どうしよう。

 カシウス@ゆーひが、かっこいい。

 おろおろおろ。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 『暁のローマ』の話っす。ああ、わたしのPC、「あかつき」って入力したらカナ変換しやがったわ……それはGOアカツキよ、漢字だ漢字。暁郷のローマ……GOカエサル……見てみてえ……。

 なんて、現実逃避してないで、話を戻そう。

 カシウス。

 最初から、「かっこいい」を連発していた。
 あまりに美しく、見栄えのする男だから。
 そして、ブルータス@あさことの並びが良く、「萌え」な関係としてもたのしい役だった。

 そーゆー意味でミーハー心で、わたしは騒いでいた。

 大空祐飛が美しいのもカッコイイのも、地球の常識だから、ソレを騒ぐことにとりたてて意味はない程度の気持ちで。

 そーぢゃなくて。

 「カシウス」というキャラクタ自体に、ハマってしまったのだ……。

 
 『スサノオ』もそうだったけど、『暁のローマ』はリピートすればするほどたのしくなる。
 『スサノオ』のときも、初見では「失敗だろこりゃ」と肩をすくめて両手を広げて見せたんだが。もちろん、アオセトナ@水しぇんのステキさにきゃーきゃー言っていたし、作劇に難アリでもキムシンの叫ぶテーマ自体は好みなので、リピートすることになんの疑いも持たなかった。
 で、実際リピート観劇すると、どんどんハマる。おもしろい。萌える。泣ける。
 どんどん、好きになる。
 ……それと同じだ。『暁のローマ』も。

 リピートしているうちに、なんかやばいことになってしまった。

 カシウス萌え。

 ゆーひが、ではなく、カシウスという男。
 もちろんゆーひくんだからというのはあるが。
 ゆーひくんの演じる役に萌えるのは、プルミタス以来かもしれん……。

 ゆーひ個人を好きなことと、役への萌えは別もんだからな。

 
 『暁のローマ』は、人間の醜さをこれでもかと描いている。
 誰も彼もが、等しく醜い。そして誰ひとり、ほんとーの悪人ではない。
 唯一「善人」として描かれるブルータスは善人であるがゆえの「過ち」を犯す。
 善も悪もない。そこにあるのは、ただ「人間」だ。

 カシウスは野心家だ。
 クールで計算高く、本心を見せない。
 自分を高みに置き、他の人間たちを見下している。

 その姿が、かっこいい。

 ブルータスをたきつけ、暗殺者たちを操る。
 人の心の弱さや醜さを嘲笑い、利用する。

 その姿が、かっこいい。

 大体において、彼には表情が少ない。
 ゆーひくんの持ち味にぴったりあったクールさ、シニカルさ。
 暗く、動き少なく、たたずむ目の鋭さ。

 その悪役ぶりを、たんにかっこいいと愛でていたんだ、わたしは。

 最後、破滅するのもまたかっこいいしね。

 ただぼーっとわたしは、芝居を見ていた。ゆーひくんを好きだから、ゆーひくんばかり見ていた。それだけだった。
 クールでダークなゆーひくんなんて、素敵なあて書きだわキムシンありがとう!なだけだった。

 それが。

 なにもかも失ったカシウスが叫び出す瞬間に、変わった。

 
 それまでは、順調だった。
 ブルータスの妹と結婚し、彼に近づいた。
 「王になりたい」だけのバカな暗殺者たちを利用し、人の善いブルータスを利用し、カエサル@トドを暗殺した。市民たちの気持ちも掴んだ。
 しかし。
 アントニウス@きりやんによって覆された。
 「ローマを救った英雄」は「憎むべき反逆者」になった。
 市民たちに追われ、みじめに逃げまどい、よーやく身を隠した。

 順調だったのに。
 なにもかも、彼の思惑通りだったのに。
 人間たちはみんな愚かで、カシウスの手のひらで踊るだけの存在だったのに。

 いつも、見下していた。
 シニカルに嘲笑していた。
 無表情に、クールに、ひとりだけ落ち着いていられた。

 なのに。

 なにもかも失って。
 なにもかもを見下して笑っていた男は、はじめて、声を荒らげる。

「私は嫌だ! 私はチガウ! 私は戦う!」

 なんて、情けない男。

 痛い。
 なんて痛さだ。

 他人すべてを見下し、嘲笑っていたのに。
 自分より下等だと思っていたものたちに、裏切られ、拒絶されて。

 それを認めたくなくて、取り乱す。

 トクベツなんかぢゃないよ。
 あんたは、トクベツじゃない。あんたが軽蔑していた「下等な市民たち」と同じ、ただのくだらない人間だ。

 神話が壊れるとき。
 神が死ぬとき。

 自分が「トクベツななにか」であると信じていた。他の奴らとはチガウ、オレだけはトクベツだ。
 そう思って、せせら笑って生きてきたのに。

 自分が特別でもなんでもない、ただの「ふつーの人」であることを知り。
 プライドもレーゾンデートルも粉々になり。
 自分を否定したくなくて、他者を否定する。「世界」を否定する。

「オレをトクベツだと認めない世界なんて、世界の方がまちがってる!!」

 呪文。
 正しいのは自分、まちがっているのは自分以外のすべて。
 本能では「真実」に気づきながらも感情が否定する。気づかないふりをする。

 気づいてしまったら、認めてしまったら、もう生きてはいけない。

 「特別である」ことが、存在意義だったのだ。他人がではなく、自分がそう定義してしまったのだ。
 ただの凡人に過ぎないことがわかってしまったら、まちがっているのが世界ではなく自分だと認めてしまったら、もう生きていけない。

 だから、否定する。
 生命を懸けて。
 魂を懸けて。
 絶叫する。

「まちがっているのは、世界の方だ!」

 オレは正しい、オレは正しい、呪文を繰り返す。心を守るために。ただ、生きるために。

 ただ、狂わないでいるために。

 
 それまでが、クールに無表情にすまし返っていただけに。
 取り乱して叫び出す姿が、あまりにあさましくて。
 必死になって他人を否定し、自分を肯定する姿が、醜くて。

 その、あまりにみっともない姿に、心奮えた。

 
 ゆーひくんがなまじ美しすぎ、かっこよすぎるもんで、初見では気づかなかった。
 彼の、醜さに。
 いや、醜いだけなら「かっこいい」に分類してもいいかもしれないが、感情をむき出しにするかっこわるさに気づいたとき、もう後戻りが出来なくなった(笑)。

 何故あそこでラップなのか、今までのメロディを捨てて歌い出すのか。
 その意味を、考えもしなかったんだ。

 や、その、アレがラップだって、初見では気づかなかったし。

 初日観劇後、デイジーちゃんから「祐飛さんのラップはどうでした?」とメールをもらって、「ラップ? はて? あの人そんなことしてました?」とマジで返した(笑)。
 一緒に初日を観たチェリさんにも「ラップってどこ?」とメールしたし。チェリさんも「そんなのありましたっけ?」状態だし。ふたりで考えたけど、ぜんっぜんわからなかった(笑)。
 だってほら、ゆーひさんだしさ……できることとできないことが……ゲフンゲフン。
 

 カシウスは、醜い。

 誰より美しい姿をしながら、クールでニヒルでありながら、ほんとうは誰よりも人間くさい醜さを持っていた。

 そのことに気づいてしまったから。

 カシウスが、かっこいい。

 カシウスが、愛しくてならない。


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