わたしは昔、詩のカルチャースクールに通ったことがある。
 友人が「ひとりじゃ嫌。一緒にやらない?」と言うので、何事も経験だ、と軽い気持ちで入学した。
 友人はもともと趣味で詩を書いている子だったからいいよ。でもわたしは詩なんてもん、書いたことも書きたいと思ったこともない。
 当然、教室に通ってもなにも書けないままでいた。
 いい加減なにか発表しないとまずいなってころになって、苦肉の策で「短編小説」を書いた。設定作ってキャラ作って、テーマと起承転結作って、1文をできるだけ短くして、言葉遊びと韻を踏むことにこだわりまくって。400字詰め原稿用紙で10枚だか。それくらいの「短い小説」をでっちあげ、そいつを「わたしの詩です」と言って発表した。
 いちおー、そんなもんでも先生は、「それも詩です」と認めてくれたけど。まあ向こうも商売だしな。
 そうか、こーゆー作り方でもいいのか、と思ったわたしは、それ以来小説を書くときと同じように「詩」を作った。
 設定と、物語を作る。これで原稿用紙100枚とか200枚の小説書けるよな、というプロット作ったうえで、それを小説ではなく「詩」にする。
 起承転結全部書く必要がないと気づいたので、その200枚の小説の、いちばん盛り上がる部分とかを抜き出して「詩」にすることをおぼえた。
 幼なじみの男女が大人になってつきあいだしたが、結局別れてそれぞれの道を歩くようになる、という物語だとしたら、その「別れ」のシーンのみを言葉やリズムにこだわりまくって「詩」にする。
 少ない言葉でふたりのバックグラウンドを匂わせ、書いていない部分の物語を想像させつつ、現在進行しているドラマを盛り上げる。
 という手法にハマり、とてもたのしく何本かの「詩」を書いた。
 でもすぐに、あきた。
 わたしは、「いちばんオイシイ場面」だけをこだわり抜いて書くことより、起承転結全部自分で表現したいんだってことを再確認したから。書くのがめんどーな設定部分や説明部分、仕掛けや伏線なども、全部全部書き込みたいんだ。
 つーことで、詩のスクールはひとりで先に辞めてしまった。

 結局、「詩」ってなんなんだろう?
 スクールに通ったけど、わたしには詩の書き方がついにわからなかったし、詩というものがなんなのかもわからなかった。

 ただ、わたしにとっては文学も芸術も「フィクション」である。「詩」を作るにしたって「物語の設定」を作ることからはじめるよーな奴だから。

 自分の青春時代の恋物語を実名(イニシャル)で詩に書いて、出版しちゃうローリーせんせとは、相容れません(笑)。

 前置きの自分語りが長くてウザいだろーけど、実は『DAYTIME HUSTLER』の話なんだ、これが。

 正直、ローレンス氏が「はつこひのおもひで♪」を借金してまで自費出版で詩集にしていることには、萎えたのだわ。
 前振りで長々語ったように、わたしには「詩」がよくわかってないし、とくに「自分を主人公にした自分大好き詩」は苦手、ということを提示した上でね。

 なにしろ舞台が「現代」でしょ。自費出版って誰にだってできるし、やり方ぐらい調べれば簡単にわかる。大正時代とかの文学青年が食うモノも食わずに芸術を追究して生きているのとはちがい、余暇の部分でいくらでも自費出版くらいできる時代なのよ。
 『DAYTIME HUSTLER』を未見のデイジーちゃんに「主人公、借金して同人誌出してるのよ」と言ったら、やっぱり爆笑されたし。kineさんもすかさず「もちろん売れなくて、見かねた生徒たちが路上で売ってるし」と解説してくれて、さらに笑いをかっていた。
 この現代、誰だって同人誌(自費出版なんだから同人誌だわな)ぐらい作れるのよ。中学生だってね。
 なのに、そんな子どもでもできることを、借金してやるってのがもう、恥ずかしさ満載。仮にも教職に就いてる大人のやることじゃない。自分の払える範囲で作ればいいのに。「装丁に凝ったから高くつく」なら、払えるよーになるまで、作るのを待てばいいのに。
 まあ、ローリーが作った本は、コミケで売っているよーな「同人誌」(数万円あれば作れる)ではなく、世のオヤジたちがよく作っている「共同出版本」だと思うので、100万円くらいはかかってるだろうけど。
 にしても、身の丈を顧みずにやることとしては、恥ずかしい部類。

 そして、書いてある内容が「はつこひのおもひで♪」。しかもその初恋の相手、死んでるらしーし。
 ものすげー自己陶酔のかほりがしないか?

 誰だって、「思い出」は美しいもんだ。
 過去の自分は美化されるもんなんだ。
 思い出ってのは、えてして自分に都合よく脳内で捏造されたり誇張されたりするもんなんだ。

 スウィート・セブンティーンの思い出。
 波打ち際をきゃっきゃっと駆けたりする、若いころの自分と恋人。
 しかも恋人は死んでしまう。
 いつまでも美しいままだ。デブでふてぶてしいおばさんになったりしないんだ。
 現実がどうあれ、思い出の中、自分のイメージの中だけで、いくらでも美しいモノを描ける。自分に都合よく。

 借金してまでそんなマスタベ本を作った、ということに、あたしゃ引いたよ。

 「借金」と「はつこひのおもひで♪」のダブルパンチが効いたのよ。
 どちらか片方ならまだよかったんだけど。
 両方だと、あまりに自己中心的で。抑制心とか理性とかに欠ける、快楽に弱い自己愛主義者って感じで。
 大切な「はつこひのおもひで♪」なら、どーしてお金が貯まるまで本を出すのを待てなかったのか。後先考えずに出してしまうくらい、軽いものなのか。そりゃそーか、ただのマスタベ本だもんな、自分が気持ちよければそれでいいんだもんな、なにも考えてないよな。
 高校移転反対のプロパガンダのためにあわてて出した、という風でもないしなー。
 ただただ、かっこわるい。

 まあ、そんなふうにかなりなまあたたかい目で、「詩人」ローレンス先生を眺めていたんだけど。

 物語が進み、ローリーが語る「暗い過去」を聞いて、萎えた心が少し復活した。

 たしかに詩集に書いてあるのは「はつこひのおもひで♪」だけど。
 脳内で都合よく変換された「美しい思い出」なんだろうけど。

 ローリーの恋人、メアリー・アンが死んだのは、詩集に書かれた高校時代ではなく、大人になってかららしい。
 美しいだけの初恋の時期を過ぎ、大人になって「生活」し、傷つけ合い、疲れ果てた末に死んだのだという。

 ただきれいなだけの過去をうっとりと書いたのではなく、汚れた末になお、過去の美しさにすがって書いたのか。

 それなら、脳内変換していてもゆるせる。
 ひたすらキレイキレイなだけの「はつこひのおもひで♪ポエム」であったとしても。

 自分も彼女も汚れた大人になってしまった、そのうえでの「過去回帰」「郷愁」ならば。

 ……絶対、ローリーのポエムほど現実は美しくなかったと思うのよ。ローリーにしろメアリー・アンにしろ。
 それでも、詩集ではひたすら美しく描かれているんだろう。
 最初はそのことに引いたけど、今ではゆるせるよ。
 美しいほど、かなしいと思えるよ。

 ただやっぱり、借金はどうかと思うけどな(笑)。


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