気がつくと、そこにいた。

 和央ようかという人。

 
 わたしは、トドロキファンである。
 だもんでたかちゃんのことも長く見てきた。
 ひょろりと背の高い、トドの弟。

 最初にたかちゃんを認識したのは、わたしがヅカ初心者だった、1990年『天守に花匂い立つ』の新人公演。

 主役の型破りな若様がトドロキで、彼になついている出来た弟役が、たかこ。

 宝塚歌劇は子どものころから観ていたが、ファンになったのは大人になってから。
 自分の意志とお金で観劇した、4回目か5回目かが、『天守』の新公だった。チケ取り大変だったよ。本公すら、どーやって買えばいいのかわかってなかったのに。それでも新公発売日に並びに行ったんだよなー(昔は、新公の発売日は本公とは別の日だった)。
 本公演すらろくに観たことない(『ベルばら』を数回、『天守』の本公を1回観ただけ)のに、いきなり新公デビューだったんで、自分がなにを観ているのかもわかりゃしねー。巧いも下手もない。誰が誰、なにがどう。
 タカラヅカ自体、初心者だったんだってば。日本物観るのはじめてだったし。

 そこではじめて認識した、和央ようかという人。……えーと、なんて読むんですか?

 ひょろ長くて、髷と着物が致命的に似合っていなかったよーな……ゲフンゲフン。特に首のあたりが変で……ゲフンゲフン。

 認識したからには、目につくよーになるでしょ。
 長い間、「和央ようか」という人は謎だった。わたしにとって。

 だって、その。
 ……きれいじゃない、から。

 ごめんよごめんよごめんよ。
 トドロキの顔に一目惚れしたわたしと、高嶺ふぶきの美貌に一目惚れした親友と、ふたりでヅカファンやってたんだよ。当時のたかちゃんが好みじゃなかったのも、仕方ないよ。
 『フラッシュ・タカラヅカ』とかのビデオ持ってたら見直してみてよ、当時のたかちゃん、すごいから。

 劇場ロビーの売店(キャトルレーヴなぞ存在しない)で、白黒のスチール写真を眺めながら、親友とふたりして首をひねっていた。
「どうしてこの人新公で、美人の一路さんの役をやってるんだろう? 美人の役は、美人がやるもんなんじゃないの?」
 ……15年前ですよ、わたしだって若かったんです。無知丸出しでした。

 きれいじゃなくても、どーしてスターなのかはわかんなくても、和央ようかは若手スター。
 新公2番手は彼の定位置。
 次の『黄昏色のハーフムーン』でも一路さんの役。イケてないボクちゃん役。
 この作品は、本公からしてとんでもねーお笑い作品で、ヅカを観ているとゆーより吉本を観ている気になったもんだった。だもんで新公はさらにえらいことになっており、雪組若手たちが総力をあげてお笑い道を突っ走った。

 和央ようかの舞台歴で、忘れられないもののひとつ。

 轟悠と和央ようかの、ネズミ男。

 砂色ポンチョ姿の主役とその相棒が振り返ると。
 ふたりして顔に、「ネズミ男」のヒゲを描いていた……その場面にはなんの関係もないのに。そしてそのままの顔で、なんの説明もなく、芝居を続けていた……。

 そのとぼけっぷりに。
 わたしと親友は「和央ようか素敵!」となった。

 笑いに笑った新公。
 体当たりのギャグ、行ったきり帰ってこない笑い道。
 明けて91年。30分の短編コメディ『恋さわぎ』で、たかちゃんは雪組一の長身で、丁稚役をやった。
 似合う似合わないの問題じゃない。やったんだ。
 丁稚の衣装、丁稚のカツラ。
 演技しているのかどうかあやうい、マイペースな言動。

 なにもしていない。ただ、そこにいるだけで笑われる。 いいのか、ソレ……?

 『天守』新公で「トドの弟」として認識したたかちゃん。その後の新公でもずっと「トド主役、たかこ2番手」だった。トドの弟、トドの横にいるひょろ長い頼りなさそうな男の子。美人じゃないし、スタイルも微妙。でも、いつも隣にいる男の子。いるのが当然の男の子。
 トドロキ最後の新公では、2番手は組替えでやってきたタータンだった。……たかこじゃないよ、くすん。最後まで、たかこ相棒で観たかった。慣れ親しんだ並びだったから。
 隣にいるのが当然、だったのに、トドが新公を卒業してしまったので、なんだか遠くなってしまった。

 なにしろトドロキも91年後半から92年ごろ、露骨に番手を落とされていてね。タータンの方が役付上だったんだわ、何作か。

 その、トドが停滞している間に、動く背景をやっている間に。

 たかちゃんが、光りはじめていた。

 忘れられない、92年『この恋は雲の涯まで』。
 それまでたかちゃんは、「トドの隣にいた男の子」「頼りない」「美人じゃないし、スタイルも微妙」だけど、愛着のある若手だった。

 それが。

 アイヌの若者、トンギャマ役で、それまでの印象や評価を全部ひっくり返した。

 幕が開く。
 舞台を埋め尽くすようににうごめく人たち。エキゾチックな歌とダンス。
 その中心にいる、長身の若者。

 彼が「真ん中」だとわかる。
 あれは誰?
 客席が動くのがわかる。
 トップでも2番手でもない、だけどまぎれもなく「スター」がそこにいる。
 休憩時間に、プログラムをめくる人たち。「あのアイヌの青年は誰?」あちこちから声がする。当時はプログラムも安くて、一見さんだって平気で買える値段だったのさ。
 和央ようかっていう人だって。和央? なんて読むの? ざわざわざわ。波紋が広がっていく。

 「スター」が生まれる瞬間。
 ひとりの舞台人が、輝き出す瞬間。

 なんてこった。「美人じゃない」のがたかこだったのに。背は高いけど、長いカラダを持てあましていて、どんくさい立ち姿でしかなかったのに。首のラインとか、変だったのに。
 トンギャマは、美しい。
 カオはその、相変わらず「お化粧、なんとかしようよ……」な感じだったんだけど(笑)、2500人劇場で顔立ち云々は大きな問題じゃない。立ち姿だ。オペラグラスなしで、3階席のいちばん後ろからでも「あの美しい人は誰?」と思わせるのが「スター」だ。
 たかこは、「スター」だった。
 トンギャマは、観客の視線を奪って離さない「スター」だったよ。

 以来、「たよりない、きれいじゃない男の子」はどこにいても輝くよーになった。
 どんくささとお化粧の下手さはそのままなんだが(笑)、パッと見「きれい。アレ誰?」と思わせる華を身につけた。よく見ると「……変なカオ。お化粧、下手?」なんだけど、そんなことはどーでもいー。パッと見きれいなんだから、目を引くんだから、「勝ち」だ。

 たかちゃんが、素顔も舞台も、なにもかも「美しい人」になっていくのは、その少しあと。

 最初から「美しい」わけじゃなかった。
 恵まれた長身だって、ちっとも活きてなかった。

 なのに彼は、自力で美しくなっていったんだ。魅力的になっていったんだ。
 ひとつずつ。

 気がつくと、そこにいた。
 いてくれた。
 だからずっと、見ていることが出来た。
 出会いと発見と感動を、得ることが出来た。

 和央ようかを、「美しい人」だと思う。


コメント

日記内を検索