わたしには、ローリーの「詩人」って部分がよくわかんないんだ。

 『DAYTIME HUSTLER』の話。

 元不良で詩人で教師、それがハスラーに変身。
 というてんこ盛り設定の一部としてはいい。
 詩集の自費出版のために借金が、という設定もつっこみたいことはあるがまあいい。ヒロイン・シルヴィアの朗読で「在りし日の恋」を再現するアイディアもいい。
 キャラの味付け手段としての「詩人」は、意味があると思っている。

 でも。
 わかんないのは、ラスト。

 せっかく舞台であるゴールドビーチのためにがんばってきて、GBC財団も設立され、これから!ってときに、なんでNYに旅立たなければならないんだろう。詩人としてやり直すために。

 詩人ちゅーのは、大都会でないとできないものなのか?

 たしかに、自費出版した本について「大都会でもないと売れない」という意味のことを作中で言わせている。
 本気で詩をやるなら、NYへ行くしかない、という伏線のつもりか。

 たしかに地方都市の書店は数が限られているから、ローリーの詩集を置いてくれるところは少ないだろう。
 分母の大きな大都会へ行けば、拾ってくれるところもあるかもしれない。

 でもそれは、「詩集を売る」という意味のことだ。

 「よい詩を書く」「詩の勉強をする」という意味にはならない。

 高校時代にローリーは詩で賞を取り、奨学金を得てNYの大学へ行った。卒業後もそのままNYで詩を書き続けていたらしい。
 この場合のNYはわかるんだ。勉強するには都会の大学の方が選択肢が多いだろう。

 しかし、最後のNY行きはわからない。
 NYに師事したい詩人でもいるのか? 入り直したい大学でもあるのか?

 ローリーのやっているのが「作詞」とかなら、「夢を追うために大都会へ行く」というラストもアリなのよ。
 歌詞を書いて音楽事務所などを回り、「使ってください」と言うためなんだなと。
 彼の歌詞を活かす曲をつけられる人は、田舎より都会にいるだろう、と。

 ローリーが「小説家」なら、「夢を追うために大都会へ行く」というラストもアリなのよ。
 小説を持って出版社を回り、「出版してください」と言うためなんだと。

 ローリーが「ミュージシャン」なら、「夢を追うために大都会へ行く」というラストもアリなのよ。「イラストレーター」でも「カメラマン」でも「漫画家」でも「俳優」でも。

 ただ、「詩人」でソレはないだろ。

 だって「詩人」って、ソレだけで「食べていけない」よね?

 「職業」として成り立つのがかなり難しいよね。
 専業の詩人で生計を立てられる人、家族を養える人って、どれくらいいるの?
 浅学なわたしの知る有名詩人たちはみんな、他に職業持ってるしなあ。翻訳家だとか作家だとか教師だとか。や、日本の話ですが。

 「プロになるために」大都会へ行くよーな職種じゃないと思うのですよ、「詩人」ってのは。

 大都会なら、ローリーの詩集を出版してくれる会社があるかもしれない。
 でもモノが「詩」だから、小説や漫画とちがって、出版してもらったからといって、それで食べていけるとは思えないんだよなあ。小説家や漫画家が「職業」として成立しつづけるために、都会に住む方が有利なのはわかるんだけど、詩人はまず「職業」として成り立ちにくいから、どこに住んでいても大差ない気がする。
 作品を売り込むためだけなら、その都度上京すればいいわけだし。受注だけ都会で取って、地方で生産すればいい。
 商業的意味のある職種で大成することを「夢」として、上京するのはわかる。
 でも、どうあがいたって「職業」として成り立たないだろう分野なのに、「とにかく、夢を追うなら大都会!」という思考回路はどうなの?

 わたしには、最後の唐突なローリーの旅立ちが、「夢を追うために大都会へ行く」という、アーティストもののお約束に思えてしまう。

 でもソレ、変だから!
 わたしはお約束とかワンパターンとか大好きだけど、「詩人」という職種に至っては、変だから!

 本当に真摯に「詩を作る」ことを考えているなら、今いる場所でがんばることだと思うのよ。
 しかも、ゴールドビーチはこれで完全にハッピーエンドじゃない。高校移転計画がなくなっただけで、街が完全に昔のような輝きを取り戻したわけじゃない。「これから」がんばるためにGBC財団が設立されたわけでしょ。
 それらのことを全部投げ出すのは無責任すぎない?
 闇雲に都会に行ったって、どーなる職種じゃないのに。ミュージシャンとかじゃないんだから。

 なんつーか最後の最後で。

 ローリーってやっぱ、どっか抜けてる?

 と思えてしまうから、こまるのよう。現実の見えていないおバカさんに見えるのがつらいのよ。

 なんで「詩人」なんだろう。
 ミュージシャンじゃダメだったのか? 作詞作曲彼がやってます、てことなら、シルヴィアの歌で「在りし日の恋」の再現もOKだし、自主制作CDのために借金を抱えて、ストリートでCD売ってる、ということにしたって、なんの問題もなかったのに。
 ミュージシャンなら、最後にNYに旅立ってくれて、なんの問題もないのに。

 「詩人」だから、すべてがまぬけになる……。

 それとも、わたしが知らないだけで、ミュージシャンも詩人も同じなのかな。
 都会へ行けばビッグになれるのかな。
 詩集が全米ベストセラーになって、一生生活に困らないとか、そーゆーことがアメリカではふつーにあるのかな。

 あ、わかった。
 NYには「詩人の会」とかがあるんだわ。詩人のコミュニティがあって、そこで詩人同士切磋琢磨して影響しあっていくのね。
 商業的成功とは関係なく、ただいい詩を書くためだけに。昔の文筆家や画家のサロンみたいなとこ。

 地方都市にいるから、いい詩を書けない。同志がいないから向上できない。……なんて言っている人は、たとえ都会に出たっていい詩は書けないと思っちゃうのは、わたしが世間知らずだからかな。

 ゴールドビーチでローリーの居場所がないくらい、完全になにもかも終わっていれば、旅立つのはアリだと思うけど。「これから」ってことになってるからなあ。しかも、もともと彼が首謀者みたいなもんだし。それを投げ出すのは無責任に映るんだよなあ。
 しかも理由が「詩」だとなあ。とほほ。

 ゴールドビーチでがんばって生きながら、いい詩を書いていく、とゆーのでは、何故いけなかったのだろう。
 そして、イケコが大好きな(笑)インターネットで、ローリーのポエムサイトが口コミで人気になり、超大手企業から詩集を出版するよーになる、とかでもいいだろうに。

 そこまで考えず、「アーティストもののお約束」をやりたかっただけに見えるのがかなしい。
 そして、タイトルにある「愛を売るのは」云々のこっ恥ずかしい台詞を言わせたかっただけなんだろうなあ、と思えることが。

 「詩人」というのが謎だ。
 使い方を、微妙にまちがっている気がして。


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