『マラケシュ・紅の墓標』において、オリガという女性はいちばん役目が変わったキャラクタだと思う。

 ムラのときは、「ヒロイン」だった。
 停滞した街マラケシュから、リュドヴィークを連れ出すことのできる存在。
 彼女の手を取ることで束の間夢を見ることができた……叶うはずのない夢を……とゆー、ある意味「運命の女神」。

 役割はわかった。しかし、わたしには演じているふーちゃんがその役割に届いていないように見えた。てゆーより、ちがっている、としか思えなかった。
 オリガの演技に違和感はあったが、それを激しく自覚したのは、1列目下手で観劇したときだ。

「あなたの中に、パリがあるからです。そっくり同じ、傷ついて、どうしようもなく動けなくなって……(略)」

 とゆー、オリガとリュドヴィークの語らいが目の前なんだ。あの広大な劇場で、このシーンがもっとも近い場所の席だ。

 間近で見て、わかった。
 わたし、このオリガって女、ダメだ。

 気持ち悪い。
 とゆーのが、いちばん率直な感想だった。

 女が見て、いちばん厭な女がそこにいた。
 「女」を武器にして男にしなだれかかる、あさましい女。
 対等な精神世界を築こうと、性差なく人間社会で生きようと努力する女たちの横で、なにかあるとすぐ「いや〜ん、こまっちゃったぁん♪」と男にしなだれかかる女。からだを押しつけ、男の生理を刺激することで世界を自分中心に回そうとする女。

「わたしたち、今、幻を抱きあっているんです」

 という台詞が、いちばん嫌いだった。

 抱きあってないから!!
 アンタが一方的に抱きついてるだけだから!!
 男は嫌がってるじゃないか。早くリュドヴィークから離れて! にまにま笑いながら肉体を武器にして、気持ち悪い女!

 この変に「女」を前面に出したいやらしい人妻が、ヒロイン「オリガ」というキャラクタなんだろうか。
 オリガというキャラの持つ「役割」は理解していたつもりだったけれど、現実のオリガの演技とはかけ離れて見えた。

 でもまあそれは、たんにわたしの好みの問題かもしれない。
 わたしが理解できないだけで、オリガはコレで正しいのかもしれない。

 わからないので、考えないことにした。

 
 東宝版でのオリガは、「ヒロイン」ではなくなっていた。
 びっくりした。
 ヒロインはイヴェットになっていた。
 オリガは準ヒロイン扱いで、リュドヴィークは一度も彼女を顧みなくなっていた。
 リュドの人生を支配する、「運命の女神」はイヴェットだった。

 だから、くだんのシーンもそれほど不快ではなくなった。
 リュドはパリ時代に本気でイヴェットを愛し、その傷を今も引きずっている。
 オリガは、そんな男に横恋慕する「2番目の女」でしかない。それなら「女」を武器にしていやらしくせまってもアリだ。
 というか。
 イヴェットの存在感に比べ、オリガはまったくもって影が薄くなっていたので、いやらしさも不快感もあまり感じなくなっていたんだ。

 
 そして、博多座。
 オリガは「2番目の女」ですらなくなっていた。

 おどろいた。

 オリガ、イヴェット、アマン、ソフィアがほぼ同じ扱いだった。
 リュドヴィークを愛した女たち、という括りで。

 ヒロイン不在かよ。
 すげえ。

 役替わりしたイヴェットがトーンダウンしているのは仕方ないし、アマンとソフィアは相手役が変わったりして比重が上がっていた。
 ムラから一貫して同じ役者が演じているオリガだけが、どんどん比重が下がっていく。
 これは最初から決まっていたことだったんだろうか。

 そして比重だけの問題ではなく、オリガの演技が変わっていた。

 この博多座で、わたしははじめて、オリガの声を聞いた気がする。

 ようやく、オリガと出会えた気がする。

 オリガから、メスのいやらしさがなくなっていた。
 彼女自身も空虚なものを抱えていて、それがリュドヴィークと響き合っているのだとわかった。

「あの日のパリに。もう戻らない」
『戻れない』
「パリという夢の名残に」
『だから、わたしたち、今、幻を抱きあっているんです』
「ただの、幻」
『でも、それだけでも。それだけが、わたしが欲しかったものなんです』

 オリガは、リュドヴィークの影だった。

 リュドヴィーク自身の、心の声。
 「ただの幻」とリュドが言えば、リュドの影は『でも、それだけが欲しかった』と続ける。

 リュドヴィーク自身の、彼自身が封じ込めていた、聞かないふりをしていた真実の声が、オリガの姿を借りて現実になった。

 このマラケシュで、リュドヴィークは自分自身に出会った。

 彼が強がって言うことを、影は全部ひとつひとつ、真実の言葉に直して返してくる。
「ただの、幻」
『でも、それだけでも。それだけが、わたしが欲しかったものなんです』
 それだけが。
 リュドヴィークの欲したもの。

 もちろん、オリガも傷を抱えた生身の人間なのだけど。
 リュドヴィークにとってのオリガは、現実を越えた存在だ。

 だからこそ、女の姿をした自分の影とひとつになる瞬間……キスの瞬間に、世界が変わるんだ。
 アマンの歌声が響き、ベドウィンたちが舞う。
 神が舞い降りるような、美しさ。
 なにかを越えた、現実のなにかから乖離した瞬間。

 オリガにとっても、リュドヴィークは幻であり、自分の影だったんだろう。

「たまらなく、淋しいんです。淋しくて、たまらない自分を思い出したんです」
『思い出したんではなく、ずっと、淋しかったんですよ』
「わたしが」
『あなたが』
「あなたが」
『わたしが』

 自分の真実の言葉を返す、かなしいエコー。

  
 オリガが正しくリュドの影として確立したからこそ。
 
 パリに行っては行けないんだ。

 パリへ行こう、というリュドヴィークに、「ダメだよ!」と強く思った。

 だって、オリガは幻の女だもの。生身の女ではなく、リュドの分身。リュドのエコー。
 そんな女とパリへ行くことは、まちがっている。

 たとえば、ヴァーチャルのキャラに恋しているみたいなもんだよ。
 PCの中の女の子は、望むことしか口にしない。勝手なことは考えないし、言わないし、彼が入力した通りの答えを繰り返し続ける。
 バーチャルの恋人だけを愛し、現実世界で生きることを拒否した人と同じだよ。

 パリに行けたらいいね。叶うといいね。……そんなかわいらしい展開じゃなかった。
 行っちゃダメだよ、リュドヴィーク。
 仮想現実だけを愛して、世界を閉じないで。

 だから彼が「パリへなんか、行けるわけがないじゃないか」と言ったときは、ほっとした。
 彼は心地いい「もうひとりの自分とのエデン」を捨てて、この迷い多き現実に戻ってきたんだ。

 自分で選んだんだよ。
 都合のいい自分のエコーと都合のいい世界で閉じこもるのではなく、理解できない他人と、汚れながら生きていくことの価値を。

 だから、ラストでリュドヴィークは生きていると思うの。

 ムラや東宝では、「生きてる方がなおつらいから萌え〜」って言ってたんだけど、今度はチガウ。

 自分の影と決別した限り、生きなければならないと思うの。それが、定住の地を持たずに彷徨うことであったとしても。

 『エヴァンゲリオン』のラストと似てるなー。

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