今日はチャリティーコンサート。
2005年1月17日 家族 10年前のあの日。
大阪在住のわたしは大した被災もしていない。そう思っていた。
が。
今ごろになって思う。
……運が悪かったら、死んでたかも?
と、思ったのは先日防災テーマの番組を見たとき。
阪神大震災で亡くなった人の何割かは、倒れてきた家具が原因であるらしい。
そーいやわたしの部屋も、家具は倒れたなあ。
てゆーか、部屋の家具すべてが倒れた。
ひとりでは持ち上げられない重さのテレビも、本棚も、オーディオもなにもかも。
そうか……テレビや本棚の下で寝てたら、死んでたんだ……。
テレビの下なら確実だな。うちのテレビ、わりと高い位置にあるから、あの高さからあの重さのものが落ちたら、潰れるわ。
家は外壁が落ちて、結局改装工事したっけ。市から震災の補助金、いただいたわ……うわ、けっこう被災してたんだ??
隣の市では建物が倒壊していたわけだから、そこから大して離れていない我が家もそれなりにひどいことにはなっていたんだろう。
でも、自分のことなんかぜんぜんぴんとこない。
被災した部類に入らない。
テレビでは、毎日もっと大変な目に遭っている人たちのニュースが流れていたもの。
あの日わたしは、休みを取っていた。
バウホール公演『グッバイ・メリーゴーランド』を観るために。
揺れているので目が覚めて、そのうちおさまるかと黙ってベッドにいたら、ぜんぜんおさまらない。
えっ、長いよ?
長いってば。
えっ、えっ、いつまでつづくの?
ベッドから出るなんてこと、カケラも考えなかったなあ。
地震なんかすぐにおさまるって、無意識に思ってたから。
いつまでも揺れていることにおどろいていた。
そしたら、本棚が倒れた。
びっくりだ。
倒れるか? 本棚だよ? めちゃくちゃ重いんだよ?
そしてわたしの視界は、そこでブラックアウト。
アタマの上に、本が降ってきたからだ。
ベッドの枕元も、本棚だった。
ただしこちらは作りつけ。壁に打ち付けてあるので、本棚は倒れない、はずれようがない。
かわりに本棚に詰めていた本、500冊が全部わたしの上に落ちてきた。
500冊……すみません……全部コミックです……。
マンガ本で命拾いした。
百科事典とか文学全集とか、格調高く単価も高く、本自体重いものなら、絶対ひどいことになっていた。
あ、コミケカタログだったりしても、やはりただではすまなかったろうな。アレが顔に直撃とかしたら、大ケガ必至(コミケカタログなんぞ保管していません)。
ブラックアウトしたまま、音だけを聞いていた。
部屋中のものが、倒れる音がする。とくにテレビが落下する音は、大きかった。
倒れる音と、壊れる音。
てか、いつまで続くの??
揺れがおさまったあとも、しばらくは動けなかった。
実際問題として、500冊の本の下敷きだと、身動きとれなかったのよ。わーん、誰か助け起こしてくれえ。
なんとか本の山から起きあがって。
見回した部屋の、すごかったこと。
部屋の中の家具という家具すべてが、部屋の中央に向けて倒れている。
無事なものなどひとつもない。
壁が剥き出し。
本棚の後ろの壁なんて、見たのいつ以来だ……?
棚の上のものも全部落ちているし、斜めになったタンスは引き出しが開き中身をぶちまけている。
忘れられない光景。
ええ。
なにもかも落ちて倒れているというのに。
カーテンレールの上に飾っていた轟悠の写真だけが、無事だった。
忘れられませんとも。
めちゃくちゃになった部屋の中で、なにごともなく微笑むトドロキ様!!(笑)
おそるべしトドロキ!!
同じよーにカーテンレールの上に飾っていた他のものは全部落ちてるのに。トド様だけ無事ってのは何故?
お守りにしたら効果があるかもしれない、トドロキ様。
我が家は停電してるしガスも止まっているので、親の家に避難した。
親の家で見ていたNHKでは、「地震に驚き、道路で転倒してケガをした人」のニュースを繰り返していた。
朝6時。その時点では、ケガ人はその人だけだった。
そう、まだ事態がわかっていなかったんだ。
転んでケガをした人がいる、という話をえんえん繰り返すニュースを眺めているより、わたしには心配事があった。
今日のバウのチケット、どこよ??
部屋はめちゃくちゃ。
あのなにもかも倒れて落ちて足の踏み場もなくなった部屋のどこに、チケットがあるんだ??
2時半の開演までに、チケット探してコンタクトレンズ探さなきゃ。
オペラグラスはいらないわ、今日は2列目だから。
停電しているから、探し物は外が明るくなってからだ。
まずわたしは親の家にあったビデオカメラで、いろんなものを撮影して回った。
だってわたしの部屋、ほんとにめちゃくちゃだもの! ここは記念に撮っておくべきでしょう!!
自分の家やら親の家やら、近所の風景を撮影しました。
いや、なんとなく。
当時のわたしは、なにかっちゃービデオカメラを持ち歩いて、撮影するのが大好きな奴でした。
「転んでケガをした人」のニュースをぼんやり眺めている、わたしの家族の姿も撮影。
陽が昇ってから、母を連れて自分の部屋へ。
母は未だに言う。
「震災の朝、アタシがいちばん最初にした仕事は、『娘の眼鏡を探すこと』!」
だって、眼鏡がないとなんにも見えないんだってば!
そして、眼鏡を置いていた本棚は倒れてちゃって、ひとりでは起こせないんだもの。
ふたりがかりで本棚を起こし、散乱したモノの中から、母に眼鏡を探し出してもらった。
眼鏡をかけて、改めてふたりで他の家具を元に戻す。ひとりでは持ち上げられないもん、手伝ってもらうしかない。
まあ、母はわたしの部屋に入るなり、
「アンタよく生きてたね」
と感心していたので、文句言いつつも手伝ってくれた。自分の家の片付けもあったのにさ。
ガスは止まったままだったけど、電気は昼前にはついたんだっけな。
我が家の暖房はガスONLYだったので、凍えながら部屋を片付けたなー。
それでもわたしは、タカラヅカに行くつもりだった。
現状がわからなかったから。
なんせテレビでは「転んでケガをした人がひとり」と言っているだけだし。近所のひとたちもみんな無事で、挨拶したし。
きっと大した地震じゃなかったんだ。
我が家がボロいから、こんなことになっているだけで、他のちゃんとした家はどーってことなかったんだ。
さあ、チケット探さなきゃ! タカネくんのバウを観るぞぉーっ。
つけっぱなしにしていたテレビのニュースが、だんだん現実に追いついてきた。
被害者の数が、数分おきに増える。
燃え続ける街の映像が映る。
あ、あれ?
転んでケガした人ひとりだったはずなのに。
死者の数が、増え続けてる。
高速道路、ひっくり返ってる? 電車、脱線してる? ええっ??
ここまで大きな事件だと、公的な情報がどれだけ遅いかがわかりました。
地震から何時間かあとまで、わたしはタカラヅカを観るつもりでいたんだもん。
ふつーに。
結局丸1日、部屋を片付けながらニュースを見ていたな。
あの日。
大阪在住のわたしは大した被災もしていない。そう思っていた。
が。
今ごろになって思う。
……運が悪かったら、死んでたかも?
と、思ったのは先日防災テーマの番組を見たとき。
阪神大震災で亡くなった人の何割かは、倒れてきた家具が原因であるらしい。
そーいやわたしの部屋も、家具は倒れたなあ。
てゆーか、部屋の家具すべてが倒れた。
ひとりでは持ち上げられない重さのテレビも、本棚も、オーディオもなにもかも。
そうか……テレビや本棚の下で寝てたら、死んでたんだ……。
テレビの下なら確実だな。うちのテレビ、わりと高い位置にあるから、あの高さからあの重さのものが落ちたら、潰れるわ。
家は外壁が落ちて、結局改装工事したっけ。市から震災の補助金、いただいたわ……うわ、けっこう被災してたんだ??
隣の市では建物が倒壊していたわけだから、そこから大して離れていない我が家もそれなりにひどいことにはなっていたんだろう。
でも、自分のことなんかぜんぜんぴんとこない。
被災した部類に入らない。
テレビでは、毎日もっと大変な目に遭っている人たちのニュースが流れていたもの。
あの日わたしは、休みを取っていた。
バウホール公演『グッバイ・メリーゴーランド』を観るために。
揺れているので目が覚めて、そのうちおさまるかと黙ってベッドにいたら、ぜんぜんおさまらない。
えっ、長いよ?
長いってば。
えっ、えっ、いつまでつづくの?
ベッドから出るなんてこと、カケラも考えなかったなあ。
地震なんかすぐにおさまるって、無意識に思ってたから。
いつまでも揺れていることにおどろいていた。
そしたら、本棚が倒れた。
びっくりだ。
倒れるか? 本棚だよ? めちゃくちゃ重いんだよ?
そしてわたしの視界は、そこでブラックアウト。
アタマの上に、本が降ってきたからだ。
ベッドの枕元も、本棚だった。
ただしこちらは作りつけ。壁に打ち付けてあるので、本棚は倒れない、はずれようがない。
かわりに本棚に詰めていた本、500冊が全部わたしの上に落ちてきた。
500冊……すみません……全部コミックです……。
マンガ本で命拾いした。
百科事典とか文学全集とか、格調高く単価も高く、本自体重いものなら、絶対ひどいことになっていた。
あ、コミケカタログだったりしても、やはりただではすまなかったろうな。アレが顔に直撃とかしたら、大ケガ必至(コミケカタログなんぞ保管していません)。
ブラックアウトしたまま、音だけを聞いていた。
部屋中のものが、倒れる音がする。とくにテレビが落下する音は、大きかった。
倒れる音と、壊れる音。
てか、いつまで続くの??
揺れがおさまったあとも、しばらくは動けなかった。
実際問題として、500冊の本の下敷きだと、身動きとれなかったのよ。わーん、誰か助け起こしてくれえ。
なんとか本の山から起きあがって。
見回した部屋の、すごかったこと。
部屋の中の家具という家具すべてが、部屋の中央に向けて倒れている。
無事なものなどひとつもない。
壁が剥き出し。
本棚の後ろの壁なんて、見たのいつ以来だ……?
棚の上のものも全部落ちているし、斜めになったタンスは引き出しが開き中身をぶちまけている。
忘れられない光景。
ええ。
なにもかも落ちて倒れているというのに。
カーテンレールの上に飾っていた轟悠の写真だけが、無事だった。
忘れられませんとも。
めちゃくちゃになった部屋の中で、なにごともなく微笑むトドロキ様!!(笑)
おそるべしトドロキ!!
同じよーにカーテンレールの上に飾っていた他のものは全部落ちてるのに。トド様だけ無事ってのは何故?
お守りにしたら効果があるかもしれない、トドロキ様。
我が家は停電してるしガスも止まっているので、親の家に避難した。
親の家で見ていたNHKでは、「地震に驚き、道路で転倒してケガをした人」のニュースを繰り返していた。
朝6時。その時点では、ケガ人はその人だけだった。
そう、まだ事態がわかっていなかったんだ。
転んでケガをした人がいる、という話をえんえん繰り返すニュースを眺めているより、わたしには心配事があった。
今日のバウのチケット、どこよ??
部屋はめちゃくちゃ。
あのなにもかも倒れて落ちて足の踏み場もなくなった部屋のどこに、チケットがあるんだ??
2時半の開演までに、チケット探してコンタクトレンズ探さなきゃ。
オペラグラスはいらないわ、今日は2列目だから。
停電しているから、探し物は外が明るくなってからだ。
まずわたしは親の家にあったビデオカメラで、いろんなものを撮影して回った。
だってわたしの部屋、ほんとにめちゃくちゃだもの! ここは記念に撮っておくべきでしょう!!
自分の家やら親の家やら、近所の風景を撮影しました。
いや、なんとなく。
当時のわたしは、なにかっちゃービデオカメラを持ち歩いて、撮影するのが大好きな奴でした。
「転んでケガをした人」のニュースをぼんやり眺めている、わたしの家族の姿も撮影。
陽が昇ってから、母を連れて自分の部屋へ。
母は未だに言う。
「震災の朝、アタシがいちばん最初にした仕事は、『娘の眼鏡を探すこと』!」
だって、眼鏡がないとなんにも見えないんだってば!
そして、眼鏡を置いていた本棚は倒れてちゃって、ひとりでは起こせないんだもの。
ふたりがかりで本棚を起こし、散乱したモノの中から、母に眼鏡を探し出してもらった。
眼鏡をかけて、改めてふたりで他の家具を元に戻す。ひとりでは持ち上げられないもん、手伝ってもらうしかない。
まあ、母はわたしの部屋に入るなり、
「アンタよく生きてたね」
と感心していたので、文句言いつつも手伝ってくれた。自分の家の片付けもあったのにさ。
ガスは止まったままだったけど、電気は昼前にはついたんだっけな。
我が家の暖房はガスONLYだったので、凍えながら部屋を片付けたなー。
それでもわたしは、タカラヅカに行くつもりだった。
現状がわからなかったから。
なんせテレビでは「転んでケガをした人がひとり」と言っているだけだし。近所のひとたちもみんな無事で、挨拶したし。
きっと大した地震じゃなかったんだ。
我が家がボロいから、こんなことになっているだけで、他のちゃんとした家はどーってことなかったんだ。
さあ、チケット探さなきゃ! タカネくんのバウを観るぞぉーっ。
つけっぱなしにしていたテレビのニュースが、だんだん現実に追いついてきた。
被害者の数が、数分おきに増える。
燃え続ける街の映像が映る。
あ、あれ?
転んでケガした人ひとりだったはずなのに。
死者の数が、増え続けてる。
高速道路、ひっくり返ってる? 電車、脱線してる? ええっ??
ここまで大きな事件だと、公的な情報がどれだけ遅いかがわかりました。
地震から何時間かあとまで、わたしはタカラヅカを観るつもりでいたんだもん。
ふつーに。
結局丸1日、部屋を片付けながらニュースを見ていたな。
あの日。
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