星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その5。

 グスタフ3世って、気持ち悪いよね?

 スウェーデン宮廷のシーン。
 お誕生祝いにかこつけてやってきたフェルゼンに、国王グスタフ3世は終始笑顔で応対する。
 好々爺、という風情で、「なにか不自由はないか?」と幽閉されているフェルゼンを気遣う台詞を言う。
 どうやらフェルゼンは国王のお気に入りらしい。
 だが。
 この国王、ものすごいのよ。
 フェルゼンが罪を犯し、屋敷に幽閉されて不自由な生活をしていることを知った上で、

「そなたがいつなにか言ってくるかと、たのしみにしていた(笑)」

 とか言うの!!

 たのしみなんかい!!

 フェルゼンを幽閉するよう命令したの、グスタフ3世なんだ。それでフェルゼンが「つらいよ。助けて王様」って泣きついてくるのを、今か今かとたのしみにしていたんだ。

 ものすごーく慈愛深そうに、さも自分は善人みたいな顔して。
 相手を傷つけて、痛みに耐えかねて身を投げ出すのを待ちかねていたんだ。わくわくと。

 き、きもちわるいっ。

 いや、そーゆーのもアリだと思うよ。そういう性癖の人がいたっていいさ。さんざん拷問しておいて、相手に「いっそ殺して!」と言わせるのが快感♪みたいな性癖も、アリだろうよ。
 だがそれは、そーゆー歪んだ人格である、という描き方をした場合だ。

 グスタフ3世が気持ち悪いのは、どーやら植爺が、本気で彼を人格者だと思って描いていそうなこと。

 変態ぢゃん、この男……。
 なのにこの変態が、人格者として描かれる世界観って。

 主人公のフェルゼンが気持ち悪い自己愛者だから、周囲もそんな人ばかりになるのは仕方ないっちゃー仕方ないが。

 そしてこの狂った主従が、狂った会話を繰り広げるのよ……このスウェーデン宮廷シーンって。

 
 フェルゼンがえらそーに言っていることは、「情」の話なのね。
 愛する人を助けたいとかなんとか言うのは。

 もちろん、「情」は大切だ。
 わたしだって、そう思っているさ。

 でも、そこは国を治める統治者との会話シーン。
 国を治めるとゆーのは、「情」ではなく「法」なんだよな。
 「情」に流されていては、国は成り立たない。

 だからこのシーンで、フェルゼンがどれほど泣きを入れても、国王ならばがんとしてそれを許してはならんのだ。
 グスタフ3世自身がどれほどフェルゼンに同情し、彼の力になってやりたいと思っても、拒絶しなければならない。畜生、人の上に立つモノはつらいぜ!てなもんで。

 それを振り切って旅立ってこそ、フェルゼンの覚悟が際立つというモノ。
 国王を敵に回し、祖国を捨ててまで愛に生きるか、フェルゼンよ!てなもんで。

 ところが。

 グスタフ3世、許すし。それだけじゃなく、けしかけるし。

 生まれてはじめて「フェルゼン編」を観たときは、椅子から転げ落ちるかと思ったよ。

 国王が行けって言った?! ええっ?! よその国の王妃をかっさらってこいと?

 戦争が起こるよ?

 震撼した。
 こんなバカなことがあっていいの? あたしがスウェーデン国民なら、泣いてるよ。こんな阿呆な原因で戦争が起こったら。

 植爺は、コレをかっこいいと思っているんだろうか。
 おかしいから。
 いくらなんでもコレは、変すぎるから!

 スウェーデンには、キ*ガイしかいないの?!

 なんという無責任。思いつきだけの言動。そのときだけ、自分だけはスカッとするかもしれないけど、それによって起こる事象の責任を、どうやって取るつもりだグスタフ3世。

 国王のお墨付きをもらって行動するフェルゼンは、いわば「責任逃れ」できるよーになった。
 もしもフランスで逮捕されても、「グスタフ3世の命令です」と言えばいい。
 自分は安全。

 ねえ、これのどこがかっこいいの?
 「愛のために命も惜しくない」てのがかっこいいんじゃなかったの?
 敬愛する君主や、愛する祖国を捨ててまで愛を貫くのがかっこいいんじゃなかったの?

 全部全部、台無し。

 
 最初にダイジェスト版のキャスティング表が出たときに、なによりもこの「グスタフ3世」の名前があったことにヘコんだ。
 もともと『ベルばら』において「フェルゼン」ってのは、大筋に絡まない脇役だ。主役の相手役でしかない。
 その脇役を無理矢理主役に捏造するために、いろいろ小細工をしなければならないわけだ。
 どんな脚色をしてもいいが、最低限、「フェルゼン」の存在意義を壊してはいけないだろう。

 なのに植爺は、「フェルゼン」という男を、粉々になるまで壊しきるんだ。

 べつに「愛」ても「欲」でもなんでもいいけど、それを主人公本人の意志と力で行わないと、物語としての意義自体が崩壊する。
 上位のモノの意志や命令、庇護の元で行うんじゃ、主人公の意味がないんだよ。

 「スウェーデン宮廷」のシーンは、いちばん存在してはならないシーンなんだよ。

 なんで植爺は、主人公をこんなにかっこわるくしちゃうんだろう……そして、ここまでかっこわるくしておきながら「かっこいいだろう!」と悦に入っていられるんだろう。

 わかんないよ。
 純粋に、わからない。

 
 さて。
 国王様のお墨付きで、「やったー、これでなにをしても平気だ! だって王様の命令だもーん♪」とご機嫌でスウェーデンをあとにしたフェルゼンくん。

 今までの「フェルゼン編」で爆笑を呼んだ「行け行けフェルゼン」の歌の代わりに、客席降り。
 あー、よかった。あの歌がなくて。

 
 さらによかったことは、「平和なフランス田舎町」のシーンがなかったこと。
 以前の「フェルゼン編」では、ここまでかっこつけて大仰に「行け行けフェルゼン♪」とやって飛び出した直後に、「フランス革命? もう終わっちゃったよー? 今ごろなに言ってんの、変な人」と言われるギャグ落ちがあったのね。
 戦う気満々で甲冑つけて出て行ったら、もうとっくに戦は終わってて、「なにしに来たの?」と平和な人々にプッと笑われる男、てな、だから植爺、主人公を無意味にかっこわるくするのはやめろって(以下略)。というべきシーンが、ダイジェスト版ではなかった。ほっ。

 しかし、役立たずなのは同じ。

 ルイ16世は処刑され、アントワネットも死刑が決定。
 そのアントワネット処刑の日に、よーやくたどりつくフェルゼン。……役立たず。ものすっげー、役立たず。
 それも、ちゃんとした脱出計画があるよーに見えないあたり、もお……。だから植爺、主人公を無意味にかっこわるくするのはやめろって(以下略)。

 アントワネットはよーやく登場ですよ。ひどいよなー。

 続く〜〜。


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