最後の台詞。−腐女子注意報?−@長崎しぐれ坂
2005年8月14日 タカラヅカ 『長崎しぐれ坂』の話、つづき。
問題は、卯之助。
とても都合良く、彼は伊佐次の気持ちをもてあそぶんだ。
伊佐次が「会社の犬でいいや。夢よりも安定さ」と思ったときに必ず、「男なら独立して勝負だ。サラリーマンなんかクズだね」とそそのかすんだ。
それも、親切ぶって。
いや、あの、ふつーに考えれば卯之助の言ってること変だし。卯之助の言う通りにしてたら、破滅するよ。
でも卯之助って役人側の人間なんだよね。だから、伊佐次を破滅させるために誘導してるんだ。
……そう思えば、卯之助の言動は正しいことになるが。
さんざん伊佐次をもてあそんだ卯之助は、何故か最後になって言うんだ。
「オマエを守りたかった」と。
はあ?
伊佐次を長生きさせたいなら、しちゃいけないことだけを選んでやっていた男が、なにを言う??
卯之助さえいなければ、余計なことをしなければ、伊佐次はなんの疑問もなく平穏に暮らしていたのに。
伊佐次が「生きよう」と思うたびに、それをひとつひとつ丁寧にひっくり返し「死ね」と誘導しているのが卯之助なのに。
なにしろ植爺だから。
自分がなにを書いているのか、卯之助の言動が不一致なこととかは気づいていないんだろう。
わたしもそれはわかっている。
植爺が人間の心を理解できないから、書けないだけのことだと知った上、壊れていることはわかった上で、さらに話しているのよ。
卯之助は、伊佐次を愛していた。
だから伊佐次を守りたくて、いろいろ画策していた。
これが答えということになっている、植爺脚本。
役人側の人間になって、捕まえるフリで逃がす、というのはわかる。そういう計算はアリだろう。
ここで問題にしているのは、自由をあきらめて檻の中で生きるという伊佐次の決意を、いちいち卯之助が邪魔すること。
伊佐次に死んで欲しくない、というのが植爺のとっておきのどんでん返しらしいが、役人をやっていること以外は全部逆のことしかしてないから。
卯之助は毎日伊佐次のところへやって来て「堕落するくらいなら死を選べ」とにこにこ悪魔のささやきを繰り返していただけだ。
卯之助の愛の告白も、もちろん逆効果だ。
伊佐次にとって「自由」を象徴するモノはおしまだけじゃない。江戸の思い出を共有する卯之助だって、彼にとっては宝物だったんだよ。
役人になったとはいえ、子どものころと同じよーに自分になつく卯之助をかわいがっていたのに、土下座して愛の告白ときたもんだ。
アンドレに毒殺されかかったオスカル並に、ショックだったはずだ。
幼なじみ、という聖域を汚され、もう昔には戻れない、帰るところはこの世のどこにもないのだということを突きつけられ。
伊佐次は、ついに破滅への扉を開く。自分の意志で。
卯之助が余計なことをしなければ、伊佐次は死なずにすんだのに。
すべて、この繰り返し。
伊佐次が生きようとし、卯之助がそれをひっくり返す。
卯之助は、なにがしたかったんだ。
何故彼はいつもいつも、完璧に伊佐次をもてあそび、傷つけ、追いつめたのか。
完全犯罪だよ。
「死なせたくない」「守る」と口では言いながら、やっていることは言質とは反対のことなんだから。
壊れかけたバルコニーの上に殺したい人を誘導して、その人が落ちて死んでも、それは「事故」。誘導した人は罪には問われない。
そーゆー種類の犯罪だよ、これは。
だから。
この物語を正しくするためには、たったひとつ台詞を付け加えればいいんだ。
最後の、愛の小舟で。
自ら破滅へ踏み出した伊佐次が役人に撃たれ、息絶えようとするとき。
伊佐次を抱きしめ、小舟であてもなく海を漂う卯之助が、ひとこと言えばいいんだ。
「本当は、わかってたんだろう? 俺がこの結末を望んでいたことを」
妥協して、大人になって生きようとした伊佐次。
子どものまま、自由な獣のままの伊佐次を愛し、独占したかった卯之助。
卯之助は伊佐次を殺したかった。
殺して、自分だけのモノにしたかった。
彼が、つまらない大人になってしまう前に。どこにでもいる、ただの人間になってしまう前に。
伊佐次もまた、ほんとうはわかっていた。
卯之助ののぞみ……そして、自分の本当ののぞみを。
だから、卯之助によって殺されることを受け入れた。
ねえ?
こーすれば、ものごっつー名作になるんですけど?!
大丈夫、頭の固いおじーさんおばーさんには、最後の台詞の意味なんかわかんないから!!
伊佐次が死ねば「可哀想」って泣いてくれるから!
誰にでもわかるところまででも演歌的にたのしめるし、こっから先はわかる人間にだけわかる、とゆー部分もまたディープにたのしい、オギー的な話になるから!!
たったひとつの台詞で、全部の辻褄が合うんですが。
卯之助も気持ち悪くなくなるし。筋の通った正しいキャラクタになるし。
もちろん、そのたったひとつの台詞、まで筋を通してくれた役者の演技に拍手! ですよ。
トドもワタさんも檀ちゃんも、ひどい脚本なのにあきらめず、あがいてあがいて別の岸にたどり着くところまでやってくれたよ。
おかげで、はじめて思ったのよ。
卯之助×伊佐次でよろしく! と。
生理的に不快な域にあったので、この作品、このキャラクタで萌えることなんてなかったもの。
「うわー、こいつらホモだー(笑)」と笑いはしても、思考はそこでストップしてたのよね。
ホモ萌え、カップリング萌えできるところまでたどりついたわ!!
こっそり追記しておくと、このふたり、一度はなだれこんでると思うの。
例の「愛の告白」シーンで。
卯之助、襲いかかってると思う。
卯之助の言葉にショックを受けた伊佐次の色っぽさと呆然とした感じとかねー、会話の調子が寝物語っぽいのよね。
半分力尽くで、もう半分はショックとあきらめで、強引に抱かれてしまった伊佐次が、破滅に向かって唐人屋敷の外へ出て行くのも、わかるって。
卯之助自身によって、聖域だった「幼なじみ」を汚されてしまったから。伊佐次には、もうなにも残っていない。おしまは去り、卯之助は裏切った。もうなにもない。
ああ、キモいよさぶだよこいつら、と思っていた野郎ふたりだが、せつない系にまではばたきましたよ。
長い道のりだった。しみじみ。
伊佐次×らしゃ、伊佐次×さそり、さそり×らしゃ、までは当然として。
卯之助のキャラに納得がいったために、さらに進みましたよ、世界が。
卯之助×館岡もよろしく!
卯之助は、伊佐次を手に入れるためには手段選ばないから。
小うるさい熱血役人を陥れ、ヤッちゃうくらいするでしょー。
味方にしておくと得だからね。マライヒを手なずけたバンコラン的手法で無問題。
GO! GO! 卯之助!!
あー、よーやくたのしくなったのは、東宝楽前っての、どうなのよ。
らっこ@すずみんも、個人的に萌えです。
だってこいつ、いちばんクールだよね。冷酷というか。五分刈りに袈裟姿、そして毒々しい赤い唇。
20世紀末に流行った「伝奇小説」に出てきそうなキャラだ(笑)。
問題は、卯之助。
とても都合良く、彼は伊佐次の気持ちをもてあそぶんだ。
伊佐次が「会社の犬でいいや。夢よりも安定さ」と思ったときに必ず、「男なら独立して勝負だ。サラリーマンなんかクズだね」とそそのかすんだ。
それも、親切ぶって。
いや、あの、ふつーに考えれば卯之助の言ってること変だし。卯之助の言う通りにしてたら、破滅するよ。
でも卯之助って役人側の人間なんだよね。だから、伊佐次を破滅させるために誘導してるんだ。
……そう思えば、卯之助の言動は正しいことになるが。
さんざん伊佐次をもてあそんだ卯之助は、何故か最後になって言うんだ。
「オマエを守りたかった」と。
はあ?
伊佐次を長生きさせたいなら、しちゃいけないことだけを選んでやっていた男が、なにを言う??
卯之助さえいなければ、余計なことをしなければ、伊佐次はなんの疑問もなく平穏に暮らしていたのに。
伊佐次が「生きよう」と思うたびに、それをひとつひとつ丁寧にひっくり返し「死ね」と誘導しているのが卯之助なのに。
なにしろ植爺だから。
自分がなにを書いているのか、卯之助の言動が不一致なこととかは気づいていないんだろう。
わたしもそれはわかっている。
植爺が人間の心を理解できないから、書けないだけのことだと知った上、壊れていることはわかった上で、さらに話しているのよ。
卯之助は、伊佐次を愛していた。
だから伊佐次を守りたくて、いろいろ画策していた。
これが答えということになっている、植爺脚本。
役人側の人間になって、捕まえるフリで逃がす、というのはわかる。そういう計算はアリだろう。
ここで問題にしているのは、自由をあきらめて檻の中で生きるという伊佐次の決意を、いちいち卯之助が邪魔すること。
伊佐次に死んで欲しくない、というのが植爺のとっておきのどんでん返しらしいが、役人をやっていること以外は全部逆のことしかしてないから。
卯之助は毎日伊佐次のところへやって来て「堕落するくらいなら死を選べ」とにこにこ悪魔のささやきを繰り返していただけだ。
卯之助の愛の告白も、もちろん逆効果だ。
伊佐次にとって「自由」を象徴するモノはおしまだけじゃない。江戸の思い出を共有する卯之助だって、彼にとっては宝物だったんだよ。
役人になったとはいえ、子どものころと同じよーに自分になつく卯之助をかわいがっていたのに、土下座して愛の告白ときたもんだ。
アンドレに毒殺されかかったオスカル並に、ショックだったはずだ。
幼なじみ、という聖域を汚され、もう昔には戻れない、帰るところはこの世のどこにもないのだということを突きつけられ。
伊佐次は、ついに破滅への扉を開く。自分の意志で。
卯之助が余計なことをしなければ、伊佐次は死なずにすんだのに。
すべて、この繰り返し。
伊佐次が生きようとし、卯之助がそれをひっくり返す。
卯之助は、なにがしたかったんだ。
何故彼はいつもいつも、完璧に伊佐次をもてあそび、傷つけ、追いつめたのか。
完全犯罪だよ。
「死なせたくない」「守る」と口では言いながら、やっていることは言質とは反対のことなんだから。
壊れかけたバルコニーの上に殺したい人を誘導して、その人が落ちて死んでも、それは「事故」。誘導した人は罪には問われない。
そーゆー種類の犯罪だよ、これは。
だから。
この物語を正しくするためには、たったひとつ台詞を付け加えればいいんだ。
最後の、愛の小舟で。
自ら破滅へ踏み出した伊佐次が役人に撃たれ、息絶えようとするとき。
伊佐次を抱きしめ、小舟であてもなく海を漂う卯之助が、ひとこと言えばいいんだ。
「本当は、わかってたんだろう? 俺がこの結末を望んでいたことを」
妥協して、大人になって生きようとした伊佐次。
子どものまま、自由な獣のままの伊佐次を愛し、独占したかった卯之助。
卯之助は伊佐次を殺したかった。
殺して、自分だけのモノにしたかった。
彼が、つまらない大人になってしまう前に。どこにでもいる、ただの人間になってしまう前に。
伊佐次もまた、ほんとうはわかっていた。
卯之助ののぞみ……そして、自分の本当ののぞみを。
だから、卯之助によって殺されることを受け入れた。
ねえ?
こーすれば、ものごっつー名作になるんですけど?!
大丈夫、頭の固いおじーさんおばーさんには、最後の台詞の意味なんかわかんないから!!
伊佐次が死ねば「可哀想」って泣いてくれるから!
誰にでもわかるところまででも演歌的にたのしめるし、こっから先はわかる人間にだけわかる、とゆー部分もまたディープにたのしい、オギー的な話になるから!!
たったひとつの台詞で、全部の辻褄が合うんですが。
卯之助も気持ち悪くなくなるし。筋の通った正しいキャラクタになるし。
もちろん、そのたったひとつの台詞、まで筋を通してくれた役者の演技に拍手! ですよ。
トドもワタさんも檀ちゃんも、ひどい脚本なのにあきらめず、あがいてあがいて別の岸にたどり着くところまでやってくれたよ。
おかげで、はじめて思ったのよ。
卯之助×伊佐次でよろしく! と。
生理的に不快な域にあったので、この作品、このキャラクタで萌えることなんてなかったもの。
「うわー、こいつらホモだー(笑)」と笑いはしても、思考はそこでストップしてたのよね。
ホモ萌え、カップリング萌えできるところまでたどりついたわ!!
こっそり追記しておくと、このふたり、一度はなだれこんでると思うの。
例の「愛の告白」シーンで。
卯之助、襲いかかってると思う。
卯之助の言葉にショックを受けた伊佐次の色っぽさと呆然とした感じとかねー、会話の調子が寝物語っぽいのよね。
半分力尽くで、もう半分はショックとあきらめで、強引に抱かれてしまった伊佐次が、破滅に向かって唐人屋敷の外へ出て行くのも、わかるって。
卯之助自身によって、聖域だった「幼なじみ」を汚されてしまったから。伊佐次には、もうなにも残っていない。おしまは去り、卯之助は裏切った。もうなにもない。
ああ、キモいよさぶだよこいつら、と思っていた野郎ふたりだが、せつない系にまではばたきましたよ。
長い道のりだった。しみじみ。
伊佐次×らしゃ、伊佐次×さそり、さそり×らしゃ、までは当然として。
卯之助のキャラに納得がいったために、さらに進みましたよ、世界が。
卯之助×館岡もよろしく!
卯之助は、伊佐次を手に入れるためには手段選ばないから。
小うるさい熱血役人を陥れ、ヤッちゃうくらいするでしょー。
味方にしておくと得だからね。マライヒを手なずけたバンコラン的手法で無問題。
GO! GO! 卯之助!!
あー、よーやくたのしくなったのは、東宝楽前っての、どうなのよ。
らっこ@すずみんも、個人的に萌えです。
だってこいつ、いちばんクールだよね。冷酷というか。五分刈りに袈裟姿、そして毒々しい赤い唇。
20世紀末に流行った「伝奇小説」に出てきそうなキャラだ(笑)。
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