『坂』=『舞』>『鳥』>>>『花』かな…微妙だな…。@長崎しぐれ坂
2005年5月16日 タカラヅカ「でも、『長崎』と『青い鳥』だと、どっちがマシですか?」
星組初日。芝居が終わってヘコんでいたわたしとkineさん。わたしがトドの役のめちゃくちゃさに憤慨していると、kineさんが上記の質問をした。
「う。……な、『長崎』の方がマシ……」
そこまで『青い鳥を捜して』が嫌いだったのか、わたし。
ひどいわkineさん、『長崎』と『青い鳥』なんて、駄作ばかりを選択肢にするなんて。
てなことをわたしが言うと、
「じゃあ『花供養』」
と、さらに駄作で追い打ちをかけてくれる。
ひ、ひどいわ。『長崎』に『青い鳥』に『花供養』って、ヅカ史上でもワーストランキングに輝くだろう作品ばかり並べなくても……。
「最近のトド様の主演作を並べただけですが」
トド様ほんと、駄作にしか出てないよな……。
植田前理事長に気に入られるってことは、駄作出演率限りなくUPってことだもんな……。
わたしは長くトドファンをやっているが、トド様主演ビデオはほとんど持っていない。だって彼、ろくな作品に主演してないもの……。作品に惚れなきゃソフトは買えないよ。
トド様主演で名作ってあったっけか……『凱旋門』ぐらい? そ、それだけなのか? あんなに長く主演ばっかやってきて、たった1本? 思えば不幸なジェンヌだな……。
2番手以下時代なら、名作にも出演してるんだけど。『エリザベート』とか『ふたりだけの戦場』とか。
「主役がわがままで、周りをかき回すって話ばっかりですね」
『長崎』『青い鳥』『花供養』の共通点を、kineさんは容赦なく指摘する。
ちょっと待ってよ、最近のトド様主演作で、名作がちゃんとあるわっ。
「『ドリキン』はよかったもん!」
近年のトド作品の最高峰は、『ドリーム・キングダム』よ。ごめんよコムちゃん、とりあえず主役カウントさせてね、だってそーでないとあまりにもトド作品てば……ゲフンゲフン。
『青い鳥』『花供養』など、名だたる駄作と肩を並べる『長崎しぐれ坂』。
それでも、ヴィジュアル的に他ふたつよりなんぼかマシ。幕開きから20分はノーカウントで。
『長崎』の駄作感をすばらしく盛り上げているのが、しょぼくて気が遠くなるほど長いプロローグですわ。
ミエコ大先生の発表会をやらなければならなかったらしく、芝居としての意味も意義もない、ただどーでもいー日舞シーンがだらだら続く。
そのなかに、言い訳のよーな子役シーンが入り、背景を神輿の絵がゴのつく生き物のよーに、ちょろちょろと動く。
……最悪ですとも。
このシーンのたのしみは、めーっちゃたのしそうな玉持ちのすずみんを見ることぐらいっすよ。
あー、癒やされるわ、あの笑顔……。
わたしはこの物語の、「無神経さ」がなにより気持ち悪いと思っている。
植爺とはきっと、魂の根幹部分でわかりあえないんだわ。
彼が「正」と思うものが、いちいちわたしには「誤」に思えるんだもの。
彼の持つ「ゆがみ」は、時代ゆえかもしれない、とは思う。
母親は大好きだけど、女は嫌い、なことだとか、暴力や権力の捉え方、美しいものとそうでないものの感覚とか。
昭和ヒト桁生まれゆえかもしれん。大日本帝国万歳の教育を受けた人だからなぁ。感覚がチガウのは不可抗力かもしんない。
まあ、植爺と生涯わかりあえなくても、べつにかまわないけどさ。
このまちがった感覚の物語を、どうやったら立て直すことができるのか。
とりあえず、細部の無神経さをひとつずつなんとかすれば、マシな話にすることは可能だと思う。
大筋は変えないで、檀ちゃんの出番もないまま、せんどーさんの役もないまま。……いちばんいいのは全部1から書き直すことだけど、わたしはいつも、「最小限の手直し」を考えるから。今のままの作品を、どーやったらマシにできるか、を考えるのが醍醐味だから。
伊佐次の台詞を変える。無神経な壊れた台詞を、他人を思いやる台詞に変更する。それと、意味もなく女を殴るのをやめる。
主人公である伊佐次が「いい男」でないと、そんな男に惚れている卯之助がただのバカになるし、振り回される周囲の人々も全員アタマがおかしく見えてしまう。
無法者だが、義に厚い、心意気のある男だと描写する。
おしまが身を引く理由を明確にする。自分の身を守るためだけにとっとと安全なところへ逃げていったとも取れる今の薄〜い書き方ではなく、愛する男のために泣く泣く身を引いたのだと、台詞だけでいいから、これでもかと強調する。
おしまがしょーもない女だと、そんな女に惚れている伊佐次の値打ちが下がる。伊佐次至上主義というコンセプトで成立している世界なので、とにかく伊佐次を「いい男」に描くことを最優先しなければならない。
台詞を変える。ただそれだけ、これっぽっちの変更でも、印象はぜんぜん変わると思うんだけど。
これが「最小限の手直し」。いちばん簡単、明日からでもできますわよ! な即席手直し法。それこそ、『お笑いの果てに』の台詞が途中で変更になった・変更できた、ように。(『お笑いの果てに』も、物語の壊れっぷりはどうしよーもないけど、とりあえず主人公ジェフリーがキ*ガイでなくなれば、マシになるという意味で、彼の台詞が急遽変更になったわけっしょ?)
このうえさらに手を加えるなら、他のキャラの使い方、無駄な演出の修正などになっていくわけな。
まあ、それはもういいや。
語るのもめんどくせー。
それでも、「物語」として『花舞う長安』よりはマシなんだよなあ。
なにしろ『長安』は、「物語」として成立以前だったんで、「最小限の手直し」など存在しなかった。「1から全部書き直す以外に、救済処置ナシ」という、ありえないほどあっぱれな作品だったからなー。ははは。
でも、『長安』と『長崎』だったら、どっちがマシかな……? どっちも同じくらい「嫌い」だけどな(笑)。
星組初日。芝居が終わってヘコんでいたわたしとkineさん。わたしがトドの役のめちゃくちゃさに憤慨していると、kineさんが上記の質問をした。
「う。……な、『長崎』の方がマシ……」
そこまで『青い鳥を捜して』が嫌いだったのか、わたし。
ひどいわkineさん、『長崎』と『青い鳥』なんて、駄作ばかりを選択肢にするなんて。
てなことをわたしが言うと、
「じゃあ『花供養』」
と、さらに駄作で追い打ちをかけてくれる。
ひ、ひどいわ。『長崎』に『青い鳥』に『花供養』って、ヅカ史上でもワーストランキングに輝くだろう作品ばかり並べなくても……。
「最近のトド様の主演作を並べただけですが」
トド様ほんと、駄作にしか出てないよな……。
植田前理事長に気に入られるってことは、駄作出演率限りなくUPってことだもんな……。
わたしは長くトドファンをやっているが、トド様主演ビデオはほとんど持っていない。だって彼、ろくな作品に主演してないもの……。作品に惚れなきゃソフトは買えないよ。
トド様主演で名作ってあったっけか……『凱旋門』ぐらい? そ、それだけなのか? あんなに長く主演ばっかやってきて、たった1本? 思えば不幸なジェンヌだな……。
2番手以下時代なら、名作にも出演してるんだけど。『エリザベート』とか『ふたりだけの戦場』とか。
「主役がわがままで、周りをかき回すって話ばっかりですね」
『長崎』『青い鳥』『花供養』の共通点を、kineさんは容赦なく指摘する。
ちょっと待ってよ、最近のトド様主演作で、名作がちゃんとあるわっ。
「『ドリキン』はよかったもん!」
近年のトド作品の最高峰は、『ドリーム・キングダム』よ。ごめんよコムちゃん、とりあえず主役カウントさせてね、だってそーでないとあまりにもトド作品てば……ゲフンゲフン。
『青い鳥』『花供養』など、名だたる駄作と肩を並べる『長崎しぐれ坂』。
それでも、ヴィジュアル的に他ふたつよりなんぼかマシ。幕開きから20分はノーカウントで。
『長崎』の駄作感をすばらしく盛り上げているのが、しょぼくて気が遠くなるほど長いプロローグですわ。
ミエコ大先生の発表会をやらなければならなかったらしく、芝居としての意味も意義もない、ただどーでもいー日舞シーンがだらだら続く。
そのなかに、言い訳のよーな子役シーンが入り、背景を神輿の絵がゴのつく生き物のよーに、ちょろちょろと動く。
……最悪ですとも。
このシーンのたのしみは、めーっちゃたのしそうな玉持ちのすずみんを見ることぐらいっすよ。
あー、癒やされるわ、あの笑顔……。
わたしはこの物語の、「無神経さ」がなにより気持ち悪いと思っている。
植爺とはきっと、魂の根幹部分でわかりあえないんだわ。
彼が「正」と思うものが、いちいちわたしには「誤」に思えるんだもの。
彼の持つ「ゆがみ」は、時代ゆえかもしれない、とは思う。
母親は大好きだけど、女は嫌い、なことだとか、暴力や権力の捉え方、美しいものとそうでないものの感覚とか。
昭和ヒト桁生まれゆえかもしれん。大日本帝国万歳の教育を受けた人だからなぁ。感覚がチガウのは不可抗力かもしんない。
まあ、植爺と生涯わかりあえなくても、べつにかまわないけどさ。
このまちがった感覚の物語を、どうやったら立て直すことができるのか。
とりあえず、細部の無神経さをひとつずつなんとかすれば、マシな話にすることは可能だと思う。
大筋は変えないで、檀ちゃんの出番もないまま、せんどーさんの役もないまま。……いちばんいいのは全部1から書き直すことだけど、わたしはいつも、「最小限の手直し」を考えるから。今のままの作品を、どーやったらマシにできるか、を考えるのが醍醐味だから。
伊佐次の台詞を変える。無神経な壊れた台詞を、他人を思いやる台詞に変更する。それと、意味もなく女を殴るのをやめる。
主人公である伊佐次が「いい男」でないと、そんな男に惚れている卯之助がただのバカになるし、振り回される周囲の人々も全員アタマがおかしく見えてしまう。
無法者だが、義に厚い、心意気のある男だと描写する。
おしまが身を引く理由を明確にする。自分の身を守るためだけにとっとと安全なところへ逃げていったとも取れる今の薄〜い書き方ではなく、愛する男のために泣く泣く身を引いたのだと、台詞だけでいいから、これでもかと強調する。
おしまがしょーもない女だと、そんな女に惚れている伊佐次の値打ちが下がる。伊佐次至上主義というコンセプトで成立している世界なので、とにかく伊佐次を「いい男」に描くことを最優先しなければならない。
台詞を変える。ただそれだけ、これっぽっちの変更でも、印象はぜんぜん変わると思うんだけど。
これが「最小限の手直し」。いちばん簡単、明日からでもできますわよ! な即席手直し法。それこそ、『お笑いの果てに』の台詞が途中で変更になった・変更できた、ように。(『お笑いの果てに』も、物語の壊れっぷりはどうしよーもないけど、とりあえず主人公ジェフリーがキ*ガイでなくなれば、マシになるという意味で、彼の台詞が急遽変更になったわけっしょ?)
このうえさらに手を加えるなら、他のキャラの使い方、無駄な演出の修正などになっていくわけな。
まあ、それはもういいや。
語るのもめんどくせー。
それでも、「物語」として『花舞う長安』よりはマシなんだよなあ。
なにしろ『長安』は、「物語」として成立以前だったんで、「最小限の手直し」など存在しなかった。「1から全部書き直す以外に、救済処置ナシ」という、ありえないほどあっぱれな作品だったからなー。ははは。
でも、『長安』と『長崎』だったら、どっちがマシかな……? どっちも同じくらい「嫌い」だけどな(笑)。
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