透明通路の向こう。@太陽の塔。
2005年8月7日 オタク話いろいろ。
誰も入ることの出来ない、封印された巨大な塔があった。
昔は、人間たちもその塔へ、自由に入ることができたという。
そんな「昔」は知りようがないけれど、それを裏付けるものが残っていた。
塔の地下に、透明な円筒形をした通路があるのだ。
塔と地面にはわずかだが隙間があり、そこから地下をのぞくことができる。
塔が立てられたのは、わたしたちの住む大地よりも、ひとつ地下からだ。
わたしは子どものころから、その隙間から地下をのぞき込んではわくわくしていた。
あそこに、地下通路がある。
透明チューブのような、SFに出てきそうな通路。
あの通路は、どこにつながっているんだろう?
透明通路の片方の端は、塔の中へ続いている。
では、反対側の端は?
透明通路の入口を見つけることができたら、塔の中へ入れる?
秘密の入口を探して、歩き回った。
真実はきっと、この広大な森のどこかにあるはずだと。
太陽の塔の内部見学に行ってきた。
子どものころから見ているこの巨大モニュメント、「万博当時は、中に入れた」と親から聞かされていたけれど、そんなのただの昔話。
目の前にある太陽の塔は、ただの「像」でしかなかった。
「中」なんて想像つかない。
漠然としたことをあれこれ考えながらも、わたしはわくわくしていた。
塔は直接触れないように手すりでぐるりと囲まれているんだけど、その手すりから身を乗り出して下をのぞくと、「通路」が見えるのよ。
わたしたちがいる「1階」よりも下、「地階」に、太陽の塔内部へと続く、透明チューブ状の通路が見えるの。
もう誰も中に入れない、中は潰してしまったという巨大な塔。
なのに、地下には透明通路がある。
……どきどきしない?
いったいどんな秘密がそこにあるのか。
冒険のにおいがした。
それと同時に。
きゅんとせつなくなったのは、「廃墟」のさみしさだろう。
祭りは終わり、塔の内部は取り壊されたという。入口は埋められ、華やかであったろう「時」をも封印する。
ここにあるのは、残骸なんだ。
廃墟なんだ。
想いだけが残った、夢の奥津城なんだ。
と。
子どものころから、ずっとずっと、年に1回以上必ず万博公園に遊びに行く家庭だったもんで、ほんとにずっと、眺めていたよ、太陽の塔。
昂揚と誇らしさと、切なさを持って。
ずっとずっと、大好き。
もうずっと「特別」な場所だった万博公園、そして「特別」なものだった太陽の塔。
岡本太郎の娘さんによる「太陽の塔」についての講演があった。
太陽の塔はほんとーに30年封印されていたんだって。
んで、娘さんが30年ぶりに、特別に中へ入ったそうだ。
そしたらなんと、中の展示物はほとんど昔のまま放置されていたらしい。
このまま公開してもいいくらい、ちゃんと昔のままだって。
講演会場にまぎれこんでいたわたしは、いたく興味を持った。
だってだって、子どものころからずっと、わくわくしていた秘密の塔なんだよ?
やっぱり、中に入れるんだ。
透明通路の入口は、実在するんだ。
娘さんの講演と、『岡本太郎とEXO’70展』とは、どちらが先だったかな。
たしか万博開催30周年にあたる2000年に、国立美術館で開催された『岡本太郎とEXO’70展』に行って、わたしははじめて「太陽の塔の内部」を見た。……写真と模型で。
どえらいものだった。
だって、太陽の塔は、「テーマ館」なんだよ?
万博のテーマ館なんてものは、大抵毒にも薬にもならないモノだ。
100人の人が見て100人とも「ふーん。まあ、悪くないんじゃない?」と言うよーなもの。そして100人のうち95人までがすぐに内容を忘れてしまうよーな、そんな揚げ足を取られないことだけに終始した、美しくて正しくて、退屈なモノだ。
なのに太陽の塔が「テーマ館」として、毒にあふれた世界を展開していたのだとわかり、べっくらこいた。
こんなとんがった、21世紀の今でも「最先端(つまり、一般的ではない)」と思えるものを、35年も前に「テーマ館」にしていたのかよ……ありえねえ。
わたしが大好きで、ずっと見つめていたあの塔の内部は、こんなにとんでもないものが詰まっていたんだ。すごい。
それからしばらくして。
ついに、太陽の塔の内部見学ができるよーになった。
当時この日記にも書いたが、それは「抽選制」だった。
そしてわたしははずれ、盛大にヘコんだ。あー、たしか、オサちゃんの全ツ『琥珀』をやっていたころだわ(そんなおぼえ方)。
主催者側は、太陽の塔を愛する人々の数が半端でないことを、理解していなかった。
すげーナメた姿勢だったよ、最初の「見学者募集」は。
自分たちの予想と、太陽の塔ファンの温度の差にびびったのだろー。
「見学会」は二転三転し、応募要項は変更の遍歴を重ねた。
そして。
今現在、太陽の塔内部を見学したければ、「まとまった金を出せ」ということになっている。
「はした金はいらねー。ひとりふたりから入場料取ったって、意味ねーんだよ。まとまった金出したヤツだけ、中に入れてやるよ」
<ご利用料金>20名〜 35000円
20人以上いないと、ダメなんだそーだ。
20人で35000円なら、ひとり1750円で入れてくれよー。てのは、無理なんだって。
個人で参加したいときは、「旅行社の見学ツアー」に申し込んで、意地でも団体になれ、と。
つーことで、チェリさんとふたりでツアーに申し込み、行ってきましたよ。ランチバイキング付きで4300円。
ものすげー数の人たちが参加していた。
流れ作業的に、50人グループが次々と塔の中へ入って出て行く。
1日何人来場者がいるんだ?
わたしが子どものころから眺めてはわくわくしていた、透明通路はなくなっていた。いつの間にか、埋め立てられ、手すりからものぞけなくなっていた。
だから、内部へ入る扉もちがっていた。
そう、35年前まんまの姿じゃない。
下から見上げるだけで、当時のようにエスカレータに乗って順番に下から上へ見学することはできない。
床の上を歩くわけだから、床一面にあったという原生動物たちも見本が隅に並べられているのみだ。
魅力は何割減になっているはず。
それでも。
やはり、すごかった。
まるで、巨大な生き物の内臓に入ったような気がした。
壁を覆い尽くした赤い襞。
真ん中にそびえる、極彩色の巨大な「生命の樹」。動き出しそうな奇妙で力強い丸いフォルムの枝には、さまざな生命がその独特の姿をさらしている。
原生動物から、人間までの、進化の過程。
揺さぶられるのは、心なのか。細胞なのか。
心の奥がざわざわして、叫び出したくなる。
わきあがってくるものがある。
たぶん、ちから。
気がつくと、握り拳でね。
わたしみたいな、なんのために生きてるのか、なんの役にも立たない木っ端野郎でも、なにかできる、なにかしたい、そんな原始的なちからがわきあがってくるの。
生きてるってのは、すごいことだ。
生命ってのは、すげーことなんだよ。
子どものころから、あこがれ続けた太陽の塔。
秘密、冒険、廃墟、祭り。
ちからの源。
昔は、人間たちもその塔へ、自由に入ることができたという。
そんな「昔」は知りようがないけれど、それを裏付けるものが残っていた。
塔の地下に、透明な円筒形をした通路があるのだ。
塔と地面にはわずかだが隙間があり、そこから地下をのぞくことができる。
塔が立てられたのは、わたしたちの住む大地よりも、ひとつ地下からだ。
わたしは子どものころから、その隙間から地下をのぞき込んではわくわくしていた。
あそこに、地下通路がある。
透明チューブのような、SFに出てきそうな通路。
あの通路は、どこにつながっているんだろう?
透明通路の片方の端は、塔の中へ続いている。
では、反対側の端は?
透明通路の入口を見つけることができたら、塔の中へ入れる?
秘密の入口を探して、歩き回った。
真実はきっと、この広大な森のどこかにあるはずだと。
太陽の塔の内部見学に行ってきた。
子どものころから見ているこの巨大モニュメント、「万博当時は、中に入れた」と親から聞かされていたけれど、そんなのただの昔話。
目の前にある太陽の塔は、ただの「像」でしかなかった。
「中」なんて想像つかない。
漠然としたことをあれこれ考えながらも、わたしはわくわくしていた。
塔は直接触れないように手すりでぐるりと囲まれているんだけど、その手すりから身を乗り出して下をのぞくと、「通路」が見えるのよ。
わたしたちがいる「1階」よりも下、「地階」に、太陽の塔内部へと続く、透明チューブ状の通路が見えるの。
もう誰も中に入れない、中は潰してしまったという巨大な塔。
なのに、地下には透明通路がある。
……どきどきしない?
いったいどんな秘密がそこにあるのか。
冒険のにおいがした。
それと同時に。
きゅんとせつなくなったのは、「廃墟」のさみしさだろう。
祭りは終わり、塔の内部は取り壊されたという。入口は埋められ、華やかであったろう「時」をも封印する。
ここにあるのは、残骸なんだ。
廃墟なんだ。
想いだけが残った、夢の奥津城なんだ。
と。
子どものころから、ずっとずっと、年に1回以上必ず万博公園に遊びに行く家庭だったもんで、ほんとにずっと、眺めていたよ、太陽の塔。
昂揚と誇らしさと、切なさを持って。
ずっとずっと、大好き。
もうずっと「特別」な場所だった万博公園、そして「特別」なものだった太陽の塔。
岡本太郎の娘さんによる「太陽の塔」についての講演があった。
太陽の塔はほんとーに30年封印されていたんだって。
んで、娘さんが30年ぶりに、特別に中へ入ったそうだ。
そしたらなんと、中の展示物はほとんど昔のまま放置されていたらしい。
このまま公開してもいいくらい、ちゃんと昔のままだって。
講演会場にまぎれこんでいたわたしは、いたく興味を持った。
だってだって、子どものころからずっと、わくわくしていた秘密の塔なんだよ?
やっぱり、中に入れるんだ。
透明通路の入口は、実在するんだ。
娘さんの講演と、『岡本太郎とEXO’70展』とは、どちらが先だったかな。
たしか万博開催30周年にあたる2000年に、国立美術館で開催された『岡本太郎とEXO’70展』に行って、わたしははじめて「太陽の塔の内部」を見た。……写真と模型で。
どえらいものだった。
だって、太陽の塔は、「テーマ館」なんだよ?
万博のテーマ館なんてものは、大抵毒にも薬にもならないモノだ。
100人の人が見て100人とも「ふーん。まあ、悪くないんじゃない?」と言うよーなもの。そして100人のうち95人までがすぐに内容を忘れてしまうよーな、そんな揚げ足を取られないことだけに終始した、美しくて正しくて、退屈なモノだ。
なのに太陽の塔が「テーマ館」として、毒にあふれた世界を展開していたのだとわかり、べっくらこいた。
こんなとんがった、21世紀の今でも「最先端(つまり、一般的ではない)」と思えるものを、35年も前に「テーマ館」にしていたのかよ……ありえねえ。
わたしが大好きで、ずっと見つめていたあの塔の内部は、こんなにとんでもないものが詰まっていたんだ。すごい。
それからしばらくして。
ついに、太陽の塔の内部見学ができるよーになった。
当時この日記にも書いたが、それは「抽選制」だった。
そしてわたしははずれ、盛大にヘコんだ。あー、たしか、オサちゃんの全ツ『琥珀』をやっていたころだわ(そんなおぼえ方)。
主催者側は、太陽の塔を愛する人々の数が半端でないことを、理解していなかった。
すげーナメた姿勢だったよ、最初の「見学者募集」は。
自分たちの予想と、太陽の塔ファンの温度の差にびびったのだろー。
「見学会」は二転三転し、応募要項は変更の遍歴を重ねた。
そして。
今現在、太陽の塔内部を見学したければ、「まとまった金を出せ」ということになっている。
「はした金はいらねー。ひとりふたりから入場料取ったって、意味ねーんだよ。まとまった金出したヤツだけ、中に入れてやるよ」
<ご利用料金>20名〜 35000円
20人以上いないと、ダメなんだそーだ。
20人で35000円なら、ひとり1750円で入れてくれよー。てのは、無理なんだって。
個人で参加したいときは、「旅行社の見学ツアー」に申し込んで、意地でも団体になれ、と。
つーことで、チェリさんとふたりでツアーに申し込み、行ってきましたよ。ランチバイキング付きで4300円。
ものすげー数の人たちが参加していた。
流れ作業的に、50人グループが次々と塔の中へ入って出て行く。
1日何人来場者がいるんだ?
わたしが子どものころから眺めてはわくわくしていた、透明通路はなくなっていた。いつの間にか、埋め立てられ、手すりからものぞけなくなっていた。
だから、内部へ入る扉もちがっていた。
そう、35年前まんまの姿じゃない。
下から見上げるだけで、当時のようにエスカレータに乗って順番に下から上へ見学することはできない。
床の上を歩くわけだから、床一面にあったという原生動物たちも見本が隅に並べられているのみだ。
魅力は何割減になっているはず。
それでも。
やはり、すごかった。
まるで、巨大な生き物の内臓に入ったような気がした。
壁を覆い尽くした赤い襞。
真ん中にそびえる、極彩色の巨大な「生命の樹」。動き出しそうな奇妙で力強い丸いフォルムの枝には、さまざな生命がその独特の姿をさらしている。
原生動物から、人間までの、進化の過程。
揺さぶられるのは、心なのか。細胞なのか。
心の奥がざわざわして、叫び出したくなる。
わきあがってくるものがある。
たぶん、ちから。
気がつくと、握り拳でね。
わたしみたいな、なんのために生きてるのか、なんの役にも立たない木っ端野郎でも、なにかできる、なにかしたい、そんな原始的なちからがわきあがってくるの。
生きてるってのは、すごいことだ。
生命ってのは、すげーことなんだよ。
子どものころから、あこがれ続けた太陽の塔。
秘密、冒険、廃墟、祭り。
ちからの源。
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