笑うリュドヴィーク。@マラケシュ・紅の墓標
2005年6月15日 タカラヅカ 東宝版『マラケシュ・紅の墓標』を観て、おどろいたこと。
リュドヴィークが、別人。
誰ですか、アレ。
ひとことで言うなら、ご機嫌さんなリュドでした。
たのしそーだ。
最果ての地マラケシュで、なんとも伸びやかに生きている。
にっこにっこ笑ってるし。
レオンと軽口叩き合って、いちゃついてるし。
あー、なんか、リュドヴィーク、元気だー。ちゃんと生活してんじゃん。
ムラで観たときのとてつもない厭世観、デカダンでアンニュ〜イなリュド様はいったいどちらへ……?
もちろん、ひとりでたたずんでいるときとかは、ちゃんと黄昏れてるんだけど。
ひとと一緒のときはそれなりに、たのしそう。
それだけならまだ、「別人」とまでは思わなかった。
静と動の対比、ひとと交わっている間はけっこう陽気で、ひとりのときの孤独感を際立たせるのはアリだと思うから。
ただ。
なによりおどろいたのは、パリ時代の変化。
わたしはなにしろ寿美礼ちゃんファンなので、パリ時代のリュドは大好きだった。
下手花道に迫り上がってくる瞬間から、やーん、寿美礼ちゃん若〜い、かわい〜! てなもんで、いつも大喜びしてたんだもの。
よくもここまで変われるよね、ってくらい、パリ時代のリュドは若い。田舎から大望を抱いて出てきた男の子、ってのがよくわかる。きらきらした無邪気さがあった。
レヴュースターのイヴェットが愛するようになるのも納得の、純粋さを持った若者だった。
ああイヴはリュドの中に、自分のが持たないモノ、なくしてしまったモノを求めたのね。……そう思えた。
少年が持つ無謀なまでの純粋さ。
それを見るのが大好きだったから、オペラグラスを早々にセットして、セリ上がりを待っておりましたよ。出てくるタイミングまでおぼえてるもん(笑)。
そしたら。
現れたリュドヴィークは。
無邪気な子どもでは、なかった。
暗い目をした大人の男だった。
なにかに飢えながら都会に出てきた男。
えええ?!
なにコレ、なんなの? リュドが別人だよ。きらきらした男の子じゃない。マラケシュ時代よりさらに、むきだしの絶望があるよ??
イヴェットと恋に落ちる意味が、変わっている。
お互いに持ち得ないモノを見つけたんじゃない。
同じ魂を、そこに見てしまったからだ。
だから、吸い寄せられるように、ふたりは互いを求め合う。
同じいびつな魂。同じところが同じカタチで欠けているから、どんなに重ねても、重なり合わない。
永遠に欠けたまま。
破滅の予感。
すさんだ瞳で愛し合うふたり。デュエットダンスは痛ましさに充ちていて。
若いから。
魂の傷も飢えも、なにもかもが剥き出しだ。
…………痛いんですけど。
なんか、ムラ版とはちがった痛みに充ちてるんですけど。
リュドが、別人。
若い絶望に荒れ果てていたパリ時代。
そして、大人の余裕を身につけ、にこやかにしなやかに世間を渡るマラケシュ時代。
ムラ版と逆です。
純粋無垢な若者→退廃的な大人じゃない。
さらに屈折してやがります。
イヴとリュドの同一感が高まったおかげで、悲劇も別れも、そして「螺旋階段のイヴ」っぷりも際立った感じだ。
なんにせよ、マラケシュ時代のリュドはたのしそうで。
コルベットのこと大好きみたいね。完璧に信頼し、甘えてる感じ。
コルベットもまた、リュドへの愛情が上がってるよなあ。台詞も増えてたし。「ずっと一緒だ」って、なんでわざわざそんなことを言うんだろー。
でもわたしはかえって、コルベットとリュドはプラトニックな関係かも、と、ちとヘコんだわ(笑)。
コルベットにとってのリュドが「娘の恋人」「娘の恩人」なら、恋愛対象にもなるだろうけど、「娘そっくりの魂を持つモノ」ぢゃ、手は出せないでしょー。
娘そっくり、つまりは「実の息子のようなモノ」である以上、ナニもしてない気がする……。
コルベットのリュドへの愛情が上がってるのは、「息子」として愛しているからじゃないだろーか。
リュドもそれがわかってるから、彼のことを「父親」として愛し、甘えてみせているんじゃなかろーか。
まあ、プラトニックってのはある意味ヤりまくり関係よりエロいから、それはそれでいいんだけど(笑)。
そしてリュド、レオンのこと、ちゃんと好きになってるんだー。よかったー。
ムラ版では、リュドがあまりにレオンを愛してないのでさみしかったんだけど、東宝版では愛が見える。
「ペテン師」「詐欺師」と罵り合うところ、笑いながら言ってるし。ふざけあってますよ、いちゃついてますよ。
銀橋の掛け合いソングも、殺伐とした雰囲気はなく、親友同士みたいなムードがある。
よかった。リュドがレオンを愛してないと、レオンの悲劇が生きないもんよ。
マラケシュで生きるリュドヴィークは、それなりにしあわせそうだ。
パリのころより、ずっと。
もういいじゃん。
パリなんか忘れちまえよ。
あんたの生きる場所はここだよ。
マラケシュがどうこうじゃない。
あんたを愛する人たちがいる場所、あんたが微笑める場所、それがあんたのいるべきところだよ。
マラケシュこそが、リュドヴィークの「家」だよ。
彼はノマドなんかじゃない。
ここが、彼のいるところ。
なのにリュド自身はそれに気づいてない。
自分がちゃんとここで生きていること。
彼が求めるカタチではないにしろ、ちゃんと愛し合いながら生きているのに。
オリガと出会い、イヴと再会し、リュドはパリを目指すようになる。
パリになんか、行けっこないのに。
彼が求める「パリ」はこの世のどこにもないのに。
リュドとレオンのシンクロ率が上がってる?
幻のパリを求めているのは前から同じだったけど。
ふたりとも、しあわせはふつーにマラケシュにあったのに、それに気づかずに破滅する。
ムラ版では、白人であるリュドは「よそ者」で、マラケシュは彼の居場所には見えなかったから、レオンとはずいぶんチガウ立場に見えたけど。
東宝では、リュドはレオンに負けず劣らずマラケシュに馴染んでいて、そのくせ、そのことに気づいていないもんだから。
なんか、逆ベクトルでありながらも、ふたりの男のシンクロ率が上がってる気がする。
リュドがレオンを好きな以上、アリの存在がたのしくなってくるねっ。
三角関係めいて見えるぞ(笑)。
アリはレオンを好きだったと思うよ。ただ、それはこの物語では書かれていない。
アリがレオンを憎むよーになるところからしか、描いてないんだもんよ。
つまり、レオンが「こんな街、出て行ってやる」と言うところからはじまるから。
マラケシュを否定し、出て行くというレオン。
それは、アリを否定し、捨てていくということだから。
アリがレオンを「敵」認定したのちしか、描かれてないからわかりにくい。でも、アリはちゃんとレオンを好きだったと思う。
だからこそ、彼の中で殺意はずっとくすぶっていた。
捨てられるぐらいなら、この手で殺してやると。
リュドが「人を愛し、にこやかに生活する」だけで、こんなに人間関係が変わってくる(笑)。
他の話はまた別の欄で。
リュドヴィークが、別人。
誰ですか、アレ。
ひとことで言うなら、ご機嫌さんなリュドでした。
たのしそーだ。
最果ての地マラケシュで、なんとも伸びやかに生きている。
にっこにっこ笑ってるし。
レオンと軽口叩き合って、いちゃついてるし。
あー、なんか、リュドヴィーク、元気だー。ちゃんと生活してんじゃん。
ムラで観たときのとてつもない厭世観、デカダンでアンニュ〜イなリュド様はいったいどちらへ……?
もちろん、ひとりでたたずんでいるときとかは、ちゃんと黄昏れてるんだけど。
ひとと一緒のときはそれなりに、たのしそう。
それだけならまだ、「別人」とまでは思わなかった。
静と動の対比、ひとと交わっている間はけっこう陽気で、ひとりのときの孤独感を際立たせるのはアリだと思うから。
ただ。
なによりおどろいたのは、パリ時代の変化。
わたしはなにしろ寿美礼ちゃんファンなので、パリ時代のリュドは大好きだった。
下手花道に迫り上がってくる瞬間から、やーん、寿美礼ちゃん若〜い、かわい〜! てなもんで、いつも大喜びしてたんだもの。
よくもここまで変われるよね、ってくらい、パリ時代のリュドは若い。田舎から大望を抱いて出てきた男の子、ってのがよくわかる。きらきらした無邪気さがあった。
レヴュースターのイヴェットが愛するようになるのも納得の、純粋さを持った若者だった。
ああイヴはリュドの中に、自分のが持たないモノ、なくしてしまったモノを求めたのね。……そう思えた。
少年が持つ無謀なまでの純粋さ。
それを見るのが大好きだったから、オペラグラスを早々にセットして、セリ上がりを待っておりましたよ。出てくるタイミングまでおぼえてるもん(笑)。
そしたら。
現れたリュドヴィークは。
無邪気な子どもでは、なかった。
暗い目をした大人の男だった。
なにかに飢えながら都会に出てきた男。
えええ?!
なにコレ、なんなの? リュドが別人だよ。きらきらした男の子じゃない。マラケシュ時代よりさらに、むきだしの絶望があるよ??
イヴェットと恋に落ちる意味が、変わっている。
お互いに持ち得ないモノを見つけたんじゃない。
同じ魂を、そこに見てしまったからだ。
だから、吸い寄せられるように、ふたりは互いを求め合う。
同じいびつな魂。同じところが同じカタチで欠けているから、どんなに重ねても、重なり合わない。
永遠に欠けたまま。
破滅の予感。
すさんだ瞳で愛し合うふたり。デュエットダンスは痛ましさに充ちていて。
若いから。
魂の傷も飢えも、なにもかもが剥き出しだ。
…………痛いんですけど。
なんか、ムラ版とはちがった痛みに充ちてるんですけど。
リュドが、別人。
若い絶望に荒れ果てていたパリ時代。
そして、大人の余裕を身につけ、にこやかにしなやかに世間を渡るマラケシュ時代。
ムラ版と逆です。
純粋無垢な若者→退廃的な大人じゃない。
さらに屈折してやがります。
イヴとリュドの同一感が高まったおかげで、悲劇も別れも、そして「螺旋階段のイヴ」っぷりも際立った感じだ。
なんにせよ、マラケシュ時代のリュドはたのしそうで。
コルベットのこと大好きみたいね。完璧に信頼し、甘えてる感じ。
コルベットもまた、リュドへの愛情が上がってるよなあ。台詞も増えてたし。「ずっと一緒だ」って、なんでわざわざそんなことを言うんだろー。
でもわたしはかえって、コルベットとリュドはプラトニックな関係かも、と、ちとヘコんだわ(笑)。
コルベットにとってのリュドが「娘の恋人」「娘の恩人」なら、恋愛対象にもなるだろうけど、「娘そっくりの魂を持つモノ」ぢゃ、手は出せないでしょー。
娘そっくり、つまりは「実の息子のようなモノ」である以上、ナニもしてない気がする……。
コルベットのリュドへの愛情が上がってるのは、「息子」として愛しているからじゃないだろーか。
リュドもそれがわかってるから、彼のことを「父親」として愛し、甘えてみせているんじゃなかろーか。
まあ、プラトニックってのはある意味ヤりまくり関係よりエロいから、それはそれでいいんだけど(笑)。
そしてリュド、レオンのこと、ちゃんと好きになってるんだー。よかったー。
ムラ版では、リュドがあまりにレオンを愛してないのでさみしかったんだけど、東宝版では愛が見える。
「ペテン師」「詐欺師」と罵り合うところ、笑いながら言ってるし。ふざけあってますよ、いちゃついてますよ。
銀橋の掛け合いソングも、殺伐とした雰囲気はなく、親友同士みたいなムードがある。
よかった。リュドがレオンを愛してないと、レオンの悲劇が生きないもんよ。
マラケシュで生きるリュドヴィークは、それなりにしあわせそうだ。
パリのころより、ずっと。
もういいじゃん。
パリなんか忘れちまえよ。
あんたの生きる場所はここだよ。
マラケシュがどうこうじゃない。
あんたを愛する人たちがいる場所、あんたが微笑める場所、それがあんたのいるべきところだよ。
マラケシュこそが、リュドヴィークの「家」だよ。
彼はノマドなんかじゃない。
ここが、彼のいるところ。
なのにリュド自身はそれに気づいてない。
自分がちゃんとここで生きていること。
彼が求めるカタチではないにしろ、ちゃんと愛し合いながら生きているのに。
オリガと出会い、イヴと再会し、リュドはパリを目指すようになる。
パリになんか、行けっこないのに。
彼が求める「パリ」はこの世のどこにもないのに。
リュドとレオンのシンクロ率が上がってる?
幻のパリを求めているのは前から同じだったけど。
ふたりとも、しあわせはふつーにマラケシュにあったのに、それに気づかずに破滅する。
ムラ版では、白人であるリュドは「よそ者」で、マラケシュは彼の居場所には見えなかったから、レオンとはずいぶんチガウ立場に見えたけど。
東宝では、リュドはレオンに負けず劣らずマラケシュに馴染んでいて、そのくせ、そのことに気づいていないもんだから。
なんか、逆ベクトルでありながらも、ふたりの男のシンクロ率が上がってる気がする。
リュドがレオンを好きな以上、アリの存在がたのしくなってくるねっ。
三角関係めいて見えるぞ(笑)。
アリはレオンを好きだったと思うよ。ただ、それはこの物語では書かれていない。
アリがレオンを憎むよーになるところからしか、描いてないんだもんよ。
つまり、レオンが「こんな街、出て行ってやる」と言うところからはじまるから。
マラケシュを否定し、出て行くというレオン。
それは、アリを否定し、捨てていくということだから。
アリがレオンを「敵」認定したのちしか、描かれてないからわかりにくい。でも、アリはちゃんとレオンを好きだったと思う。
だからこそ、彼の中で殺意はずっとくすぶっていた。
捨てられるぐらいなら、この手で殺してやると。
リュドが「人を愛し、にこやかに生活する」だけで、こんなに人間関係が変わってくる(笑)。
他の話はまた別の欄で。
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