「少年」という名の絶望。@マラケシュ・紅の墓標
2005年8月21日 タカラヅカ 20日ぶりの『マラケシュ・紅の墓標』は、変化していた。
初日のままだとは思っていない。むしろ、初日だけが特異なのだと思う。未完成というか、出たとこ勝負というか。
だからこそわたしは、初日が好きなのだけど。「計算」や「慣れ」の出てくる前の、むきだしのモノがあるから。
完成度で言えば中日以降に比べるべくもないけど、初日には「原点」があっておもしろい。
初日で印象に残ったのは、オサ様の暴走とゆみこちゃんの自爆っぷりだ。
東宝で火花を散らせるよーな演技空間を創っていたあすか。安心したよーにその身を預けていた樹里ちゃん。ふたりを失ったまま、リュドヴィークを演じるオサ様は、なんかもーどえらいことになっていた。
誰も彼の世界にはいないのに、それでもひとりで演技しつづけていた。
ついてこれない人のことはきっぱり置き去りにして。
一方ゆみこは、いっぱいいっぱいだった。オサ様に置いてゆかれていることにも気づいてないんじゃないか、てな空回りぶり。努力が見える、手順が計算が、全部伝わってくる。観ているだけで手に汗握る緊張感。
優等生ゆみこが、ここまでぼろぼろなのは、はじめて見た。
おいおい、すげーことになってんなあ。
と、大変興味深かった博多座版『マラケシュ』初日。
それが今回、まったく別物になっていた。
リュドヴィークはリラックスして呼吸しているし、レオンは純粋に別人だった。
こうきたか、と感心したのは、レオンが少年だったこと。
ここではないどこか、を求める少年。それは理屈ではなく、本能的なモノだ。身体の内側で暴れている飢えを満たすために、あがきつづける。
少年だからこそ、痛い。彼の飢えが。絶望が。
レオンが自分の世界で完結している理由も、これでわかる。彼が少年だからだ。思春期にはありがちなこと。
もちろん少年といっても、年齢的には十分大人だろうよ。精神の話ね。
ひとはいつか魂の中の「少年」を卒業して、大人になる。「少年」が消えてしまう人もいれば、封印する人、殺してしまう人、折り合いを付けて仲良く共に生きる人、と様々だ。
でもなかには、自分の中の「少年」に殺されてしまう人もいる。大人になること、汚れること、賢くなること……そんなことを拒絶して、きれいなまま破滅してしまう人。
「少年」であることは、絶望だ。
壊れることが前提の、美しいもの。
なくなることがわかっているなら、はじめからなければ楽なのに。
「世界」と「少年」である自分との軋轢で崩壊する自我。
レオンがかなしいのは、それゆえ。
いやあ、すばらしいですよ。
レオンの傷付いた瞳。
自分がなにに苛立ち、なにに傷付いているかもわからない、いや、認めたくない若い獣の眼。壮絶に色っぽい眼で、手に入れ征服しつくした獲物……恋人のファティマをむさぼります。
このレオンは大変素敵です。
もういっぱいいっぱいでも、手順命でもない。ちゃんとレオンとしてそこに生きています。
なにより美しいしな。
今まででいちばん美しいゆみこちゃんがいます。
すげー。
やっぱゆみこって、傷ついた役をやると、美貌が輝くよなー。得難い持ち味だ。(のーてんきな役をやるとスベるという、両刃の持ち味でもあるが……)
少年レオンに対するリュドヴィークもいい感じ。
対等な相手ではないけれど、見下しているわけでもなく、年下の仲間としてちょっと引いた位置からかわいがっている感じ。
カケラの愛情もなく殺伐としているより、ずっといいよ。
かわいいもの、リュドもレオンも。
コルベットとも打ち解けているし、初日に見た壮絶な孤独感が薄れ、リュドはそれなりに呼吸してマラケシュで生きているようだった。
これはこれでいいんだけど。
てゆーか、明らかに初日よりよくなってるんだけど。
初日の悲壮感漂うオサ様も、大変美味だったので、ちょっと残念だったりもする(笑)。
ショーではオサちゃんとゆみこちゃんがラヴラヴで、とっても気持ちいいしなー。オサゆみはいいよなー。
コメディアンはサムくて痛々しくて、見ていても大変だけどさー(笑)。
オサゆみといえば、個人的に「安蘭フェス」……ぢゃなくて(なんなのこのたのしそーな変換は)「アランフェス」の、あるシーンがお気に入り。
キスシーンぢゃないよ。
樹里ちゃんのときはしてなかったのに、ゆみこが相手だとチューするんですか、そーですか、という、あのシーンじゃなくて。
ふたりが抱きあうときに、オサ様がゆみこの肩にすがるよーに安心したよーに、頬を載せる一瞬が、ものすごーく好きなの。
オサ様の、心をゆるしきったよーな純粋な、けがれない表情が、せつなくてね……うっとり。
神様、オサちゃんの横にゆみこを置いておいてください。
あさこちゃんもちはる兄貴もいない今、ゆみこちゃんは絶対必要ですってば。
わたしの萌え心にも、絶対必要なんですってば。
萌え心と言えば、まっつとそのかの並びも萌えなんですけどね……。
『REVUE2005』のまっつとそのかの宝塚デート写真なんか、ナチュラルに男女カップルにしか見えませんがな。
初日のままだとは思っていない。むしろ、初日だけが特異なのだと思う。未完成というか、出たとこ勝負というか。
だからこそわたしは、初日が好きなのだけど。「計算」や「慣れ」の出てくる前の、むきだしのモノがあるから。
完成度で言えば中日以降に比べるべくもないけど、初日には「原点」があっておもしろい。
初日で印象に残ったのは、オサ様の暴走とゆみこちゃんの自爆っぷりだ。
東宝で火花を散らせるよーな演技空間を創っていたあすか。安心したよーにその身を預けていた樹里ちゃん。ふたりを失ったまま、リュドヴィークを演じるオサ様は、なんかもーどえらいことになっていた。
誰も彼の世界にはいないのに、それでもひとりで演技しつづけていた。
ついてこれない人のことはきっぱり置き去りにして。
一方ゆみこは、いっぱいいっぱいだった。オサ様に置いてゆかれていることにも気づいてないんじゃないか、てな空回りぶり。努力が見える、手順が計算が、全部伝わってくる。観ているだけで手に汗握る緊張感。
優等生ゆみこが、ここまでぼろぼろなのは、はじめて見た。
おいおい、すげーことになってんなあ。
と、大変興味深かった博多座版『マラケシュ』初日。
それが今回、まったく別物になっていた。
リュドヴィークはリラックスして呼吸しているし、レオンは純粋に別人だった。
こうきたか、と感心したのは、レオンが少年だったこと。
ここではないどこか、を求める少年。それは理屈ではなく、本能的なモノだ。身体の内側で暴れている飢えを満たすために、あがきつづける。
少年だからこそ、痛い。彼の飢えが。絶望が。
レオンが自分の世界で完結している理由も、これでわかる。彼が少年だからだ。思春期にはありがちなこと。
もちろん少年といっても、年齢的には十分大人だろうよ。精神の話ね。
ひとはいつか魂の中の「少年」を卒業して、大人になる。「少年」が消えてしまう人もいれば、封印する人、殺してしまう人、折り合いを付けて仲良く共に生きる人、と様々だ。
でもなかには、自分の中の「少年」に殺されてしまう人もいる。大人になること、汚れること、賢くなること……そんなことを拒絶して、きれいなまま破滅してしまう人。
「少年」であることは、絶望だ。
壊れることが前提の、美しいもの。
なくなることがわかっているなら、はじめからなければ楽なのに。
「世界」と「少年」である自分との軋轢で崩壊する自我。
レオンがかなしいのは、それゆえ。
いやあ、すばらしいですよ。
レオンの傷付いた瞳。
自分がなにに苛立ち、なにに傷付いているかもわからない、いや、認めたくない若い獣の眼。壮絶に色っぽい眼で、手に入れ征服しつくした獲物……恋人のファティマをむさぼります。
このレオンは大変素敵です。
もういっぱいいっぱいでも、手順命でもない。ちゃんとレオンとしてそこに生きています。
なにより美しいしな。
今まででいちばん美しいゆみこちゃんがいます。
すげー。
やっぱゆみこって、傷ついた役をやると、美貌が輝くよなー。得難い持ち味だ。(のーてんきな役をやるとスベるという、両刃の持ち味でもあるが……)
少年レオンに対するリュドヴィークもいい感じ。
対等な相手ではないけれど、見下しているわけでもなく、年下の仲間としてちょっと引いた位置からかわいがっている感じ。
カケラの愛情もなく殺伐としているより、ずっといいよ。
かわいいもの、リュドもレオンも。
コルベットとも打ち解けているし、初日に見た壮絶な孤独感が薄れ、リュドはそれなりに呼吸してマラケシュで生きているようだった。
これはこれでいいんだけど。
てゆーか、明らかに初日よりよくなってるんだけど。
初日の悲壮感漂うオサ様も、大変美味だったので、ちょっと残念だったりもする(笑)。
ショーではオサちゃんとゆみこちゃんがラヴラヴで、とっても気持ちいいしなー。オサゆみはいいよなー。
コメディアンはサムくて痛々しくて、見ていても大変だけどさー(笑)。
オサゆみといえば、個人的に「安蘭フェス」……ぢゃなくて(なんなのこのたのしそーな変換は)「アランフェス」の、あるシーンがお気に入り。
キスシーンぢゃないよ。
樹里ちゃんのときはしてなかったのに、ゆみこが相手だとチューするんですか、そーですか、という、あのシーンじゃなくて。
ふたりが抱きあうときに、オサ様がゆみこの肩にすがるよーに安心したよーに、頬を載せる一瞬が、ものすごーく好きなの。
オサ様の、心をゆるしきったよーな純粋な、けがれない表情が、せつなくてね……うっとり。
神様、オサちゃんの横にゆみこを置いておいてください。
あさこちゃんもちはる兄貴もいない今、ゆみこちゃんは絶対必要ですってば。
わたしの萌え心にも、絶対必要なんですってば。
萌え心と言えば、まっつとそのかの並びも萌えなんですけどね……。
『REVUE2005』のまっつとそのかの宝塚デート写真なんか、ナチュラルに男女カップルにしか見えませんがな。
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