「手を汚させたくないのです。人の上に立つお方には」

 ポイントは、飛雪だと思うんですが、どうでしょう。

 星組DC公演『龍星』の話。

 主人公の龍星は、皇帝なんて真っ赤な嘘、名なしの孤児。密偵になるために「龍星」という嘘の名前を与えられ、戦争の道具として育てられた。
 はじめは与えられた名前通りニセモノとしての仕事をしていた龍星だが、次第に本物の「龍星」になることを望むようになる。
 彼がこだわるのは「名前」。
 「龍星」でなければならない。「名前」によって縛られる。

 龍星にはまず、「宋の皇帝・龍星」という名前がある。
 たくさんの人にかしずかれ、栄華を極めていたとしても、それはあくまでも彼が皇帝の血を引く男子「龍星」だからだ。
 彼はその名を守るために、さまざまな犠牲を払っていく。

 いちばん最初の代価は、「心」だろう。

 愛情に飢えていた彼を実の子のように愛してくれた、宰相夫婦とその一族を皆殺しにすることから、彼の「皇帝・龍星」としての人生がはじまるのだから。

 「龍星」という名のために「心」を切り刻み、見えない血溜まりの中で見えない涙を流している、あまりにも痛々しい男。

 
 さて。
 龍星がそーゆー生き方をしている男だからこそ。

 彼の人生のポイントは、腹心の飛雪の存在じゃないかな。

 龍星(偽)のトラウマは、「名前がないこと」ですよ。
 自分が何者でもない、ということ。
 記憶も名前もない孤児が、誰かに愛されたり必要とされるはずがない。
 現に育ての親の烏延将軍は、なんの愛情も与えてくれなかった。密偵としての役割しか、求められなかった。

 烏延将軍に愛されなかった、というのは、別に説明があったわけじゃないけど、龍星の態度を見ていたらわかるよね。彼はあくまでもクールに任務を遂行しているし、将軍を裏切るときも苦悩や痛みは見えない。
 李宰相に対する態度で、龍星が「愛を注がれたらどんな反応をするか」はわかるわけだし。李宰相にはめろめろになっているのに、烏延将軍にはソレがない。つまり、愛されてはいなかったんでしょう。
 冷徹な老将は、龍星を道具としてしか扱わなかった。最初に「取引」という言葉を使ったように。

 ニセモノの名を持つ、道具としての人生しかなかった龍星に、はじめて愛をくれたのが、李宰相夫婦。
 だけど父のように慕っていた、息子のように慈しんでくれた李宰相は、龍星がニセモノだとわかった途端、拒絶した。
 龍星自身が宰相をどれほど愛していようと、有能な人間であろうと、関係ない。「龍星」ではない、というだけで、全否定。

 「龍星」でなければ、俺自身になんの価値もない。
 ……そう、彼が思い込んでしまうのは、仕方のないことですよ。

 だから龍星は死を覚悟したとき、愛する女にだけは自分の正体を知らせないでくれ、と懇願する。
 「龍星」ではない、と知られることがなによりこわかったんだね。
 李宰相の拒絶が相当傷になっている模様。

 道具としてニセモノとして育った龍星は、ひとの愛し方を知らない。
 妻の砂浬に対しても、やさしい気持ちが高じての行動ひとつひとつがみーんな「憎まれ役」になっている。あえて、そうしている。
 おかげで砂浬はなにも知らず、龍星を憎んでしまうわけだ。

 そんな状態でただひとりだけ、ニセモノの龍星に対し、ちがった立ち位置にいる男がいる。
 それが、飛雪だ。

 飛雪は「龍星」の腹心。龍星を敬愛し、忠節を誓う。
 しかし。
 飛雪は、龍星の秘密に抵触することができる存在だ。

 龍星が図らずも李宰相を殺めてしまったとき。
 現場に飛び込んできた飛雪は言う。
「手を汚させたくないのです。人の上に立つお方には」
 彼は、龍星がニセモノであるということを、知ることができる位置にいるんだ。
 最後の立ち回りで、霧影が真実を口にしようとしたのを、飛雪はあえて遮る。「世迷いごとは聞きたくない」だっけ、霧影がなにを言おうとそれは「世迷いごと」だとレッテルを貼り、封印した。それが彼の意志。そして、真実。

 飛雪が、龍星の秘密をどれくらい知っているのか。

 物語の中では、明確な答えは出ていない。
 作者がどー思っているか、役者がどー思っているかも、関係ない。
 作品中に答えが出ていないのだから、どう受け取るかは観るモノの自由だ。

 飛雪がどこまで知っていたかは、わからない。
 ただ、なにかしら知っていたし、疑っていたとは思う。
 龍星がニセモノであること。金の烏延将軍と通じていること。このあたりまでは、知っていたかもしれない。
 どこまで、は別に問題じゃないんだ。

 重要なのは、「それでもなお」飛雪の主君が龍星だったことだ。

 龍星は、自分が「本物の龍星」ではない、ということをトラウマとしていた。
 ニセモノであることを、レーゾンデートルにかけて隠していた。

 そんな彼を「名前」と関係なく愛していた唯一の人物が飛雪なんだ。

 烏延将軍ははじめからニセモノとして利用しているだけだった。李宰相はニセモノと知って拒絶した。
 砂浬はニセモノであることを知らない。最終的に彼女は、龍星が何者であろうとかまわずに命懸けで彼を愛するのだが、今はまだなにも知らずに龍星を憎んでいる。

 飛雪だけなんだ。
 龍星が何者であろうと関係なく、龍星自身を愛しているのは。

 だから。
 ポイントは飛雪。

 飛雪が、素直に愛を告げていたら、龍星の人生変わってたよね? てこと。

 敬愛でも忠義でも、それこそ恋愛でもかまわねーから。
「名前に関係なく、あなたを愛しています」と告げればよかったんだよ。
「たとえ皇帝の血筋でなくても、私の王はあなたひとりです」とかさ。

 『天の鼓』でも『龍星』でも、それこそ『エヴァンゲリオン』でも(笑)、要はそーゆーことなんだからさ。

 愛を語れ。

 「愛」は、ひとを救うことができるんだ。

 「愛」という呪だけで、ひとはいくらでも操れる。幸福に。

 されど、そうはいかないのが現実で。
 飛雪は大真面目に口をつぐんでいる。
 たぶん、龍星のために。なにも知らないふり、気づいていないふりで彼に仕えることこそが、彼のためだと信じている。
 
 バカだなあ、飛雪。
 それじゃ、龍星には伝わらないよ。「龍星」だから仕えてるんだ、「人の上に立つ者」だと思ってるんだ、と誤解しちゃうよ。

 あの傷だらけの美しい人を、救うことができたのは、飛雪だけだったのにね。

 そしてそれこそを、飛雪自身切望していただろうにね。

 不器用な忠臣は、不器用な君主のために、武骨な愛しか捧げられなかった。
 かなしいね。

 龍星は、しあわせになれたのに。
 なれる人だったのに。
 たったひとりでも、「龍星」の名の呪縛と関係なく愛してくれる人さえいれば。

 ……もっとも、そこが萌えなんだけど。

 

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