。

 タカラヅカってすごいわ……。

 
 とゆーことで次は、キャラ語りいってみよー。
 翌日欄へ続く。

     

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