そこにいて。@たかちゃんとわたし。
2005年10月26日 タカラヅカ 気がつくと、そこにいた。
和央ようかという人。
わたしは、トドロキファンである。
だもんでたかちゃんのことも長く見てきた。
ひょろりと背の高い、トドの弟。
最初にたかちゃんを認識したのは、わたしがヅカ初心者だった、1990年『天守に花匂い立つ』の新人公演。
主役の型破りな若様がトドロキで、彼になついている出来た弟役が、たかこ。
宝塚歌劇は子どものころから観ていたが、ファンになったのは大人になってから。
自分の意志とお金で観劇した、4回目か5回目かが、『天守』の新公だった。チケ取り大変だったよ。本公すら、どーやって買えばいいのかわかってなかったのに。それでも新公発売日に並びに行ったんだよなー(昔は、新公の発売日は本公とは別の日だった)。
本公演すらろくに観たことない(『ベルばら』を数回、『天守』の本公を1回観ただけ)のに、いきなり新公デビューだったんで、自分がなにを観ているのかもわかりゃしねー。巧いも下手もない。誰が誰、なにがどう。
タカラヅカ自体、初心者だったんだってば。日本物観るのはじめてだったし。
そこではじめて認識した、和央ようかという人。……えーと、なんて読むんですか?
ひょろ長くて、髷と着物が致命的に似合っていなかったよーな……ゲフンゲフン。特に首のあたりが変で……ゲフンゲフン。
認識したからには、目につくよーになるでしょ。
長い間、「和央ようか」という人は謎だった。わたしにとって。
だって、その。
……きれいじゃない、から。
ごめんよごめんよごめんよ。
トドロキの顔に一目惚れしたわたしと、高嶺ふぶきの美貌に一目惚れした親友と、ふたりでヅカファンやってたんだよ。当時のたかちゃんが好みじゃなかったのも、仕方ないよ。
『フラッシュ・タカラヅカ』とかのビデオ持ってたら見直してみてよ、当時のたかちゃん、すごいから。
劇場ロビーの売店(キャトルレーヴなぞ存在しない)で、白黒のスチール写真を眺めながら、親友とふたりして首をひねっていた。
「どうしてこの人新公で、美人の一路さんの役をやってるんだろう? 美人の役は、美人がやるもんなんじゃないの?」
……15年前ですよ、わたしだって若かったんです。無知丸出しでした。
きれいじゃなくても、どーしてスターなのかはわかんなくても、和央ようかは若手スター。
新公2番手は彼の定位置。
次の『黄昏色のハーフムーン』でも一路さんの役。イケてないボクちゃん役。
この作品は、本公からしてとんでもねーお笑い作品で、ヅカを観ているとゆーより吉本を観ている気になったもんだった。だもんで新公はさらにえらいことになっており、雪組若手たちが総力をあげてお笑い道を突っ走った。
和央ようかの舞台歴で、忘れられないもののひとつ。
轟悠と和央ようかの、ネズミ男。
砂色ポンチョ姿の主役とその相棒が振り返ると。
ふたりして顔に、「ネズミ男」のヒゲを描いていた……その場面にはなんの関係もないのに。そしてそのままの顔で、なんの説明もなく、芝居を続けていた……。
そのとぼけっぷりに。
わたしと親友は「和央ようか素敵!」となった。
笑いに笑った新公。
体当たりのギャグ、行ったきり帰ってこない笑い道。
明けて91年。30分の短編コメディ『恋さわぎ』で、たかちゃんは雪組一の長身で、丁稚役をやった。
似合う似合わないの問題じゃない。やったんだ。
丁稚の衣装、丁稚のカツラ。
演技しているのかどうかあやうい、マイペースな言動。
なにもしていない。ただ、そこにいるだけで笑われる。 いいのか、ソレ……?
『天守』新公で「トドの弟」として認識したたかちゃん。その後の新公でもずっと「トド主役、たかこ2番手」だった。トドの弟、トドの横にいるひょろ長い頼りなさそうな男の子。美人じゃないし、スタイルも微妙。でも、いつも隣にいる男の子。いるのが当然の男の子。
トドロキ最後の新公では、2番手は組替えでやってきたタータンだった。……たかこじゃないよ、くすん。最後まで、たかこ相棒で観たかった。慣れ親しんだ並びだったから。
隣にいるのが当然、だったのに、トドが新公を卒業してしまったので、なんだか遠くなってしまった。
なにしろトドロキも91年後半から92年ごろ、露骨に番手を落とされていてね。タータンの方が役付上だったんだわ、何作か。
その、トドが停滞している間に、動く背景をやっている間に。
たかちゃんが、光りはじめていた。
忘れられない、92年『この恋は雲の涯まで』。
それまでたかちゃんは、「トドの隣にいた男の子」「頼りない」「美人じゃないし、スタイルも微妙」だけど、愛着のある若手だった。
それが。
アイヌの若者、トンギャマ役で、それまでの印象や評価を全部ひっくり返した。
幕が開く。
舞台を埋め尽くすようににうごめく人たち。エキゾチックな歌とダンス。
その中心にいる、長身の若者。
彼が「真ん中」だとわかる。
あれは誰?
客席が動くのがわかる。
トップでも2番手でもない、だけどまぎれもなく「スター」がそこにいる。
休憩時間に、プログラムをめくる人たち。「あのアイヌの青年は誰?」あちこちから声がする。当時はプログラムも安くて、一見さんだって平気で買える値段だったのさ。
和央ようかっていう人だって。和央? なんて読むの? ざわざわざわ。波紋が広がっていく。
「スター」が生まれる瞬間。
ひとりの舞台人が、輝き出す瞬間。
なんてこった。「美人じゃない」のがたかこだったのに。背は高いけど、長いカラダを持てあましていて、どんくさい立ち姿でしかなかったのに。首のラインとか、変だったのに。
トンギャマは、美しい。
カオはその、相変わらず「お化粧、なんとかしようよ……」な感じだったんだけど(笑)、2500人劇場で顔立ち云々は大きな問題じゃない。立ち姿だ。オペラグラスなしで、3階席のいちばん後ろからでも「あの美しい人は誰?」と思わせるのが「スター」だ。
たかこは、「スター」だった。
トンギャマは、観客の視線を奪って離さない「スター」だったよ。
以来、「たよりない、きれいじゃない男の子」はどこにいても輝くよーになった。
どんくささとお化粧の下手さはそのままなんだが(笑)、パッと見「きれい。アレ誰?」と思わせる華を身につけた。よく見ると「……変なカオ。お化粧、下手?」なんだけど、そんなことはどーでもいー。パッと見きれいなんだから、目を引くんだから、「勝ち」だ。
たかちゃんが、素顔も舞台も、なにもかも「美しい人」になっていくのは、その少しあと。
最初から「美しい」わけじゃなかった。
恵まれた長身だって、ちっとも活きてなかった。
なのに彼は、自力で美しくなっていったんだ。魅力的になっていったんだ。
ひとつずつ。
気がつくと、そこにいた。
いてくれた。
だからずっと、見ていることが出来た。
出会いと発見と感動を、得ることが出来た。
和央ようかを、「美しい人」だと思う。
和央ようかという人。
わたしは、トドロキファンである。
だもんでたかちゃんのことも長く見てきた。
ひょろりと背の高い、トドの弟。
最初にたかちゃんを認識したのは、わたしがヅカ初心者だった、1990年『天守に花匂い立つ』の新人公演。
主役の型破りな若様がトドロキで、彼になついている出来た弟役が、たかこ。
宝塚歌劇は子どものころから観ていたが、ファンになったのは大人になってから。
自分の意志とお金で観劇した、4回目か5回目かが、『天守』の新公だった。チケ取り大変だったよ。本公すら、どーやって買えばいいのかわかってなかったのに。それでも新公発売日に並びに行ったんだよなー(昔は、新公の発売日は本公とは別の日だった)。
本公演すらろくに観たことない(『ベルばら』を数回、『天守』の本公を1回観ただけ)のに、いきなり新公デビューだったんで、自分がなにを観ているのかもわかりゃしねー。巧いも下手もない。誰が誰、なにがどう。
タカラヅカ自体、初心者だったんだってば。日本物観るのはじめてだったし。
そこではじめて認識した、和央ようかという人。……えーと、なんて読むんですか?
ひょろ長くて、髷と着物が致命的に似合っていなかったよーな……ゲフンゲフン。特に首のあたりが変で……ゲフンゲフン。
認識したからには、目につくよーになるでしょ。
長い間、「和央ようか」という人は謎だった。わたしにとって。
だって、その。
……きれいじゃない、から。
ごめんよごめんよごめんよ。
トドロキの顔に一目惚れしたわたしと、高嶺ふぶきの美貌に一目惚れした親友と、ふたりでヅカファンやってたんだよ。当時のたかちゃんが好みじゃなかったのも、仕方ないよ。
『フラッシュ・タカラヅカ』とかのビデオ持ってたら見直してみてよ、当時のたかちゃん、すごいから。
劇場ロビーの売店(キャトルレーヴなぞ存在しない)で、白黒のスチール写真を眺めながら、親友とふたりして首をひねっていた。
「どうしてこの人新公で、美人の一路さんの役をやってるんだろう? 美人の役は、美人がやるもんなんじゃないの?」
……15年前ですよ、わたしだって若かったんです。無知丸出しでした。
きれいじゃなくても、どーしてスターなのかはわかんなくても、和央ようかは若手スター。
新公2番手は彼の定位置。
次の『黄昏色のハーフムーン』でも一路さんの役。イケてないボクちゃん役。
この作品は、本公からしてとんでもねーお笑い作品で、ヅカを観ているとゆーより吉本を観ている気になったもんだった。だもんで新公はさらにえらいことになっており、雪組若手たちが総力をあげてお笑い道を突っ走った。
和央ようかの舞台歴で、忘れられないもののひとつ。
轟悠と和央ようかの、ネズミ男。
砂色ポンチョ姿の主役とその相棒が振り返ると。
ふたりして顔に、「ネズミ男」のヒゲを描いていた……その場面にはなんの関係もないのに。そしてそのままの顔で、なんの説明もなく、芝居を続けていた……。
そのとぼけっぷりに。
わたしと親友は「和央ようか素敵!」となった。
笑いに笑った新公。
体当たりのギャグ、行ったきり帰ってこない笑い道。
明けて91年。30分の短編コメディ『恋さわぎ』で、たかちゃんは雪組一の長身で、丁稚役をやった。
似合う似合わないの問題じゃない。やったんだ。
丁稚の衣装、丁稚のカツラ。
演技しているのかどうかあやうい、マイペースな言動。
なにもしていない。ただ、そこにいるだけで笑われる。 いいのか、ソレ……?
『天守』新公で「トドの弟」として認識したたかちゃん。その後の新公でもずっと「トド主役、たかこ2番手」だった。トドの弟、トドの横にいるひょろ長い頼りなさそうな男の子。美人じゃないし、スタイルも微妙。でも、いつも隣にいる男の子。いるのが当然の男の子。
トドロキ最後の新公では、2番手は組替えでやってきたタータンだった。……たかこじゃないよ、くすん。最後まで、たかこ相棒で観たかった。慣れ親しんだ並びだったから。
隣にいるのが当然、だったのに、トドが新公を卒業してしまったので、なんだか遠くなってしまった。
なにしろトドロキも91年後半から92年ごろ、露骨に番手を落とされていてね。タータンの方が役付上だったんだわ、何作か。
その、トドが停滞している間に、動く背景をやっている間に。
たかちゃんが、光りはじめていた。
忘れられない、92年『この恋は雲の涯まで』。
それまでたかちゃんは、「トドの隣にいた男の子」「頼りない」「美人じゃないし、スタイルも微妙」だけど、愛着のある若手だった。
それが。
アイヌの若者、トンギャマ役で、それまでの印象や評価を全部ひっくり返した。
幕が開く。
舞台を埋め尽くすようににうごめく人たち。エキゾチックな歌とダンス。
その中心にいる、長身の若者。
彼が「真ん中」だとわかる。
あれは誰?
客席が動くのがわかる。
トップでも2番手でもない、だけどまぎれもなく「スター」がそこにいる。
休憩時間に、プログラムをめくる人たち。「あのアイヌの青年は誰?」あちこちから声がする。当時はプログラムも安くて、一見さんだって平気で買える値段だったのさ。
和央ようかっていう人だって。和央? なんて読むの? ざわざわざわ。波紋が広がっていく。
「スター」が生まれる瞬間。
ひとりの舞台人が、輝き出す瞬間。
なんてこった。「美人じゃない」のがたかこだったのに。背は高いけど、長いカラダを持てあましていて、どんくさい立ち姿でしかなかったのに。首のラインとか、変だったのに。
トンギャマは、美しい。
カオはその、相変わらず「お化粧、なんとかしようよ……」な感じだったんだけど(笑)、2500人劇場で顔立ち云々は大きな問題じゃない。立ち姿だ。オペラグラスなしで、3階席のいちばん後ろからでも「あの美しい人は誰?」と思わせるのが「スター」だ。
たかこは、「スター」だった。
トンギャマは、観客の視線を奪って離さない「スター」だったよ。
以来、「たよりない、きれいじゃない男の子」はどこにいても輝くよーになった。
どんくささとお化粧の下手さはそのままなんだが(笑)、パッと見「きれい。アレ誰?」と思わせる華を身につけた。よく見ると「……変なカオ。お化粧、下手?」なんだけど、そんなことはどーでもいー。パッと見きれいなんだから、目を引くんだから、「勝ち」だ。
たかちゃんが、素顔も舞台も、なにもかも「美しい人」になっていくのは、その少しあと。
最初から「美しい」わけじゃなかった。
恵まれた長身だって、ちっとも活きてなかった。
なのに彼は、自力で美しくなっていったんだ。魅力的になっていったんだ。
ひとつずつ。
気がつくと、そこにいた。
いてくれた。
だからずっと、見ていることが出来た。
出会いと発見と感動を、得ることが出来た。
和央ようかを、「美しい人」だと思う。
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