若くても、彼は獅子だから。@Young Bloods!!
2006年3月3日 タカラヅカ 「路線」というものについて、考える。
「路線」というのは、ただの区別じゃない。受ける教育のちがいをいうんだ。
「路線」である子は、そのための教育を受ける。スポットライトをただひとり浴びる力。空間を自分の存在感で埋める力。空気を動かす力。
もちろん、それには「素質」が必要だ。だがそれだけではない。訓練だ。それらは、群舞や通行人をやっていて身に付くことではなく、実際に舞台で真ん中に立ち、訓練することで身につけて行くんだ。
脇にいるときそれなりにかっこよくて、いい仕事をしている子でも、いざ真ん中に立たせれば魅力が失速する。そういうことはままある。真ん中に立つべく訓練を受けていないため、真ん中に求められる仕事ができないんだ。
それくらい、「真ん中に立つ」というのは別のスキルを必要とする。
うまいとかきれいとかいうのとは、別の能力。
経験を積むことでスキルアップする舞台人というジョブで。
「路線」として抜擢を受け、真ん中に立つための訓練を受ける。
これが基本。
だが。
「路線」としての訓練を受けてもまったくスキルのあがらない子もいるっつーに。
場を与えられることがなかったにもかかわらず、ちゃんと「真ん中」に立ててしまう子がいる。
てのはいったい、なんなんだろう。
できる子とできない子の差は、どこからくるんだ?
人は、どこで分かれてしまうのだろう?
不思議で、とても興味深いことだ。
龍真咲を考えてみる。
この子の知名度は、どれくらいあったのだろう。
新公主演もしていない。それどころか2番手も、3番手もしていない。
スカステでニュース読んだりはしていたらしいけど、そーゆータレントとしての知名度ではなく、「舞台人」としての。
いちばん大きな役がついたのって、新公『エリザベート』のルドルフぐらい? でもその直後の新公では副組長の役だったし。
「舞台人」としての知名度は、決して高くなかったろう。
新公ですら、ろくに役がつかない。まったくつかないわけじゃなくても、「路線」として世間に認識されるような扱いは受けていない。
なのにこの子は、「真ん中」に立つ力を持っている。
ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』、芝居とショー2本立て。
出演平均学年研3.2だというこの公演。
芝居は藤井くんらしいサムさ全開、詰めの甘さ全開で、出演者の経験値の低さを底上げするようなものではない。
ショーは「ショーである」ということ自体が難問。民族的に自己表現力に欠け、またそれをたのしむ能力にも欠ける日本人である以上、ショーは敷居が高い。素人演劇というジャンルは成立しやすいが、素人ショーカンパニーつーのが成立しにくいことが、それを表しているはず。
そんなふうに、今回のワークショップはすげー難しいものであると思う。
それを、主演経験ナシの龍真咲はやってのけた。しかも、今回のワークショップ主演最下級生。3月現在、まだ研5。
それって、すごいことだと思うよ。
「男役」ができあがるまで、「スター」ができあがるまで、どれほどの時間と機会が必要かを考えたら。
「路線」と「非路線」があり、路線だけに帝王学をたたき込んでいる、今のタカラヅカに一石を投じる出来事だと思う。
どんなに「路線」教育をしても力が付かない人がいるっつーに、教育を受けていなくてもここまでやってしまう人がいる、という現実が明らかになったのだから。
しかし、どこで分かれるんだろうなあ。
人間ってのは、おもしろいなあ。
若者ばかりの今回のワークショップ。
レベル的には文化祭に毛が生えた程度だと思うよ。
ただ、文化祭と決定的に違うのが、「スター」の存在。「スター」を頂点としたピラミッドが形成され、「スター」がそのスター力で舞台を掌握する。ピラミッドは頂点に近い位置にいる人ほど能力値が高く、下に行くほど下がる。トップスターが研5の真咲で、最下級生が研1のひよっこたち。……うわー、若い……。
娘役はともかく、男役で形を保っているのは白鳥と光月ぐらいのもん。そんな状態で、舞台に真咲が現れるときの空気の動き方ときたら。「あ、スターが現れた」ってはっきりわかる。
この子のために、この舞台が存在している。そう思わせる力。
龍真咲自身については、とくにおどろきはない。
予想していた通りの実力であり、結果だった。
わたしがこの子に注目したのは研2のときだった。まず、容姿の美しさ。……でも、それだけならべつになんとも思わない。心が動いたのは、その歌声にだ。研2にして「男役の声」で魅力的に歌うことが出来た。姿のかわいさのせいで、かえってびびったよ。こんなに男前な声なの? って。
次が翌年の新公。たった一言しか台詞のない、いてもいなくてもいい役。ただの背景。……そんな役に過ぎないのに、彼は戦闘意欲に満ちていた。このどーでもいい役で、本気でファンを増やす気でいる。自分の美しさ、魅力を最大限にアピールして、勝つつもりでいる。その姿勢に、「君のファンになるよ」と決めた(笑)。それは2003-04-22の日記にも書いてある。
わたしが劇団の人間なら、あの時点で真咲を抜擢してる。明確な上昇志向を感じたからだ。
なにをすればいいのかわからない、自分がなんなのかわからない。永遠のモラトリアムにいるよーな今の若者たちの中で、「自分がなにを欲しているか」「欲しいものを手に入れるために、なにをすべきか」を明確に自覚しているなんて、それだけでもすごい。群の中で、ちがう色を放っている。
それに、前年のバウで演技も歌もできることがわかっているから、安心して路線に乗せただろうよ。
なのに一向に彼の役付が上がらないことが、不思議でならなかった。
だから。
今回のワークショップ主演は、こころからうれしい。
正しい人事だと思えた。
能力のある人が評価されない世界なんて、見ていてつまらないもの。夢を見られないもの。
わたしはジェンヌをファンタジーだと思っているので、ナマの生徒に近づくこともないし、お茶会だのにも行かないし、トーク番組なども見ることはない。だから、舞台の上がすべて。舞台の上から感じるものがすべて。わたしは真咲を生意気そーで性格悪そうで好戦的な子だと勝手に思っているが、それはすべて舞台から受ける印象だ。ほんとのとこは知らない。
知らないまま、そういった舞台姿を愛でている。
才能の世界は弱肉強食。弱いものを食い荒らし、強いものだけが残っていく。のしあがっていく。そーゆードリームがあってもいいじゃないか。
好きだよ、真咲。善良である、というだけでなんの成果もあげられない人たちを蹴落として、実力で輝いてくれ。
まぎれもないスター誕生に、心地よく酔っている。
「路線」というのは、ただの区別じゃない。受ける教育のちがいをいうんだ。
「路線」である子は、そのための教育を受ける。スポットライトをただひとり浴びる力。空間を自分の存在感で埋める力。空気を動かす力。
もちろん、それには「素質」が必要だ。だがそれだけではない。訓練だ。それらは、群舞や通行人をやっていて身に付くことではなく、実際に舞台で真ん中に立ち、訓練することで身につけて行くんだ。
脇にいるときそれなりにかっこよくて、いい仕事をしている子でも、いざ真ん中に立たせれば魅力が失速する。そういうことはままある。真ん中に立つべく訓練を受けていないため、真ん中に求められる仕事ができないんだ。
それくらい、「真ん中に立つ」というのは別のスキルを必要とする。
うまいとかきれいとかいうのとは、別の能力。
経験を積むことでスキルアップする舞台人というジョブで。
「路線」として抜擢を受け、真ん中に立つための訓練を受ける。
これが基本。
だが。
「路線」としての訓練を受けてもまったくスキルのあがらない子もいるっつーに。
場を与えられることがなかったにもかかわらず、ちゃんと「真ん中」に立ててしまう子がいる。
てのはいったい、なんなんだろう。
できる子とできない子の差は、どこからくるんだ?
人は、どこで分かれてしまうのだろう?
不思議で、とても興味深いことだ。
龍真咲を考えてみる。
この子の知名度は、どれくらいあったのだろう。
新公主演もしていない。それどころか2番手も、3番手もしていない。
スカステでニュース読んだりはしていたらしいけど、そーゆータレントとしての知名度ではなく、「舞台人」としての。
いちばん大きな役がついたのって、新公『エリザベート』のルドルフぐらい? でもその直後の新公では副組長の役だったし。
「舞台人」としての知名度は、決して高くなかったろう。
新公ですら、ろくに役がつかない。まったくつかないわけじゃなくても、「路線」として世間に認識されるような扱いは受けていない。
なのにこの子は、「真ん中」に立つ力を持っている。
ワークショップ『Young Bloods!!-sparkling MOON-』、芝居とショー2本立て。
出演平均学年研3.2だというこの公演。
芝居は藤井くんらしいサムさ全開、詰めの甘さ全開で、出演者の経験値の低さを底上げするようなものではない。
ショーは「ショーである」ということ自体が難問。民族的に自己表現力に欠け、またそれをたのしむ能力にも欠ける日本人である以上、ショーは敷居が高い。素人演劇というジャンルは成立しやすいが、素人ショーカンパニーつーのが成立しにくいことが、それを表しているはず。
そんなふうに、今回のワークショップはすげー難しいものであると思う。
それを、主演経験ナシの龍真咲はやってのけた。しかも、今回のワークショップ主演最下級生。3月現在、まだ研5。
それって、すごいことだと思うよ。
「男役」ができあがるまで、「スター」ができあがるまで、どれほどの時間と機会が必要かを考えたら。
「路線」と「非路線」があり、路線だけに帝王学をたたき込んでいる、今のタカラヅカに一石を投じる出来事だと思う。
どんなに「路線」教育をしても力が付かない人がいるっつーに、教育を受けていなくてもここまでやってしまう人がいる、という現実が明らかになったのだから。
しかし、どこで分かれるんだろうなあ。
人間ってのは、おもしろいなあ。
若者ばかりの今回のワークショップ。
レベル的には文化祭に毛が生えた程度だと思うよ。
ただ、文化祭と決定的に違うのが、「スター」の存在。「スター」を頂点としたピラミッドが形成され、「スター」がそのスター力で舞台を掌握する。ピラミッドは頂点に近い位置にいる人ほど能力値が高く、下に行くほど下がる。トップスターが研5の真咲で、最下級生が研1のひよっこたち。……うわー、若い……。
娘役はともかく、男役で形を保っているのは白鳥と光月ぐらいのもん。そんな状態で、舞台に真咲が現れるときの空気の動き方ときたら。「あ、スターが現れた」ってはっきりわかる。
この子のために、この舞台が存在している。そう思わせる力。
龍真咲自身については、とくにおどろきはない。
予想していた通りの実力であり、結果だった。
わたしがこの子に注目したのは研2のときだった。まず、容姿の美しさ。……でも、それだけならべつになんとも思わない。心が動いたのは、その歌声にだ。研2にして「男役の声」で魅力的に歌うことが出来た。姿のかわいさのせいで、かえってびびったよ。こんなに男前な声なの? って。
次が翌年の新公。たった一言しか台詞のない、いてもいなくてもいい役。ただの背景。……そんな役に過ぎないのに、彼は戦闘意欲に満ちていた。このどーでもいい役で、本気でファンを増やす気でいる。自分の美しさ、魅力を最大限にアピールして、勝つつもりでいる。その姿勢に、「君のファンになるよ」と決めた(笑)。それは2003-04-22の日記にも書いてある。
わたしが劇団の人間なら、あの時点で真咲を抜擢してる。明確な上昇志向を感じたからだ。
なにをすればいいのかわからない、自分がなんなのかわからない。永遠のモラトリアムにいるよーな今の若者たちの中で、「自分がなにを欲しているか」「欲しいものを手に入れるために、なにをすべきか」を明確に自覚しているなんて、それだけでもすごい。群の中で、ちがう色を放っている。
それに、前年のバウで演技も歌もできることがわかっているから、安心して路線に乗せただろうよ。
なのに一向に彼の役付が上がらないことが、不思議でならなかった。
だから。
今回のワークショップ主演は、こころからうれしい。
正しい人事だと思えた。
能力のある人が評価されない世界なんて、見ていてつまらないもの。夢を見られないもの。
わたしはジェンヌをファンタジーだと思っているので、ナマの生徒に近づくこともないし、お茶会だのにも行かないし、トーク番組なども見ることはない。だから、舞台の上がすべて。舞台の上から感じるものがすべて。わたしは真咲を生意気そーで性格悪そうで好戦的な子だと勝手に思っているが、それはすべて舞台から受ける印象だ。ほんとのとこは知らない。
知らないまま、そういった舞台姿を愛でている。
才能の世界は弱肉強食。弱いものを食い荒らし、強いものだけが残っていく。のしあがっていく。そーゆードリームがあってもいいじゃないか。
好きだよ、真咲。善良である、というだけでなんの成果もあげられない人たちを蹴落として、実力で輝いてくれ。
まぎれもないスター誕生に、心地よく酔っている。
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