ほんとうの強さは、ひとを救えると思うの。@アルバトロス、南へ
2006年8月10日 タカラヅカ ハマコは、雪組の至宝である。
それを痛いほど噛みしめた、『アルバトロス、南へ』。
巧い人だ。
歌手としての名がいちばん高いけれど、それだけではなくダンスも、芝居も巧い。舞台人としての華、存在感もある。
それはわかっていたし、十分理解していたつもりだ。
だが今回、『アルバトロス、南へ』で自在に場を操る姿を見て、痛感したんだ。
もしもハマコが30年早く生まれていたら、あたりまえにトップスターだったんぢゃないだろーか。
それも、誰もが唸るよーなカリスマトップ。
たしかな実力、そして三枚目にも善人にも、色悪にもなれる説得力あるキャラクタ。
周囲を巻き込む情熱。
なにより、ストレートに伝わってくる舞台への愛情。
ふつーにトップスターでもおかしくない。昭和中期〜後期なら。
だが、時代はハマコを真ん中としない。
21世紀の今は、ハマコ氏は実力云々以前に「ビジュアル」でトップ路線から撥ねられてしまう。
素顔はすげー美人さんだし、舞台でだっていくらでも色男になれる人なんだが……今はそーゆー時代ぢゃない。
そーゆー時代ぢゃない今に、ハマコがいてくれる。これほどの能力を持ちながら、時代がちがえば真ん中にいたかもしれない人が、脇で真ん中を支えてくれる。
それは、得がたいことだ。
なんてありがたいんだろう。
なんて贅沢なんだろう。
未来優希ほどの舞台人を、支えとして使えるカンパニーの存在に、震撼する。
すごい。
すごいよそれ。
ハマコがうまいこと、すばらしい舞台人であることもありがたいことだと思っているけれど、わたしがいちばんうれしいのはさ。
ハマコが、たのしそうに舞台に立っていること。
あれだけの人がさ、すっげーたのしそうに、舞台や共演者や客席への愛情だだ洩れに、脇役やってんのよ?
時代がちがえば真ん中だったかもしんない実力者が、あたりまえのよーに脇役を、たのしそーに演じている。
この『アルバトロス、南へ』でも、彼がどれほどコムを愛し、コムを支えたいと思っているかが、伝わってくる。
舞台を愛し、作品を愛し、タカラヅカを愛しているかが伝わってくる。
ありがとうハマコ。
ありがとう。
タカラヅカにいてくれて、ありがとう。
「こんな劇団より、わたしの実力を過分なく発揮できるところが、他にあるはずだわ」
って、見限って出て行ってしまわないでくれて、ありがとう。
タカラヅカには、アナタが必要だから。
雪組には、ハマコが必要だから。
安定した実力ゆえの、ゆたかな表現。
歌とダンスと芝居。
ショースターとしての存在感。
コミカルなシーンでの的確な仕事と、発散型の歌声による場面転換、空気を変える力。
なにより、芝居の巧みさ。
ハマコがいなければ、『アルバトロス、南へ』はありえなかった。
流れるように変わり続ける役と、表情。
狂言回しであり、すべてを支配する存在のようでもあり、悪意と毒に満ちたアルルカンとして舞台を俯瞰しながら、場面場面で別の役になりきる。
苦渋に満ちた父親に、愛情深い友人に、冷酷な軍人に。
その瞬間瞬間を、切り取る力。
この人は、どれほどの引き出しを持っているのか。
どれほどの仮面を持つ役者なのか。
底が見えない。
ただもう単純に。
ハマコが、かっこよかった。
いつも三枚目としてばかり使われているひとだけど、まぬけな善人として使われている人だけど、チガウから。たしかにソレもうまいけど、ソレだけぢゃないから。
ハマコの真骨頂は、色悪だよう。
その熱ゆえに、本気でエロい悪役をやったら映えまくる人だよう。
芝居のアルルカンで、台詞もなくただ舞台の奥で「物語」を見つめているときのエロカッコイイことときたらっ!!
若造には出せない、華奢な美青年には出せない、オトナの男の黒さとエロさだよう。
たぶんハマコは、ほんとうの「悪」や「絶望」を表現できる人だと思う。
言葉だけで人を殺せる「言霊」を操れる人だと思う。
もちろん、作品によるよ。彼は「役者」であり、「脇」としての仕事をする人なんで、濃度を作品によって変えているから。
オギー芝居『アルバトロス、南へ』では、ハマコが全開だった。
ここまで、できる人なんだ。
それを見せつけてくれた。
……それでいて、彼の魂の持ち味は、「健康」なんだ。
彼自身は正しい人なの。
強いから。
その強さで、「邪」をその身のうちで浄化してしまえるの。「邪」を表現できるくせに、「邪」がなんたるかを理解しているくせに、彼自身は「邪」を必要としないの。
その、健康さで。
その、正しさで。
どれほど、救われただろう。
オギー全開芝居で、わたしは死にそうだった。
毒が魂に浸透し、叫びだしたいのをこらえるので必死だった。両手で口元押さえて、嗚咽しないようにするのに必死だった。
「アルバトロス、南へ」……脱走兵と彼を助けた女の、対話だけの芝居。追いつめられていく感覚。研ぎ澄まされていく感覚。
皮が消え、肉が消え、剥き出しになっていく感覚。
銃声が響き、「物語」ははじめのつづきに戻る。
いつか失うことがわかっている男の手を取り、女が笑う。今はここにいるのだと。
そして、それぞれの「物語」で男を見送った女たちが、黙って男を見つめる。
ひろがる痛み。
まもっていたものを全部削ぎ取られ、剥き出しになった神経は、誰に触れられなくても痛み続ける。空気ですら激痛になる。
こんなにいたかったら、しんじゃうよう。
……そんな、ときに。
ハマコが、救ってくれるんだ。
空気を変えてくれるの。
剥き出しの、痛い痛い感覚に、ふわりとコートをかけてくれる。
キムとハマコ、「強い」男ふたりが、その強さで、絶望の淵でうずくまって泣いているわたしを、「こちら側」に引っ張り上げてくれるの。
ハマコが、空気を変えてくれるの。
キムは「美形キャラ」としての仕事が別にあるから、ほんとーの意味での「空気を変える」仕事は任されていないのね。
ハマコなの。
あのぐたぐたに痛い世界から、一気にひっぱりあげてくれるのは、救ってくれるのは、ハマコなの。
にっこり笑ってさ。
わかってるよ、って。大丈夫だよ、って。
うわああぁぁん。
ハマコ、大好きだー!!
健康な人でいて。正しい人でいて。強い人でいて。
そのまっすぐさで、わたしを……わたしみたいなまちがったコワレた弱い人間を、救い続けて。
ずっとずっと、その強さを舞台の上で示し続けて。
観劇後、kineさんとごはん食べながら、ハマコを思い存分絶賛していたんだが。
kineさんが言うのさ。
「知ってました? ハマコって、コムちゃんより下級生なんですよ」
え。
………………えーと。
もちろん、知ってますよ。ハマコは水と同期だもんね。79期だよね。2学年も下だよね。しいちゃんと同期で、かしちゃんよりも下だもんね。新公学年からずーっと観てるんだもん、そんなの知ってるよおおお。
…………。
…………。
……嘘だろおぉっ、コム姫より下級生だなんてっ!! ありえねーっ!!
それを痛いほど噛みしめた、『アルバトロス、南へ』。
巧い人だ。
歌手としての名がいちばん高いけれど、それだけではなくダンスも、芝居も巧い。舞台人としての華、存在感もある。
それはわかっていたし、十分理解していたつもりだ。
だが今回、『アルバトロス、南へ』で自在に場を操る姿を見て、痛感したんだ。
もしもハマコが30年早く生まれていたら、あたりまえにトップスターだったんぢゃないだろーか。
それも、誰もが唸るよーなカリスマトップ。
たしかな実力、そして三枚目にも善人にも、色悪にもなれる説得力あるキャラクタ。
周囲を巻き込む情熱。
なにより、ストレートに伝わってくる舞台への愛情。
ふつーにトップスターでもおかしくない。昭和中期〜後期なら。
だが、時代はハマコを真ん中としない。
21世紀の今は、ハマコ氏は実力云々以前に「ビジュアル」でトップ路線から撥ねられてしまう。
素顔はすげー美人さんだし、舞台でだっていくらでも色男になれる人なんだが……今はそーゆー時代ぢゃない。
そーゆー時代ぢゃない今に、ハマコがいてくれる。これほどの能力を持ちながら、時代がちがえば真ん中にいたかもしれない人が、脇で真ん中を支えてくれる。
それは、得がたいことだ。
なんてありがたいんだろう。
なんて贅沢なんだろう。
未来優希ほどの舞台人を、支えとして使えるカンパニーの存在に、震撼する。
すごい。
すごいよそれ。
ハマコがうまいこと、すばらしい舞台人であることもありがたいことだと思っているけれど、わたしがいちばんうれしいのはさ。
ハマコが、たのしそうに舞台に立っていること。
あれだけの人がさ、すっげーたのしそうに、舞台や共演者や客席への愛情だだ洩れに、脇役やってんのよ?
時代がちがえば真ん中だったかもしんない実力者が、あたりまえのよーに脇役を、たのしそーに演じている。
この『アルバトロス、南へ』でも、彼がどれほどコムを愛し、コムを支えたいと思っているかが、伝わってくる。
舞台を愛し、作品を愛し、タカラヅカを愛しているかが伝わってくる。
ありがとうハマコ。
ありがとう。
タカラヅカにいてくれて、ありがとう。
「こんな劇団より、わたしの実力を過分なく発揮できるところが、他にあるはずだわ」
って、見限って出て行ってしまわないでくれて、ありがとう。
タカラヅカには、アナタが必要だから。
雪組には、ハマコが必要だから。
安定した実力ゆえの、ゆたかな表現。
歌とダンスと芝居。
ショースターとしての存在感。
コミカルなシーンでの的確な仕事と、発散型の歌声による場面転換、空気を変える力。
なにより、芝居の巧みさ。
ハマコがいなければ、『アルバトロス、南へ』はありえなかった。
流れるように変わり続ける役と、表情。
狂言回しであり、すべてを支配する存在のようでもあり、悪意と毒に満ちたアルルカンとして舞台を俯瞰しながら、場面場面で別の役になりきる。
苦渋に満ちた父親に、愛情深い友人に、冷酷な軍人に。
その瞬間瞬間を、切り取る力。
この人は、どれほどの引き出しを持っているのか。
どれほどの仮面を持つ役者なのか。
底が見えない。
ただもう単純に。
ハマコが、かっこよかった。
いつも三枚目としてばかり使われているひとだけど、まぬけな善人として使われている人だけど、チガウから。たしかにソレもうまいけど、ソレだけぢゃないから。
ハマコの真骨頂は、色悪だよう。
その熱ゆえに、本気でエロい悪役をやったら映えまくる人だよう。
芝居のアルルカンで、台詞もなくただ舞台の奥で「物語」を見つめているときのエロカッコイイことときたらっ!!
若造には出せない、華奢な美青年には出せない、オトナの男の黒さとエロさだよう。
たぶんハマコは、ほんとうの「悪」や「絶望」を表現できる人だと思う。
言葉だけで人を殺せる「言霊」を操れる人だと思う。
もちろん、作品によるよ。彼は「役者」であり、「脇」としての仕事をする人なんで、濃度を作品によって変えているから。
オギー芝居『アルバトロス、南へ』では、ハマコが全開だった。
ここまで、できる人なんだ。
それを見せつけてくれた。
……それでいて、彼の魂の持ち味は、「健康」なんだ。
彼自身は正しい人なの。
強いから。
その強さで、「邪」をその身のうちで浄化してしまえるの。「邪」を表現できるくせに、「邪」がなんたるかを理解しているくせに、彼自身は「邪」を必要としないの。
その、健康さで。
その、正しさで。
どれほど、救われただろう。
オギー全開芝居で、わたしは死にそうだった。
毒が魂に浸透し、叫びだしたいのをこらえるので必死だった。両手で口元押さえて、嗚咽しないようにするのに必死だった。
「アルバトロス、南へ」……脱走兵と彼を助けた女の、対話だけの芝居。追いつめられていく感覚。研ぎ澄まされていく感覚。
皮が消え、肉が消え、剥き出しになっていく感覚。
銃声が響き、「物語」ははじめのつづきに戻る。
いつか失うことがわかっている男の手を取り、女が笑う。今はここにいるのだと。
そして、それぞれの「物語」で男を見送った女たちが、黙って男を見つめる。
ひろがる痛み。
まもっていたものを全部削ぎ取られ、剥き出しになった神経は、誰に触れられなくても痛み続ける。空気ですら激痛になる。
こんなにいたかったら、しんじゃうよう。
……そんな、ときに。
ハマコが、救ってくれるんだ。
空気を変えてくれるの。
剥き出しの、痛い痛い感覚に、ふわりとコートをかけてくれる。
キムとハマコ、「強い」男ふたりが、その強さで、絶望の淵でうずくまって泣いているわたしを、「こちら側」に引っ張り上げてくれるの。
ハマコが、空気を変えてくれるの。
キムは「美形キャラ」としての仕事が別にあるから、ほんとーの意味での「空気を変える」仕事は任されていないのね。
ハマコなの。
あのぐたぐたに痛い世界から、一気にひっぱりあげてくれるのは、救ってくれるのは、ハマコなの。
にっこり笑ってさ。
わかってるよ、って。大丈夫だよ、って。
うわああぁぁん。
ハマコ、大好きだー!!
健康な人でいて。正しい人でいて。強い人でいて。
そのまっすぐさで、わたしを……わたしみたいなまちがったコワレた弱い人間を、救い続けて。
ずっとずっと、その強さを舞台の上で示し続けて。
観劇後、kineさんとごはん食べながら、ハマコを思い存分絶賛していたんだが。
kineさんが言うのさ。
「知ってました? ハマコって、コムちゃんより下級生なんですよ」
え。
………………えーと。
もちろん、知ってますよ。ハマコは水と同期だもんね。79期だよね。2学年も下だよね。しいちゃんと同期で、かしちゃんよりも下だもんね。新公学年からずーっと観てるんだもん、そんなの知ってるよおおお。
…………。
…………。
……嘘だろおぉっ、コム姫より下級生だなんてっ!! ありえねーっ!!
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