誰よりも、醜いあなたに。@暁のローマ
2006年5月29日 タカラヅカ どうしよう。
カシウス@ゆーひが、かっこいい。
おろおろおろ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
『暁のローマ』の話っす。ああ、わたしのPC、「あかつき」って入力したらカナ変換しやがったわ……それはGOアカツキよ、漢字だ漢字。暁郷のローマ……GOカエサル……見てみてえ……。
なんて、現実逃避してないで、話を戻そう。
カシウス。
最初から、「かっこいい」を連発していた。
あまりに美しく、見栄えのする男だから。
そして、ブルータス@あさことの並びが良く、「萌え」な関係としてもたのしい役だった。
そーゆー意味でミーハー心で、わたしは騒いでいた。
大空祐飛が美しいのもカッコイイのも、地球の常識だから、ソレを騒ぐことにとりたてて意味はない程度の気持ちで。
そーぢゃなくて。
「カシウス」というキャラクタ自体に、ハマってしまったのだ……。
『スサノオ』もそうだったけど、『暁のローマ』はリピートすればするほどたのしくなる。
『スサノオ』のときも、初見では「失敗だろこりゃ」と肩をすくめて両手を広げて見せたんだが。もちろん、アオセトナ@水しぇんのステキさにきゃーきゃー言っていたし、作劇に難アリでもキムシンの叫ぶテーマ自体は好みなので、リピートすることになんの疑いも持たなかった。
で、実際リピート観劇すると、どんどんハマる。おもしろい。萌える。泣ける。
どんどん、好きになる。
……それと同じだ。『暁のローマ』も。
リピートしているうちに、なんかやばいことになってしまった。
カシウス萌え。
ゆーひが、ではなく、カシウスという男。
もちろんゆーひくんだからというのはあるが。
ゆーひくんの演じる役に萌えるのは、プルミタス以来かもしれん……。
ゆーひ個人を好きなことと、役への萌えは別もんだからな。
『暁のローマ』は、人間の醜さをこれでもかと描いている。
誰も彼もが、等しく醜い。そして誰ひとり、ほんとーの悪人ではない。
唯一「善人」として描かれるブルータスは善人であるがゆえの「過ち」を犯す。
善も悪もない。そこにあるのは、ただ「人間」だ。
カシウスは野心家だ。
クールで計算高く、本心を見せない。
自分を高みに置き、他の人間たちを見下している。
その姿が、かっこいい。
ブルータスをたきつけ、暗殺者たちを操る。
人の心の弱さや醜さを嘲笑い、利用する。
その姿が、かっこいい。
大体において、彼には表情が少ない。
ゆーひくんの持ち味にぴったりあったクールさ、シニカルさ。
暗く、動き少なく、たたずむ目の鋭さ。
その悪役ぶりを、たんにかっこいいと愛でていたんだ、わたしは。
最後、破滅するのもまたかっこいいしね。
ただぼーっとわたしは、芝居を見ていた。ゆーひくんを好きだから、ゆーひくんばかり見ていた。それだけだった。
クールでダークなゆーひくんなんて、素敵なあて書きだわキムシンありがとう!なだけだった。
それが。
なにもかも失ったカシウスが叫び出す瞬間に、変わった。
それまでは、順調だった。
ブルータスの妹と結婚し、彼に近づいた。
「王になりたい」だけのバカな暗殺者たちを利用し、人の善いブルータスを利用し、カエサル@トドを暗殺した。市民たちの気持ちも掴んだ。
しかし。
アントニウス@きりやんによって覆された。
「ローマを救った英雄」は「憎むべき反逆者」になった。
市民たちに追われ、みじめに逃げまどい、よーやく身を隠した。
順調だったのに。
なにもかも、彼の思惑通りだったのに。
人間たちはみんな愚かで、カシウスの手のひらで踊るだけの存在だったのに。
いつも、見下していた。
シニカルに嘲笑していた。
無表情に、クールに、ひとりだけ落ち着いていられた。
なのに。
なにもかも失って。
なにもかもを見下して笑っていた男は、はじめて、声を荒らげる。
「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」
なんて、情けない男。
痛い。
なんて痛さだ。
他人すべてを見下し、嘲笑っていたのに。
自分より下等だと思っていたものたちに、裏切られ、拒絶されて。
それを認めたくなくて、取り乱す。
トクベツなんかぢゃないよ。
あんたは、トクベツじゃない。あんたが軽蔑していた「下等な市民たち」と同じ、ただのくだらない人間だ。
神話が壊れるとき。
神が死ぬとき。
自分が「トクベツななにか」であると信じていた。他の奴らとはチガウ、オレだけはトクベツだ。
そう思って、せせら笑って生きてきたのに。
自分が特別でもなんでもない、ただの「ふつーの人」であることを知り。
プライドもレーゾンデートルも粉々になり。
自分を否定したくなくて、他者を否定する。「世界」を否定する。
「オレをトクベツだと認めない世界なんて、世界の方がまちがってる!!」
呪文。
正しいのは自分、まちがっているのは自分以外のすべて。
本能では「真実」に気づきながらも感情が否定する。気づかないふりをする。
気づいてしまったら、認めてしまったら、もう生きてはいけない。
「特別である」ことが、存在意義だったのだ。他人がではなく、自分がそう定義してしまったのだ。
ただの凡人に過ぎないことがわかってしまったら、まちがっているのが世界ではなく自分だと認めてしまったら、もう生きていけない。
だから、否定する。
生命を懸けて。
魂を懸けて。
絶叫する。
「まちがっているのは、世界の方だ!」
オレは正しい、オレは正しい、呪文を繰り返す。心を守るために。ただ、生きるために。
ただ、狂わないでいるために。
それまでが、クールに無表情にすまし返っていただけに。
取り乱して叫び出す姿が、あまりにあさましくて。
必死になって他人を否定し、自分を肯定する姿が、醜くて。
その、あまりにみっともない姿に、心奮えた。
ゆーひくんがなまじ美しすぎ、かっこよすぎるもんで、初見では気づかなかった。
彼の、醜さに。
いや、醜いだけなら「かっこいい」に分類してもいいかもしれないが、感情をむき出しにするかっこわるさに気づいたとき、もう後戻りが出来なくなった(笑)。
何故あそこでラップなのか、今までのメロディを捨てて歌い出すのか。
その意味を、考えもしなかったんだ。
や、その、アレがラップだって、初見では気づかなかったし。
初日観劇後、デイジーちゃんから「祐飛さんのラップはどうでした?」とメールをもらって、「ラップ? はて? あの人そんなことしてました?」とマジで返した(笑)。
一緒に初日を観たチェリさんにも「ラップってどこ?」とメールしたし。チェリさんも「そんなのありましたっけ?」状態だし。ふたりで考えたけど、ぜんっぜんわからなかった(笑)。
だってほら、ゆーひさんだしさ……できることとできないことが……ゲフンゲフン。
カシウスは、醜い。
誰より美しい姿をしながら、クールでニヒルでありながら、ほんとうは誰よりも人間くさい醜さを持っていた。
そのことに気づいてしまったから。
カシウスが、かっこいい。
カシウスが、愛しくてならない。
カシウス@ゆーひが、かっこいい。
おろおろおろ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
『暁のローマ』の話っす。ああ、わたしのPC、「あかつき」って入力したらカナ変換しやがったわ……それはGOアカツキよ、漢字だ漢字。暁郷のローマ……GOカエサル……見てみてえ……。
なんて、現実逃避してないで、話を戻そう。
カシウス。
最初から、「かっこいい」を連発していた。
あまりに美しく、見栄えのする男だから。
そして、ブルータス@あさことの並びが良く、「萌え」な関係としてもたのしい役だった。
そーゆー意味でミーハー心で、わたしは騒いでいた。
大空祐飛が美しいのもカッコイイのも、地球の常識だから、ソレを騒ぐことにとりたてて意味はない程度の気持ちで。
そーぢゃなくて。
「カシウス」というキャラクタ自体に、ハマってしまったのだ……。
『スサノオ』もそうだったけど、『暁のローマ』はリピートすればするほどたのしくなる。
『スサノオ』のときも、初見では「失敗だろこりゃ」と肩をすくめて両手を広げて見せたんだが。もちろん、アオセトナ@水しぇんのステキさにきゃーきゃー言っていたし、作劇に難アリでもキムシンの叫ぶテーマ自体は好みなので、リピートすることになんの疑いも持たなかった。
で、実際リピート観劇すると、どんどんハマる。おもしろい。萌える。泣ける。
どんどん、好きになる。
……それと同じだ。『暁のローマ』も。
リピートしているうちに、なんかやばいことになってしまった。
カシウス萌え。
ゆーひが、ではなく、カシウスという男。
もちろんゆーひくんだからというのはあるが。
ゆーひくんの演じる役に萌えるのは、プルミタス以来かもしれん……。
ゆーひ個人を好きなことと、役への萌えは別もんだからな。
『暁のローマ』は、人間の醜さをこれでもかと描いている。
誰も彼もが、等しく醜い。そして誰ひとり、ほんとーの悪人ではない。
唯一「善人」として描かれるブルータスは善人であるがゆえの「過ち」を犯す。
善も悪もない。そこにあるのは、ただ「人間」だ。
カシウスは野心家だ。
クールで計算高く、本心を見せない。
自分を高みに置き、他の人間たちを見下している。
その姿が、かっこいい。
ブルータスをたきつけ、暗殺者たちを操る。
人の心の弱さや醜さを嘲笑い、利用する。
その姿が、かっこいい。
大体において、彼には表情が少ない。
ゆーひくんの持ち味にぴったりあったクールさ、シニカルさ。
暗く、動き少なく、たたずむ目の鋭さ。
その悪役ぶりを、たんにかっこいいと愛でていたんだ、わたしは。
最後、破滅するのもまたかっこいいしね。
ただぼーっとわたしは、芝居を見ていた。ゆーひくんを好きだから、ゆーひくんばかり見ていた。それだけだった。
クールでダークなゆーひくんなんて、素敵なあて書きだわキムシンありがとう!なだけだった。
それが。
なにもかも失ったカシウスが叫び出す瞬間に、変わった。
それまでは、順調だった。
ブルータスの妹と結婚し、彼に近づいた。
「王になりたい」だけのバカな暗殺者たちを利用し、人の善いブルータスを利用し、カエサル@トドを暗殺した。市民たちの気持ちも掴んだ。
しかし。
アントニウス@きりやんによって覆された。
「ローマを救った英雄」は「憎むべき反逆者」になった。
市民たちに追われ、みじめに逃げまどい、よーやく身を隠した。
順調だったのに。
なにもかも、彼の思惑通りだったのに。
人間たちはみんな愚かで、カシウスの手のひらで踊るだけの存在だったのに。
いつも、見下していた。
シニカルに嘲笑していた。
無表情に、クールに、ひとりだけ落ち着いていられた。
なのに。
なにもかも失って。
なにもかもを見下して笑っていた男は、はじめて、声を荒らげる。
「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」
なんて、情けない男。
痛い。
なんて痛さだ。
他人すべてを見下し、嘲笑っていたのに。
自分より下等だと思っていたものたちに、裏切られ、拒絶されて。
それを認めたくなくて、取り乱す。
トクベツなんかぢゃないよ。
あんたは、トクベツじゃない。あんたが軽蔑していた「下等な市民たち」と同じ、ただのくだらない人間だ。
神話が壊れるとき。
神が死ぬとき。
自分が「トクベツななにか」であると信じていた。他の奴らとはチガウ、オレだけはトクベツだ。
そう思って、せせら笑って生きてきたのに。
自分が特別でもなんでもない、ただの「ふつーの人」であることを知り。
プライドもレーゾンデートルも粉々になり。
自分を否定したくなくて、他者を否定する。「世界」を否定する。
「オレをトクベツだと認めない世界なんて、世界の方がまちがってる!!」
呪文。
正しいのは自分、まちがっているのは自分以外のすべて。
本能では「真実」に気づきながらも感情が否定する。気づかないふりをする。
気づいてしまったら、認めてしまったら、もう生きてはいけない。
「特別である」ことが、存在意義だったのだ。他人がではなく、自分がそう定義してしまったのだ。
ただの凡人に過ぎないことがわかってしまったら、まちがっているのが世界ではなく自分だと認めてしまったら、もう生きていけない。
だから、否定する。
生命を懸けて。
魂を懸けて。
絶叫する。
「まちがっているのは、世界の方だ!」
オレは正しい、オレは正しい、呪文を繰り返す。心を守るために。ただ、生きるために。
ただ、狂わないでいるために。
それまでが、クールに無表情にすまし返っていただけに。
取り乱して叫び出す姿が、あまりにあさましくて。
必死になって他人を否定し、自分を肯定する姿が、醜くて。
その、あまりにみっともない姿に、心奮えた。
ゆーひくんがなまじ美しすぎ、かっこよすぎるもんで、初見では気づかなかった。
彼の、醜さに。
いや、醜いだけなら「かっこいい」に分類してもいいかもしれないが、感情をむき出しにするかっこわるさに気づいたとき、もう後戻りが出来なくなった(笑)。
何故あそこでラップなのか、今までのメロディを捨てて歌い出すのか。
その意味を、考えもしなかったんだ。
や、その、アレがラップだって、初見では気づかなかったし。
初日観劇後、デイジーちゃんから「祐飛さんのラップはどうでした?」とメールをもらって、「ラップ? はて? あの人そんなことしてました?」とマジで返した(笑)。
一緒に初日を観たチェリさんにも「ラップってどこ?」とメールしたし。チェリさんも「そんなのありましたっけ?」状態だし。ふたりで考えたけど、ぜんっぜんわからなかった(笑)。
だってほら、ゆーひさんだしさ……できることとできないことが……ゲフンゲフン。
カシウスは、醜い。
誰より美しい姿をしながら、クールでニヒルでありながら、ほんとうは誰よりも人間くさい醜さを持っていた。
そのことに気づいてしまったから。
カシウスが、かっこいい。
カシウスが、愛しくてならない。
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