「それで、花組『ファントム』はどうだったの?」

 緑野はまっつの話しか書かないし、nanakoさんはとーぜん「ゆみこ素敵!」しか言わないし(笑)。
 彩音ちゃんの歌がどうとかオサ様の足が短……ぢゃねえ、衣装が微妙過ぎとかじゃなく、「作品」はどうなのよ?

「緑野さんが、まっつの話しか書かないってことは、つまりはそういうことですよ。オサ様が良ければまずオサ様を書くだろうし、作品が良ければまずソレを書くでしょうから」

 kineさんが冷静にツッコミを入れていたよーですよ。

 え?
 他のなにより、まっつが美しかった、とは思ってくれないんですね(笑)。

 まっつがものごっつー麗しくてかっこよくてかわいくて、「オベ様あのまま持って帰りたい」とか、本気で思っていたりするほど、なにを捨ててもまずまっつを語るしかなかったのだ、とは……思ってくれないんだ。

 まあな。
 作品がよければ、それでもまず作品を語ってるしな(笑)。

 
 花組『ファントム』を観ておどろいたことのひとつは、こんなにモブがたのしい芝居だったのかということ。

 宙組版を観ていたときは、ほんっとーに真ん中しか観てなかった。
 従者はわりと観ていたと思うけど、まず基本はエリック@たかこをガン見していた。
 だからモブがなにをしていたか、記憶にない。
 もちろん、部分的に記憶はあるんだけどね。
 宙組名物動く背景という印象しかなかったのだわ。
 あひくんやともちがおいしくなかったこととか、マイナスのイメージしかなかった。
 『ファントム』=「役がない」「出番がない」。だもんで演目が発表になったとき、わたしはマジで落ち込んだ。

 そう覚悟していたもんだから。

 最初からめちゃくちゃたのしくて、びっくりした。

 パリのシーン、花組名物弱肉強食スイッチオン。みんながみんな、とにかくなにかしらやっている。ごちゃごちゃ動き回り、アピールしている。

 ど、どこを見ればいいんだ?
 どこを見てもたのしーんだけど?

 わたしははとにかくまっつを見るのに必死で、他を見ている余裕がないのがくやしい。だって、ほんとにみんなたのしそうなんだもの。

 ヘタにまっつばかり見てたら、フィリップ@まとぶの登場に気づかないまま終わりますよ、ほんと!
 びびった。真ん中見ろよわたし!! 話が進んでるじゃないの! 彩音ちゃんの歌のものすごさに度肝を抜かれて、ただの「音」として認識していたせいで、台詞も歌も判別不能、気がついたらまとぶがいて、彩音となにか喋っている様子だった初日……わわわ、ストーリーから取り残されてるよ。

 宙組版もこんなのだっけ? パリのシーンは素直にストーリーど真ん中、花ちゃん見てトウコ見てかなみちゃん見てたから、わかんない。わたしにとって、街の人たちはほんとにただのモブでしかなかったんだ。

 オペラ座のシーンになっても、とにかく団員たちがたのしくて。
 ライトろくに当たらない従者たちもが、それでも濃くて濃くて、目について目についてたまらなくて。

 きれいだとか揃っているとか、宙組を観たときに受けた印象は、花組にはまったくない。
 てゆーか、少しは揃えるとか考えた方がいいんじゃ?って感じだ、花組。みんなバラバラ、好き勝手に暴走している。つか、うるさい?
 でもそれがたのしくて、やりすぎな小芝居観るのに必死になって、真ん中を観ている余裕がない。

 万事、その調子だったんだよなあ。

 落ち着いて真ん中を観られなかったんだ、わたし。

 宙を観たときは、真ん中とモブのコントラストがはっきりとしていた。モブの子たちは決して場を壊すほどのアピール合戦はしなかった。
 また、真ん中の人たちの吸引力もすごかったしなあ。

 アピール上等!の、花組っ子たちのごちゃごちゃしたうるさい芝居に気が散っていたことは事実。
 でもわたし、所詮オサファンだから、オサちゃんはいつも特別で、出てきたときはオペラピン取り、他はシャットアウト(除・まっつ)状態だったんだけど。

 そうしててなお、「作品」としての吸引力を感じられなかったんだ……。

 オサ様の芝居を観てはじめて、「花組『ファントム』はバウホールで上演するべきかも」と思った。

 4列目で観てなお、オサの芝居はオペラグラスがないとわかりにくかった。

 今までどんなわかりにくい芝居でも(あの『マラケシュ』でさえ!)、天下の春野寿美礼に対して「小劇場向きの人」だなんて思わなかったよ。
 春野寿美礼は巨大劇場で、多くの人に愛でられるに相応しい大スターだと思っているからさ。

 何故にここまで、小さく内へ内へと閉じているのだろう。

 これは、大劇場でやる芝居じゃない。
 作品はともかく、主役の演技は大劇場向きじゃない。

 そう思った。
 思ってしまったから……つらかった。

 ストーリーは知っているし、歌だって知っている。
 わかっているから、わかっていることをただなぞり、受け取り、終わってしまった。

 オサちゃんの歌声がすばらしいのはわかっている。
 声も歌声も大好きだ。
 オサに『ファントム』の曲を歌ってもらえるのはうれしい。

 ただ歌だけを聴きに行った……そんな感じだよ、ヲイ。

 
 あのー。

 初日のエリック、どうだったんですか?

 わたしの目には、春野寿美礼にしか、見えなかったんですが。

 ナルシーだから「エリックのコスプレしている春野寿美礼」になっているわけではなくて、ほんとーに、ただナチュラルに寿美礼ちゃんに見えたんですが。

 スターとしてばーんと巨大劇場の真ん中に立つ人ではなく、内へ内へ深くなっていく方向を見ている人というか。

 こまったなあ。

 寿美礼サマは内へ小さくなっているし、モブたちはモブの仕事を超えて派手に暴れているし、アンサンブルはそろってねーし、この作品を、どう受け取れと?

 ばらばらだー。
 しかも、初日は彩音ちゃんの危うさと、それを見守る緊張感で客席もすごいことになっているし。

 すばらしい初日でしたよ、ほんと。
 得がたい空間だった。

 だからとても、「作品」も「春野寿美礼」も語れないよ。
 語るべきじゃないし、語るところまで達していない、作品も、そしてわたしも。

 だから華麗にスルー。
 まっつの話をしましょう、話題に詰まったときは、とりあえずまっつ。
 まっつのことなら、いくらでも書けるもん。

 
 でも、だからって。

 花組『ファントム』を嫌いなわけでも、ダメだと思っているわけでもないんだよ。

 好きよ。
 たのしいもん。

 だって、真ん中にいるのはまぎれもなく「春野寿美礼」よ? たのしくないわけないじゃん。

「エリックとかファントムとかいうんじゃなくて、アレは、『春野寿美礼』という生き物」

 ……苦し紛れにそう評したのだけど。
 そののち、わたしは幾度となくこの台詞を繰り返すことになる(笑)。
 その話はまた、別欄で。

 「春野寿美礼」という生き物だから、もうソレでぜんぜんいい。ソレだけでいい。

 
「それで、花組『ファントム』はどうだったの?」

 ……たのしいよ。


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