『さすらいの果てに』キムくんバージョンを観てきました、感想その2。
今回改めて考えさせられたのは、「歌唱力の重要性」だ。
たびたび例に出してアレだが、トンデモお笑い芝居『天の鼓』、アレなんかはものすごい顔ぶれだった。花組を代表する歌手がぞろりそろって出演していたんだ。
あのしっちゃかめっちゃかな芝居を支えていたモノのひとつは、まちがいなく「歌」だ。
どんなに破綻していても世のことわりに反していても、歌に聴き惚れていたら、誤魔化されてしまう。作品のめちゃくちゃさと歌のすばらしさは別だからだ。
今回の『さすらいの果てに』も同じことがいえる。歌に聴き入っていると、他のアラに気が回らなくなる。うん、聴いている間はね。芝居パートになって、まためちゃくちゃなことをされると、「あちゃー」と思うけど。すぐまた歌になって、誤魔化される。その繰り返し。
歌唱力ってのは、ここまで「力」になるのか。
主題歌その他、けっこーいろんなアレンジでリプライズしていたんだ。はじめて気づいた。いつも全部同じ、じゃなかったんだ。そのときのジェフリーの立場や心情にリンクした歌だったんだ。知らなかった。
ふつーに台詞を喋っていた芝居パートから、歌になる。この流れが自然だったことも大きい。芝居と歌がぶつ切れでなく、芝居の延長として、感情の表現として歌があることを、きちんと見せてくれた。
だからなーんか誤魔化されちゃって、笑えなかったんだよなあ。お笑い作品認定だったのに。ジェフリーの感情がなめらかに表現されていたので、キ*ガイに見えなかった……。
台詞の変更は大きかったよ。恋人に「必ず帰るよ」と約束したくせに、そんなことはきれーに忘却、死んでもいいんだボクなんか、とわけわかんねーことをほざいて格好つけていた、ひどい台詞がなくなっていた。恋人のもとへ帰るためにも、今をがんばるんだ、つー、とりあえず筋の通った会話になっていた。
この変更により、ジェフリーとエレノアのラヴストーリーとしてきちんと成立した感がある。
でもお笑い芝居にならなかったのは、この変更だけのことじゃないよなあ。だって、大きな変更はそれだけだったもん。
わたしを震撼させた台詞「せっかく追いつめたのに!」はそのままだった。追いつめたって、なにソレ。なにも追いつめてない、なにもしてない、ただ偶然ばったり会っただけじゃん!! てゆーか、そもそも犯人だという証拠もなにもないんだから! あんたの思いこみにすぎないでしょう?! とゆー、最低最悪の台詞。脳内で事実を都合よく歪曲する、とても気持ち悪い行動。
この台詞は、変更なし。
なのに。
べつに、気持ち悪くなかった。
せっかく追いつめた、というのは、たまたま偶然会ったことを言ってるわけじゃないんだ。会って、上官立ち会いの元で質問をする、このやりとりのことを言ってるんだ。
びっくりだ……ジェフリーが精神異常者に見えない……。ふつーの青年に見える……。
たしかに、脚本は悪いよ。最悪さ。
でも、脚本だけの問題じゃなかったんだ。
ラストのヒロインとの再会も、笑いが起きなかった。
台詞も演出も変わってないはずなのに。ドリフのコントみたいに、観客が笑うシーンだと思っていたのに。
ふ、ふつーの恋愛モノみたいになってる……コントじゃない……。
笑う気満々で行ったのに、笑えなくてうろたえた。
同じ脚本でここまで別物ですか……すげえや。
いいもん観ました。純粋に、「あの駄作をここまで!」という感動と、「板に載ってしまえば、芝居は役者のモノ」という言葉を実感できたことに意味があると思いました。
完全に別カテゴリの別作品だったから、ちがうタイトルの作品を観た、というお得感があるよ。『お笑いの果てに』と『さすらいの果てに』と、ふたつの作品を観たんだ、わたし。
両方観られてよかった。
さて、主役のキムくん。
幕開きから、あの微妙な赤い軍服着てひとりで立っているわけだけど。
小さっ!! と、おどろいてしまったよ。雪組は小柄な組とはいえ、同じ衣装を着た壮くんを見たあとでは、きついわなぁ。
うわー、ちっちぇなー、ちっちぇなー、と思って見ていたんだけど。
途中から、気にならなくなった。
相当バランスのいいスタイルをしてるんだねえ。他のキャストと比べても、ミニマムながらのスタイルのよさはよーっくわかった。これであともう少しでも身長があれば、なんの問題もないのにねー。惜しいねえ。まだキムくん若いんだから、これから身長伸びないかなあ。わたしは20代の間はずっとじわじわ伸びていたぞ。こんな奴もいるんだから、キムくんだって伸びるかも……無理かなあ。
まあ、キムくんの場合、小さいけどオトコマエってのがかっこいいんだけどね。
歌は快感なほどうまいし、演技にしろ余裕。なにより、熱があるのがいい。ほらわたし、半端な温度の人、好きじゃないから。熱いか冷たいかどっちか極めてくれる方が好き。
キムは明るい太陽キャラ。それでいて、熱い。毒すら含む、熱さ。
このまま驀進してくれ。
『お笑いの果てに』では、ヒロインはエドウィン@かなめだったけど、『さすらいの果てに』では、エレノア@かおりちゃんだった。
なにより歌声のすばらしさ。
歌えるヒロインっていいなあ。キムとふたりでハモっちゃうと至福の空間になるよ。
押し出しのいい美人さんなので、これからもたのしみだ。
…………願わくば、もー少しやせてくれるとなお美しいだろう。フィナーレ・ドレスの二の腕見て、親近感をおぼえてしまったよ……。
ヒロインではなく、あくまでも上官+友人の位置に落ち着いたエドウィン@コマくん。同じくらい小柄だから、キムくんの横にいるとバランスが苦しく見えちゃったけど、まあそこはソレ。
かわいこちゃんキャラとしてしか知らなかったので、まっとーに濃い男をやっているのが新鮮。底力があるよねえ。
なんかコマくん見ててさ、しみじみ思ったよー。
あさこ、コマ、きりやんと並べて、グラデーションを作ってみたい。
おもしろいと思うけどなー、この3人が並んでくるくる踊ってたら。
刑事@そらくんを見て、隣のkineさんが肩をふるわせてました。正直な奴(笑)。
やりすぎで変なキャラになってたけど、美しいから説得力になっていたと思うよ。
へんだなあ、刑事さんはふつーに仕事しているだけの人なのに、どーしてこの作品では「悪」として描かれてるんだろー。ま、超駄作になに言っても無駄だけどさ。
クレイトン@宙輝れいか、とにかく潔い姿で目についたんだわ、芝居では。中年悪役を演じるための役作りで肉布団着込んでふくれあがり、ライバルは汝鳥伶!てなスタイルになってまで、役を追及するのか、すげえや。と、思ってたのよ。
だからフィナーレのフリルおブラウス姿を見て、顎が落ちた。
役作りのための肉布団やなくて、本物のお肉やったんかいっ!
そらくんがクレイトンでもよかったんでは……?
それにしても、今日一日主題歌がアタマの中を回ってたよ。歌は偉大だなー。
今回改めて考えさせられたのは、「歌唱力の重要性」だ。
たびたび例に出してアレだが、トンデモお笑い芝居『天の鼓』、アレなんかはものすごい顔ぶれだった。花組を代表する歌手がぞろりそろって出演していたんだ。
あのしっちゃかめっちゃかな芝居を支えていたモノのひとつは、まちがいなく「歌」だ。
どんなに破綻していても世のことわりに反していても、歌に聴き惚れていたら、誤魔化されてしまう。作品のめちゃくちゃさと歌のすばらしさは別だからだ。
今回の『さすらいの果てに』も同じことがいえる。歌に聴き入っていると、他のアラに気が回らなくなる。うん、聴いている間はね。芝居パートになって、まためちゃくちゃなことをされると、「あちゃー」と思うけど。すぐまた歌になって、誤魔化される。その繰り返し。
歌唱力ってのは、ここまで「力」になるのか。
主題歌その他、けっこーいろんなアレンジでリプライズしていたんだ。はじめて気づいた。いつも全部同じ、じゃなかったんだ。そのときのジェフリーの立場や心情にリンクした歌だったんだ。知らなかった。
ふつーに台詞を喋っていた芝居パートから、歌になる。この流れが自然だったことも大きい。芝居と歌がぶつ切れでなく、芝居の延長として、感情の表現として歌があることを、きちんと見せてくれた。
だからなーんか誤魔化されちゃって、笑えなかったんだよなあ。お笑い作品認定だったのに。ジェフリーの感情がなめらかに表現されていたので、キ*ガイに見えなかった……。
台詞の変更は大きかったよ。恋人に「必ず帰るよ」と約束したくせに、そんなことはきれーに忘却、死んでもいいんだボクなんか、とわけわかんねーことをほざいて格好つけていた、ひどい台詞がなくなっていた。恋人のもとへ帰るためにも、今をがんばるんだ、つー、とりあえず筋の通った会話になっていた。
この変更により、ジェフリーとエレノアのラヴストーリーとしてきちんと成立した感がある。
でもお笑い芝居にならなかったのは、この変更だけのことじゃないよなあ。だって、大きな変更はそれだけだったもん。
わたしを震撼させた台詞「せっかく追いつめたのに!」はそのままだった。追いつめたって、なにソレ。なにも追いつめてない、なにもしてない、ただ偶然ばったり会っただけじゃん!! てゆーか、そもそも犯人だという証拠もなにもないんだから! あんたの思いこみにすぎないでしょう?! とゆー、最低最悪の台詞。脳内で事実を都合よく歪曲する、とても気持ち悪い行動。
この台詞は、変更なし。
なのに。
べつに、気持ち悪くなかった。
せっかく追いつめた、というのは、たまたま偶然会ったことを言ってるわけじゃないんだ。会って、上官立ち会いの元で質問をする、このやりとりのことを言ってるんだ。
びっくりだ……ジェフリーが精神異常者に見えない……。ふつーの青年に見える……。
たしかに、脚本は悪いよ。最悪さ。
でも、脚本だけの問題じゃなかったんだ。
ラストのヒロインとの再会も、笑いが起きなかった。
台詞も演出も変わってないはずなのに。ドリフのコントみたいに、観客が笑うシーンだと思っていたのに。
ふ、ふつーの恋愛モノみたいになってる……コントじゃない……。
笑う気満々で行ったのに、笑えなくてうろたえた。
同じ脚本でここまで別物ですか……すげえや。
いいもん観ました。純粋に、「あの駄作をここまで!」という感動と、「板に載ってしまえば、芝居は役者のモノ」という言葉を実感できたことに意味があると思いました。
完全に別カテゴリの別作品だったから、ちがうタイトルの作品を観た、というお得感があるよ。『お笑いの果てに』と『さすらいの果てに』と、ふたつの作品を観たんだ、わたし。
両方観られてよかった。
さて、主役のキムくん。
幕開きから、あの微妙な赤い軍服着てひとりで立っているわけだけど。
小さっ!! と、おどろいてしまったよ。雪組は小柄な組とはいえ、同じ衣装を着た壮くんを見たあとでは、きついわなぁ。
うわー、ちっちぇなー、ちっちぇなー、と思って見ていたんだけど。
途中から、気にならなくなった。
相当バランスのいいスタイルをしてるんだねえ。他のキャストと比べても、ミニマムながらのスタイルのよさはよーっくわかった。これであともう少しでも身長があれば、なんの問題もないのにねー。惜しいねえ。まだキムくん若いんだから、これから身長伸びないかなあ。わたしは20代の間はずっとじわじわ伸びていたぞ。こんな奴もいるんだから、キムくんだって伸びるかも……無理かなあ。
まあ、キムくんの場合、小さいけどオトコマエってのがかっこいいんだけどね。
歌は快感なほどうまいし、演技にしろ余裕。なにより、熱があるのがいい。ほらわたし、半端な温度の人、好きじゃないから。熱いか冷たいかどっちか極めてくれる方が好き。
キムは明るい太陽キャラ。それでいて、熱い。毒すら含む、熱さ。
このまま驀進してくれ。
『お笑いの果てに』では、ヒロインはエドウィン@かなめだったけど、『さすらいの果てに』では、エレノア@かおりちゃんだった。
なにより歌声のすばらしさ。
歌えるヒロインっていいなあ。キムとふたりでハモっちゃうと至福の空間になるよ。
押し出しのいい美人さんなので、これからもたのしみだ。
…………願わくば、もー少しやせてくれるとなお美しいだろう。フィナーレ・ドレスの二の腕見て、親近感をおぼえてしまったよ……。
ヒロインではなく、あくまでも上官+友人の位置に落ち着いたエドウィン@コマくん。同じくらい小柄だから、キムくんの横にいるとバランスが苦しく見えちゃったけど、まあそこはソレ。
かわいこちゃんキャラとしてしか知らなかったので、まっとーに濃い男をやっているのが新鮮。底力があるよねえ。
なんかコマくん見ててさ、しみじみ思ったよー。
あさこ、コマ、きりやんと並べて、グラデーションを作ってみたい。
おもしろいと思うけどなー、この3人が並んでくるくる踊ってたら。
刑事@そらくんを見て、隣のkineさんが肩をふるわせてました。正直な奴(笑)。
やりすぎで変なキャラになってたけど、美しいから説得力になっていたと思うよ。
へんだなあ、刑事さんはふつーに仕事しているだけの人なのに、どーしてこの作品では「悪」として描かれてるんだろー。ま、超駄作になに言っても無駄だけどさ。
クレイトン@宙輝れいか、とにかく潔い姿で目についたんだわ、芝居では。中年悪役を演じるための役作りで肉布団着込んでふくれあがり、ライバルは汝鳥伶!てなスタイルになってまで、役を追及するのか、すげえや。と、思ってたのよ。
だからフィナーレのフリルおブラウス姿を見て、顎が落ちた。
役作りのための肉布団やなくて、本物のお肉やったんかいっ!
そらくんがクレイトンでもよかったんでは……?
それにしても、今日一日主題歌がアタマの中を回ってたよ。歌は偉大だなー。
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