歓声が聞こえる。@W-WING-
2005年12月22日 タカラヅカ 12月21日、和央ようかライブショー『W-WING-』公演で事故が起こった。
主演の和央ようかがフライング中に落下、骨盤骨折で全治1カ月と診断され、公演は全中止となった。
わたしが観た翌日の公演だ。
原因や劇団の対応についてどうこう言うつもりはない。わたしは関係者でも目撃者でもなく、まったくの門外漢だから言葉はない。
ただ、かなしい。やるせない。
たかちゃんの身体が心配だし、受けた痛みや、心労を思うだけで泣けてくる。
今後のことだって、心配だ。
ずっとずっと、見てきた子だから。
まだほんの下級生時代から、好き嫌い以前に見ていた、知っていた人だから。
ジェンヌ人生の最後の花道で、こんなことになってしまったことが、ショックで。
あんまりだ。
ひどいよ。
かなしくて、やるせなくて。
誰が、なにが悪いとかいうんじゃなくて。
ただかなしい。
『W-WING-』という公演は、決していい作品じゃない。
わたしはあちこちドン引きしたし、フライングという文化自体にも引き気味だった。
出演者のクオリティではなく、作品のクオリティとしては、かなりアレだと思う。
でもさ、そーゆーことだけで量れないものだから。
主演のたかちゃんが、たのしそうだった。
カラダ大丈夫か? と思えるほど、体当たりでがんばっていた。
裏事情なんか知りようもないから、どこからが仕事でどこまでが本人の意志や希望だったのかなんてわからないけど、少なくともたかちゃんは「自分がやりたかったことだ」と公言し、このライブに取り組んでいた。
悪趣味で目眩がする演出やネタも、たかちゃんがやりたかったことなら仕方ないと思う。その笑顔を見るためだけに、この公演があってもいいと思う。
たかちゃんが、この公演を大切にしていることは、伝わってきた。ダイレクトに。
花ちゃんが、たのしそうだった。
自分も退団するくせに、それを忘れたかのように、「ただの脇役」となって踊っていた。まぶしい笑顔で。
全霊をあげて、たかちゃんを「送り出して」いた。
出演している下級生たちが、たのしそうだった。
それぞれが自分の役割を果たしつつ、真ん中のたかちゃんを盛り上げていた。
惜しみなく舞台を創り上げていた。
舞台が熱を持っていた。
出演者たちが、意志を持ってこの空間を存在させていることがわかる。
消えてしまうもの、あとには残らない、今この瞬間共有することでのみ存在するものを、全力で創り上げていた。
そして。
観客たちも。
同じ衣装を着て同じペンライトを持って、立ち上がって踊っていたFCの人たちが、たのしそうだった。
わたしの席からは彼女たちがよく見えたので、「立ったり坐ったり踊ったり、音頭取ったり統制かけたり大変だなー」と思いつつ、自分は坐ったまままったり眺めていたのだけど。
脇目もふらず前だけを見て、この場の共有に参加している姿。
わたしの後ろの席の人は、最初から最後までうるさかった。
鳴り物を持ち込んで大騒ぎしていた。舞台に向かって掛け声もかけるし、他の観客の扇動にも余念がなかった。
「たかちゃんが、みんなに立って欲しいって言ってるの」
と解説し、自分がずっと立ち上がって騒いでいることへの言い訳と、周囲の者にも自分と同じように立って踊ることを暗に強要していた。
この人の後ろの席でなくてよかった、と、心から思った(笑)。ずっと立たれてたら、なにも見えないもんなあ。
遠方から来ているらしく、新幹線の時間を気にしていた。
「こんな姿、子どもには見せられないわ」
と言っているだけあって、けっこう年配の女性だった。
うるさかったけれど、不快ではなかった。
わたしは彼女と同じたのしみ方はできないけれど、彼女がたのしそうにしていることは微笑ましかった。
や、彼女の後ろの席だったらそうは思えなかったかもしれないけど、アタマの後ろでメガホン使われてるぐらいならまだ、許容範囲(笑)。だってコレ、そーゆーことが許されている公演だから。
たのしそうだから、いい。
たくさんの愛があふれている空間だから。
観客たちがそれぞれのスタンスで今をたのしんでいるから。
わたしは着席したままだったけれど、ずっと手拍子と拍手はしていたし、あちこち笑い転げてもいたし。
わたしの前の席は白髪のおばあさまたちで、もちろんずっと着席したままだった。この人たちに、立ち上がってあのちゃちなアイドルみたいな振付で踊れなんてゆーの、酷すぎるよな、といった感じの、「都会の真ん中の劇場におでかけ」してきた、おめかしした老婦人たちだよ。
そのおばあさまたちが、ショーも後半になると、着席したままとはいえ、一緒に振付に参加しはじめるの。
おそるおそる、といった感じで「W!」「I!」「N!」「G!」をやりはじめるの。
すごいよねええ。
白髪の老婦人が、「I!」で右手を挙げるんだぜえ?
みんなが、たのしんでいた。
ひとつの空間を、共有していた。
愛を叫んでいた。
歓声が聞こえる。
よろこびの声。愛の声。
それをおぼえているから。
かなしい。やるせない。
愛があった。
舞台に、客席に。
だからこそ。
出演者たちは、どんな思いでいただろう。
そして、観客は。
たかちゃんと、あの公演を愛していたすべての人たちの、心を思うと痛い。
たのしそうだった花ちゃん。たのしそうだった下級生たち。
同じ衣装を着たFCの人たち。
おそるおそる右手を挙げていた、白髪の老婦人。
後ろで大騒ぎしていた「子どもには見せられない姿」の人。
みんな、どうしてる?
大丈夫?
心があることがわかっているから。愛しい空間だったから。
断ち切られたことが、せつない。
いちばん苦しんでいるだろうたかちゃんが心配。たかちゃんを思うとせつなくて苦しい。
でも、それとは別に。
たかちゃんと、たかちゃんと共にあったあの空間を愛し、共有していたものすべてにも、せつなくてやるせなくて、苦しいんだ。
なにがどうじゃなく、ただ、かなしいよ。
たかちゃんが、早くよくなりますように。
そして、彼女にとってもっともよい未来を彼女の意志で選択できますように。
そして。
たかちゃんを愛し、たかちゃんに関わり、たかちゃんの事故によって傷を受けたすべての人たちに、どうか癒しを。
愛ゆえの痛みに、どうか救いを。
主演の和央ようかがフライング中に落下、骨盤骨折で全治1カ月と診断され、公演は全中止となった。
わたしが観た翌日の公演だ。
原因や劇団の対応についてどうこう言うつもりはない。わたしは関係者でも目撃者でもなく、まったくの門外漢だから言葉はない。
ただ、かなしい。やるせない。
たかちゃんの身体が心配だし、受けた痛みや、心労を思うだけで泣けてくる。
今後のことだって、心配だ。
ずっとずっと、見てきた子だから。
まだほんの下級生時代から、好き嫌い以前に見ていた、知っていた人だから。
ジェンヌ人生の最後の花道で、こんなことになってしまったことが、ショックで。
あんまりだ。
ひどいよ。
かなしくて、やるせなくて。
誰が、なにが悪いとかいうんじゃなくて。
ただかなしい。
『W-WING-』という公演は、決していい作品じゃない。
わたしはあちこちドン引きしたし、フライングという文化自体にも引き気味だった。
出演者のクオリティではなく、作品のクオリティとしては、かなりアレだと思う。
でもさ、そーゆーことだけで量れないものだから。
主演のたかちゃんが、たのしそうだった。
カラダ大丈夫か? と思えるほど、体当たりでがんばっていた。
裏事情なんか知りようもないから、どこからが仕事でどこまでが本人の意志や希望だったのかなんてわからないけど、少なくともたかちゃんは「自分がやりたかったことだ」と公言し、このライブに取り組んでいた。
悪趣味で目眩がする演出やネタも、たかちゃんがやりたかったことなら仕方ないと思う。その笑顔を見るためだけに、この公演があってもいいと思う。
たかちゃんが、この公演を大切にしていることは、伝わってきた。ダイレクトに。
花ちゃんが、たのしそうだった。
自分も退団するくせに、それを忘れたかのように、「ただの脇役」となって踊っていた。まぶしい笑顔で。
全霊をあげて、たかちゃんを「送り出して」いた。
出演している下級生たちが、たのしそうだった。
それぞれが自分の役割を果たしつつ、真ん中のたかちゃんを盛り上げていた。
惜しみなく舞台を創り上げていた。
舞台が熱を持っていた。
出演者たちが、意志を持ってこの空間を存在させていることがわかる。
消えてしまうもの、あとには残らない、今この瞬間共有することでのみ存在するものを、全力で創り上げていた。
そして。
観客たちも。
同じ衣装を着て同じペンライトを持って、立ち上がって踊っていたFCの人たちが、たのしそうだった。
わたしの席からは彼女たちがよく見えたので、「立ったり坐ったり踊ったり、音頭取ったり統制かけたり大変だなー」と思いつつ、自分は坐ったまままったり眺めていたのだけど。
脇目もふらず前だけを見て、この場の共有に参加している姿。
わたしの後ろの席の人は、最初から最後までうるさかった。
鳴り物を持ち込んで大騒ぎしていた。舞台に向かって掛け声もかけるし、他の観客の扇動にも余念がなかった。
「たかちゃんが、みんなに立って欲しいって言ってるの」
と解説し、自分がずっと立ち上がって騒いでいることへの言い訳と、周囲の者にも自分と同じように立って踊ることを暗に強要していた。
この人の後ろの席でなくてよかった、と、心から思った(笑)。ずっと立たれてたら、なにも見えないもんなあ。
遠方から来ているらしく、新幹線の時間を気にしていた。
「こんな姿、子どもには見せられないわ」
と言っているだけあって、けっこう年配の女性だった。
うるさかったけれど、不快ではなかった。
わたしは彼女と同じたのしみ方はできないけれど、彼女がたのしそうにしていることは微笑ましかった。
や、彼女の後ろの席だったらそうは思えなかったかもしれないけど、アタマの後ろでメガホン使われてるぐらいならまだ、許容範囲(笑)。だってコレ、そーゆーことが許されている公演だから。
たのしそうだから、いい。
たくさんの愛があふれている空間だから。
観客たちがそれぞれのスタンスで今をたのしんでいるから。
わたしは着席したままだったけれど、ずっと手拍子と拍手はしていたし、あちこち笑い転げてもいたし。
わたしの前の席は白髪のおばあさまたちで、もちろんずっと着席したままだった。この人たちに、立ち上がってあのちゃちなアイドルみたいな振付で踊れなんてゆーの、酷すぎるよな、といった感じの、「都会の真ん中の劇場におでかけ」してきた、おめかしした老婦人たちだよ。
そのおばあさまたちが、ショーも後半になると、着席したままとはいえ、一緒に振付に参加しはじめるの。
おそるおそる、といった感じで「W!」「I!」「N!」「G!」をやりはじめるの。
すごいよねええ。
白髪の老婦人が、「I!」で右手を挙げるんだぜえ?
みんなが、たのしんでいた。
ひとつの空間を、共有していた。
愛を叫んでいた。
歓声が聞こえる。
よろこびの声。愛の声。
それをおぼえているから。
かなしい。やるせない。
愛があった。
舞台に、客席に。
だからこそ。
出演者たちは、どんな思いでいただろう。
そして、観客は。
たかちゃんと、あの公演を愛していたすべての人たちの、心を思うと痛い。
たのしそうだった花ちゃん。たのしそうだった下級生たち。
同じ衣装を着たFCの人たち。
おそるおそる右手を挙げていた、白髪の老婦人。
後ろで大騒ぎしていた「子どもには見せられない姿」の人。
みんな、どうしてる?
大丈夫?
心があることがわかっているから。愛しい空間だったから。
断ち切られたことが、せつない。
いちばん苦しんでいるだろうたかちゃんが心配。たかちゃんを思うとせつなくて苦しい。
でも、それとは別に。
たかちゃんと、たかちゃんと共にあったあの空間を愛し、共有していたものすべてにも、せつなくてやるせなくて、苦しいんだ。
なにがどうじゃなく、ただ、かなしいよ。
たかちゃんが、早くよくなりますように。
そして、彼女にとってもっともよい未来を彼女の意志で選択できますように。
そして。
たかちゃんを愛し、たかちゃんに関わり、たかちゃんの事故によって傷を受けたすべての人たちに、どうか癒しを。
愛ゆえの痛みに、どうか救いを。
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