望月理世は、どこへ向かうのだろう。@新人公演『落陽のパレルモ』
2005年12月1日 タカラヅカ 劇団のすることはよくわからない。
どーしてこの子がろくに役つかないの? なんでこの子を抜擢するの? と、謎ばかりだ。
まあ、劇団の人事権を持つえらい人とわたしとは、舞台人に対する好みがまったくチガウんだろーな。
なんにせよ、その謎のひとつが、花組の望月理世だ。
気がついたら抜擢され、何年も何年も大事にされていた掌中のタマ。
たしかに、かわいい。
やたらと目立つ顔で、一度目に付いたら最後、どこにいてもわかる。
最初の抜擢は「顔」だけが理由だとしても納得できた。
しかし。
あまりにも、へたっぴだった。
すべてにおいて。
そのうち成長するだろう。なにしろ抜擢だ。学年や実力に見合わない役を与え、鍛える。メディアにも露出させ、人気アップを図る。
そーやって何年経ったんだっけ?
見事なまでに、成長してませんなっ(笑)。
人気はあるんですか? わたしはよく存じないのですが。
露出に相応しい人気はあるのかしら。
投資に見合う回収はできているのかしら。
わたしにはわかりません。
劇団の考えることは。
ただ、今回もまた新人公演を見ながら、「りせ、相変わらずへなちょこだなあ(笑)」と、まったり見守っておりました。
と、ここまでひでーこと書いてますが。
わたしの文章構成パターンにお気づきの方には、見抜かれていると思いますけど。
そんなりせを、好きだと言うために書いてるんですよ。
正直わたしゃ、りせをへなちょこだと思ってる。これだけ機会を与えてもらっていて、どーしてそこまでダメダメなのか物申したい舞台人だ。
技術だけで言うなら、ほんとにつらいところにいる。
でも、学校の成績の話をしているわけじゃないから。テストでいい点を取ることでも、100mのタイムを競っているわけでもないから。
不思議だよな、舞台人って。
技術だけではその価値も魅力も語れないんだもの。
なにしろりせは技術がないので、持ち味にないキャラを与えられたときは最悪。演技できないし、そもそもその役に見えないし。動いて喋って、あちゃーとなるし。
でもなあ、持ち味に合う役をやったときは、みょーに光るんだよなあ。噛むほどに味が出るんだよなあ。
『La Esperanza』新公は最悪だったな。なんでこの子がこの役でここにいるのか、理解に苦しんだ。
そのくせ、『マラケシュ』新公はたのしかった。おおっ、なんかハマってるぞ!と。
そして今回。
新人公演『落陽のパレルモ』のりせは、素敵だった。
恋敵ロドリーゴ役。
運命的に愛し合うヴィットリオとアンリエッタの仲を裂こうとする邪魔者。
自分が貴族であるということにだけしがみついた、うすっぺらな男。
なにしろ本公と新公は別物だからねえ。美しくせつないまっとーなラヴストーリーだからねえ。
本公の男前なロドリーゴではなく、新公では、愛し合う恋人同士に横恋慕するバカ男役なのよねー。
ロドリーゴ@りせがうすっぺらであればあるほど、キャラが正しく立ち、物語に深みが出た。悪役はこーでなくっちゃ!みたいな。
観劇後に、
「りせで『タイタニック』の恋敵役が見たいねえ」
という話が出てしまうくらい、うすっぺらな憎まれ役がハマっていたのよ。
りせは基本的に「演技」はできないから、持ち味にハマるかどうかなんだよね。
りせのできる役っていうと、「かわいい男の子」「無邪気な男の子」「頼りない男の子」。これなら演技しなくてもOK。「無垢で無知」というのも、持ち味。
『エリザベート』の少年ルドルフ、『野風の笛』新公の秀頼なんかは、持ち味全開でたのしかった。幼くて無知で善良、とゆーのがいいのだ。かわいそう感を盛り上げてくれて。
その他にあった、持ち味にない役たちでは、作品を見事にぶっ壊してくれたけど。
いいかげん学年もあがって、「いつまでもかわいこちゃんや少年役専業じゃつらいよなあ」と思っていたときに、『マラケシュ』新公。
狂気のギュンター。
あれえ? なんかすごくいい感じなんですけどっ?
本役のらんとむギュンギュンに疑問を持っていただけに、りせギュンのコワレ方に惹かれたというか(笑)。
や、もちろんとむ氏の方が技術は上なんですけどね。すべてにおいて。ただ、彼の持ち味と役が最後まで噛み合わなかったとゆーか。
リセギュンは技術なんか相変わらずなにもないんだけど、持ち味だけで持っていったというか。
こわい系の役者なんだ、りせ。
彼の持ち味である、「無垢と無知」。それは、角度を変えるだけでダークなものになるんだ。
子どもの無邪気な笑い声が、昼間の小学校のグラウンドから響いていたら、微笑ましいでしょう?
でも、その同じ笑い声が、猟奇殺人があったという廃屋で深夜に響いてきたら? まったく同じ声でも、こわいでしょう?
無邪気で幼い声であればあるほど、こわいでしょう?
ギュンターの狂気と、ロドリーゴの悪。
りせの持つ、「無垢と無知であるがゆえの歪み」が解放されるんだ。
……某組の某85期が理解できずにいるのに、同じくらいなにもできないりせを好きでいられるのは、彼が「毒」を持っているからだろう。
かわいこちゃんなのに、天使のように笑うのに、悪役顔。どこか不安定に歪んだ顔。
『パレルモ』新公のロドリーゴがよくってさあ!!
アンリエッタ@彩音に求婚してるけど、彼女がどんな人なのかはまったくわかってないのね。
自分の狭く浅い視野でしかなにも見られないし、考えられない男なの。
のーみそが足りてないし苦労もしたことないから、場違いな発言をしたりする。マチルダ誘拐事件を「貴族への嫌がらせだ」と言って、大人に言下に否定されてみたりな(笑)。
本質なんかなにひとつ見えないし、理解も出来ないから、結局いつも誰にも顧みられず問題の外側でズレたことをがなりたてている。
アンリエッタに相手にされず、銀橋で歌っちゃうときも、「うわ、バカだこいつ。なにもわかってねえ」感に充ち満ちてる。
でも本人はなにも気づいてない。変だとも思わないから、つらくもない。正しいのは常に自分で、まちがっているのは自分以外のすべてだから、人生はいつも彼にやさしい。
胸を張って背筋を伸ばして。
彼はいつだって正しいのだから。彼だけが正しいのだから。彼に従わない人認めない人は、「愚かでかわいそうな者」だから。
彼はいつでも、幸福だ。
……萌え。
ロドリーゴ最高。
あの小物感がたまりません。
うすっぺらぺらな小物のくせに、自分は大物だと信じて疑わないカンチガイ男。
最後に身を引くときも、自分を「かっこいい」と酔っていそうなとこが実にイイ。常にカンチガイ・テイスト。
ロドリーゴが「わかりやすい、安い悪役」に成り下がった分、主人公ヴィットリオ@みつるの「かっこよさ」が際立つもん。
キャラ立て最高、正しいですよ。
りせのこーゆー持ち味、好きだわ。
なんともわたし好み。
いつまでも「かわいこちゃん」ではいられないからこそ、「悪役」のできる男になってほしいわ。
いや、ふつーの悪役はすべるのわかってるから、「安い悪役」ね。
『キャンディ・キャンディ』のニール役とか、ハマるだろーなー。うっとり。
どーしてこの子がろくに役つかないの? なんでこの子を抜擢するの? と、謎ばかりだ。
まあ、劇団の人事権を持つえらい人とわたしとは、舞台人に対する好みがまったくチガウんだろーな。
なんにせよ、その謎のひとつが、花組の望月理世だ。
気がついたら抜擢され、何年も何年も大事にされていた掌中のタマ。
たしかに、かわいい。
やたらと目立つ顔で、一度目に付いたら最後、どこにいてもわかる。
最初の抜擢は「顔」だけが理由だとしても納得できた。
しかし。
あまりにも、へたっぴだった。
すべてにおいて。
そのうち成長するだろう。なにしろ抜擢だ。学年や実力に見合わない役を与え、鍛える。メディアにも露出させ、人気アップを図る。
そーやって何年経ったんだっけ?
見事なまでに、成長してませんなっ(笑)。
人気はあるんですか? わたしはよく存じないのですが。
露出に相応しい人気はあるのかしら。
投資に見合う回収はできているのかしら。
わたしにはわかりません。
劇団の考えることは。
ただ、今回もまた新人公演を見ながら、「りせ、相変わらずへなちょこだなあ(笑)」と、まったり見守っておりました。
と、ここまでひでーこと書いてますが。
わたしの文章構成パターンにお気づきの方には、見抜かれていると思いますけど。
そんなりせを、好きだと言うために書いてるんですよ。
正直わたしゃ、りせをへなちょこだと思ってる。これだけ機会を与えてもらっていて、どーしてそこまでダメダメなのか物申したい舞台人だ。
技術だけで言うなら、ほんとにつらいところにいる。
でも、学校の成績の話をしているわけじゃないから。テストでいい点を取ることでも、100mのタイムを競っているわけでもないから。
不思議だよな、舞台人って。
技術だけではその価値も魅力も語れないんだもの。
なにしろりせは技術がないので、持ち味にないキャラを与えられたときは最悪。演技できないし、そもそもその役に見えないし。動いて喋って、あちゃーとなるし。
でもなあ、持ち味に合う役をやったときは、みょーに光るんだよなあ。噛むほどに味が出るんだよなあ。
『La Esperanza』新公は最悪だったな。なんでこの子がこの役でここにいるのか、理解に苦しんだ。
そのくせ、『マラケシュ』新公はたのしかった。おおっ、なんかハマってるぞ!と。
そして今回。
新人公演『落陽のパレルモ』のりせは、素敵だった。
恋敵ロドリーゴ役。
運命的に愛し合うヴィットリオとアンリエッタの仲を裂こうとする邪魔者。
自分が貴族であるということにだけしがみついた、うすっぺらな男。
なにしろ本公と新公は別物だからねえ。美しくせつないまっとーなラヴストーリーだからねえ。
本公の男前なロドリーゴではなく、新公では、愛し合う恋人同士に横恋慕するバカ男役なのよねー。
ロドリーゴ@りせがうすっぺらであればあるほど、キャラが正しく立ち、物語に深みが出た。悪役はこーでなくっちゃ!みたいな。
観劇後に、
「りせで『タイタニック』の恋敵役が見たいねえ」
という話が出てしまうくらい、うすっぺらな憎まれ役がハマっていたのよ。
りせは基本的に「演技」はできないから、持ち味にハマるかどうかなんだよね。
りせのできる役っていうと、「かわいい男の子」「無邪気な男の子」「頼りない男の子」。これなら演技しなくてもOK。「無垢で無知」というのも、持ち味。
『エリザベート』の少年ルドルフ、『野風の笛』新公の秀頼なんかは、持ち味全開でたのしかった。幼くて無知で善良、とゆーのがいいのだ。かわいそう感を盛り上げてくれて。
その他にあった、持ち味にない役たちでは、作品を見事にぶっ壊してくれたけど。
いいかげん学年もあがって、「いつまでもかわいこちゃんや少年役専業じゃつらいよなあ」と思っていたときに、『マラケシュ』新公。
狂気のギュンター。
あれえ? なんかすごくいい感じなんですけどっ?
本役のらんとむギュンギュンに疑問を持っていただけに、りせギュンのコワレ方に惹かれたというか(笑)。
や、もちろんとむ氏の方が技術は上なんですけどね。すべてにおいて。ただ、彼の持ち味と役が最後まで噛み合わなかったとゆーか。
リセギュンは技術なんか相変わらずなにもないんだけど、持ち味だけで持っていったというか。
こわい系の役者なんだ、りせ。
彼の持ち味である、「無垢と無知」。それは、角度を変えるだけでダークなものになるんだ。
子どもの無邪気な笑い声が、昼間の小学校のグラウンドから響いていたら、微笑ましいでしょう?
でも、その同じ笑い声が、猟奇殺人があったという廃屋で深夜に響いてきたら? まったく同じ声でも、こわいでしょう?
無邪気で幼い声であればあるほど、こわいでしょう?
ギュンターの狂気と、ロドリーゴの悪。
りせの持つ、「無垢と無知であるがゆえの歪み」が解放されるんだ。
……某組の某85期が理解できずにいるのに、同じくらいなにもできないりせを好きでいられるのは、彼が「毒」を持っているからだろう。
かわいこちゃんなのに、天使のように笑うのに、悪役顔。どこか不安定に歪んだ顔。
『パレルモ』新公のロドリーゴがよくってさあ!!
アンリエッタ@彩音に求婚してるけど、彼女がどんな人なのかはまったくわかってないのね。
自分の狭く浅い視野でしかなにも見られないし、考えられない男なの。
のーみそが足りてないし苦労もしたことないから、場違いな発言をしたりする。マチルダ誘拐事件を「貴族への嫌がらせだ」と言って、大人に言下に否定されてみたりな(笑)。
本質なんかなにひとつ見えないし、理解も出来ないから、結局いつも誰にも顧みられず問題の外側でズレたことをがなりたてている。
アンリエッタに相手にされず、銀橋で歌っちゃうときも、「うわ、バカだこいつ。なにもわかってねえ」感に充ち満ちてる。
でも本人はなにも気づいてない。変だとも思わないから、つらくもない。正しいのは常に自分で、まちがっているのは自分以外のすべてだから、人生はいつも彼にやさしい。
胸を張って背筋を伸ばして。
彼はいつだって正しいのだから。彼だけが正しいのだから。彼に従わない人認めない人は、「愚かでかわいそうな者」だから。
彼はいつでも、幸福だ。
……萌え。
ロドリーゴ最高。
あの小物感がたまりません。
うすっぺらぺらな小物のくせに、自分は大物だと信じて疑わないカンチガイ男。
最後に身を引くときも、自分を「かっこいい」と酔っていそうなとこが実にイイ。常にカンチガイ・テイスト。
ロドリーゴが「わかりやすい、安い悪役」に成り下がった分、主人公ヴィットリオ@みつるの「かっこよさ」が際立つもん。
キャラ立て最高、正しいですよ。
りせのこーゆー持ち味、好きだわ。
なんともわたし好み。
いつまでも「かわいこちゃん」ではいられないからこそ、「悪役」のできる男になってほしいわ。
いや、ふつーの悪役はすべるのわかってるから、「安い悪役」ね。
『キャンディ・キャンディ』のニール役とか、ハマるだろーなー。うっとり。
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