癒しのクリフォード。@マラケシュ・紅の墓標
2005年8月28日 タカラヅカ 気になったのは、リュドヴィークとクリフォードの相似性。
寿美礼ちゃんとまっつが似ているのは、周知の事実。ただの現実。
似た顔のふたりが同じ舞台に立っているからと言って、そこに意味なんかない。
ふつうは。
しかし、『マラケシュ・紅の墓標』博多座版においては、意味があるんではないかと考えてしまう。
ムラ・東宝でまっつが演じていたウラジミールと、今回のクリフォードではまったく役の立ち位置がチガウからだ。(わたしは、ウラジミール役も『リュドヴィークと顔が似ている』ことに意味があると思っているけど)
クリフォードは、「砂漠の薔薇」を通してリュドヴィークと向き合う、「光と影」「裏と表」の存在だからだ。
鏡の内と外のような。
どちらが実像で、どちらが鏡像なのかはわからない。
博多座版では、それを強調する演出がされている。
やたら長くなったプロローグで、砂漠で遭難したクリフォードがオリガへの想いをご丁寧に説明し、歌を歌ったあとセリ下がる。
そのセリ下がりと呼応して、真反対のセリからリュドヴィークが上がってくる。
ひとりの男が消えていき、同じ顔をした男が現れる。
植爺お得意の「子役から本役へ変身」のシーンみたいに。
役者はちがうけど、同一人物だとわかるでしょ的演出。
クリフォードとリュドヴィークは別人だけど、同じテーマを担っているキャラクタとして、こーゆー演出なのかと思った。
最後の「砂漠の薔薇」を手渡すシーンなんか。
向かい合うふたりがあまりによく似ていて、美しいけれど不安になる。
わたしは博多座のオリガを見て、「リュドヴィークの影」だと思った。
リュドヴィークが今まで見ないふりをして封じ込めていた、真実を語るもうひとりのリュドヴィーク。
スカーレットに対するスカーレット2のような。
だからこそ、リュドに対するクリフォードの意味がちがってくる。
オリガがリュドの心を反響するエコーであり、オリガを救うことができるのがクリフォードならば。
リュドヴィークを救うことができたのは、クリフォードなんじゃないのか?
もしも、あのパリでクリフォードが出会っていたのがオリガではなく、リュドヴィークだったら。
クリフォードは、リュドを救おうとしただろう。
現在、オリガを救いきれなくて砂漠を彷徨うことになっているように、リュドのことも完全に救えないとしても。
彼はノマドではない。この世の人間、この迷い多き俗世の人間だ。悩みながら、まちがいながら、それでも自分の手で、愛する者をしあわせにしようとあがきつづける。
旅の果てにデザートローズを見つけて帰ったように、彼はきっとリュドヴィークにも幸福を差し出すことができるだろう。
リュドとクリフォードが「似ている」と、もうひとつ説明できることがある。
夫クリフォードを愛しているのかわからない、そう言って迷う人妻オリガ。
彼女が夫を捨て「過去の傷」に向かって進もうとしたきっかけとなる男リュドヴィークが、夫にそっくりだというのは、ものすげー重い意味が加わるだろう。
やさしいだけの夫に似た姿の、危険な香りのする色男。
無意識に夫に対して抱いている不安や不満を、全部解消してくれる男だ。
そりゃ惹かれるって。
そして最終的に、夫を選ぶ。
夫に似た男に惹かれた、ということは、もともと夫を愛していたんだ。
だってオリガとクリフォードは出会いが悪い。
泣いているオリガに、クリフォードが手を差しのべた、ってそんな。
ただの同情? とか思っちゃうじゃん。なまじクリフォードはやさしすぎる男だし。
オリガは恋愛で手酷い失敗をして臆病になってるから、信じられない。ほんとうにこれが愛なのか。
相愛なのに、相手の愛が信じられない。自分の愛がわからない。
作中で、オリガは「自分の気持ちがわからない」と繰り返すが、「夫の気持ち」に関してはなにも言及してないんだよね。それって、すごい不自然。
自分の気持ちがどうこう言って気取ってるけど、いちばんわからなくて不安だったのは夫の気持ちなんじゃないの?
博多座版では、わざわざクリフォードがオリガに「夫婦関係への疑問」を突きつけていることだし。
このままじゃ離婚? とも取れる文面の葉書を残して夫は生死不明。それでマラケシュ行きを決意する博多座版は、「夫婦の危機」にあわてたようにも見える。
それってつまり、オリガはもともとクリフォードを愛していたんじゃないの?
「相手に愛されていない」より、「自分が愛しているかどうかわからない」方が、自分が楽だから、そう思い込んで。
オリガにとってのマラケシュの旅は、そーゆー自分のずるさや弱さを越える旅。
夫に似た、夫よりも魅力的な男と出会い、最終的に夫にたどりつくことで、「恋愛ドラマのヒロインとして見たオリガの物語」はきれいに答えが出るよ。
青い鳥は家にいました。彼女がほんとうに求めていたものは、彼女のそばにありました。
過去の恋の傷のせいで、自分から誰かを愛することに臆病だった女が、夫とやり直す物語。
生身の女オリガとして考えれば、ソレもありかと。
生身の彼女がどうあれ、リュドヴィークにとってはオリガは実体のない女。顔のない女。
だって彼ははじめから、オリガ自身にはなんの興味もない。
リュドがオリガに興味を持つのは、パリの傷の話から。
オリガがリュドの影であり、もうひとりのリュドヴィークなら。
そして、そのオリガがクリフォードによって救われたなら。
リュドヴィークも、救われていると思うんだ。
デザートローズをクリフォードに渡すことによって。
だからこそ、ふたりの男が向かい合うあの一瞬は、あんなにも美しいのではないかと。
てゆーか。
距離が近すぎないか? この、リュドとクリフォードの手を握り合う……ぢゃねえ、薔薇を手渡すシーン。
このままラヴシーン突入かと思っちゃったよ。
まっつがたよりなげに少し首を動かしてリュドを見るのがまた、ポイント。
あっ、クリフォードじゃなくまっつって言っちゃった。いかんいかん。でも訂正しない。
デザートローズを手にしたクリフォードは、顔が変わる。
頼りなげではかなげで、「受」とおでこに書かれていたよーな男は、意志を持った力強い表情になる。
そう、おでこの文字が「男」に変わるのよ(笑)。
俺は男だ、妻にだって四の五言わせないぜ。そうやってちょっと強引に抱きしめて、「この瞬間からはじめるんだ。そうしてくれ」と言っちゃったりするんだ。
夫のやさしすぎるところが不安で、ちょいとワルなリュドにフラつきもしたオリガは、男らしくなったクリフォードに胸きゅん、惚れ直してハッピーエンド。
……なんてね。
寿美礼ちゃんとまっつが似ているのは、周知の事実。ただの現実。
似た顔のふたりが同じ舞台に立っているからと言って、そこに意味なんかない。
ふつうは。
しかし、『マラケシュ・紅の墓標』博多座版においては、意味があるんではないかと考えてしまう。
ムラ・東宝でまっつが演じていたウラジミールと、今回のクリフォードではまったく役の立ち位置がチガウからだ。(わたしは、ウラジミール役も『リュドヴィークと顔が似ている』ことに意味があると思っているけど)
クリフォードは、「砂漠の薔薇」を通してリュドヴィークと向き合う、「光と影」「裏と表」の存在だからだ。
鏡の内と外のような。
どちらが実像で、どちらが鏡像なのかはわからない。
博多座版では、それを強調する演出がされている。
やたら長くなったプロローグで、砂漠で遭難したクリフォードがオリガへの想いをご丁寧に説明し、歌を歌ったあとセリ下がる。
そのセリ下がりと呼応して、真反対のセリからリュドヴィークが上がってくる。
ひとりの男が消えていき、同じ顔をした男が現れる。
植爺お得意の「子役から本役へ変身」のシーンみたいに。
役者はちがうけど、同一人物だとわかるでしょ的演出。
クリフォードとリュドヴィークは別人だけど、同じテーマを担っているキャラクタとして、こーゆー演出なのかと思った。
最後の「砂漠の薔薇」を手渡すシーンなんか。
向かい合うふたりがあまりによく似ていて、美しいけれど不安になる。
わたしは博多座のオリガを見て、「リュドヴィークの影」だと思った。
リュドヴィークが今まで見ないふりをして封じ込めていた、真実を語るもうひとりのリュドヴィーク。
スカーレットに対するスカーレット2のような。
だからこそ、リュドに対するクリフォードの意味がちがってくる。
オリガがリュドの心を反響するエコーであり、オリガを救うことができるのがクリフォードならば。
リュドヴィークを救うことができたのは、クリフォードなんじゃないのか?
もしも、あのパリでクリフォードが出会っていたのがオリガではなく、リュドヴィークだったら。
クリフォードは、リュドを救おうとしただろう。
現在、オリガを救いきれなくて砂漠を彷徨うことになっているように、リュドのことも完全に救えないとしても。
彼はノマドではない。この世の人間、この迷い多き俗世の人間だ。悩みながら、まちがいながら、それでも自分の手で、愛する者をしあわせにしようとあがきつづける。
旅の果てにデザートローズを見つけて帰ったように、彼はきっとリュドヴィークにも幸福を差し出すことができるだろう。
リュドとクリフォードが「似ている」と、もうひとつ説明できることがある。
夫クリフォードを愛しているのかわからない、そう言って迷う人妻オリガ。
彼女が夫を捨て「過去の傷」に向かって進もうとしたきっかけとなる男リュドヴィークが、夫にそっくりだというのは、ものすげー重い意味が加わるだろう。
やさしいだけの夫に似た姿の、危険な香りのする色男。
無意識に夫に対して抱いている不安や不満を、全部解消してくれる男だ。
そりゃ惹かれるって。
そして最終的に、夫を選ぶ。
夫に似た男に惹かれた、ということは、もともと夫を愛していたんだ。
だってオリガとクリフォードは出会いが悪い。
泣いているオリガに、クリフォードが手を差しのべた、ってそんな。
ただの同情? とか思っちゃうじゃん。なまじクリフォードはやさしすぎる男だし。
オリガは恋愛で手酷い失敗をして臆病になってるから、信じられない。ほんとうにこれが愛なのか。
相愛なのに、相手の愛が信じられない。自分の愛がわからない。
作中で、オリガは「自分の気持ちがわからない」と繰り返すが、「夫の気持ち」に関してはなにも言及してないんだよね。それって、すごい不自然。
自分の気持ちがどうこう言って気取ってるけど、いちばんわからなくて不安だったのは夫の気持ちなんじゃないの?
博多座版では、わざわざクリフォードがオリガに「夫婦関係への疑問」を突きつけていることだし。
このままじゃ離婚? とも取れる文面の葉書を残して夫は生死不明。それでマラケシュ行きを決意する博多座版は、「夫婦の危機」にあわてたようにも見える。
それってつまり、オリガはもともとクリフォードを愛していたんじゃないの?
「相手に愛されていない」より、「自分が愛しているかどうかわからない」方が、自分が楽だから、そう思い込んで。
オリガにとってのマラケシュの旅は、そーゆー自分のずるさや弱さを越える旅。
夫に似た、夫よりも魅力的な男と出会い、最終的に夫にたどりつくことで、「恋愛ドラマのヒロインとして見たオリガの物語」はきれいに答えが出るよ。
青い鳥は家にいました。彼女がほんとうに求めていたものは、彼女のそばにありました。
過去の恋の傷のせいで、自分から誰かを愛することに臆病だった女が、夫とやり直す物語。
生身の女オリガとして考えれば、ソレもありかと。
生身の彼女がどうあれ、リュドヴィークにとってはオリガは実体のない女。顔のない女。
だって彼ははじめから、オリガ自身にはなんの興味もない。
リュドがオリガに興味を持つのは、パリの傷の話から。
オリガがリュドの影であり、もうひとりのリュドヴィークなら。
そして、そのオリガがクリフォードによって救われたなら。
リュドヴィークも、救われていると思うんだ。
デザートローズをクリフォードに渡すことによって。
だからこそ、ふたりの男が向かい合うあの一瞬は、あんなにも美しいのではないかと。
てゆーか。
距離が近すぎないか? この、リュドとクリフォードの手を握り合う……ぢゃねえ、薔薇を手渡すシーン。
このままラヴシーン突入かと思っちゃったよ。
まっつがたよりなげに少し首を動かしてリュドを見るのがまた、ポイント。
あっ、クリフォードじゃなくまっつって言っちゃった。いかんいかん。でも訂正しない。
デザートローズを手にしたクリフォードは、顔が変わる。
頼りなげではかなげで、「受」とおでこに書かれていたよーな男は、意志を持った力強い表情になる。
そう、おでこの文字が「男」に変わるのよ(笑)。
俺は男だ、妻にだって四の五言わせないぜ。そうやってちょっと強引に抱きしめて、「この瞬間からはじめるんだ。そうしてくれ」と言っちゃったりするんだ。
夫のやさしすぎるところが不安で、ちょいとワルなリュドにフラつきもしたオリガは、男らしくなったクリフォードに胸きゅん、惚れ直してハッピーエンド。
……なんてね。
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