過剰な空間ではなかったから。@汐美真帆トークショー・その3。
2005年1月9日 タカラヅカ 汐美真帆トークショー、わたしが参加できたのは千秋楽、2回目の方。
1回目は会場の外で聞いた。デパート系のトークショーは会場外に音が漏れることを知っていたので、たとえチケットが手に入らなくても会場前に詰めている気満々だった。
トークショー1回目は、「千秋楽の日を振り返って」って感じ。
楽のことを公の場で話すのははじめてだろうから、少しこなれていない印象の語り。
2回目は、「汐美真帆の歴史」って感じ。
音楽学校時代から雪組、月組、星組、そして最後の公演まで。わずかな時間で歴史のお勉強。
こちらは何度も耳にしたことのある話題なので、本人も語り慣れているし、観客も「知ってるよソレ」な感じで破綻もなければ盛り上がりもそれほどなく。淡々と過ぎたかな。
お茶会のときだとか千秋楽近辺の「菩薩様のような」感じはすでになく、ケロちゃんは生身の人間に戻ってました。
トークショーがはじまる前は、ものすごーく緊張していて、司会のおねーさんが「質問を考えていてください」と言っていたけれど、そんなもん考えられるかよっ、アタマ真っ白だよ! と、思っていたんだけど。
目の前のケロちゃんは菩薩様ではなく生身のケロちゃんで、トークショーのテーマも「汐美真帆の歴史」で何度も聞いたことのある話題の繰り返しでしかなく、観客も落ち着き、場の空気も危惧していたほど濃くなかった。
企業が開催した、プロの司会者のいる「仕事」としての場だというのは、こんなにチガウもんなんだなと思った。
これはケロとファンの親密な集いではなく、スターが司会者とお話するところを一般観客が眺める、ラジオの公開放送とかそーゆー類のイベントなんだ。
ケロはファンに向かって喋っているというより、あくまでも「舞台上」で喋っていた。
それゆえにわたしは、自分の立ち位置を再確認した。
9月2日からこっち、わたしは自分の精神的な立ち位置を模索していた。
いてくれるのがあたりまえ、劇場に行けばいつでも会える、これからもずっと夢を見させてくれる、と思っていた人との、まさかの別れ。
役付が悪かろうと駄作だろうと関係ない。
いてくれるだけで、わたしは夢を見られた。
『バイオハザード』をプレイして、クリス@ワタルくん、クレア@トウコちゃんとか、『SIREN』をプレイして、宮田@ワタルくん、求導女@檀ちゃんとか、とにかくすべてヅカキャスティングして楽しむ一環に、ケロがいた。
この作品ならケロはこの役。このキャラ、ケロっぽい。
日常を生きるわたしのなかに、あたりまえにケロがいた。
『花舞う長安』『ドルチェ・ヴィータ!』への傾倒は、残り日数が少なくなるのと比例して加速した。
ムラ公演に通い、東宝にも毎週通った。
こんなにこんなに気持ちが大きくなって、熱く、深くなって、いったいどこまで行ってしまうんだろうと思った。
感情が高ぶりすぎると倒れるとゆーこの情けない体質で、いったいあたし、どうやって生きていくんだよ? ケロがいない世界ってのは、どんな世界なんだ、どんな日常なんだと不安になる感じもあったさ。
ムラ初日から、わたしは意識的に心のブレーキをハズした。
未知の領域に、自分を解き放ってみようと思った。
自分がどうなるのか、ある意味興味深かった。
ムラ公演、ムラお茶会、ムラ楽。
ディナーショー。
東宝公演、東宝お茶会、そして、東宝千秋楽。
決められたXday、止められないカウントダウン。
ゴールが見えるトラックで、突きつけられたのは、自分自身のことだった。
「その日」までを、どう生きるか。
それは、わたしの問題なんだ。
ケロがケロの人生歩いているよーに、わたしはわたしの人生を歩いている。
ケロを愛しているのは「わたし」であって、ケロへの愛は「わたしの人生」のひとつである。
ゴールが見えて、動かない「その日」が見えて、それではじめて、わたしは「わたし」と向き合った。
どう生きる?
逃げも隠れもできない、投げ出すこともできない「わたし」の人生で。
腹をくくって、ブレーキはずして、わたしは暴走した。
未知の領域へ飛び込んだ。
なにしろ、「わたしの人生」だから。
なにがなんでも経験しとけ!
これほど泣いて、これほど苦しんで、これほどじたばたすることなんて、ふつーに生きてたらそうそうないって!!
仕事でもなく使命でもなく、損得すらなく。
しなくてもいいことで、ここまで泣いたり苦しんだりするなんて、非生産的ですばらしいじゃないか。
お金にも地球のためにもならないけど、この経験は、「わたし」にとって有益だから。わたしの心を豊かにしたから。
誰のことも好きじゃない、そんな状態より絶対、幸福だから。
「その日」を最終目標に全力疾走したから。
バカ全開で、恥かきまくったから。
山あり谷あり乗り越えて、ひとつスキルアップしたわたしが、今ここにいる。
ケロちゃんのトークショーは、あくまでも「仕事」的なものであって。
プロの司会者さんが「仕事」として的確にすすめてくれて。
過剰な「情」の部分はなかった。
だからわたしは、立ち位置を再確認した。
「その日」は、12月26日だった。
わたしは、「その日」まで走り抜いた。
そして今日はエピローグというか、「おまけ」的な部分でしかないんだなと、わかった。
ので、当初の緊張は引いていった。
イベントに参加している、好きな人が目の前にいるというわくわく感がよみがえってきた。
だからですよ。
気がつくと、手が挙がってました。
質問コーナーで。
あれえ?
挙げちゃいましたよ。
司会者さんの目線が一発で得られるタイミングで。
だから1回挙げただけで、ちゃんと指名してもらえた。
マイクを渡され、ケロちゃんに見つめてもらいながら、口が勝手に質問を喋ってましたよ。
あれえ?
なに喋ってんだ、わたし。
質問なんて、その瞬間までなにも考えてなかったのに。
どうせわたし、いちばん後ろの席だし。
ドリーさんは前の方の席で、会場はフラットだから後ろの席の人の顔なんて見えないし。
サトリちゃんは会場の外だから、もちろんわたしがどこにいるかなんてわからないし。
大丈夫、わたしだってこと、バレないよ! 言っちゃえ言っちゃえ!!
ちょっとお澄ましした声で、聞きたいことを聞いてみました、ケロちゃんに。
ケロちゃんはわたしを見つめながら、ちゃんと答えてくれました。
ダーリンと見つめ合う最後の時間。
ありがとう、ケロちゃん。
バレないよね、と思ったのに。
トークショーが終わるなり、ドリーさんに、
「なに質問してるんですかっ」
と、言われた。
会場を出るなり、待ちかまえていたサトリちゃんに、
「なに質問してるんですかっ」
と、言われた。
ええっ?!
なんでわたしだってわかったの??!
「わかりますよっっ!!」
そんな、ふたり同時に叫ばなくても……。
質問内容は秘密(笑)。
1回目は会場の外で聞いた。デパート系のトークショーは会場外に音が漏れることを知っていたので、たとえチケットが手に入らなくても会場前に詰めている気満々だった。
トークショー1回目は、「千秋楽の日を振り返って」って感じ。
楽のことを公の場で話すのははじめてだろうから、少しこなれていない印象の語り。
2回目は、「汐美真帆の歴史」って感じ。
音楽学校時代から雪組、月組、星組、そして最後の公演まで。わずかな時間で歴史のお勉強。
こちらは何度も耳にしたことのある話題なので、本人も語り慣れているし、観客も「知ってるよソレ」な感じで破綻もなければ盛り上がりもそれほどなく。淡々と過ぎたかな。
お茶会のときだとか千秋楽近辺の「菩薩様のような」感じはすでになく、ケロちゃんは生身の人間に戻ってました。
トークショーがはじまる前は、ものすごーく緊張していて、司会のおねーさんが「質問を考えていてください」と言っていたけれど、そんなもん考えられるかよっ、アタマ真っ白だよ! と、思っていたんだけど。
目の前のケロちゃんは菩薩様ではなく生身のケロちゃんで、トークショーのテーマも「汐美真帆の歴史」で何度も聞いたことのある話題の繰り返しでしかなく、観客も落ち着き、場の空気も危惧していたほど濃くなかった。
企業が開催した、プロの司会者のいる「仕事」としての場だというのは、こんなにチガウもんなんだなと思った。
これはケロとファンの親密な集いではなく、スターが司会者とお話するところを一般観客が眺める、ラジオの公開放送とかそーゆー類のイベントなんだ。
ケロはファンに向かって喋っているというより、あくまでも「舞台上」で喋っていた。
それゆえにわたしは、自分の立ち位置を再確認した。
9月2日からこっち、わたしは自分の精神的な立ち位置を模索していた。
いてくれるのがあたりまえ、劇場に行けばいつでも会える、これからもずっと夢を見させてくれる、と思っていた人との、まさかの別れ。
役付が悪かろうと駄作だろうと関係ない。
いてくれるだけで、わたしは夢を見られた。
『バイオハザード』をプレイして、クリス@ワタルくん、クレア@トウコちゃんとか、『SIREN』をプレイして、宮田@ワタルくん、求導女@檀ちゃんとか、とにかくすべてヅカキャスティングして楽しむ一環に、ケロがいた。
この作品ならケロはこの役。このキャラ、ケロっぽい。
日常を生きるわたしのなかに、あたりまえにケロがいた。
『花舞う長安』『ドルチェ・ヴィータ!』への傾倒は、残り日数が少なくなるのと比例して加速した。
ムラ公演に通い、東宝にも毎週通った。
こんなにこんなに気持ちが大きくなって、熱く、深くなって、いったいどこまで行ってしまうんだろうと思った。
感情が高ぶりすぎると倒れるとゆーこの情けない体質で、いったいあたし、どうやって生きていくんだよ? ケロがいない世界ってのは、どんな世界なんだ、どんな日常なんだと不安になる感じもあったさ。
ムラ初日から、わたしは意識的に心のブレーキをハズした。
未知の領域に、自分を解き放ってみようと思った。
自分がどうなるのか、ある意味興味深かった。
ムラ公演、ムラお茶会、ムラ楽。
ディナーショー。
東宝公演、東宝お茶会、そして、東宝千秋楽。
決められたXday、止められないカウントダウン。
ゴールが見えるトラックで、突きつけられたのは、自分自身のことだった。
「その日」までを、どう生きるか。
それは、わたしの問題なんだ。
ケロがケロの人生歩いているよーに、わたしはわたしの人生を歩いている。
ケロを愛しているのは「わたし」であって、ケロへの愛は「わたしの人生」のひとつである。
ゴールが見えて、動かない「その日」が見えて、それではじめて、わたしは「わたし」と向き合った。
どう生きる?
逃げも隠れもできない、投げ出すこともできない「わたし」の人生で。
腹をくくって、ブレーキはずして、わたしは暴走した。
未知の領域へ飛び込んだ。
なにしろ、「わたしの人生」だから。
なにがなんでも経験しとけ!
これほど泣いて、これほど苦しんで、これほどじたばたすることなんて、ふつーに生きてたらそうそうないって!!
仕事でもなく使命でもなく、損得すらなく。
しなくてもいいことで、ここまで泣いたり苦しんだりするなんて、非生産的ですばらしいじゃないか。
お金にも地球のためにもならないけど、この経験は、「わたし」にとって有益だから。わたしの心を豊かにしたから。
誰のことも好きじゃない、そんな状態より絶対、幸福だから。
「その日」を最終目標に全力疾走したから。
バカ全開で、恥かきまくったから。
山あり谷あり乗り越えて、ひとつスキルアップしたわたしが、今ここにいる。
ケロちゃんのトークショーは、あくまでも「仕事」的なものであって。
プロの司会者さんが「仕事」として的確にすすめてくれて。
過剰な「情」の部分はなかった。
だからわたしは、立ち位置を再確認した。
「その日」は、12月26日だった。
わたしは、「その日」まで走り抜いた。
そして今日はエピローグというか、「おまけ」的な部分でしかないんだなと、わかった。
ので、当初の緊張は引いていった。
イベントに参加している、好きな人が目の前にいるというわくわく感がよみがえってきた。
だからですよ。
気がつくと、手が挙がってました。
質問コーナーで。
あれえ?
挙げちゃいましたよ。
司会者さんの目線が一発で得られるタイミングで。
だから1回挙げただけで、ちゃんと指名してもらえた。
マイクを渡され、ケロちゃんに見つめてもらいながら、口が勝手に質問を喋ってましたよ。
あれえ?
なに喋ってんだ、わたし。
質問なんて、その瞬間までなにも考えてなかったのに。
どうせわたし、いちばん後ろの席だし。
ドリーさんは前の方の席で、会場はフラットだから後ろの席の人の顔なんて見えないし。
サトリちゃんは会場の外だから、もちろんわたしがどこにいるかなんてわからないし。
大丈夫、わたしだってこと、バレないよ! 言っちゃえ言っちゃえ!!
ちょっとお澄ましした声で、聞きたいことを聞いてみました、ケロちゃんに。
ケロちゃんはわたしを見つめながら、ちゃんと答えてくれました。
ダーリンと見つめ合う最後の時間。
ありがとう、ケロちゃん。
バレないよね、と思ったのに。
トークショーが終わるなり、ドリーさんに、
「なに質問してるんですかっ」
と、言われた。
会場を出るなり、待ちかまえていたサトリちゃんに、
「なに質問してるんですかっ」
と、言われた。
ええっ?!
なんでわたしだってわかったの??!
「わかりますよっっ!!」
そんな、ふたり同時に叫ばなくても……。
質問内容は秘密(笑)。
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