その昔、わたしが図書館でアルバイトしていたころ。
 書庫で『SFなんかいらない!』てな意味のタイトルの本を見つけた。
 市民図書館なのに、書庫で眠っていたということはあまり需要のない古い本なんだろう。需要のある本は開架図書に置くはずだから。
 タイトルも著者もよくおほえていない。著者はたしかタレントのようだった。わたしは知らない人だったが。

 内容はこうだった。

「世の中のSFとかいうものは全部、現代のふつうの物語に置き換えられる。わざわざSFにして大袈裟にすることはない。だからSFなんかいらない」

 たとえば、『E.T.』は、『子鹿物語』だ。
 親に内緒で子鹿を飼う話でいいじゃないか。なんで宇宙人なんだ。

 と、万事がこの調子。
 有名SF映画などを、現代文学に置き換える。

 まだ学生だった当時のわたしでさえ、この本を読んで「うわ、アタマ悪い人の本」と思ったな(笑)。

 現代の人間ドラマに置き換えられないSFなんて、存在するわけないだろ。だって、作っているのも現代の人間で、それを必要としているのも現代の人間なんだから。
 人間が理解できない、たとえば虫の世界を虫の心理と視点のみで構成した作品を、人間が理解できるか? そんなもんを必要とするか?
 たとえ虫の世界が舞台でも、そこには人間の視点が必要だ。虫の脳みそで作られた世界なんて、共感できるはずないんだから。

 じゃあどうして、SFが、あるいは虫の世界を舞台とした物語が必要なのか。

 テーマを表現するためにだ。

 母親とはぐれてしまった少年がひとり、出会いと別れを繰り返して旅をする。悪人もいれば善人もいる。ときに泣き、ときに笑う。旅を通して少年は成長していく。
 ……て話を、現代日本を舞台にやろうとすると、大変だ。
 母親とはぐれた? 母を捜している? んじゃ警察だ。捜索願は出てるかな。虐待とかの可能性は? 事件性は?
 とても、当初のテーマを描くどころじゃない。
 だから、虫の世界ということにする。みなしごハッチは母を求めて虫の世界を旅する。
 虫の世界、とか言ってもそれは、人間社会となんら変わりはない。

 テーマをより純粋に、ストーリーをよりわかりやすくおもしろく、表現するために。
 現代社会とはチガウ世界を舞台にする。
 世界を虚構にするために、それ以外の設定はリアルに細密に。ハッチの出会う虫たちがやたら人間くさいのも、SFに小難しい考証が必要なのもそのため。

 SFは必要だよ。SFに限らず、現代社会、今目に見える、手に取れるモノ「以外」を舞台とした物語は必要。

 
 まあ、冒頭の本があまりにアタマ悪いのも、今となっては「金のためかな」とは思う。
 論破するまでもない稚拙な内容であったとしても、こういう好戦的なスタンスの本には商品価値がある。要は人目を引き、本が売れればいいんだから。
 わざとアタマ悪い内容にして、売ったのかもしれない。

 
 このことを思い出すのは、宙組公演『炎にくちづけを』に対して、「キリスト教批判」という声を聞いたからだ。

 友人のクリスティーナさんと一緒に観に行ったときのこと。
 彼女は観終わってから、「クリスチャンの人は、これを観て気分悪くならないかしら」と言った。
 そりゃまあ、多少は引っかかるかもしれないけど。でもコレ別に、キリスト教のことをどうこう言いたいわけじゃないでしょう? たまたまキリスト教を扱っているだけ、テーマを表現するための媒体なだけでしょー。
 わたしは長くオペレータをやっていたけど、たとえドラマの中で悪徳オペレータが悪の限りを尽くし、主人公たちが「オペレータはひどい! 悪だ!」となじっても、ぜんぜん気にならない。だってソレは、そのドラマの中のオペレータがそういう設定で、そーゆーストーリーに必要なだけであって、わたしの仕事とはなんの関係もない。わたしはわたしで、誇りを持って仕事をするさ。
 『炎にくちづけを』のなかのキリスト教も、現在のキリスト教とチガウことは、一目瞭然だし。むしろ、虐殺されるジプシー側こそが、現在のわたしたちに馴染みのある、キリスト教の精神に近いことは観ればわかるじゃん。

 テーマを表現するために、わざと過剰な設定にしてあるだけ。

 子鹿ではなく、宇宙人だったように。

 それを、「宇宙人が出てくるなんてナンセンスだ」でくくってしまうのは、つまらない。「キリスト教批判だ」でくくってしまうのは、つまらない。
 その奥にあるモノを、たのしまなきゃ。

 
 もっとも、『子鹿物語』を『E.T.』にしたほどの変換の技巧が、今回は足りてなかったと思うけどね。
 てゆーかキムシン、うるさすぎるんだよ、テーマを叫ぶのが。

 イタイ作風だなー、もー(笑)。

 
 クリスティーナさんは、ガイチファン。
 タカラヅカからはとんと離れていたが、ガイチが退団だと聞いて数年ぶりに宝塚の地へやって来た。

「あたし、宙組観るのって『エリザベート』以来だわ」

 えー。宙『エリザ』って1999年じゃん。前世紀だよそりゃ。

「和央ようかが最後に階段降りてくるの、はじめて見た」

 たしかあなた、たかちゃん好きだったよね。ガイチの次に好きって言ってなかったっけ。なのに、トップになってから一度も見てないんだ。

「うん。まだトップでいてくれて良かった。おかげで、見られたわ」

 ……よかったね……たかちゃんが、6年もトップやっててくれて。
 他のジェンヌぢゃ、ありえないよ(笑)。

 
 前世紀からヅカを観なくなっていた人と話して、いろいろ新鮮だった。
 たとえば、次の月組公演のポスターを見て、クリスティーナさんは無邪気に、
「大空祐飛って、月組の2番手?」
 と言ってくるし。

 ええっと、ゆーひくんは、少なくとも2番手ではないよーな。てゆーか、路線かどうかもよくわかんないというか。

「どうして? あたしが観てたころも今も、ふつーにスターでしょ?」

 えーと、クリスティーナさんがヅカにハマッていたころって、ゆーひくんは新公で主役したり2番手していたころで。
 月組は天海祐希と久世星佳がいたから、下級生が抜擢されて上にいても関係ないという刷り込みがあるし。
 そこから現在にワープしたら、そりゃたしかに、ゆーひくんはパリパリの路線スターだわな。間の微妙時期をまるっと知らないわけだもんな。

「主役の次の大きさでポスター載ってて、来年の『ベルばら』はオスカルやるんでしょ? どうして路線スターじゃないの?」

 ……説明できません。
 わたしはゆーひくんがトップになろーがなかろーが、位置や立場にかかわらずずっと好きですから。

「でも、大体、どうしてまた『ベルばら』やるの? アレ、相当時代遅れよね?」

 ……説明できません。
 うわあああ。


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