太田哲則作『それでも船は行く』を語る、というか、『それでも船は行く』を使って太田哲則を語るというか。……の、続き。
わたしは太田作品が嫌いなので、どーしても視点が偏っていると思います。
それを踏まえた上で、読んでくださいませ。
えー、『それでも…』のネタは、太田せんせは過去に複数回使ってます。わたし程度の人間でも、2本は知ってるし、大きなネタだけでなく小さなネタも合わせればもっと他の作品のネタともかぶっていると思う。
すごいなー。
そしてさらにすごいのは、その同じネタと話を焼き直すことの、言い訳。
「古典的な話だから、ありきたり」ときたもんだ。kineさんに見せてもらったプログラムの、太田本人の言葉。わたしはプログラム買ってないので、本人の言葉まんまはおぼえてない。わたしのフィルター通したうえでの言葉(すまんのう、私感入ってて)。
わたしには、「『それでも船は行く』は焼き直しじゃない、もともとありきたりな話なんだ」って意味で書いているとしか思えないんだ。
もちろん、「人々がおもしろいと感じる物語」にはパターンがある。それに従って書けば、どうしても似たような話になるだろう。
しかし。
世の中のありきたりの話ってのは、「主人公が別の名を名乗って元恋人をだます。元恋人にはキザりまくりの成金の婚約者がいる。主人公と元恋人はえんえん舌戦をかわす。ふたりの出会いが回想形式ではいる。彼らは本当は愛し合っているが、タイミングが悪くてケンカ、別れるに至った。嘘で混乱した空間に、犯罪者とそれを追う者が入り乱れる。最後は登場人物それぞれカップルになって大団円」という話しかない、わけじゃない。
ここまで過去の自分の作品と同じネタを使っておきながら「焼き直しじゃなく、世の中の古典的ネタを使ったら、ありきたりになった」と言い切る姿勢に、疑問。「ありきたりな古典的ネタ」ってのは、このひとつだけなの? ここまで同じ符丁だけで構成されるの? 他のパターンは存在しないの?
しかも太田せんせ、ものすげえことに断言してます。
「『それでも船は行く』は、ありきたりな話。それがおもしろくできないとしたら、出演者の力不足」
出演者、だけの責任?
焼き直し的ありきたりな話を書いた作者には、責任がないの?
この薄っぺらい先の見えるご都合主義脚本には、なんの問題もないのね。破綻してない、ということしか取り柄のない、他の欠点をすべて「オシャレ」という抽象的な形容で正当化している作品が。
なんて誠意のない。
わたしは、作品を書く上での誠意ってものに、興味がある。
誠意のない作品は嫌い。
とはいえ。
おもしろければ、いいのよ。
たとえ作者が「客なんてバカばっかだ。真面目になんか書くもんか。けっ」と鼻をほじりながら書いたとしても、おもしろい作品なら、それでいい。
誠意がなかろーが焼き直しだろーが、おもしろければぜんぜんかまわない。作品と作者は別物だから、「誠意がないからいやだわー」と文句たれるかもしれないが、素直にたのしむ。おもしろいものが欲しいんだもの。
駄作なうえに、誠意もないだと?
『それでも…』がありきたりなのは昔からあるパターンを踏襲しているせいであって、焼き直しだからではないと?
おもしろくなければ、役者のせいだと?
グレイトだ、太田哲則。
悪いのはみんな他人、手柄は全部自分のもの。
見習いたい厚顔さだ……。
やっぱこれぐらいコワレた人でないと、作家にはなれないんだろーな。
太田作品は嫌い。誠意がないから。そのうえ、独りよがりでおもしろくないから。
でも、『それでも船は行く』はもう一度観たいわ。
ジョニー@すずみんに会いたいんだもの。
駄作を必死で盛り上げる、出演者たちの熱いハートに触れたいから。
わたしは太田作品が嫌いなので、どーしても視点が偏っていると思います。
それを踏まえた上で、読んでくださいませ。
えー、『それでも…』のネタは、太田せんせは過去に複数回使ってます。わたし程度の人間でも、2本は知ってるし、大きなネタだけでなく小さなネタも合わせればもっと他の作品のネタともかぶっていると思う。
すごいなー。
そしてさらにすごいのは、その同じネタと話を焼き直すことの、言い訳。
「古典的な話だから、ありきたり」ときたもんだ。kineさんに見せてもらったプログラムの、太田本人の言葉。わたしはプログラム買ってないので、本人の言葉まんまはおぼえてない。わたしのフィルター通したうえでの言葉(すまんのう、私感入ってて)。
わたしには、「『それでも船は行く』は焼き直しじゃない、もともとありきたりな話なんだ」って意味で書いているとしか思えないんだ。
もちろん、「人々がおもしろいと感じる物語」にはパターンがある。それに従って書けば、どうしても似たような話になるだろう。
しかし。
世の中のありきたりの話ってのは、「主人公が別の名を名乗って元恋人をだます。元恋人にはキザりまくりの成金の婚約者がいる。主人公と元恋人はえんえん舌戦をかわす。ふたりの出会いが回想形式ではいる。彼らは本当は愛し合っているが、タイミングが悪くてケンカ、別れるに至った。嘘で混乱した空間に、犯罪者とそれを追う者が入り乱れる。最後は登場人物それぞれカップルになって大団円」という話しかない、わけじゃない。
ここまで過去の自分の作品と同じネタを使っておきながら「焼き直しじゃなく、世の中の古典的ネタを使ったら、ありきたりになった」と言い切る姿勢に、疑問。「ありきたりな古典的ネタ」ってのは、このひとつだけなの? ここまで同じ符丁だけで構成されるの? 他のパターンは存在しないの?
しかも太田せんせ、ものすげえことに断言してます。
「『それでも船は行く』は、ありきたりな話。それがおもしろくできないとしたら、出演者の力不足」
出演者、だけの責任?
焼き直し的ありきたりな話を書いた作者には、責任がないの?
この薄っぺらい先の見えるご都合主義脚本には、なんの問題もないのね。破綻してない、ということしか取り柄のない、他の欠点をすべて「オシャレ」という抽象的な形容で正当化している作品が。
なんて誠意のない。
わたしは、作品を書く上での誠意ってものに、興味がある。
誠意のない作品は嫌い。
とはいえ。
おもしろければ、いいのよ。
たとえ作者が「客なんてバカばっかだ。真面目になんか書くもんか。けっ」と鼻をほじりながら書いたとしても、おもしろい作品なら、それでいい。
誠意がなかろーが焼き直しだろーが、おもしろければぜんぜんかまわない。作品と作者は別物だから、「誠意がないからいやだわー」と文句たれるかもしれないが、素直にたのしむ。おもしろいものが欲しいんだもの。
駄作なうえに、誠意もないだと?
『それでも…』がありきたりなのは昔からあるパターンを踏襲しているせいであって、焼き直しだからではないと?
おもしろくなければ、役者のせいだと?
グレイトだ、太田哲則。
悪いのはみんな他人、手柄は全部自分のもの。
見習いたい厚顔さだ……。
やっぱこれぐらいコワレた人でないと、作家にはなれないんだろーな。
太田作品は嫌い。誠意がないから。そのうえ、独りよがりでおもしろくないから。
でも、『それでも船は行く』はもう一度観たいわ。
ジョニー@すずみんに会いたいんだもの。
駄作を必死で盛り上げる、出演者たちの熱いハートに触れたいから。
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