今、歴史が動いているのだと思った。

 
 5月7日の夜、宝塚にある某花屋の前を通った。
 そこには、何畳分もの白い薔薇が用意されていた。

 何畳分。
 部屋ふたつが、白薔薇で埋まっているの。

 バケツとかに花が束になって突っ込まれていて、それが部屋中にいくつも置いてあるんじゃないのよ。
 スポンジに一輪ずつ挿してあるの。同じ大きさの花を、同じ高さにそろえて。花を挿したスポンジが部屋中に敷き詰められることによって、何畳分もの「白薔薇の絨毯」ができあがっている。

 あんなの、はじめて見た。
 一輪ずつ直立した花が、等間隔であれほどの量、並んでいるなんて。

 思わず、足を止めて眺めちゃったよ。

 今、歴史が動いている。
 それを実感した。

 
 前日が花エンカレ楽で、まっつメイトやめぐむファン、ついでにタニィファンと浮かれ過ぎて終電を逃がしたりしたもんで、ほとんど眠る時間もないまま、翌朝ムラへ駆けつけた。

 当日券争奪戦に参加するため。
 朝9時までに並んだ人を対象に抽選、だから早く行く必要はなかったが、たかちゃんの入りを見るために、がんばって早くに行ったんだ。当日券並びにとっとと決着をつけないと、たかちゃんの入りが見られない。

 張り切って並んだんだけどなあ。

 はずれました。

 ……そっかあ、たかちゃんのムラ最後、映像ですら見られないのか……。

 ヘコむヒマもなく、とにかく楽屋口へ!! これでたかちゃんの入りまで見られなかったら泣くに泣けない。
 ハイディさんと合流し、花の道にスタンバってすぐに、たかちゃん登場。

 
 わたし、たかちゃんナマで見るの、何年ぶりだろう。
 入り出待ちをしない、お茶会にも参加しないわたしは、基本的にナマのジェンヌに遭遇することが少ない。
 でもたかちゃんは、わたしの記憶となんら変わることなく、ひょろっと長いカラダで、のんきな少年のような笑顔で集まったファンに手を振っていた。

 変わらない。
 変わっていない。

 なのに、これで最後なの?

 
 たかちゃんには間に合ったけれど、花ちゃんの入りには間に合わなかった。残念。

 そういえば、トップ退団の千秋楽にムラへ並びに来て、映像鑑賞券すらGETできなかったのって、はじめてだ。今まで、大抵どこかしらで眺めることぐらいはできていたんだ。
 なにがなんでも見たい人でなきゃ、当日並びには行ってなかったし。

 SS席チケットを持つハイディさんを中に送り出してから、わたしはひとりで劇場前に残った。

 パレードの、場所取りをするために。

 
 ヅカファンになって18年。
 今までただの一度も、パレードの場所取りをしたことがない。
 唯一記憶にあるのが、去年のさららんの東宝楽かな。終演前から2時間くらい待ったんだっけ。観劇したあとに「せっかくの楽だから」とパレードを見ていくことはあっても、観劇もしてない、終演時刻以前から、場所取りするなんてまずありえない。
 わたしの場合、人混みの後ろからでもパレードを見ることが出来る。ちょっとヒールを履けばそのへんの男性よりでかくなるから、人混みなんか平気だ。
 さららんの出待ちをしたのも、ひとりでなかったからというのがいちばん大きな理由。わたしひとりなら、さららんが出てくるぐらいの時間を見計らって東宝前に行き、人混みの後ろから眺めたよ。

 でも、たかちゃんと花ちゃんだ。
 人混みの後ろからでも見えるかもしれないが(実際、ぎりぎりに行っても入りは見えたし)、もっとちゃんと見たい。
 観劇していたり用事があったりして早くから並べないというならともかく、ムラにいて、ヒマなのに、場所取りしない理由がない。

 そう、わたしは、「参加したかった」のだ。
 たかちゃんと花ちゃんのムラ最後の日に。

 わたしはまったく実感していない。
 たか花が退団してしまうこと。
 たかちゃんと花ちゃんがいなくなってしまうことに、まったく現実味を感じられずにいるんだ。

 千秋楽を見られたら、実感できるかと思ったのだけど。
 ソレもかなわなかったわけだし。
 はじめての入りで見たたかちゃんは、昔となんにも変わっていなくて。

 こんな状態で、どーして実感できる? 彼らともう会えなくなるなんて。

 わたしは、「参加したかった」。
 歴史が動いているのだとわかる、今。

 後ろからでも見えるからいいや、ではなくて。
 坐り込み、並び続けることでもいい、感じたい。「ここ」にいること。

 好きだということ。

 それを、感じたかった。

 
 つーことで、開演後から場所取り並びをはじめた。
 ひとりで。

 周囲の見知らぬたかちゃんファンの人たちとなんとなーく喋りながら、時間が移ろうのを眺めていた。

 わたしはこの4日間、ムラへ通い詰めていた。
 わたしが向かう先はバウホールであり、大劇場ではなかったけれど、それでもいろんなものを目撃した。

 和央会のスタートダッシュ付き「楽の日のガード位置整列予行演習」だとか、和央会貸切の日のロビーの壮観さだとか、軍隊並みに統率された整列ぶりだとか。
 ゆっくりと地鳴りが続いているような、噴火を前にした落ち着かなさを感じていた。

 祭りだ。
 祭りが近づいている。

 たのしい祭りではないし、待ちわびてもいないけれど。
 これはたしかに大きな「イベント」であり、必要不可欠のもなんだ。

 ひとりで並びながら、セッティングされていくパレード会場を見守っていた。

 運び込まれる、花・花・花……。
 昨夜目にして絶句した、あの何畳分もの白薔薇が、カートに乗せて運び込まれてくる。
 花屋の人たちが数人で、いったい何十回往復しただろう。
 運んでも運んでも、運び足りない。
 いつまでも運び込まれつづける。

 建設される報道陣席。
 設置されるライト。

 報道席の後ろでは、巨大なお立ち台の制作がはじまっていた。
 てゆーか、お立ち台? なんじゃそりゃ。そんなの今まであったか?
 大まかなカタチは前もって作ってあり、この場で白薔薇を挿し、装飾していく。
 いったい、どれほどの数の薔薇を? 飾る、なんてもんぢゃない、あれは「埋める」だ。
 生花で埋められた、贅沢かつ美しいお立ち台。仕上げるのに数人がかりで3時間くらいかかっていたぞ。

 立ち働く会スタッフたち。
 まさかの晴天のなか、会の仕事としてカラフルなシートの上で何時間も場所取りしている人たち。
 なんて多くの人が、「働いている」ことだろう。

 世紀の大イベントのために。
 祭りのために。

 1時間ごとに、写真を撮ってみた。
 記録。
 忘れたくないから。

 ひとつの目的のために、仕事ではなく自分の意志で、無償で、働き続ける人たち。
 目に映るのは、白。
 花の白。
 そして、服の白。

 今、歴史が動いている。
 これは胎動なんだ。

 それを見届けるために、わたしはそこにいた。
 自分の目で見、自分の肌で感じるために。

 
 会場のセッティング自体は、終演するまでに終わったのだと思う。
 だが、準備は完了していない。
 人だ。
 サヨナラパレードの主役は退団者であると同時に、彼らを送るファンクラブの人たちでもある。
 和央会の人たちが劇場から出て、ガード位置につかなければ、準備完了したとはいえない。

 終演を待った。
 そして。

 すべての準備が整った。

 
 視界のすべてが、白に染まる。

 花の白。
 服の白。

 美しく、そしてかなしいいろに。

 

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