それは、究極の選択だ。

「石田作品を自腹で10回観るのと、太田作品を自腹で10回観るのとなら、どちらを選ぶ?」

 そう問うと、友人たちはうなり声をあげた。
「自腹? 自腹で10回……」

 拷問だ。

 物語・エンタメとしての体裁はあるが、無神経で下品な石田作品。
 美しくはあるが、美しいだけで、他になにもない太田作品。

 ……どっちがマシ?

 むかついて不愉快になる石田作品と、つまらなくて爆睡してしまう太田作品。

 ……どっちがマシ?

 
 わたしは大抵の作品を、自分の目で判断してリピート回数を決めている。世間の評は関係ない。
 佳作・駄作とわたし個人の好悪はべつのものだし、萌えはどこにあるかわからない(笑)からだ。
 できるだけ早いうちに観劇し、気に入った作品はリピートする。
 あとになって「もっと観たいのに、公演終了なんて!!」と悔やむことがないように、余裕のあるスケジュールにする。

 だが。
 この『不滅の恋人たちへ』に関しては、その限りではない。
 ハマるはずがないからだ。
 観る前から、自信を持って言える。

 太田作品、大嫌いだもん(笑)。

 だから最初から千秋楽1回きりの観劇予定だった。
 通常のわたしなら、ありえない。ラスト1回だよ? もしそれでハマったら、くやしくて眠れない(笑)。
 でも、太田作品だから安心。大丈夫、絶対ハマらないって。自信を持って、ラストの1回だけを観る。
 千秋楽なのも、べつに能動的な理由はない。手に入ったチケットがそれだけだったんだ。タニファンのジュンタンと一緒に観に行きたくて、入力した友会が当たった。自力で手に入れた分があれば、もうそれで十分。他にも何名かに誘っていただいたけど、全部お断りした。わたしより価値のある観客が他にいるだろうから。

 つーことで、千秋楽たった一度きりの観劇。
 さすがに楽近くになれば、風評が耳に入る。いい評判は、みごとにひとつもない。
 苦笑しつつ、実際に観劇して。

 我が判断に狂いなし。1回きりにしておいてよかった。

 ……いろんな人に、「1回観れば十分ですよ」と言われていたが、ほんとーにその通りだ(笑)。

 悪い意味ぶっちぎりでの、太田哲則集大成。

 
 あらすじ。
 第1幕。ミュッセ@タニとサンド@るいるいが出会った。
 第2幕。ミュッセとサンドが別れた。
 以上。

 ストーリーはこれだけ。
 んじゃ2時間なにやっているかというと、太田せんせが自分の好きな言葉を羅列している。

 ただただ羅列。
 文字の洪水、言葉の奔流。流れているだけで実体はない。

 そのまま本公演ができそうなほどの豪華なキャストは、動く背景。本公演ならせめてライトが当たって顔が見えるが、ここではそれすらない。暗いところでひたすら背景や効果として踊る。

 
 「作品」として、わたしはもちろん、こんなもの認めない(笑)。

 作者だけが気持ちいいマスタベ作品。
 起承転結もクライマックスもない、ただただ作者がうわごとを言い続けているだけ。好きなことをしているだけ。
 舞台はたしかに美しいが、それは作者が「うわごと」も含み「美しいモノ」に固執しているだけであって、物語として意味のある美しさじゃない。
 もともと太田作品はそういったきらいがあったが、今回はそれが全開、というか、ソレしかない。

 ただの自慰なら、ひとりでやってりゃいいのに。
 商業作品として、ひとさまに金取って見せてんぢゃねえよ(笑)。

 うっわー、生徒たち大変だなあ。
 てゆーか、これをリピートしなきゃなんないファンも大変だなあ。

 もちろん、これが別のカンパニーで上演されているなら、べつにかまわないと思う。作者が意図と計算でもって観客をたのしませたり、感動させたりするつもりのない、美しい言葉と美しい画面を眺めるだけのパフォーマンスがあってもいい。熱帯魚の水槽とか、風景写真とか、わたしは眺めていると飽きるし、2時間眺めていろと言われたら寝ちゃうだろうけど、そーゆーものを求めている人も場所もあるだろう。
 だがここはタカラヅカで。
 観客は演出家の自己満足を観にくるのではなく、タカラジェンヌを見に来るんだ。演出家の仕事は、観客の求めるモノを与えることだ。
 タカラヅカがエンタメである以上、いくら美しいからって、熱帯魚の水槽や風景写真を2時間見せられてもこまるんだよ。「物語」を見せてくれよ。

 わたしはタカラヅカをエンタメだと思っているので、それを無視している太田作品が嫌い。自己愛と自分の嗜好主張だけで成り立っているから嫌い。
 自己愛の強さと主義主張がうるさすぎることで嫌われる作家にキムシンがいるけれど、キムシン作品はエンタメだから好き。
 たとえばキムシン作品は、ヅカ以外のカンパニーで上演されたとしても客は入るだろう。
 冒頭で例に挙げた石田作品も、ヅカ以外のカンパニーで上演されたとしても客は入るだろう。(むしろ、石田作品はヅカ以外の方が向いていると思う)
 されど太田作品は、他のカンパニーで上演されたら客はろくに入らないだろう。だってストーリーもクライマックスもないもんな。ただきれいだっつーだけで。
 もちろん、そーゆーものを求めている非エンタメ主義の人にはありがたがられるだろうけど。
 商業というより、同人的なんだよなあ。客の目線、とゆーか、「他人の目線」を考えていない。あるのは「自分」だけ。

 「美しいモノを作る」「純粋に『美』だけにこだわった舞台を作る」というテーマの舞台なら、タカラヅカ以外にもあると思うんだけど。そりゃ、この日本ではヅカほど客は入らないかもしれないけど、そーゆーテーマの舞台は。
 エンタメ性を否定するなら、どこか他のカンパニーでやればいいのに。

 と、思うのも。
 純粋に、不思議なんだ。

 これほど「太田ワールド」として、自分の作品しか愛していないのにさ。

 この出演者レベルで、満足しているの?

 太田せんせはいつも自分が書きたいモノしか書かない。自分が好きなことしかしない。
 あて書きなんかするはずもないから、出演者が「太田ワールド」に合わせなくてはならない。
 実力がある人ならばそれも可能だが、そうでない場合や、持ち味が致命的に作品と乖離している場合は、悲惨なことになる。
 『送られなかった手紙』や今回の『不滅の恋人たちへ』はほんと、どえらいことになってますよ(笑)。
 それが不思議。
 そんなに「自分の作品」だけが大事なら、壮くんやタニちゃんに主演させちゃダメだろうに。
 それとも、太田の目的はほんっとーに、「水槽の熱帯魚」なのか? ただ見た目がきれいならいいの?

 純粋に、謎(笑)。


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