『Appartement Cinema』が、TBSドラマの『ランデヴー』にとてもよく似ていたので、今、『ランデヴー』が見たくて見たくてしょーがない。

 『ランデヴー』放映は、1998年。主演は田中美佐子・桃井かおり。
 舞台は、無国籍なホテル。ひとりの男を想い続け、待ち続ける洒落た老婦人が経営している。
 ホテルには、ワケ有りな個性的な人々が逗留しており、そこでドラマが繰り広げられる、わけだ。
 主人公のひとりは「家出主婦」。彼女は「失われた青春」を再体験したくて、「恋」をしたくて、うずうずしている。
 もうひとりの主人公は、アンニュイで気まぐれな女流ポルノ作家。彼女の前に現れる「猫のような」気まぐれな男。彼は「不治の病」に冒されているのだが、とてもひょうひょうと人生をたのしみ、恋をたのしんでいる。

 最終的に老婦人の恋に決着がつき、ホテルは閉業することになる。
 余命が尽きかけていた「猫のような男」は、猫のように姿を消す。猫は死骸を人目にさらさない生き物だから。どこかで、あの軽やかな姿で恋をしているのかもしれない、けれどね。

 
 展開される物語はちがうけれど、キーワードがいちいち同じだから、反応してしまう(笑)。
 ひとりの男を想い続ける老婦人の経営するホテル、ぐらいならテンプレ的設定なんだけどなあ。そこに「不治の病」の「猫のような男」が加わると、ニアミス率がぐーんと高くなるなー。

 
 『ランデヴー』は高品質のファンタジードラマだった。
 ファンタジーってのは、妖精が出てきて英雄が剣で戦う物語だけを言うんじゃないの。
 「異世界」を正しいルールによって構築したモノを言うのよ。

 『ランデヴー』は現代日本を舞台にしながら、見事に「異世界」を作り上げていた。正しいルールがあり、そのなかで荒唐無稽な出来事や、個性的すぎる人々が泣いたり笑ったりしていたの。

 わたしはあの、やさしい空間が好きだった。
 あたたかくゆるいコメディーなのに、全編に言いようのない「せつなさ」が漂っている。
 「終わる」ことが前提の夢を見ているような。「失う」ことがわかっている愛しいモノを、今、この瞬間、精一杯抱きしめているような。

 それは「夏」という季節と、「不治の病の男」に象徴され、砂時計の美しいガラスの中の、減っていく砂をただ眺めているような、静かなかなしみがしあわせのなかに浸透していく。

 おかしくて、大笑いしたり画面に向かって突っ込んだりしながら、いつも大泣きして見ていた。
 それは「ファンタジー」だけど、そこで描かれているのはまぎれもなく「ひとのこころ」だったから。

 大好きなドラマのひとつだ。

 
 しかし。

 ソフト化されてないんだわ。

 
 当時は、人気がない作品はビデオが発売されなかったの。
 わたしがおもしろいと思う作品は、ビデオ化されない確率が高かった(笑)。
 『踊る大捜査線』だって、ビデオ化されなかったのよ? 本放送時は人気がまったくなくて。

 『ランデヴー』もまた、人気はまったくなかったなあ。
 98年のベストドラマは、わたし的に『殴る女』と『ランデヴー』だったんだが。
 どっちも、ソフト化されていない。
 わたしが「ハイクオリティ! すげー出来のいい、おもしろい作品だ!」と思ったモノが、どれだけ世の中の評価とかけ離れているか、という証明みたいなもんだな(笑)。

 当時は相方とドラマ感想同人誌を出していたので(笑)、よーっくおぼえてるよ。

 
 見たいと思っても、世の中に流通してないんだよなあ。
 流通していないから、「おすすめ!」と言うこともできないさ。

 でも、なんか今、あのせつない幸福な空気を、味わいたいなあ。

 『Appartement Cinema』には、いろいろ消化不良なところがあってな……(笑)。
 なまじ設定やキーワードが似ているだけに、「足りない部分」がクローズアップされて印象に残ってしまう。
 もちろん、「別の話」だとわかったうえで、ね。


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