東宝版『マラケシュ・紅の墓標』を観て、おどろいたこと。

 リュドヴィークが、別人。

 誰ですか、アレ。

 ひとことで言うなら、ご機嫌さんなリュドでした。

 たのしそーだ。
 最果ての地マラケシュで、なんとも伸びやかに生きている。
 にっこにっこ笑ってるし。
 レオンと軽口叩き合って、いちゃついてるし。

 あー、なんか、リュドヴィーク、元気だー。ちゃんと生活してんじゃん。
 ムラで観たときのとてつもない厭世観、デカダンでアンニュ〜イなリュド様はいったいどちらへ……?

 もちろん、ひとりでたたずんでいるときとかは、ちゃんと黄昏れてるんだけど。
 ひとと一緒のときはそれなりに、たのしそう。

 それだけならまだ、「別人」とまでは思わなかった。
 静と動の対比、ひとと交わっている間はけっこう陽気で、ひとりのときの孤独感を際立たせるのはアリだと思うから。

 ただ。

 なによりおどろいたのは、パリ時代の変化。

 わたしはなにしろ寿美礼ちゃんファンなので、パリ時代のリュドは大好きだった。
 下手花道に迫り上がってくる瞬間から、やーん、寿美礼ちゃん若〜い、かわい〜! てなもんで、いつも大喜びしてたんだもの。
 よくもここまで変われるよね、ってくらい、パリ時代のリュドは若い。田舎から大望を抱いて出てきた男の子、ってのがよくわかる。きらきらした無邪気さがあった。

 レヴュースターのイヴェットが愛するようになるのも納得の、純粋さを持った若者だった。
 ああイヴはリュドの中に、自分のが持たないモノ、なくしてしまったモノを求めたのね。……そう思えた。
 少年が持つ無謀なまでの純粋さ。

 それを見るのが大好きだったから、オペラグラスを早々にセットして、セリ上がりを待っておりましたよ。出てくるタイミングまでおぼえてるもん(笑)。

 そしたら。

 現れたリュドヴィークは。

 無邪気な子どもでは、なかった。

 暗い目をした大人の男だった。

 なにかに飢えながら都会に出てきた男。
 えええ?!
 なにコレ、なんなの? リュドが別人だよ。きらきらした男の子じゃない。マラケシュ時代よりさらに、むきだしの絶望があるよ??

 イヴェットと恋に落ちる意味が、変わっている。
 お互いに持ち得ないモノを見つけたんじゃない。
 同じ魂を、そこに見てしまったからだ。

 だから、吸い寄せられるように、ふたりは互いを求め合う。

 同じいびつな魂。同じところが同じカタチで欠けているから、どんなに重ねても、重なり合わない。
 永遠に欠けたまま。

 破滅の予感。
 すさんだ瞳で愛し合うふたり。デュエットダンスは痛ましさに充ちていて。

 若いから。
 魂の傷も飢えも、なにもかもが剥き出しだ。

 …………痛いんですけど。
 なんか、ムラ版とはちがった痛みに充ちてるんですけど。

 
 リュドが、別人。
 若い絶望に荒れ果てていたパリ時代。
 そして、大人の余裕を身につけ、にこやかにしなやかに世間を渡るマラケシュ時代。

 ムラ版と逆です。
 純粋無垢な若者→退廃的な大人じゃない。
 さらに屈折してやがります。

 イヴとリュドの同一感が高まったおかげで、悲劇も別れも、そして「螺旋階段のイヴ」っぷりも際立った感じだ。

 
 なんにせよ、マラケシュ時代のリュドはたのしそうで。
 コルベットのこと大好きみたいね。完璧に信頼し、甘えてる感じ。
 コルベットもまた、リュドへの愛情が上がってるよなあ。台詞も増えてたし。「ずっと一緒だ」って、なんでわざわざそんなことを言うんだろー。
 でもわたしはかえって、コルベットとリュドはプラトニックな関係かも、と、ちとヘコんだわ(笑)。
 コルベットにとってのリュドが「娘の恋人」「娘の恩人」なら、恋愛対象にもなるだろうけど、「娘そっくりの魂を持つモノ」ぢゃ、手は出せないでしょー。
 娘そっくり、つまりは「実の息子のようなモノ」である以上、ナニもしてない気がする……。
 コルベットのリュドへの愛情が上がってるのは、「息子」として愛しているからじゃないだろーか。
 リュドもそれがわかってるから、彼のことを「父親」として愛し、甘えてみせているんじゃなかろーか。

 まあ、プラトニックってのはある意味ヤりまくり関係よりエロいから、それはそれでいいんだけど(笑)。

 そしてリュド、レオンのこと、ちゃんと好きになってるんだー。よかったー。
 ムラ版では、リュドがあまりにレオンを愛してないのでさみしかったんだけど、東宝版では愛が見える。
 「ペテン師」「詐欺師」と罵り合うところ、笑いながら言ってるし。ふざけあってますよ、いちゃついてますよ。
 銀橋の掛け合いソングも、殺伐とした雰囲気はなく、親友同士みたいなムードがある。
 よかった。リュドがレオンを愛してないと、レオンの悲劇が生きないもんよ。

 マラケシュで生きるリュドヴィークは、それなりにしあわせそうだ。
 パリのころより、ずっと。

 もういいじゃん。
 パリなんか忘れちまえよ。
 あんたの生きる場所はここだよ。
 マラケシュがどうこうじゃない。
 あんたを愛する人たちがいる場所、あんたが微笑める場所、それがあんたのいるべきところだよ。

 マラケシュこそが、リュドヴィークの「家」だよ。
 彼はノマドなんかじゃない。
 ここが、彼のいるところ。

 なのにリュド自身はそれに気づいてない。
 自分がちゃんとここで生きていること。
 彼が求めるカタチではないにしろ、ちゃんと愛し合いながら生きているのに。

 オリガと出会い、イヴと再会し、リュドはパリを目指すようになる。

 パリになんか、行けっこないのに。
 彼が求める「パリ」はこの世のどこにもないのに。

 リュドとレオンのシンクロ率が上がってる?
 幻のパリを求めているのは前から同じだったけど。
 ふたりとも、しあわせはふつーにマラケシュにあったのに、それに気づかずに破滅する。
 ムラ版では、白人であるリュドは「よそ者」で、マラケシュは彼の居場所には見えなかったから、レオンとはずいぶんチガウ立場に見えたけど。
 東宝では、リュドはレオンに負けず劣らずマラケシュに馴染んでいて、そのくせ、そのことに気づいていないもんだから。
 なんか、逆ベクトルでありながらも、ふたりの男のシンクロ率が上がってる気がする。

 リュドがレオンを好きな以上、アリの存在がたのしくなってくるねっ。
 三角関係めいて見えるぞ(笑)。

 アリはレオンを好きだったと思うよ。ただ、それはこの物語では書かれていない。
 アリがレオンを憎むよーになるところからしか、描いてないんだもんよ。
 つまり、レオンが「こんな街、出て行ってやる」と言うところからはじまるから。
 マラケシュを否定し、出て行くというレオン。
 それは、アリを否定し、捨てていくということだから。
 アリがレオンを「敵」認定したのちしか、描かれてないからわかりにくい。でも、アリはちゃんとレオンを好きだったと思う。
 だからこそ、彼の中で殺意はずっとくすぶっていた。
 捨てられるぐらいなら、この手で殺してやると。

 
 リュドが「人を愛し、にこやかに生活する」だけで、こんなに人間関係が変わってくる(笑)。

 他の話はまた別の欄で。


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