わたしはコミケに行きたかった。
星組初日とコミケが日程丸かぶりだった。
ワタさん退団公演の初日だ、絶対行きたい。でも、コミケにも行きたかった。
それで結局わたしは、コミケを選んだ。
星組公演は1ヶ月やっているけれど、コミケは3日間だけだからだ。
正直なところ、今のわたしは同人誌にもコミケにもあまり魅力を感じていない。
マンガもろくに読んでいないし、アニメも見ていない。二次創作を読みたいほどハマっているものもない。
カタログチェックをして、愕然とする。興味のない、知らないものばかりなんだ、コミケにあるサークルが。
昔、わたしがまだ若くてぴちぴちに痛かったころ。それこそ、コミケに参加するために徹夜で並んじゃうよーなイタイガキだったころは、カタログに載っているものほぼ全部知っていたし、大半を占めるジャンルに萌えていた。(徹夜は禁止です、絶対しちゃダメっす)
有名サークルや有名作家はチェック済みだし、友だちと分散して人気サークルに並んだり、目当ての本をGETするために、あくなき情熱をかけていた。
当時はお目当ての作家さんに「差し入れ」をするのが流行っていて、みんな花束やお菓子、貢ぎ物を抱えて行っていたなあ、遠い目。コミケに行くときの荷物に、「好き作家さんへの差し入れ」という項目があったもんよ。友だちと「今回はなにを持っていく?」と話し合ったりな。
某巨大サークルで売り子をしていたことがあったんだが、ファンからの貢ぎ物でえらいことになっていたよ……花束だけで荷台付きタクシー1台埋まる勢いでさー。(花以外の貢ぎ物はダンボールに詰めて宅配便で送っていたけれど。花だけはどうしようもない。某サークルでは、とても持って帰れないので売り子ちゃんに分配、それでも持てない分は会場に捨てて帰っていた……)
祭りの記憶は、遠く、愛しい。
若くてがむしゃらだったころ。
わたしはディープなヲタクで、コミケは半年に一度の大舞踏会だった。
特別な時間だった。
あー、有名巨大サークルになると、「お茶会」つーものもあってだね。
先生を囲んでのイベントがあるのさ。
ヅカの「お茶会」にはじめて参加したときは、おどろいたよ。同人サークルの「お茶会」とまったく同じだったんだもの。同人の「お茶会」では、わたしはスタッフ側だったんで裏方として走り回ってただけで、客として参加したことはなかったけどさ。
先生のトークがあって、ゲームやクイズ、質問コーナーがあって、抽選会があって。握手会もあったかな。グッズ販売もあるし、おみやげもあるし。テーブルがあることもあるし、シアター形式もあって。
ヅカのお茶会とまったく同じ。ただ、壇上にいるのがタカラジェンヌか同人作家かのちがい。
現在の同人サークルでそーゆー文化があるのかは知らない。ただ、わたしがいちばんディープにヲタクだったころは、大手ならそーゆーイベントはめずらしいものでもなかった。ほんと、ファンが数百人単位で集まるんだよ、同人作家のために。
わたしはずーっとヲタクだけど、「書き手」であることはあまりなかった。文章も書くし創作もするけど、「本を作って売る」というスキルに欠けていたので、もっぱら「読み手」としてヲタク文化に、そしてコミケに参加していた。
「あたしたち、一生ヲタクだよね」
と、誓い合った仲間たちがたくさんいた。「大人になったら卒業しなきゃね。ヲタクなんて恥ずかしいし」と前置きした上で、それでも「一生」と言うのさ。
「ヲタク」だから、「ププッ(冷笑)」て感じだけど。
「ヲタク」のかわりに「ミュージシャン」だとか「演劇人」だとか、障りの良さそうな単語を入れてみてくれ。
10代から20代にかけて、いちばんイタくて夢だの希望だのに燃えている時期のガキが、「ツマラナイオトナになんか、なりたくない。自分はならない」と思い込んで無駄に鼻息荒く吠えている。そーゆー感じだよ。「宣誓・一生ヲタク」てのは。
10代のころに「好きだ」と思うモノを、一生好きでいる。
心を老けさせたりしない。
つまらなそーに生きている世の中の「良識人」たちなんかに理解できない世界を持ち続ける。
そーゆー意気込みだな。
モノが「ヲタク」だからバカげて聞こえるけど、まあアレだ、ふつーの自意識過剰なガキが持つであろー「オトナナンテバカバッカリ」「ニンゲンナンテバカバッカリ」「デモアタシハソウハナラナイ」「アタシハトクベツナアタシデイル」関連の、ごくありきたりな感覚だ。
どんなに誓いを立てたって、仲間たちはひとりふたりと減っていった。
みんなふつーに、「大人」になり、子どものころの「バカな夢」を卒業していった。
わたしはどうも大人になりそこねたようで、ふつーの大人がやっていることがなにひとつできないまま現在に至っているのだけど、「大人のとしての義務は果たしたい」と思っている。や、だってもう「子ども」ぢゃないし。それだけは対外的にどーしよーもない事実だし。
でも、「子どものころの自分を否定したい」わけでもないんだ。
わたしは「大人」でありたい。トシに見合うだけの常識をわきまえて生きたい。
ここでイタイことを書き散らしているが、まあソレはソレ、現実のわたしはどーってことのないふつーのおばさんで、ふつーに世の中に迎合して生きている。
大人でありたい。
でも。
子どものころ夢中だったものを、失いたいわけではないんだ。
「あたしたち、一生ヲタクだよね」
そんな誓いのことを、当時の仲間たちが誰もおぼえていなくても、わたしはヲタクでいたい。
わたしは「ヲタク」という文化を愛しているから。
だからわたしは、コミケに行きたかった。
星組初日をあきらめてでも。
前回の冬コミは行かなかった。たかちゃんの『W-WING』の千秋楽を取った。(公演中止になったのは、また別の話)
その前の冬コミも行かなかった。ケロの退団公演を取った。『ドルチェ・ヴィータ!』の千秋楽を取った。
前回の夏コミはかろうじて参加したけれど、檀ちゃんの退団公演とセットだった。いつも全日参加していたコミケだったけれど、参加日数を減らし、『ソウル・オブ・シバ!』千秋楽を取った。
コミケとタカラヅカ、選択肢を挙げられれば、わたしはいつもタカラヅカを選ぶようになっていた。
だからこそ。
今回は、コミケを選びたかった。
これ以上コミケに行かないと、ほんとーに行かなくなってしまいそうだからだ。
コミケを好きでいるために、コミケに行くことを「日常」にしておきたかった。
「コミケに行くの? なんのジャンルにハマっているの?」
と聞かれて。
「特になにも。だから、なにか出会いがないかなと思って、ウインドーショッピングに行くの」
こう答えると「広大なウインドーショッピングね」と絶句されるんだけど、ほんとに、ほんとのことなんだもの。
好きでいたいなら、好きでいるための努力は必要だよ。
倦怠期になったカレシにそれでも会い続けるよーなもんで。「好きでいたい」と思うならね。「どうでもいいや」と思うなら、なにもしなくていいけど。
わたしはコミケを「好きでいたい」。
ヲタクなままでありたい。
現代の広義なオタクではなく、ほんとーに昔ながらの純粋な意味でのオタク。
あきらめの悪い性格なんだよ。変わりたくないんだ。「卒業」なんてキライなんだ。
いつか、タカラヅカのことも「あんまり興味ない」「無理して行かなくてもいっか」になるのかもしれない。
「あのころは、がむしゃらだったなあ」と遠い目で今のイタイヅカファン生活を振り返るのかもしれない。……ちと、ソレもいいかもしんない、つーくらいに、今自分ががむしゃらすぎてイタイことも自覚しているが。
それでも思うよ。
「あたしは、一生タカラヅカを好きでいる」
いついかなる時代の「自分」も否定したくない。
だから。
コミケに、行きたかった。
……行けなかったんだけどね。
体調不良で、夜行バスに乗れなかった。
ヘコんだ。
もうわたしは、コミケに行けないのかもしれない。
もうわたしは、変わってしまったのかもしれない。
もうわたしは、ほんとーに「若く」ないんだ。心すら、年老いてしまったんだ。
「あたしたち、一生ヲタクだよね」
「あたしは、一生タカラヅカを好きでいる」
生活するのに必要ない、ほんとーに心のためだけにある「趣味」の部分すら、いつか磨り減って消えていく。「なくてもいいや、今生活できてるんだから」となるのが厭だ。
人は変わる。興味や好意の対象が移るのは当然、仕方ない、ある意味前向きなこと。……そうわかったうえでね。
わたしはあきらめが悪く、ウエットな人間なので。
で、ヘコみながら行ったさ、星組初日。
ヘコんだままでいるの、いやだからさ。
どりーずのみんなも、西から東から(西から? ……当日朝まで博多にいる人がいるんだコレが)集まってくるしさ。どりーず総見ですよ、とりあえず当日参加ですよ。
ジャンルがなんであれ、わたしはヲタクである。
ヲタクなまま、生きていく。
星組初日とコミケが日程丸かぶりだった。
ワタさん退団公演の初日だ、絶対行きたい。でも、コミケにも行きたかった。
それで結局わたしは、コミケを選んだ。
星組公演は1ヶ月やっているけれど、コミケは3日間だけだからだ。
正直なところ、今のわたしは同人誌にもコミケにもあまり魅力を感じていない。
マンガもろくに読んでいないし、アニメも見ていない。二次創作を読みたいほどハマっているものもない。
カタログチェックをして、愕然とする。興味のない、知らないものばかりなんだ、コミケにあるサークルが。
昔、わたしがまだ若くてぴちぴちに痛かったころ。それこそ、コミケに参加するために徹夜で並んじゃうよーなイタイガキだったころは、カタログに載っているものほぼ全部知っていたし、大半を占めるジャンルに萌えていた。(徹夜は禁止です、絶対しちゃダメっす)
有名サークルや有名作家はチェック済みだし、友だちと分散して人気サークルに並んだり、目当ての本をGETするために、あくなき情熱をかけていた。
当時はお目当ての作家さんに「差し入れ」をするのが流行っていて、みんな花束やお菓子、貢ぎ物を抱えて行っていたなあ、遠い目。コミケに行くときの荷物に、「好き作家さんへの差し入れ」という項目があったもんよ。友だちと「今回はなにを持っていく?」と話し合ったりな。
某巨大サークルで売り子をしていたことがあったんだが、ファンからの貢ぎ物でえらいことになっていたよ……花束だけで荷台付きタクシー1台埋まる勢いでさー。(花以外の貢ぎ物はダンボールに詰めて宅配便で送っていたけれど。花だけはどうしようもない。某サークルでは、とても持って帰れないので売り子ちゃんに分配、それでも持てない分は会場に捨てて帰っていた……)
祭りの記憶は、遠く、愛しい。
若くてがむしゃらだったころ。
わたしはディープなヲタクで、コミケは半年に一度の大舞踏会だった。
特別な時間だった。
あー、有名巨大サークルになると、「お茶会」つーものもあってだね。
先生を囲んでのイベントがあるのさ。
ヅカの「お茶会」にはじめて参加したときは、おどろいたよ。同人サークルの「お茶会」とまったく同じだったんだもの。同人の「お茶会」では、わたしはスタッフ側だったんで裏方として走り回ってただけで、客として参加したことはなかったけどさ。
先生のトークがあって、ゲームやクイズ、質問コーナーがあって、抽選会があって。握手会もあったかな。グッズ販売もあるし、おみやげもあるし。テーブルがあることもあるし、シアター形式もあって。
ヅカのお茶会とまったく同じ。ただ、壇上にいるのがタカラジェンヌか同人作家かのちがい。
現在の同人サークルでそーゆー文化があるのかは知らない。ただ、わたしがいちばんディープにヲタクだったころは、大手ならそーゆーイベントはめずらしいものでもなかった。ほんと、ファンが数百人単位で集まるんだよ、同人作家のために。
わたしはずーっとヲタクだけど、「書き手」であることはあまりなかった。文章も書くし創作もするけど、「本を作って売る」というスキルに欠けていたので、もっぱら「読み手」としてヲタク文化に、そしてコミケに参加していた。
「あたしたち、一生ヲタクだよね」
と、誓い合った仲間たちがたくさんいた。「大人になったら卒業しなきゃね。ヲタクなんて恥ずかしいし」と前置きした上で、それでも「一生」と言うのさ。
「ヲタク」だから、「ププッ(冷笑)」て感じだけど。
「ヲタク」のかわりに「ミュージシャン」だとか「演劇人」だとか、障りの良さそうな単語を入れてみてくれ。
10代から20代にかけて、いちばんイタくて夢だの希望だのに燃えている時期のガキが、「ツマラナイオトナになんか、なりたくない。自分はならない」と思い込んで無駄に鼻息荒く吠えている。そーゆー感じだよ。「宣誓・一生ヲタク」てのは。
10代のころに「好きだ」と思うモノを、一生好きでいる。
心を老けさせたりしない。
つまらなそーに生きている世の中の「良識人」たちなんかに理解できない世界を持ち続ける。
そーゆー意気込みだな。
モノが「ヲタク」だからバカげて聞こえるけど、まあアレだ、ふつーの自意識過剰なガキが持つであろー「オトナナンテバカバッカリ」「ニンゲンナンテバカバッカリ」「デモアタシハソウハナラナイ」「アタシハトクベツナアタシデイル」関連の、ごくありきたりな感覚だ。
どんなに誓いを立てたって、仲間たちはひとりふたりと減っていった。
みんなふつーに、「大人」になり、子どものころの「バカな夢」を卒業していった。
わたしはどうも大人になりそこねたようで、ふつーの大人がやっていることがなにひとつできないまま現在に至っているのだけど、「大人のとしての義務は果たしたい」と思っている。や、だってもう「子ども」ぢゃないし。それだけは対外的にどーしよーもない事実だし。
でも、「子どものころの自分を否定したい」わけでもないんだ。
わたしは「大人」でありたい。トシに見合うだけの常識をわきまえて生きたい。
ここでイタイことを書き散らしているが、まあソレはソレ、現実のわたしはどーってことのないふつーのおばさんで、ふつーに世の中に迎合して生きている。
大人でありたい。
でも。
子どものころ夢中だったものを、失いたいわけではないんだ。
「あたしたち、一生ヲタクだよね」
そんな誓いのことを、当時の仲間たちが誰もおぼえていなくても、わたしはヲタクでいたい。
わたしは「ヲタク」という文化を愛しているから。
だからわたしは、コミケに行きたかった。
星組初日をあきらめてでも。
前回の冬コミは行かなかった。たかちゃんの『W-WING』の千秋楽を取った。(公演中止になったのは、また別の話)
その前の冬コミも行かなかった。ケロの退団公演を取った。『ドルチェ・ヴィータ!』の千秋楽を取った。
前回の夏コミはかろうじて参加したけれど、檀ちゃんの退団公演とセットだった。いつも全日参加していたコミケだったけれど、参加日数を減らし、『ソウル・オブ・シバ!』千秋楽を取った。
コミケとタカラヅカ、選択肢を挙げられれば、わたしはいつもタカラヅカを選ぶようになっていた。
だからこそ。
今回は、コミケを選びたかった。
これ以上コミケに行かないと、ほんとーに行かなくなってしまいそうだからだ。
コミケを好きでいるために、コミケに行くことを「日常」にしておきたかった。
「コミケに行くの? なんのジャンルにハマっているの?」
と聞かれて。
「特になにも。だから、なにか出会いがないかなと思って、ウインドーショッピングに行くの」
こう答えると「広大なウインドーショッピングね」と絶句されるんだけど、ほんとに、ほんとのことなんだもの。
好きでいたいなら、好きでいるための努力は必要だよ。
倦怠期になったカレシにそれでも会い続けるよーなもんで。「好きでいたい」と思うならね。「どうでもいいや」と思うなら、なにもしなくていいけど。
わたしはコミケを「好きでいたい」。
ヲタクなままでありたい。
現代の広義なオタクではなく、ほんとーに昔ながらの純粋な意味でのオタク。
あきらめの悪い性格なんだよ。変わりたくないんだ。「卒業」なんてキライなんだ。
いつか、タカラヅカのことも「あんまり興味ない」「無理して行かなくてもいっか」になるのかもしれない。
「あのころは、がむしゃらだったなあ」と遠い目で今のイタイヅカファン生活を振り返るのかもしれない。……ちと、ソレもいいかもしんない、つーくらいに、今自分ががむしゃらすぎてイタイことも自覚しているが。
それでも思うよ。
「あたしは、一生タカラヅカを好きでいる」
いついかなる時代の「自分」も否定したくない。
だから。
コミケに、行きたかった。
……行けなかったんだけどね。
体調不良で、夜行バスに乗れなかった。
ヘコんだ。
もうわたしは、コミケに行けないのかもしれない。
もうわたしは、変わってしまったのかもしれない。
もうわたしは、ほんとーに「若く」ないんだ。心すら、年老いてしまったんだ。
「あたしたち、一生ヲタクだよね」
「あたしは、一生タカラヅカを好きでいる」
生活するのに必要ない、ほんとーに心のためだけにある「趣味」の部分すら、いつか磨り減って消えていく。「なくてもいいや、今生活できてるんだから」となるのが厭だ。
人は変わる。興味や好意の対象が移るのは当然、仕方ない、ある意味前向きなこと。……そうわかったうえでね。
わたしはあきらめが悪く、ウエットな人間なので。
で、ヘコみながら行ったさ、星組初日。
ヘコんだままでいるの、いやだからさ。
どりーずのみんなも、西から東から(西から? ……当日朝まで博多にいる人がいるんだコレが)集まってくるしさ。どりーず総見ですよ、とりあえず当日参加ですよ。
ジャンルがなんであれ、わたしはヲタクである。
ヲタクなまま、生きていく。
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