顔のない女。@マラケシュ・紅の墓標
2005年8月22日 タカラヅカ 『マラケシュ・紅の墓標』において、オリガという女性はいちばん役目が変わったキャラクタだと思う。
ムラのときは、「ヒロイン」だった。
停滞した街マラケシュから、リュドヴィークを連れ出すことのできる存在。
彼女の手を取ることで束の間夢を見ることができた……叶うはずのない夢を……とゆー、ある意味「運命の女神」。
役割はわかった。しかし、わたしには演じているふーちゃんがその役割に届いていないように見えた。てゆーより、ちがっている、としか思えなかった。
オリガの演技に違和感はあったが、それを激しく自覚したのは、1列目下手で観劇したときだ。
「あなたの中に、パリがあるからです。そっくり同じ、傷ついて、どうしようもなく動けなくなって……(略)」
とゆー、オリガとリュドヴィークの語らいが目の前なんだ。あの広大な劇場で、このシーンがもっとも近い場所の席だ。
間近で見て、わかった。
わたし、このオリガって女、ダメだ。
気持ち悪い。
とゆーのが、いちばん率直な感想だった。
女が見て、いちばん厭な女がそこにいた。
「女」を武器にして男にしなだれかかる、あさましい女。
対等な精神世界を築こうと、性差なく人間社会で生きようと努力する女たちの横で、なにかあるとすぐ「いや〜ん、こまっちゃったぁん♪」と男にしなだれかかる女。からだを押しつけ、男の生理を刺激することで世界を自分中心に回そうとする女。
「わたしたち、今、幻を抱きあっているんです」
という台詞が、いちばん嫌いだった。
抱きあってないから!!
アンタが一方的に抱きついてるだけだから!!
男は嫌がってるじゃないか。早くリュドヴィークから離れて! にまにま笑いながら肉体を武器にして、気持ち悪い女!
この変に「女」を前面に出したいやらしい人妻が、ヒロイン「オリガ」というキャラクタなんだろうか。
オリガというキャラの持つ「役割」は理解していたつもりだったけれど、現実のオリガの演技とはかけ離れて見えた。
でもまあそれは、たんにわたしの好みの問題かもしれない。
わたしが理解できないだけで、オリガはコレで正しいのかもしれない。
わからないので、考えないことにした。
東宝版でのオリガは、「ヒロイン」ではなくなっていた。
びっくりした。
ヒロインはイヴェットになっていた。
オリガは準ヒロイン扱いで、リュドヴィークは一度も彼女を顧みなくなっていた。
リュドの人生を支配する、「運命の女神」はイヴェットだった。
だから、くだんのシーンもそれほど不快ではなくなった。
リュドはパリ時代に本気でイヴェットを愛し、その傷を今も引きずっている。
オリガは、そんな男に横恋慕する「2番目の女」でしかない。それなら「女」を武器にしていやらしくせまってもアリだ。
というか。
イヴェットの存在感に比べ、オリガはまったくもって影が薄くなっていたので、いやらしさも不快感もあまり感じなくなっていたんだ。
そして、博多座。
オリガは「2番目の女」ですらなくなっていた。
おどろいた。
オリガ、イヴェット、アマン、ソフィアがほぼ同じ扱いだった。
リュドヴィークを愛した女たち、という括りで。
ヒロイン不在かよ。
すげえ。
役替わりしたイヴェットがトーンダウンしているのは仕方ないし、アマンとソフィアは相手役が変わったりして比重が上がっていた。
ムラから一貫して同じ役者が演じているオリガだけが、どんどん比重が下がっていく。
これは最初から決まっていたことだったんだろうか。
そして比重だけの問題ではなく、オリガの演技が変わっていた。
この博多座で、わたしははじめて、オリガの声を聞いた気がする。
ようやく、オリガと出会えた気がする。
オリガから、メスのいやらしさがなくなっていた。
彼女自身も空虚なものを抱えていて、それがリュドヴィークと響き合っているのだとわかった。
「あの日のパリに。もう戻らない」
『戻れない』
「パリという夢の名残に」
『だから、わたしたち、今、幻を抱きあっているんです』
「ただの、幻」
『でも、それだけでも。それだけが、わたしが欲しかったものなんです』
オリガは、リュドヴィークの影だった。
リュドヴィーク自身の、心の声。
「ただの幻」とリュドが言えば、リュドの影は『でも、それだけが欲しかった』と続ける。
リュドヴィーク自身の、彼自身が封じ込めていた、聞かないふりをしていた真実の声が、オリガの姿を借りて現実になった。
このマラケシュで、リュドヴィークは自分自身に出会った。
彼が強がって言うことを、影は全部ひとつひとつ、真実の言葉に直して返してくる。
「ただの、幻」
『でも、それだけでも。それだけが、わたしが欲しかったものなんです』
それだけが。
リュドヴィークの欲したもの。
もちろん、オリガも傷を抱えた生身の人間なのだけど。
リュドヴィークにとってのオリガは、現実を越えた存在だ。
だからこそ、女の姿をした自分の影とひとつになる瞬間……キスの瞬間に、世界が変わるんだ。
アマンの歌声が響き、ベドウィンたちが舞う。
神が舞い降りるような、美しさ。
なにかを越えた、現実のなにかから乖離した瞬間。
オリガにとっても、リュドヴィークは幻であり、自分の影だったんだろう。
「たまらなく、淋しいんです。淋しくて、たまらない自分を思い出したんです」
『思い出したんではなく、ずっと、淋しかったんですよ』
「わたしが」
『あなたが』
「あなたが」
『わたしが』
自分の真実の言葉を返す、かなしいエコー。
オリガが正しくリュドの影として確立したからこそ。
パリに行っては行けないんだ。
パリへ行こう、というリュドヴィークに、「ダメだよ!」と強く思った。
だって、オリガは幻の女だもの。生身の女ではなく、リュドの分身。リュドのエコー。
そんな女とパリへ行くことは、まちがっている。
たとえば、ヴァーチャルのキャラに恋しているみたいなもんだよ。
PCの中の女の子は、望むことしか口にしない。勝手なことは考えないし、言わないし、彼が入力した通りの答えを繰り返し続ける。
バーチャルの恋人だけを愛し、現実世界で生きることを拒否した人と同じだよ。
パリに行けたらいいね。叶うといいね。……そんなかわいらしい展開じゃなかった。
行っちゃダメだよ、リュドヴィーク。
仮想現実だけを愛して、世界を閉じないで。
だから彼が「パリへなんか、行けるわけがないじゃないか」と言ったときは、ほっとした。
彼は心地いい「もうひとりの自分とのエデン」を捨てて、この迷い多き現実に戻ってきたんだ。
自分で選んだんだよ。
都合のいい自分のエコーと都合のいい世界で閉じこもるのではなく、理解できない他人と、汚れながら生きていくことの価値を。
だから、ラストでリュドヴィークは生きていると思うの。
ムラや東宝では、「生きてる方がなおつらいから萌え〜」って言ってたんだけど、今度はチガウ。
自分の影と決別した限り、生きなければならないと思うの。それが、定住の地を持たずに彷徨うことであったとしても。
『エヴァンゲリオン』のラストと似てるなー。
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ムラのときは、「ヒロイン」だった。
停滞した街マラケシュから、リュドヴィークを連れ出すことのできる存在。
彼女の手を取ることで束の間夢を見ることができた……叶うはずのない夢を……とゆー、ある意味「運命の女神」。
役割はわかった。しかし、わたしには演じているふーちゃんがその役割に届いていないように見えた。てゆーより、ちがっている、としか思えなかった。
オリガの演技に違和感はあったが、それを激しく自覚したのは、1列目下手で観劇したときだ。
「あなたの中に、パリがあるからです。そっくり同じ、傷ついて、どうしようもなく動けなくなって……(略)」
とゆー、オリガとリュドヴィークの語らいが目の前なんだ。あの広大な劇場で、このシーンがもっとも近い場所の席だ。
間近で見て、わかった。
わたし、このオリガって女、ダメだ。
気持ち悪い。
とゆーのが、いちばん率直な感想だった。
女が見て、いちばん厭な女がそこにいた。
「女」を武器にして男にしなだれかかる、あさましい女。
対等な精神世界を築こうと、性差なく人間社会で生きようと努力する女たちの横で、なにかあるとすぐ「いや〜ん、こまっちゃったぁん♪」と男にしなだれかかる女。からだを押しつけ、男の生理を刺激することで世界を自分中心に回そうとする女。
「わたしたち、今、幻を抱きあっているんです」
という台詞が、いちばん嫌いだった。
抱きあってないから!!
アンタが一方的に抱きついてるだけだから!!
男は嫌がってるじゃないか。早くリュドヴィークから離れて! にまにま笑いながら肉体を武器にして、気持ち悪い女!
この変に「女」を前面に出したいやらしい人妻が、ヒロイン「オリガ」というキャラクタなんだろうか。
オリガというキャラの持つ「役割」は理解していたつもりだったけれど、現実のオリガの演技とはかけ離れて見えた。
でもまあそれは、たんにわたしの好みの問題かもしれない。
わたしが理解できないだけで、オリガはコレで正しいのかもしれない。
わからないので、考えないことにした。
東宝版でのオリガは、「ヒロイン」ではなくなっていた。
びっくりした。
ヒロインはイヴェットになっていた。
オリガは準ヒロイン扱いで、リュドヴィークは一度も彼女を顧みなくなっていた。
リュドの人生を支配する、「運命の女神」はイヴェットだった。
だから、くだんのシーンもそれほど不快ではなくなった。
リュドはパリ時代に本気でイヴェットを愛し、その傷を今も引きずっている。
オリガは、そんな男に横恋慕する「2番目の女」でしかない。それなら「女」を武器にしていやらしくせまってもアリだ。
というか。
イヴェットの存在感に比べ、オリガはまったくもって影が薄くなっていたので、いやらしさも不快感もあまり感じなくなっていたんだ。
そして、博多座。
オリガは「2番目の女」ですらなくなっていた。
おどろいた。
オリガ、イヴェット、アマン、ソフィアがほぼ同じ扱いだった。
リュドヴィークを愛した女たち、という括りで。
ヒロイン不在かよ。
すげえ。
役替わりしたイヴェットがトーンダウンしているのは仕方ないし、アマンとソフィアは相手役が変わったりして比重が上がっていた。
ムラから一貫して同じ役者が演じているオリガだけが、どんどん比重が下がっていく。
これは最初から決まっていたことだったんだろうか。
そして比重だけの問題ではなく、オリガの演技が変わっていた。
この博多座で、わたしははじめて、オリガの声を聞いた気がする。
ようやく、オリガと出会えた気がする。
オリガから、メスのいやらしさがなくなっていた。
彼女自身も空虚なものを抱えていて、それがリュドヴィークと響き合っているのだとわかった。
「あの日のパリに。もう戻らない」
『戻れない』
「パリという夢の名残に」
『だから、わたしたち、今、幻を抱きあっているんです』
「ただの、幻」
『でも、それだけでも。それだけが、わたしが欲しかったものなんです』
オリガは、リュドヴィークの影だった。
リュドヴィーク自身の、心の声。
「ただの幻」とリュドが言えば、リュドの影は『でも、それだけが欲しかった』と続ける。
リュドヴィーク自身の、彼自身が封じ込めていた、聞かないふりをしていた真実の声が、オリガの姿を借りて現実になった。
このマラケシュで、リュドヴィークは自分自身に出会った。
彼が強がって言うことを、影は全部ひとつひとつ、真実の言葉に直して返してくる。
「ただの、幻」
『でも、それだけでも。それだけが、わたしが欲しかったものなんです』
それだけが。
リュドヴィークの欲したもの。
もちろん、オリガも傷を抱えた生身の人間なのだけど。
リュドヴィークにとってのオリガは、現実を越えた存在だ。
だからこそ、女の姿をした自分の影とひとつになる瞬間……キスの瞬間に、世界が変わるんだ。
アマンの歌声が響き、ベドウィンたちが舞う。
神が舞い降りるような、美しさ。
なにかを越えた、現実のなにかから乖離した瞬間。
オリガにとっても、リュドヴィークは幻であり、自分の影だったんだろう。
「たまらなく、淋しいんです。淋しくて、たまらない自分を思い出したんです」
『思い出したんではなく、ずっと、淋しかったんですよ』
「わたしが」
『あなたが』
「あなたが」
『わたしが』
自分の真実の言葉を返す、かなしいエコー。
オリガが正しくリュドの影として確立したからこそ。
パリに行っては行けないんだ。
パリへ行こう、というリュドヴィークに、「ダメだよ!」と強く思った。
だって、オリガは幻の女だもの。生身の女ではなく、リュドの分身。リュドのエコー。
そんな女とパリへ行くことは、まちがっている。
たとえば、ヴァーチャルのキャラに恋しているみたいなもんだよ。
PCの中の女の子は、望むことしか口にしない。勝手なことは考えないし、言わないし、彼が入力した通りの答えを繰り返し続ける。
バーチャルの恋人だけを愛し、現実世界で生きることを拒否した人と同じだよ。
パリに行けたらいいね。叶うといいね。……そんなかわいらしい展開じゃなかった。
行っちゃダメだよ、リュドヴィーク。
仮想現実だけを愛して、世界を閉じないで。
だから彼が「パリへなんか、行けるわけがないじゃないか」と言ったときは、ほっとした。
彼は心地いい「もうひとりの自分とのエデン」を捨てて、この迷い多き現実に戻ってきたんだ。
自分で選んだんだよ。
都合のいい自分のエコーと都合のいい世界で閉じこもるのではなく、理解できない他人と、汚れながら生きていくことの価値を。
だから、ラストでリュドヴィークは生きていると思うの。
ムラや東宝では、「生きてる方がなおつらいから萌え〜」って言ってたんだけど、今度はチガウ。
自分の影と決別した限り、生きなければならないと思うの。それが、定住の地を持たずに彷徨うことであったとしても。
『エヴァンゲリオン』のラストと似てるなー。
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